81話 リンシャンが揃う
2ヶ月前から準備をしていた、シートレコードの付録つき雑誌が発売された。
一応、付録には特許出願中~という一文が印刷されている。
果たして、他社がどういう行動に出るか。
真似をして出してくるのか?
もしもパクリが出てくるようであれば、小中学館の法務部を通じてお手紙を発射できる体制は整えてある。
普通ならこういう企画は、半年とか1年前辺りから準備を進めて――みたいな感じなのだが……。
決まったら即動いて最短距離で商品化――このスピード感。
平成令和の日本に失われてしまったものだな。
もちろんいいことばかりではない。
危険性などを考えずに商品化されたり、そのほか諸々が疎かになったりした。
食用油にPCBなどが混入して、歴史に残る食中毒事件も起こる。
ああ、そういえば、それもあったな。
ヒカルコやコノミ、知り合いが口にしないように注意しなければ。
もしかして事件を知っている俺が、その食中毒事件を告発すれば、被害者を救えるかもしれない。
しれないが――タダのオッサンの言うことを誰が信じてくれるか?
余計なことに巻き込まれれば、ヒカルコやコノミに害が及ぶかもしれない。
俺が関わりを持つ、漫画家の先生たちも心配だ。
俺は義士ではないし、なるつもりもない。
未来の知識を使っていい思いをしたいだけの、クズなオッサンだ。
それに、あの事件がなくなれば――死ぬはずだった人が死なないわけで、本当に歴史が変わる可能性がある。
――とはいえ……すでに色々とやってしまって、歴史が変わりつつあるんだけどな。
悩んだ俺は、食用油を作っている関係数社に、警告の手紙を匿名で複数送った。
事件を起こした会社だって、起こしたくて起こしたわけではあるまい。
確か――工場の配管が間違って、食用油にPCBが混入してしまった――という話だったと思う。
俺の手紙を真摯に受けとめて配管などをチェックすれば、避けられる事件かもしれない。
「こんなデマカセ」と相手にしなければ事件は起こる。
そうなれば、その会社の責任だ。
俺はやることはやった――と、思いたい。
――話は逸れたが、シートレコードが付録についた月刊誌は、95万部以上が販売された。
次の号が出るまで、増刷が続くという前代未聞の事態。
こんなことになれば、このプロジェクトを率いた相原さんを、もう小中学館は無視できなくなるだろう。
彼女の地位もグッと向上するのではないだろうか。
ライバル会社にも、彼女の存在は伝わる。
「なにか、小中学館にスゲー女がいるらしい」てなもんだ。
当然、ヘッドハンティングの話も来るかもしれない。
大金を積まれても、彼女が受けるとも思えんが。
こりゃ意外と、相原さんが女性編集長になるのも早いかもしれないな。
――色々と上手くいっている。
大金が懐に入ってくるし、そうなると税金の心配をしなくてはならない。
いよいよ法人化のときが迫っているというわけだ。
まだ具体的に動くつもりはないが、会社印はどうしても必要になるから、今から作っておいてもいいだろう。
俺は以前に実印を作った、私鉄駅近くのハンコ屋に向かった。
「ちわ~」
「いらっしゃい」
「会社の代表者印と、ゴム印を作りたいんだが」
「こちらに、会社名と住所と電話番号、それから代表名を――」
「電話はまだないんだ、電話を引いたらまた頼むよ」
「解りました、ゴム印はくっつけられるようになってますから、あとでも大丈夫ですよ」
会社のゴム印は、ブロックごとに分けることができる。
その組み合わせで住所と社名だけ、社名と電話番号だけとか、色々と組み合わせを選択できるわけだ。
「篠原未来科学――変わった社名ですねぇ」
先に代金を支払う。
そう、会社名は篠原未来科学。
ちょっと中二っぽいが、大丈夫だろう。
実際に未来のテクノロジーやらで、特許を取っているしな。
「はは、まぁな。どのぐらいでできます?」
「そうですねぇ、1ヶ月ほどみていただければ」
