【48話】6秒の攻防
前回のあらすじ、『不動』の懐に入り込んだよ。
ミシリ、と空間が悲鳴を上げた。俺の手が『不動』の展開する【絶対領域】に触れた瞬間、粘度の高いゼリーに腕をねじ込むような、凄まじい抵抗が走る。だが、飽和攻撃によって彼の集中力は限界まで削がれている。 障壁はかつての絶対的な硬度を失い、俺の影と執念がそれをこじ開けた。
指先が、ついに『不動』の着ているスーツの生地に触れる。
(―――グリムッ!!)
心の中で絶叫すると同時に、能力の吸い取りが始まった。6秒。この地獄のような攻防を、6秒間耐え切らなければならない。
「―――がっ!?」
『不動』が初めて苦悶の声を漏らす。スキルを根こそぎ奪われる感覚は、魂の一部を引き剥がされるに等しいのだろう。だが、彼はそれでもプロだった。力が抜けていくその瞬間でさえ、残された自由な左腕で俺の脇腹に強烈な掌底を叩き込んできた。右手の『荒鷲』を向ける余裕はないと判断したのか、あるいは単に近い方の手が出たのか。重い一撃だ。
残り、5秒。
「ぐっ…!」
内臓が揺さぶられる衝撃。だが、俺は歯を食いしばり、接触を維持する。ここで離せば全てが水の泡だ。俺はありったけの【身体強化】を発動させ、彼の肉体に食らいついた。
残り、4秒。
吸い取りが進み、『不動』の【絶対領域】がさらに弱まる。それと同時に、俺の体に微かな変化が起きた。まるで自分の意志とは無関係に、俺の皮膚の表面に薄い、不完全な障壁が形成される。
(やはり...奪いながら使える!)
『不動』もそれに気づいたのだろう。彼の目に、驚愕と焦りの色が浮かぶ。彼は戦術を切り替え、俺の腕を掴んで引き剥がそうと試みる。元特殊部隊員の膂力は凄まじく、俺の腕がミシミシと音を立てた。
残り、3秒。
「離せぇっ!」
『不動』が吠え、俺の顔面に頭突きを叩き込んできた。視界が白く染まる。だが、その衝撃の瞬間、俺の顔の前に形成された不完全な障壁が、威力をごく僅かに減衰させてくれた。そのおかげで意識を保てた俺は、逆に彼に体重を預け、決して接触を解かない。
残り、2秒。
俺の周囲に展開される障壁が、次第に強度を増していく。それとは対照的に、『不動』の抵抗は目に見えて弱まっていた。彼の代名詞であったはずの「不動」の力が、今や彼自身を蝕んでいる。
残り、1秒。
そして、ふっと、俺と彼を繋いでいた力の流れが途絶える。俺の中に、新しい、そして強固な「壁」が完全に形成されるのを感じた。同時に、『不動』の体から全ての気迫が消え失せる。長年連れ添った己の能力を失った彼の目には、ただ純粋な驚愕と喪失が浮かんでいた。
「…終わりだ」
俺は呟き、抵抗のなくなった『不動』の首筋に手刀を叩き込む。彼は白目を剥き、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。 ゴトリ、と重い金属音が響く。彼の手から、愛用していた対戦車拳銃『荒鷲』が滑り落ちた音だった。
「『不動』!どうした!」 「煙の向こうだ!囲め!」
倉庫の奥から、混乱から立ち直った警備兵たちの声が聞こえる。煙幕も晴れ始めていた。時間は、ない。 俺は倒れた『不動』と、床に落ちた『荒鷲』を一瞥する。あの銃も、奥にある『雷神』も少し欲しいが、欲をかけば死ぬ。
俺は即座にその場を離脱した。目的は達成した。これ以上ここにいる理由はない。
俺は【影】を使い、床やコンテナの影から影へと飛び移るように移動する。その姿は、煙と闇に紛れて誰の目にも留まらない。G-フレームの駆動音を響かせながら突入してくる警備兵たちとすれ違うように、俺は予め確認しておいた北側の換気口から、音もなく外へと滑り出した。
横浜港の冷たい夜気が、火照った体を冷ましていく。 倉庫から十分に離れたコンテナの陰で、俺は【変身】を解き、飯野風雅の顔へと戻った。肺の底から、溜まっていた息をゆっくりと吐き出す。脇腹に走る鈍い痛みと、全身を包む疲労感が、今の6秒間がいかに過酷だったかを物語っていた。
だが、それ以上に、全能感にも似た新しい力が、俺の内で静かに脈打っていた。
俺は試しに、自分の手のひらに向かって軽く指を弾いた。
カツン、と。
指先が、目に見えない完璧な壁に当たって、乾いた音を立てた。 これが完成された【絶対領域】。 6秒の死闘の末、俺は最強の盾を手に入れた。
俺は口の端を吊り上げると、騒がしくなってきた倉庫に背を向け、始発の電車が動き出す駅へと向かって、闇の中を歩き出した。
次回、『不動』視点。




