85話 イベントが盛りだくさん
ムサシが載っている少年月刊誌が売れに売れているらしい。
シートレコードが付録についた号は95万部以上、次の号も65万部以上の注文が入っているようだ。
11月の末にムサシの単行本が出るが――高坂さんによると、初版は30万部に決まっているという。
漫画を描いている八重樫先生は、一気に金持ち。
人気漫画家の仲間入りだ。
その大躍進には、あの漫画の神様も歯ぎしりをしていることだろう。
話に聞く限り、神様はすごく嫉妬深いらしいからな。
その大先生が、ムサシに影響されて連載を始めた「銀河旅団」という漫画の評判はイマイチだ。
まぁ、なんというかテーマが難しいんだよねぇ。
高尚なのはいいのだが、子どもが楽しめる漫画のほうがいいと思うんだがなぁ。
テーマが難しくてもいいから、派手な戦闘シーン、可愛い女の子が遭遇するHなシーンを入れるとか。
もうちょっとあとの時代になると、Hな漫画が時代を席巻するわけだし、あそこまで過激ではないが需要はあるのだ。
もちろんやり過ぎると、面倒な連中が出てくるから注意しなければならないが。
バタバタと忙しかった10月が過ぎて、カレンダーは11月に突入した。
もう暑くもなく、気温も20℃ぐらいと過ごしやすい。
俺は会社の実印を注文した、私鉄駅前のハンコ屋に向かった。
注文してから1ヶ月だ。
そろそろでき上がっているのに違いない。
「ちわ~、会社のハンコを注文した篠原と申しますが」
「あ、はいはい、でき上がってますよ」
店員が、棚からハンコを持ってきてくれた。
完成したハンコを確認する。
会社名、住所、電話はまだない――OKだ。
俺はハンコを持って店を出た。
「ちょっと気が早いかもしれないがな、ははは」
解っちゃいるが、ちょっとワクワクもあるし、不安もある。
そんな俺の気持ちをよそに、日は過ぎていく。
11月6日の日曜日に、コノミの学芸会がある。
以前の運動会と同じように、生徒が多いために土曜と日曜に分けて開催される。
1年~3年生は土曜、4年~6年生は日曜という具合。
学芸会には劇と遊戯があるらしいが、コノミは劇にでるようだ。
こりゃ早速、新兵器の300mm望遠レンズの出番がくるか。
放課後に劇の練習をしているらしく、いつもより帰りが1時間ほど遅い。
それでも、初めての学芸会を楽しみにしているようだ。
俺なんかは、学芸会が嫌で仕方なかったがなぁ……。
ついでに運動会も嫌いだった。
なんでこんなことをするのやらと思っていたものだし、仮病で休んだこともあった。
まぁ、自慢にはまったくならないし、コノミに言うつもりもない。
アパートの2人の漫画家の先生も、アシスタントを入れて次回の原稿に入っている。
八重樫君には金が入ってくるので、そうなればアシスタントを増やして量産体制を敷けるだろう。
週刊誌にも原稿を描いたりするのかは不明だが、そこら辺は本人次第。
編集部は描かせたがっているみたいだが。
週刊連載か~。
先生が自分で考えるって言うかもしれないが、俺の原作だとするとなにをネタにするか。
ロボットものはどうかな?
