98話 宝物
コノミが麻疹で大変だ。
熱を出して学校も休んでいる。
彼女を知っている皆が、「可哀想」と口を揃えるのだが、子どもを育てるというのは大変だ。
家庭を持つつもりなど微塵もなかったので、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
コノミの心配をしてくれて、相原さんも来てくれている。
見舞いの品などをもらって、お世話になりっぱなしだ。
炊事場でコノミのおやつを作っていたら、漫画家の先生たちに囲まれてしまった。
俺が作る料理が珍しいものばかりなので興味があるのだろう。
そもそも、クリエイターってのは好奇心が旺盛な人種なので、やむを得ないところもある。
色々と食わせてやったが、味の評判はいいようだ。
金がなくなったり、インスタントものが食えなくなったりで自炊をしていたが――まさか、こんな時代に迷い込むとは思わねぇからなぁ。
ここじゃ、コンビニもねぇし。
一応、冷凍食品もあるようだが、そいつを保存するための冷凍庫がないし、温めるための電子レンジもない。
ウチに冷蔵庫はあるが、冷凍庫がないタイプだ。
電子レンジも存在はしているが、高級車が買えるぐらいの値段。
実用的ではない。
俺は、漫画家の先生たちに色々と食わせたあと、自分の部屋に戻った。
モモは、八重樫君の手伝いをするようだ。
「はぁ、やっと戻ってこれた」
部屋には、相原さんがまだいた。
「なにやってたの?」
ヒカルコは、俺が戻ってこないので不思議に思っていたようだ。
「矢沢さんや八重樫君に、あまりもので食い物を作ってやってた」
「……」
ヒカルコが、なんでそんなことをするのか、意味が解らん――みたいな顔をしている。
「篠原さん、料理ができるから凄いですよねぇ」
「はは、まぁ別にすごくはないですけどね……それで、お味はどうですか?」
「とても美味しいです! モモの缶詰がこんなにお洒落な味になるなんて」
「レモンかなにかがあれば、もっといいかと思うのですが、あいにくなくてね……」
「いいえ、これでも美味しいです」
「コノミも美味しかったか?」
「うん……ショウイチ……」
彼女が手を伸ばしてきた。
このポーズは、抱っこしてほしいのだろう。
コノミを抱いてやる。
「よしよし、お腹になにか入れたのなら、お薬も飲もうなぁ」
「……コク」
薬はゲロマズいのだが、観念しているようだ。
牛乳で割れば、なんとか飲めないこともないし。
ヒカルコが、炊事場の冷蔵庫から牛乳を持ってきてくれた。
「はい」
「おお、サンキュー」
水薬を牛乳で割って飲ませてやる。
「なんで牛乳で割ってるんですか?」
「え? ああ、この薬がすごく不味いんですよ、はは」
「コクコク」
俺の言葉に、コノミがうなずいた。
嫌な顔をしながらも、彼女は薬を飲んでいる。
飲まないと具合が悪くなると理解したのだろう。
そりゃ熱が出ると苦しいし、本を読んだりもできなくなるからな。
「よしよし、薬を飲んだら寝ような。俺も一緒に寝てやるから」
「うん」
俺は布団の上から寝てやる。
今は小さな布団なので、俺が一緒に入るとめくれ上がってしまう。
寝転がると、俺の背中にヒカルコがひっついた。
「お前はコノミの反対側に寝てやれよ」
「いーやー」
コノミはヒカルコの真似をしているのだが、こいつはコノミの真似か。
「それじゃ、私が反対側に」
俺の対面に、相原さんが寝転んだ。
「相原さん、スーツがシワになりますよ」
「大丈夫ですよ」
「コノミ、お姉さんが一緒に寝てくれるって。よかったな」
「……うん」
大人に囲まれて安心したのか、目をつむった彼女はすぐに眠りに落ちた。
コノミのおでこに、女史が手を当てている。
「小さいのに、可哀想……」
「熱が出なけりゃいいんですがねぇ」
「でも、熱が出てるのは病気と戦ってるって証拠だって」
俺の背中から声がする。