「解りました。それじゃ、その頃に取りにきますんで」
俺はハンコ屋をあとにした。
でき上がるのに、一ヶ月もかかるのか……。
事前に注文を入れてよかったかもしれない。
――暦が10月に入った日、商店街に買い物にいくと、店頭に新発売の文字が。
紺色のスーツを着た地味なお姉さんが、ズラリと白いボトルを並べて売っている。
なんだろうと見ると――リンスの発売だった。
今まで一般には、シャンプーしか売っていなかったので、頭を洗うといつもゴワゴワ。
リンスのできはどうか解らんが、なにもせずにゴワゴワするよりはいいと思われる。
「ヒカルコ、これ買おうぜ」
「なにこれ?」
「リンスだよ。頭を洗うと、髪がゴワゴワになるだろ?」
「うん」
「これを塗ってから、軽く流すとそれがなくなる」
「本当?!」
「ああ」
リンスなんて見たことがなかったので、どうやって使うのかも解らなかったのか。
異世界転生転移ものだと、リンスを作るってのが定番だけどなぁ。
それは、リンスの効能を知ってるからなんだよなぁ。
リンスじたいは結構昔からあるらしい。
昔の人もゴワゴワするのが嫌だったのか、オイルを塗っていたらしいが、こういう化学合成のリンスってのはこれが新発売ってわけか。
「お兄さん! それって本当なの?!」
突然、横にいたオバチャンから話しかけられた。
「ええ、まぁ――そうだよね、お姉さん」
一応、確認を取るが、べつに取らなくても効能はそのとおりだ。
「は、はい! あ、あの洗面器にお湯を張って、薬を溶かしてから塗ってください……」
「そう使うんだ」
「はい」
未来のリンスと少々違うらしい。
「それじゃ、あたしももらうわ!」
「私も!」
リンスを持って眺めていたオバチャン連中が、店員に金を差し出した。
「ありがとうございます」
店員も売り方が下手だ。
「これがどういうものか、もっとアピールしたほうがいいぞ? ゴワゴワがなくなる~とか、髪がサラサラになる~とかな」
「あ、ありがとうございます」
どう見ても、今年入ったばかりの新人に商品だけ持たせて、売ってこいと放り出した感がありありだ。
「髪もサラサラになるの?!」
買ってもらったリンスを持って、ヒカルコが驚いている。
「なるなる、櫛のとおりもよくなるぞ」
回りの女たちが、俺たちの会話に聞き耳を立てている。
「髪も綺麗になるんだって!」「本当に?!」「私も買うわ!」
騒ぎになれば、回りからもドンドン人が集まってくる。
バナナの叩き売りもそうだが、とにかく人を集めないとな。
あっという間に、黒山の人だかりになった。
まぁ、シャンプーあとのゴワゴワに悩んでいた女性が多いってことだろう。
ヒカルコがリンスを抱えて帰ってくると、なにかゴソゴソしている。
取り出したのは、アルマイト製の洗面器。
「なんだ? もしかして頭を洗うのか?」
「うん」
「風呂に行って洗えばいいだろう」
「だって、本当にサラサラになるか確かめたいし!」
やっぱり女だ。
髪にはこだわりがあるらしい。
男なんて、わりかしそういうのはどうでもいいんだが――なくなって解る、髪は長~い友だち。
「わかったわかった、好きにしろ」
部屋で待っていると、なにやら炊事場が騒がしい。
廊下に顔を出して覗くと、矢沢さんとアシの女の子がいる。
皆で頭を洗っているようだ。
髪がサラサラになると言われたので、効果を早く確かめてみたいのだろう。
炊事場のキャッキャウフフに、なにごとかと八重樫君も顔を出した。
「なにをやっているんですか? みんな揃って流しで頭を洗って……」
「商店街に行ったら、髪がサラサラになる薬品が新発売になっていたんで買ってきたんだよ。その効果を早く確かめてみたいんだろう」
「へぇ~」
「まぁ、男にはあまり関係ねぇが」
「そうですねぇ」
炊事場で女子たちが騒いでいるから、大家さんまでやってきてしまった。
まさか、彼女まで頭を洗うのだろうか?