連邦のあの白いやつだ。
話の好みでいえば、5台合体するナントカVもいいのだが……。
まぁ、いくつかネタを出してみて、八重樫君に選んでもらおう。
――そんなことを考えつつ、寝転がって新聞を読む。
「篠原さ~ん!」
大家さんの声が聞こえる。
「は~い」
俺は廊下に顔を出した。
「お電話よ~」
「はい、ありがとうございます」
俺が外の階段を降りようとしたら、廊下に顔を出した大家さんが手招きしている。
「もう、こっちの階段を使いなさいって」
「はは、ありがとうございます」
どうも、そこまでするのは抵抗があるんだよなぁ。
大家さんのお言葉に甘えて、内階段を降ると受話器を取った。
「はい、お電話変わりました、篠原です」
『おお、先生! サントクです』
「これは社長。儲かりまっか?」
『ぼちぼちでんな~、ダハハ。いやもう、忙しくて寝る暇もないですわ』
「そいつは嬉しい悲鳴ってやつですね」
『ダハハ、そのとおりですわ』
「それで、なにかご用件では……?」
『それなんですが、小中学館という出版社が広告を出さないかと、やって来まして……』
早速、営業が向かったのか。
仕事はぇ~。
「ああ――それは、私が小中学館の知り合いの編集者に勧めたんですよ」
『ほう』
月刊誌で連載している大人気漫画の宇宙戦艦ムサシの話をする。
「今、その雑誌が人気で65万部も出てるんですよ」
『それは相手の営業も言っておりましたなぁ』
「そこに、漫画と提携する形で広告を出せば、全国的に知名度がアップするのではと思いまして」
『ワシも、そろそろ広告のことを考えなくては――と思っておりましたから、これは渡りに船というわけですかな』
「そろそろサントクさんも、全国区になる頃かと思いますよ」
『ははは、増産増産しまくってますが、注文が溜まりまくって困ってるところですが……いや、ここは流れに乗って押しの一手か……』
「私もそう思いますよ」
『解りました! 考えてみましょう! 先生、ありがとうございます!』
「いえいえ、多分よい結果になると思いますよ」
『ダハハ、そうありたいものですなぁ』
社長はムサシのタイアップ広告に乗り気のようだ。
この広告で俺が制作に関わることはないな。
八重樫君には、ちょっと仕事が増えてしまうかもしれないが。
まぁ、既存の漫画のコマをちょっといじってセリフを変えたりしてもいけるだろう。
そこら辺は、小中学館に任せてしまう。
――電話から戻ってくると、俺はまた新聞を読み始めた。
11月1日から、水道料の銀行振替が可能になったらしい。
振込じゃなくて、振替だ。
自分の口座から支払うことになるんだと思うが、引き落としではない。
料金が自動で引き落とされるのではなく、自分で通帳を持って銀行に行き、振替用紙に記入して窓口に出す――。
イマイチピンとこないが、面倒だな。
各家庭に回ってくる徴収員に渡したほうが早くね?
便利になるのは、まだまだ先か。
「あ~、明日、競馬あるのか?」
明日は11月3日――文化の日で祝日である。
祝日は解っていたが、競馬があるとは思ってなかった。
出走馬を見てみると、目黒記念にシンシンザンが出る。
10月のOP競争にも出走していたのだが、オッズがあまりに低すぎてスルーしたのだ。
当たるのは確実でも、単勝1.5倍――などというオッズでは、儲けるためには大金を突っ込まなくてはならない。
「競馬?!」
ヒカルコが俺の背中に乗ってきた。
重い――と、言うと怒るので言わないが。
「ああ……」
どうせ、このレースも――と思い、見ていたのだが……。
予想オッズが高い。
前にOP戦で、アタマ差まで迫られたのが、嫌われているらしい。
迫った馬も宝塚記念などを勝っている馬なので、弱くはないと思うのだが。
シンシンザンは三冠馬だ。
もっとぶっ千切って勝って欲しかったのだろう。
しかし、不安視されていてオッズが高いなら、逆にチャンスだ。
単勝1.2倍とか1.5倍なんて買う気も起きないが、2倍以上あるならちょっと美味しい。
これは、お小遣い稼ぎをしてしまうか?
どうせこのあと勝ち続けるシンシンザンは、単勝元返しレベルまでオッズが落ちる。
ここが最後のチャンスだろう。
それにしても単勝1.1倍とか、単勝元返しとか意味あるのか?