ヒカルコの言うとおりだが、熱を出しすぎると消耗するし、色々と問題が発生したりする。
「男なんて、高熱が出すぎると種無しになるんだぞ?」
「え?! 本当ですか?」
俺の言葉に相原さんが、驚いている。
「本当ですよ。40度ぐらいになると精子が全滅したりするんです」
「も、もしかしてそのまま……」
「細胞が残っていれば復活するみたいですが、大元まで全滅していると――本当に種無しに……」
「えええ……」
「男のタマタマってビローンとぶら下がってるじゃないですか。あれって熱に弱いから放熱しているんですよね」
「し、知りませんでした……」
平成令和だと、わりかしメジャーな話だと思ったが……昭和じゃ、そうでもないのか。
「ショウイチ、変なことを知ってる」
後ろからちょっと呆れた声が聞こえてくる。
「こういうネタを知っていると、話が1つ書けるだろ?」
「それじゃ、子どもができない場合でも、男の人に問題がある場合も……」
「もちろんですよ。男尊女卑の世の中だから――子どもができないのは、なぜか女性が悪いみたいに言われることが多いですけどね」
「……」
コノミが寝てしまったので、起き上がる。
まだ俺たちが寝るには早いのだが、相原さんのお仕事は大丈夫だろうか?
「相原さん、お仕事は大丈夫ですか?」
「……あ、あの――今日、泊まっていってもよろしいですか?」
「え?! なんでまた……」
「コノミちゃんが心配で……」
「それはありがたいですが……コノミも喜ぶでしょうし――でも、お仕事は大丈夫ですか?」
「はい」
「なんでそうなるの?!」
ヒカルコがなにか言ってるのだが、話を続ける。
「……まさか、ここに寝るんじゃないですよね?」
「駄目ですか……?」
上目遣いで見られても困る。
彼女がとんでもないことを言い出した。
「4人寝れないこともないですが、布団が……」
「ちょっと聞いてきます!」
相原さんが、外に出ていってしまった。
大家さんに許可を取るつもりだろうか?
女の子のアシ用に泊まり部屋があるので、そこの布団を借りるのだろうか?
前に泊まったことがあるので、問題ないといえばそうだが……。
「むう……」
相原さんが泊まるというので、ヒカルコの機嫌が悪い。
「コノミを心配してくれてるんだぞ。断れないだろうが」
「……そうだけど」
そのうち、バタバタと足音が戻ってきた。
「問題ないそうです!」
「そりゃいいのですが、お構いできませんよ?」
「それはもちろん承知しております」
美人編集者が泊まることに決定したようだ。
それはそうと、腹が減っているのを思い出した。
コノミの食事を用意したりしていたので、俺たちの夕飯がまだだ。
「これから用意するのは面倒だし、相原さんもいる。店屋物でも食べるか」
「うん」
ヒカルコも食事の用意が面倒らしく、俺の意見に同意した。
「ありがとうございます」
相原さんがペコリとお辞儀をする。
「いやいや、コノミのお見舞いに来てくれたし……」
泊まるってことは、仕事は片付いているだろうな。
「それじゃ、出前が来るまで矢沢先生の所にいてよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
空いている時間があるのはもったいない。
俺も一緒に出て、電話で出前を頼むことにした。
いつも電話番をしているモモは、八重樫君の手伝いをしている。
こういうときに、すぐに電話を使えるのは便利だ。
大家さんに気兼ねなく使うことができる。
元々電話嫌いとはいえ、この時代には電話しかないので使うしかない。
あとは、手紙と電報ぐらいだ。
めちゃ不便だし、好き嫌いは言ってられん。
「さて――」
ラーメンでいいだろう。
ラーメンライスと餃子。
定番中の定番だが、そもそもメニューがそんなにないのだ。
野菜炒めすらない。
そもそも、家庭でも炒めものを食べることが少ないようだ。