――と思っていたら、本当に洗い始めてしまう。
「あ~、今日の夜に風呂にでも行けばいいのに……」
「仕方ないですよ」
「そうだな」
俺と八重樫君は、部屋に引っ込んだ。
髪を洗い部屋に戻ってきたヒカルコが、髪を乾かしている。
「どうだ? 効き目はありそうか?」
「コクコク!」
彼女がすごく喜んでいる。
やはり、リンスの効果は大きいようだ。
ヒカルコと話していると、廊下をバタバタと走ってくる音がする。
いきなり戸が開いた。
「篠原さん!」
顔を出したのは矢沢さん――なんだか興奮している様子。
最近涼しくなったので、簡単服ではなく、彼女のトレードマークであるオーバーオールを着ている。
矢沢さんの後ろには、アシの女の子もいた。
「矢沢さんか。ノックしてね」
「そんなのはどうでもいいんです!」
「よくはないんだけどなぁ……」
「さっきのリンスって、どこに売ってたんですか?!」
「駅前の商店街だよ。オバチャンたちが、みんな買ってたからなぁ……」
「ちょっと行ってきます!」
彼女たちがドタバタと、階段を降り始めた。
やれ騒々しい。
しばらくすると、汗だくになった矢沢さんが帰ってきた。
あちこちで売れ切れてて、探し回ってきたらしい。
「もう! 最初から私たちの分も買ってきてくださいよぉ!」
「そんなこと言われてもなぁ」
「だって、ウチと矢沢さんは関係ないし」
ヒカルコの言うとおり、仕事では関係しているが、私生活は別だ。
つ~か俺も、ヒカルコとコノミのことしか頭になかった。
「関係なくないですよぉ!」
「すまんすまん、そんなに欲しがるとは思わなかったんだよ」
「こんなの絶対に欲しいですよぉ!」
「本当に効き目があるかどうか解らなかったしさ」
もちろん、俺は知っているわけだが。
「ううう……」
怒っている矢沢さんをなだめて、部屋に帰した。
なんで俺が……。
彼女は、大家さんの分も頼まれて買ってきたようだ。
ヒカルコは、他の女の子たちも欲しがると気づいていたのだろうが、あえて口に出さなかった節がある。
普段は寡黙でなにを考えているか解らんが、彼女は案外利己的だ。
最近、矢沢さんが俺に絡んでくるのが、面白くないのだろう。
ヒカルコが率先して金を出すのは、コノミの服飾関係だけ。
それとて、自分が楽しむためにやっているような節がある。
「矢沢さんをいじめたいのは解るが、漫画の原作は手伝ってやれよ?」
「いじめているなんて心外。かわいがっているだけ」
いじめっ子の定番のいいわけだ。
「お前はスケバンか」
女番長なんて平成令和じゃ死語だが、この時代なら通じる。
「違うし」
「10歳も歳下の女の子に、大人げない」
「そんなに離れてないし」
俺が矢沢さんの味方をしているのが気に入らないのか、プリプリしている。
女性陣だけではなくて、八重樫君のアシである五十嵐君も、リンスを欲しいようだ。
「女の子にモテますかね?」――なんて言っている。
まぁ、そういうお年頃ってやつか。
――夜、風呂に行って、コノミにもリンスを使ったようだ。
彼女の髪の毛がサラサラになって天使の輪ができている。
子どもの肌は綺麗だが、髪の毛も綺麗だ。
これだけは絶対に敵わないな。
――週明けの月曜日。
実は、土曜日の競馬で、シンシンザンがオープン戦に出た。
スポーツ新聞によれば――休み明けだったので2番人気だったが、頭差勝利。
え~と、単勝は180円……買えん。
シンシンザンは今年で引退だが、そのときまで100円台のオッズが続くだろう。
昭和にやって来た直後で金がないときなら、ガチで取りにいくのだが、今はそれなりに金がある。