そりゃ単勝1.1倍でも、100万円入れれば10万円の儲けだけどさ。
平成令和のネット投票なら、どんだけ突っ込んでも目立つ心配はなかったが、ここは違う。
「よし」
俺は新聞を閉じた。
明日、府中に買いに行ってこよう。
一応は行ってみるが、当日のオッズがどうなるかまったくの不明だ。
現地でオッズを見て、1倍台なら買わない。
そう決めた。
現場に行ってから決めるので、ボディーガードの岩山君も頼まない。
――競馬新聞を見た次の日。
朝飯を食ったら、早速出かける。
今日は祝日なので、学校は休みだ。
コノミもゆっくりしているのだが、なにか口を気にしている。
「コノミ、どうした?」
「は……」
彼女が口をモゴモゴさせている。
「は? 歯が痛いのかい?」
彼女は、虫歯はなかったと思ったが……。
「ううん」
どうやら違うようだ。
彼女に口を開けさせてみると――どうやら下の奥歯が抜けかかっているようだ。
「奥歯が抜けるみたいだな。そのうち抜けるよ」
「うん」
俺もガキの頃に、自分で糸などを使い強引に抜いたりしたが。
女の子相手にそんなことはできない。
「下の歯だから、抜けたら屋根に投げるんだよ」
「屋根?」
「そう、上の歯が抜けたら縁の下に」
「……」
彼女が微妙な顔をしている。
「どうした?」
「今までそんなことをしたことがなかった……」
彼女の母親は、そういう迷信を知らなかったのかもしれないなぁ。
「ははは、大丈夫大丈夫。迷信だからな」
「めいしん?」
子どもに説明が難しい。
「う~ん、本当なのか嘘なのか解らないってこと――かなぁ」
「わかった」
コノミの歯は大丈夫そうなので、出かけることにした。
「帰りは夕方になるよ」
「うん」
ヒカルコは、俺が競馬に行くと知っているので、なにも言わない。
一緒についてきて懲りたのだろう。
黙っていれば、お土産ももらえると知っているからな。
「ショウイチ、どこ行くの?!」
「ちょっとお仕事にな」
「う~」
仕事だといえば、コノミもおとなしい。
休みなので、友だちも来るだろうし。
「帰りに本とお菓子を買ってきてやるよ」
「本当?!」
「ああ」
「やったぁ!」
どうせ競馬で勝っても、まともに使えないしな。
それなのになぜ馬券を買うのか。
普通に使えなくても、いざという時に役に立つからだ。
サントクのときにも、それが役に立ったわけだし。
ないよりは、あったほうがいい。
いざとなったら、申告すればちゃんと使える金になる。
税金をしこたま取られるけどな。
いつものように電車で――と思ったが、金はあるからタクシーに乗ってお大尽出勤することにした。
年末の有馬記念まで、シンシンザンは単勝元返し状態になるだろうから、しばらく競馬場には来ないだろうし。
競馬新聞もチェックしているが、俺の知っている馬はいない。
正確には、名前は見たことがあるな~という馬はいるのだが、戦績を知らないのだ。
三冠馬やらダービー馬で有名な馬なら、馬券が買えるのだが。
黒塗りの車で、東京競馬場の正門に乗りつけた。
今日は祝日だが、別に大レースでもないので、そんなに人はいない。
馬券を分割してもスムーズに購入できるはずなので、目立つこともないだろう。
オッズを見る――2.5倍。
「よし」
俺は小さくガッツポーズをした。
やはり、前のレースでギリ勝ちしたのが嫌われているのだろうか。
これなら馬券を買ってもいい。
――というわけで、10万円の馬券を5回に分けて購入した。
このまま当たれば、125万円になるということだな。
時間をおいて購入したので、俺に注目しているやつもいない。
暇なので、平場のレースを100円づつやって遊ぶ。
そしてやって来た10Rの目黒記念――さすがにシンシンザンが人気ということで、人が増えた。
声援も多い。
そして発走――シンシンザンは難なく勝ってみせた。
「やっぱ、強ぇわ……」「こりゃ天皇賞も決まりだな……」
周りからそんな声が聞こえてきた。
これで、シンシンザンのオッズは有馬記念まで1倍台になるだろう。
当たった馬券を換金する。
最終オッズは2.4倍だったので、120万円になった。
「フヒヒ、また使えねぇ金が増えた」
使えない金だろうが、金は金。
やっぱり増えると嬉しい。
勝ちが決まっている博打なんてツマランというやつがいるかもしれないが、やっぱり当たったほうがいいに決まっている。
大口払い戻しの窓口から警備員についてもらい、金を握って競馬場のタクシー乗り場から黒い車に乗り込む。
いつも通っている国鉄駅前の商店街にやって来た。
すでに5時近い。
日の入りは6時頃なのでまだ明るいが、少々薄暗くなり始めている。
直接帰らないで駅前で降りたのは、コノミにお土産を買ってやるという話をしたからだ。
本を買ってやるという約束だし。
「さて、他になにか買うものは……」
俺の服なんていらねぇし、コノミの服はヒカルコが金を出して着せ替え人形にしているし……。
スーツをもう一丁作るか?