油が高いせいもあるのかもしれないが、ウチは俺がよく作るので、ヒカルコが真似をしている。
中華屋に電話をかけていると、八重樫君の部屋の戸が開いた。
「篠原さん篠原さん! 出前ですか?」
「ああ……」
「僕も頼んでいいですか?」
「すみません、ちょっと待ってください」
中華屋に待ってもらうために、受話器に手で蓋をした。
「中華屋だぞ?」
「ええ、それじゃラーメン3人前で、ライスつけてください」
都合6人前を頼んだ。
運べるのか不安だったのだが、大丈夫らしい。
「あの~、領収書を持ってきてください――お願いします」
この時代の領収書は「上様」でもOKなので、楽だ。
部屋に戻り30分ほど待っていると、外にバイクがやって来た。
出前がやってきたのだろう。
部屋から出て階段を降りる。
「手伝うかい?」
「大丈夫ですよ」
彼がバイクに積んできたのは、巨大なシルバーの岡持ち。
「6人前だから心配だったんだが、余裕そうだな」
「工場やら会社から大口の注文が入ったりするので、12人前までいけますよ」
「すごいな」
階段の上まで持ってきてもらい、廊下に出してもらう。
不衛生とか言ってられない。
これが昭和なのだ。
ドンブリに指が入っていても、余裕のよっちゃんじゃないと昭和っ子とは言えん。
潔癖症には大変な時代だろう。
風呂も結構汚いしな、ははは。
「領収書持ってきてくれた?」
「はい、こちらに」
1000円札を出してお釣りをもらう。
「八重樫君~、来たぞ~! 持っていけ」
「はい、は~い」
「ほら、3人前で、さっさと持っていかないと伸びるぞ」
「はい、あのお金を……」
「俺がまとめて払ったから。俺のおごりだ」
「ありがとうございます!」
「やったぁ」
部屋から五十嵐君と、モモもやって来た。
こっちもヒカルコに運んでもらうと、俺は相原さんを呼びに向かう。
「相原さん~、食事が来ましたよ」
「はい~!」
「む~」
矢沢さんがこちらを睨んでいる。
「矢沢さん、さっき夕飯作ってたじゃん」
「そ、そうですけどぉ……」
一緒にワイワイと食べたかったのかもしれない。
「先生、食事が終わったら、また来ますので」
「わかりましたぁ」
部屋に戻ると、ヒカルコがコノミの布団を寄せてちゃぶ台を出してくれていた。
その上にラーメンと餃子を並べてくれていた。
ラーメンとライスは3人前だが、餃子は2人前。
食うのが野郎だともっと必要だろうが、女性が2人だ。
「さて、相原さんのお口に合うか」
「そんなことはありませんよ」
まぁ、この店の中華は可もなく不可もなし。
よく言えば、飽きのこない普通の味。
この時代のラーメンは醤油味で概ねこんな感じなのだが、本当にお湯で醤油を溶いたみたいなものが出てくる所もあるので油断はできない。
「ずるる~、美味しいです」
「米だけ炊けばよかったか、でも時間がかかるしなぁ」
「うん」
美味さを取るか、手早さを取るか。
正直、ライスはウチの米のほうが数倍美味い。
なにせ値段がダンチだからな。
ラーメンを啜り餃子を食べていると、後ろから声がした。
「ショウイチ……」
「お? コノミ起きたのか?」
「私も食べる……」
「そうか! あ~、でもラーメンは消化に悪いからなぁ」
それでも食欲があるなら、食べさせたほうがいいかもしれない。
ヒカルコが持ってきた小鉢に少し取ってやる。
「ほい、食べられるようなら、俺の分をやるよ」
「うん」
コノミが食べ始めたのだが、やっぱり喉が痛いので食べづらいようだ。
ラーメンは小鉢1つで止めるらしい。
「ラーメンじゃなくて、柔らかそうなものならまだ食べられそう?」
「うん」
「そうか――よし、この御飯でおじやを作ってやろう」
ラーメンについてきたライスなら、コノミが食べる分にちょうどいいぐらいだし。
「よし、待ってな!」
俺はラーメンとライスを持って、炊事場に向かった。
「あ! 私も行きます!」