デカく使えない裏金ばかりチマチマと増やしても仕方ない。
やはり――しばらく競馬はお休みだろう。
また美味しそうな馬券を見つけたら、そのときに勝負だ。
朝飯を食べてコノミを学校に送り出すと、俺はコーヒーを飲もうと炊事場にやってきた。
10月になったので、さすがに涼しくなり、炊事場に立ってお湯を沸かしても苦痛ではない。
今日の新聞には、日本人がノーベル物理学賞を受賞したと載っていた。
めでたいことだ。
お湯を沸かしていると、八重樫先生がやって来た。
ネームなどの打ち合わせは済んでいるので、もう今月号の作画に入っている。
「篠原さん、6日から始まるTV漫画を知ってますか? なんと、カラーなんですよ!」
「ええ? カラーアニメーションなの? カラーTVって持ってる家ってあるのかなぁ」
「カラーTVって、すごく高いですよねぇ……」
「まぁな。前に秋葉原で扇風機を買ったときにカラーTVが置いてあったが、20万円ぐらいしてた」
「ははは……今は小型のタイプならもう少し安くなってますよ」
彼が苦笑いしている。
最先端のテクノロジーってのはいつも高い。
アナログハイビジョンだって、最初は100万円以上してたし。
結局デジタル放送になって、あれを買った人はどうしたんだろう。
「カラーのTV漫画ってなんて題名?」
「帝塚先生の、ライオン大帝ですよ」
ラテ欄(ラジオ・TV欄)を見ればなにかCMなどが出ているのかもしれないが、興味がないのでまったく見ていない。
TVもないしな。
この時代は、ラジオ欄のほうがまだメインで、TV欄は小さく載っているだけだ。
「ああ、白いライオンの話だな」
「そうです」
「帝塚先生の所は、自分のスタジオで作っているからなぁ。どんなことでも試せるのが強い」
「凄いですよねぇ」
なにが凄いって、そのバイタリティだ。
歴史に名前を残す人ってのは、とにかくバイタリティが凄い。
もう尋常じゃないよな。
帝塚大先生の伝記などを読むと、信じられないようなエピソードが多い。
移動している車の中で漫画を描いていたとか、飛行機に乗る直前まで描いていたとか、出張先から電話で指示を出して――「○○の○ページの○コマ目みたいな感じで」
自分の作品を全部丸暗記しとるんかい! ――と、思わずツッコミを入れたくなってしまう。
まぁ、棋士の方なども、どこでなにを動かしたと全部暗記しているらしいから、俺たちとは最初からなにかが違うのかもしれない。
お昼すぎ、コノミがお友だちを連れて帰ってきた。
やって来たのは、いつもの野村さんだ。
すぐあとから、鈴木さんも来ると言う。
「ショウイチ! 髪が綺麗って褒められた!」
「そうかぁ、よかったな」
天使の輪が光っている彼女の頭をなでてあげる。
「……いいなぁ……」
ポツリとこぼしたのは、野村さんだ。
コノミは教室でリンスのことを話しただろうが、それを即買える家庭と買えない家庭がある。
野村さんは、買えない家庭の子だ。
「野村さんは、家にお風呂があるの?」
「銭湯だけど……」
「それじゃ、コノミと一緒に、お風呂に行ったら?」
「野村さん、行く? コノミのリンスも使ってもいいよ」
「行く!」
明日の夜、コノミと野村さんが銭湯に行くことになった。
そのあとすぐに、鈴木さんもやってきて――。
「ずるい! 私も銭湯に行く!」
3人に増えた。
「鈴木さんの家も銭湯なの?」
「家にお風呂ありますけど――行く!」
行くらしい。
まぁ、たまには裸の付き合いもいいもんだ。
銭湯が賑やかそうだなぁ。
――その日の夜、相原さんと高坂さんがやって来た。
「いらっしゃいませ~」