いや、洋服タンスやらワードローブがないのに、そんなに作ってもなぁ。
駅前の商店街を歩くと、以前にレコードプレーヤーを買ったレコード店が眼に入った。
「そうだ、せっかくプレーヤーがあるんだから、レコードを買うか……」
店に入るとシングルレコードを12枚ほど購入。
外国の曲、流行りの曲やら、TVドラマの主題歌やら、色々と買ってみた。
そして本屋に行くと、漫画、図鑑、ムック本など10冊ほど購入。
これでコノミも満足だろう。
「ちょっと遅くなりますが配達しますよ」
突然の店主の申し出に俺は聞き返してしまった。
「え?! そういうのできるの?」
「いつも買ってくださるでしょう? 今日も10冊も買っていただきましたし」
「重いから、できるなら頼みたいなぁ。他にも荷物持ってるしさ」
「承りました」
本は配達を頼むことにした。
店が終わったあとに、持ってきてくれるのだろう。
コノミは楽しみにしているだろうが、ちょっと待ってもらうしかない。
「宇宙戦艦ムサシって漫画が載ってる月刊誌って売れてる?」
「ああ、売れてますよ。レコードが付録についていたのは驚きましたが、びっくりするぐらいに売れました。雑誌で追加注文出したなんて初めてでしたよ」
「ムサシの単行本が出るって聞いたけど」
「ええ、多分売れると思うので、目一杯注文入れましたけど、どのぐらい仕入れられるかなぁ」
「オヤジさんも、神田の取次まで取りに行ってるの?」
「ええ、バイクで――ははは」
「大変だな」
「お客さんも、ムサシの注文しますか?」
「いや、実はな――小中学館に知り合いが勤めててな、本をもらえたりするんだよ」
まさか、俺がネタ出し係で漫画家が隣に住んでいるとは言えん。
「ああ、それでお客さんは、小中学館の本をあまり買わないんですな」
店主は、俺が買った本やらを覚えているらしい。
なにはともあれ、配達してもらえるのはありがたい。
俺は本屋をあとにした。
本を持たなくてもよくなったので、お菓子でも買うか。
商店街の駄菓子屋でお菓子を10個ほど買う。
お菓子だけ持ってるとパチ○コ帰りみたいだな。
この時代にもパチは駅前とかにある。
俺は嫌いなので、やらないがな。
少しパチ店を覗いたが、手打ちで弾くタイプで、基本的な構造は昭和の終わり頃と変わりないものが並んでいた。
まぁ、確実に勝てる競馬があるのに、余計なものに手を出す必要がない。
俺はお菓子とレコードを持ってアパートに帰ってきた。
すでに6時近く、だいぶ日は傾いた。
「ただいま~」
「おかえりなさい~!」
コノミがやって来て俺に抱きついた。
ちゃぶ台の上には料理ができて並び、いい匂いを漂わせている。
「はい、お土産。本はあとで持ってきてくれるって話だから、もうちょっと待ってな」
「うん!」
彼女は袋の中を覗いている。
「とりあえず、ご飯を食べよう」
「……」
コノミは袋の中身が気になるようだ。
「レコードを買ってきてみたぞ」
「どんなの?!」
俺はレコードを取り出した。
「これは有名だぞ? 陽光仮面!」
「しらない」
そりゃ、彼女は知らないだろう。
TVも見たことがないだろうし。
「ヒカルコは知ってるか?」
「みんな、みんなが知ってる陽光仮面~♪」
「お、知ってるじゃないか」
「ふ~ん」
コノミはピンと来ないようだ。
これは選択を間違えただろうか。
まぁ、歌を覚えたら、クラスでも知っている子がいるだろうし。