「相原さん、料理できないんじゃ……」
「あ、あぐぐ……」
俺の言葉に彼女が言葉に詰まって、ストンと座った。
「コノミと一緒にいてやってください」
「はい、座って」
ヒカルコは相原さんには、少々厳しい。
「は、はい……」
「コノミ、お姉さんが泊まっていってくれるんだって」
「本当?」
「本当よ? 一緒に寝てあげるから」
「うん」
コノミも嬉しそうだ。
「ヒカルコもここにいていいぞ、俺1人で十分だし」
「うん」
俺は、ラーメンとライスを持って、1人炊事場に向かった。
ラーメンを置くと、小さな鍋を取り出して水を汲む。
鍋を載せてコンロに火をつける。
マッチで点ける真っ黒な鉄製のコンロにもすっかりと慣れてしまった。
なんでも慣れるもんだなぁ――と、思いつつ、少し冷めて伸びてしまったラーメンを啜る。
これはこれで乙なものだ。
カップ麺も大幅に時間を延長して、デロデロになったのが好きな人もいるぐらいだし。
お湯を沸かしている間に鰹節を削って、鍋がぐつぐつ言い出したら投入。
グルグルとお湯も回した中に入れ、止まるころに取り出す。
入れたままだと魚臭くなってしまう。
ダシが取れたので、薄く醤油と味醂で味付けして、ご飯を入れた。
これでクツクツと、ご飯が柔らかくなるまで煮ればいい。
「お、だいぶ柔らかくなったな」
最後に溶き卵を入れる。
少々味見――
「ンマーイ!」
思わずそのまま食いそうになった。
ライス分がなくなったので、少々物足りないのだ。
あとで、バナナでも食おう。
「あ、篠原さん、なにをしているんですか?」
ラーメンを食い終わった八重樫君がやって来た。
「コノミにご飯を作っているんだよ。喉が痛いせいか普通のご飯が食べられないからな」
「へ~」
彼が鍋をじ~っと見ている。
「これは駄目だぞ。だいたい、今ラーメン食ったばっかりだろうが」
「た、食べませんよ。でも、篠原さんの作る料理って美味しそうに見えるんですよねぇ……」
「そうなんっすよねぇ」
先生の後ろから、五十嵐君とモモもやって来た。
食った丼を洗うのだろう。
「褒めてもやらんぞ。コノミのだからな」
「だから、食べませんよ」
皆でワイワイしていると、ヒカルコも丼を持ってきた。
相原さんも、洗い物はできないらしいからな。
その点はモモとまったく一緒だが、スーパーキャリアウーマンの相原さんとは、比べ物にならん。
女史には、家事ができなくてもそれを上回るだけのスーパー凄い能力がある。
そんな彼女に洗い物をさせるなんて国家的な損失にあたるだろ。
俺はでき上がった鍋を持って部屋に戻ると、コノミと相原さんが待っていた。
「コノミ、できたぞ~」
「うん」
ちゃぶ台の上に鍋敷きを置いて、持ってきたものを載せた。
鍋が大きいと中々冷えないので、小鉢に小分けにしてあげる。
「はい、どうぞ~」
「うん」
「あ、あの、私が食べさせて上げても……」
相原さんが小さく手を上げた。
「ええ――いいよな、コノミ」
「うん」
「それじゃ、フ~フ~!」
彼女がレンゲにおじやを盛ってフ~フ~している。
かなり熱いからな。
「コノミちゃん、あ~ん」
「あ~ん、パク」
「可愛い!」
「熱くないか?」
「大丈夫」
「ウチの米ならもっと美味かったんだがなぁ。中華屋のライスだからな」
「……」
相原さんが、次の分をレンゲで掬ったのだが、それをジッと見ている。
「相原さん、なにか?」
「あ、あの……一口いただいても……」
「ああ、コノミいいよな?」
「うん、美味しいよ」
「ありがとうございます――パク……おいひい……」
「ショウイチが作るご飯は、みんなおいしい」
「ははは、ありがとな」
次を食べさせてくれない相原さんに、じれったくなったのか、コノミがレンゲを奪って自分で食べ始めた。
「ああ、ごめんなさい」
「いい、自分で食べる」
パクパク食べているから、食欲は戻っているみたいだな。
もしかして熱も下がっているのかもしれないが、まだ中間地点辺りだ。
発疹が出たら、また熱が出るに違いない。
洗い物を終えたヒカルコが戻ってきた。
「ヒカルコ、サンキュー」
「うん」
「……」
相原さんが俺のほうを見ている。
「なにか?」
「い、いいえ。あの、矢沢先生の所に行ってきます」
「お仕事の続きですね。いってらっしゃい」
「いってらっしゃ~い」
コノミのいってらっしゃいに、相原さんの顔が緩んでいる。
女史が部屋から出ていった。
「コノミ、具合よさそうだな」
「うん、でも喉が痛い」
「薬はさっき飲んだから、つぎを飲むのにはまだ早いな」
彼女のおでこに手を当てた。
手に伝わってくる熱はまだ高い――測ってみると、38.5度ぐらいある。
やはりまだまだ高いが、39度超えないと、コノミはぐったりしないらしい。
大人がこんな熱だったら、間違いなく寝たきりだ。
「温かいのを食べて、汗かいたな。着替えないと」
「うん」
「ヒカルコ、頼む」
「わかった」
彼女たちが着替えている間は、俺は文机に向かっている。
「ショウイチ、本を読んでもいい?」
コノミの着替えが終わったらしい。
赤い顔をしているが、調子はよさそうである。
「ちゃんと、布団の中に入るんだぞ?」
「うん」
少し元気になると、本を読みたいようだ。
まぁ、他に娯楽がないからなぁ。
コノミの調子がいいなら、俺は仕事をしよう。
ムサシのムック本の原稿だ。
俺がアバウトな設定を起こしてから、八重樫君とすり合わせる。
彼の原稿が上がれば、チェックしてもらえるだろう。
ヒカルコもちゃぶ台の上で原稿を書いている。
俺の小説の仕事は終わってしまったが、彼女のは続いていた。
「そういえば、ヒカルコ。お前も本が出るって話をしてなかったか?」
「ん……12月」
「もうすぐじゃねぇか」
「うん」
「やったな、これでヒカルコさんも一流作家の仲間入りか~」
「そんなことない」
彼女は才能があるのに、いまいち小説の仕事を天職だと思ってない節がある。
実にもったいないが、話を書くのは好きなようだ。
金があったら、気分的に乗らない仕事はしないだろう。
あまり量をこなす作家といえないかもしれない。
2人で仕事をしていると、相原さんが戻ってきた――大きな布団を抱えて。
本当にここに寝るつもりだ。
「あ、コノミちゃん大丈夫?」
彼女が布団に潜り込んで本を読んでいる女の子を見つけて驚いている。
「今のところは大丈夫みたいですよ」
「それじゃ、私はコノミちゃんの横に寝させていただきますね」
「はい、どうぞ~」
彼女が、コノミの隣に布団を敷き始めたのだが、まだ時間は早い。
このままじゃ6畳が布団でぎゅうぎゅうになってしまうな。
せっかく相原さんがいるので、ムサシのムック本の打ち合わせをする。
電話が設置されて簡単な確認はできるようになったが、元世界のようにリアルタイムに返答が返ってくるわけではない。
彼女は関東中を駆け回り出かけていることが多いし、電話でも連絡がつかない。
せめてポケベルのようなもので呼び出しができればいいのだが。
この世界でそれに近いものがあるとすれば――それはアマチュア無線だ。
電波を使って世界中とリアルタイムで通信ができるが、まさか仕事の打ち合わせでそれを使うわけにはいかない。
そもそも機材が大掛かりで、手軽ではないしな。
そう考えると、昭和ってのはのんびりしている時代なのだろう。
いや、ネットができてから、なにもかもがリアルタイムになりすぎて、慌ただし過ぎるのか。
「物語の舞台を考えるのって面白いですねぇ」
「ははは、作っている本人は面白いのですが、読者はさほど興味がないんですよ。そんなことより、ストーリーを進めてくれって感じですよね」
「確かにそうですが……」
「だが、物語にハマると、その世界の詳しいことも知りたくなる――というわけで、こういう本の需要もあるわけです」