「それじゃ、ご飯を食べながら聴いてみるか~」
「うん!」
プレーヤーから聞き慣れた音楽が流れてくる。
音楽聞きながらの飯ってのも、たまにはいいと思う。
流れているのは陽光仮面だけどな。
「コノミ、こういう歌だ」
「面白い!」
「他のも聴いてみるか?」
「うん!」
音楽を聞きながら飯を食っていると、外にバイクが止まったようだ。
少し暗くなっているが、窓から外を見ると――バイクの後ろに本が見える。
本屋だな。
俺は外に出ると、階段を降りた。
「本屋さんだろ? ここだ」
「ああ、こんばんは。お持ちしましたよ」
アルバイトなどが配達するのかと思ったら、店主が自ら運んできてくれたようだ。
「ありがとう、これでビールでも飲んでよ」
俺はポケットに入っていた100円玉を、本屋に渡した。
「ええ? こんなのいただけませんよ。いつも本を買っていただいているのに」
「いいからいいから」
「ありがとうございます~」
「本が来たの?!」
上を見ると、窓からコノミが顔を出していた。
「ああ、今持っていくからな」
「やった!」
「お嬢さんですか?」
「はは、そう。本が大好きなんだ」
「そりゃウチのお得意様ですな。まいどあり~」
本を抱えて階段を上ろうとすると、コノミがやってきた。
「ちょっと手伝って」
「うん!」
上から2冊ほどを取ってもらうと、彼女は喜んで階段を上っていったのだが、途中で止まった。
「どうした?」
「鈴木さんと野村さんも、歯を投げるの知ってた……」
「ああ、まぁなぁ――ははは」
「……」
どうやら、みんな知っているのに自分は知らなかったわけで――そういう決まりをずっとやってこなかったことに対して、不安を感じているようだ。
「コノミ、今までやってなくても大丈夫だよ」
「うん」
彼女は不安そうではあるのだが、いままで捨てた歯がどうなっているか解らない。
どうしようもできないよなぁ……。
――競馬で勝って、4日あとの日曜日。
今日はコノミの学芸会だ。
ヒカルコは朝早くから起きて、弁当作りに頑張っている。
そしてもうひとり炊事場で張り切っている人が――大家さんだ。
今回も、重箱に沢山の料理を詰めて持っていくらしい。
運動会と同じなら、またお弁当を持ってきていない子どもがいるだろうしなぁ。
彼女はその子たちの分も用意するつもりなのだろう。
俺も手伝いたいところだが、追い出されてしまった。
まぁ、彼女たちに任せれば問題ない。
コノミを学校に送り出すと、しばらくしてからカメラと三脚を担いで学校に向かう。
多分、また人でごった返しているだろうし、今度は会場が体育館だ。
果たして入りきれるのか? ――と、思ったのだが、自分の子どもが出るときだけ保護者を入れ替えたりするらしい。
学校からの便りを読んだヒカルコによると、各学年の教室が控室として開放されているらしい。
今日は自宅での食事も認めているようだ。
なにしろ場所がないからな。
自宅に帰らない人は、教室で待っててくれ――ということなのだろう。
強制はできないので、お願い――みたいな感じだとは思われる。
ウチは学校から近いので、自宅で昼飯を食べることにした。
そうすれば、弁当を持って歩かないで済むし。
俺たちも、コノミの出番だけ見られればいいわけだし。
ごった返している中で、他人のガキを見てもしゃーない。
皆で学校に到着すると、会場になる体育館に行ってみた。
来客用のスリッパもないので、上履き持参ということだったのだが、そんなものは持ってない。
大家さんからスリッパを借りた。
「まぁ、凄い人ねぇ」
案の定、人で溢れており、大家さんが目を白黒させている。
「今日は体育館でやっていて、場所が限られてますしねぇ」
「そうねぇ」
今日は4年~6年生の学芸会ではあるが、それでも600人近い子ども。
体育館の半分以上が生徒たちで占められている。
保護者は、生徒の後ろにあるゴザを敷いてあるスペース。
当然、全員は入り切らないので、学年ごとに入れ替えているようだ。
今日は4年~6年生の舞台で、まずは4年生から始まる。
俺たちは体育館の一角に場所を取ったのだが、大家さんは知り合いに捕まり挨拶しまくっている。
「お孫さんが出ているんですか?!」
――なんて聞かれている。
そりゃ、孫が生まれていたなんてことになれば、お祝いなどを送らないと駄目だし。
やはり周りの人は気になるのだろう。
全然違うのだが。
陣取りで人気があるのはやっぱり真ん中だが、俺は撮影ができれば別に端っこでもいい。
ここでも大家さんのコネを使い真ん中辺りを取らせてもらった。
「大家さん、すみません」
「いいのよぉ! コノミちゃんのためならドンドン使って」
まったく恐縮してしまうわ。
「はぁ~こういう場所に来ると知り合いばっかりなので困るのよねぇ」
「大家さんは、ここらへん一帯の顔役ですし」
「もう、面倒くさいことを押しつけたいだけなのよねぇ」
これだけ保護者がいると、酒を飲んでバカをするやつもいない。
こんな場所で騒ぎを起こしたら、あっという間に町内で広がるからな。
保護者の中の1人と目があった、野村さんのお母さんだ。
運動会のときは来られなかったようだが、学芸会は大丈夫だったらしい。
「こんにちは、野村さん」
「これは篠原さん、いつもお世話になっております」
話をしていると他の人たちも集まってきた。
どうやらコノミが遊んでいる他の子の親たちらしい。
保護者で集まり、大家さんも加わり他愛もない世間話をする。
俺が一番苦手とする分野だ。
ヒカルコもこういうのは苦手らしく、俺の後ろでジッとしているだけ。
俺は三脚を抱えて、一番うしろに陣取った。
邪魔にならないように、座って撮影に挑む。
体育館の中には日差しが入ってきていて、照明もついているが、やっぱり暗い。
望遠レンズはF4にパワーアップしているが――。
ファインダーを覗くと、カメラの電源を入れて測光してみる。
やっぱりシャッタースピードは遅い。
俺はシャッターボタンにレリーズケーブルを繋いだ。
最初は遊戯だ。
これには野村さんが出ているらしい。
写真は頼まれていないが、撮ってあげることにした。
ファインダーを覗くと、恥ずかしそうにスカート姿の女の子が踊っている。
平成令和だとこんな撮影は完全にアウトだな。
あとの時代になると皆で衣装を揃えたりしてたが、この時代にそんなことはできない。
それにしても、やっぱり遊戯は恥ずかしいよなぁ。
俺も嫌だったし。
劇も嫌だけど、やっぱり遊戯のほうが恥ずかしい。
シャッタースピードが遅いので、動いているシーンは多分だめだ。
止まっているときを狙う。
遊戯が終わり、次は劇だ。
舞台に机が並べられる。
劇も遊戯も、なん種類か決まった中から選ぶので、同じものが連続したりするようだ。
劇のストーリーは、同級生の1人が宇宙人でUFOで故郷に帰るとかそういう話。
俺が小学生のときにも、似たような話をやった記憶があるぞ?