「私もそう思います!」
「……むう」
俺と相原さんが打ち合わせをしていると、ヒカルコが不機嫌だ。
仕事だろ、仕事。
前に書いたメモを出そうと、文机の引き出しを開けたのだが、それを相原さんに掴まれた。
「なんですかこれ!」
彼女が引き出しに手を突っ込んで取り出したのは、前に書いて入れたままだった婚姻届。
「なんですかって、見たまんまですよ」
「!」
なにを思ったのか、相原さんは鉛筆立てからボールペンを取ると――。
ちゃぶ台の所にジャンプして、それに書き込みをしようとした。
「なにをするの?!」
慌てて、ヒカルコが相原さんの邪魔をする。
「こんなものがあるってことは、まだ籍は入れてないんでしょ?!」
2人で、婚姻届を取り合ってジタバタしている。
そのうち、お互いに両手を掴みあって硬直した。
「ヒカルコにそれを渡したんだが、名前を書いてくれなくてな」
「そ、それなら、私の名前を書いてあげます」
「ええっ?! 本気ですか?!」
「当然ですよ!」
「書かれてたまるかぁ!」
相原さんに名前を書かせたくないってことは、俺が他の女と籍を入れるのは嫌だということなのか。
それなら、さっさと名前を書けばいいのに。
「ちょっと、ふたりとも……」
「ショウイチは黙ってて!」「篠原さんは黙っててください!」
「はい」
そう言われると黙るしかないが、本当に俺でいいのかねぇ……。
「「ぐぬぬ……」」
2人の腕力は互角である。
そのまま固まっていると、黙って見ていたコノミが大きな声をあげた。
「うるさ~い!」
「「……はい」」
コノミが、2人から紙を取り上げる。
「ショウイチ、これなに?!」
「そこに名前を書くと、俺と結婚できる紙……?」
「ホント?!」
赤いほっぺをした彼女が、目をきらめかせた。
「ああ」
「それじゃ、コノミの名前を書く!」
まてまて――。
「ははは、コノミは高校生ぐらいにならないと駄目だぞ」
「ウソ?!」
「本当だよ」
「それじゃ、そのときまで、コノミの宝物にしておく!」
コノミが自分のノートを本棚から取り出すと、婚姻届を2つに折って間に挟んだ。
「むふ~!」
彼女がノートを胸に当てて、勝ち誇った顔をしているのだが、その反対に大人2人はあっけに取られている。
これは、コノミの一本勝ちかもしれない。
子どもと張り合うわけにも行かず、ヒカルコと相原さんも大人しくなった。
そのまま時間も遅くなり、寝ることになったのだが――急に泊まることになった相原さんは寝巻きを持ってきていない。
やむを得ず、俺のワイシャツを貸した。
「ウフフ……」
俺のシャツを着た女史は嬉しそうだが――。
「む~!」
「おい、ヒカルコ」
それを見たヒカルコが、シミーズだかキャミソールを脱ぐと、タンスから俺のシャツをもう一枚取り出した。
彼女がそれを頭から着ると、勝ち誇った顔でセクシーポーズを決めた。
「むふ~ん!」
「……」
さすがに、相原さんはポーズを決めるのは恥ずかしいようだ。
「「ぐぬぬ……」」
シャツを着た2人の女が睨み合っている。
「お客さんと張り合うんじゃねぇ」
俺はヒカルコの頭にチョップを入れた。
「にゃ!」
「む……」
頭を抱えているヒカルコを見て、相原さんが不機嫌そうにしている。
次にどこに寝るかでまた揉めた。
ここでもコノミの仲裁で、相原さんの持ってきた布団で俺が1人で寝ることに……。
俺、コノミ、ヒカルコと相原さんという配置。
まぁ、この順番が一番もめないだろう。
まったく病人がいるのに騒々しいが、4人で就寝した。
――相原さんが泊まった、次の日の朝。
目を覚ますと、下から大きな声が聞こえる。
1人は大家さんの声だが、もう1人は女性のものでいままで聞いたことがない。
1階にいるということは、大家さんの身内だと思われる。
いつも話には出てきていたが、一度も会ったことがなかった大家さんの娘さんだろうか。