この頃からある話なのだろうか?
いや、話の筋は竹取物語もそうだが。
コノミの役は椅子に座り、2~3個のセリフがあるキャラ。
微妙だが、小学生の劇なんてこんなものだろう。
俺は椅子に座っている彼女の写真を撮った。
拍手が起こり、劇は無事に終了だ。
「さて、俺は帰るか」
ヒカルコと大家さんは、保護者の入れ替えまでいるようだ。
「大家さん、あとをお願いします」
「任せてぇ」
俺はカメラと三脚を担いでアパートに帰ることにした。
見ず知らずのガキの劇や遊戯を観ても、しゃーない。
荷物を担いで廊下を歩いていると、女性から声をかけられた。
「篠原さん」
1人は教育ママ風の女性――鈴木さんのお母さんだ。
もう1人は頭を整えた、サラリーマン風の30歳ぐらいの男性。
多分、鈴木さんのお父さんだろう。
「鈴木さんもいらしたんですか」
「はい――あ、ウチの主人です」
やはりそうか。
「はじめまして、篠原です」
「クミコを動物園などに連れていってもらい、ありがとうございました」
「いえいえ、いつもウチのコノミと仲良くしてもらってますからねぇ、はは」
話を聞くと、鈴木さんのお父さんは鉄道会社勤務みたいだな。
それなら休日出勤もあるか。
鈴木さんは5年生だし、そろそろ保護者の入れ替えなので、やって来たのだろう。
俺は学校をあとにすると、重いレンズと三脚を担いでアパートに戻ってきた。
廊下で八重樫君と会う。
「あ、篠原さん、学芸会はどうでした?」
「狭い体育館に人が一杯で大変だったわ」
「はは、そうですよねぇ――生徒が1200人ぐらいいるんでしょ?」
「土日で分けているから600人だが、それでも多いわ」
彼と話したあと、部屋に戻った。
「は~疲れた」
荷物を置くと、畳の上に寝転がる。
機材も重かったが、人が沢山で気疲れしたわ。
それから30分ほどすると、大家さんとヒカルコも帰ってきた。
5年生の出し物が終わると、昼休みのようだ。
ヒカルコが帰ってきたあと30分ほどで、コノミが昼飯のために戻ってきた。
今日は自宅でお弁当――野村さんや鈴木さんも自宅で昼飯を食べているのだろう。
アパートの住民を集めてお昼にする。
大家さんとヒカルコは、彼らの分まで大量に作っていたようだ。
どうりで多いと思ったが、米もどれだけ炊いたのだろう。
多分、下の大家さんの台所でも炊いたはず。
「美味しい!」
パクつきながら、矢沢さんが喜んでいる。
「コノミ、ちゃんと写真に撮ったぞ。写っているとは思うが……」
「……ちょっと恥ずかしい……」
「ええ? 椅子に座ってただけじゃないか」
「でも、恥ずかしい……」
「はは、今日は野村さんのお母さんも来てたな」
「うん」
大家さんに、例のことを聞いてみた。
「大丈夫よぉ、篠原さん。コノミちゃんに言って、おにぎりを渡してもらったから」
「うん!」
「ありがとうございます」
例のことというのは、運動会のときにいた欠食児童のことだ。
大家さんに頼んで、彼らのおにぎりも作ってもらった。
彼女は、コノミに頼んで彼らの所におにぎりを持っていってもらったようだ。
安心して弁当を食い終わった俺は、早速駅前のカメラ屋にフィルムを持っていくことにした。
午後の部も終わり、コノミの学芸会も無事に終了。
やっぱり、普通に働いている家庭は大変だな、こりゃ。