「こんばんは~コノミちゃん!」
相原さんがコノミの出迎えを受け、ハグをしてクンカクンカしている。
「相原さん、コノミの髪が綺麗でしょ?」
「え?! は?!」
俺にそう言われて、彼女がコノミの髪の毛をまじまじと見ている。
「これって、天使の輪って言うんだよ!」
コノミが俺に教わった天使の輪を相原さんに自慢している。
「あ、あの、本当に綺麗なんですけど……」
「相原さん、リンスを試してなかったんですか?」
「え? リンスですか?」
彼女の顔からすると、まだ試していないらしい。
相原さんは忙しく毎日走り回っているから、身の回りのことで精一杯なのだろう。
「これですよ」
「シャンプーですか?」
俺から受け取った白いボトルを、相原さんが覗き込んでいる。
「シャンプーのあとに使うんです」
あまりに女の子たちの反応がよかったので、リンスを日中に探してきたのだ。
幸い、新しく入荷していた店を見つけてゲットできた。
彼女に使い方を教える。
「こ、こんなよいものが……」
「ウチのアパートの女子がみんな使って、効果があるという話だったので、相原さんも使ってみませんか?」
「これをいただいてもよろしいのですか?」
「はい、相原さんは忙しすぎて店とか見てないんでしょ?」
「ええ、恥ずかしながら……」
「いやいや、全然恥ずかしくないですって、働く女性の鑑ですよ」
「あ、あの――私には……?」
後ろで、相原さんとコノミを眺めていた高坂さんが手を上げた。
「え? 高坂さんにはお世話になってないし……」
「そ、そんなことないと思いますけど?!」
「俺のことを変なオジサンとか言うし……」
「だって、実際に変なオジサンじゃないですか!」
「そうです! 私が、変なオジサンです」
「変なオジサン~! 変なオジサン~!」
俺の言葉に、コノミが変な踊りを踊っている。
「ぷぷ……」
それを見た相原さんが、下を向いて笑っている。
「――というのは冗談で、高坂さんの分もある。はい」
「もう! 意地悪なオジサンですね!」
「フヒヒ、サーセン」
俺は、若い子になにを言われても平気だが、他の漫画家さんの所でもこんな調子なのだろうか?
これで大丈夫なのかな?
まぁ、悪い子とか悪意があるとかじゃないしなぁ……。
しばらくリンスの話をしていたのだが、相原さんがなにかを思い出した。
「あ! そうだ、それどころではないんです!」
八重樫君にも一緒に話があるというので、彼も呼ぶ。
忙しいのだが、これも仕事だ。
コノミには、ケーキと本をやって、隅で食べてもらう。
「先生、忙しいところすまねぇな」
「いいえ、篠原さんと一緒に聞くということは、なにか大切な話でしょうから」
相原さんが話を切り出した。
「まず、高坂さんから」
「はい――八重樫先生、11月にムサシの単行本の発売が決まりました」
「本当ですか?!」
「はい」
「おお! やったじゃないか先生! これで、経済的にかなり楽になるんじゃないか?」
「そうですかねぇ」
「そうなると、来年は税金の心配もしないと駄目だぞ?」
――とはいえ、11月に単行本が出ても、金が入るのは半年後だ。
原稿料がそんな感じなので、多分印税もそうだろう。
若いのに金を持つと身を持ち崩す心配があるのだが、彼には普段からそういう話をしているので、大丈夫だろう。
出版社が、漫画家に借金を背負わせて縛る――そういう話をいつもしているし。
担当が相原さんや高坂さんなら平気かもしれないが、違う担当になったら要注意だな。
「印税が入ったら、篠原さんにもちゃんと払いますから」
「はは、待ってるよ」
小中学館と正式に契約する手もあるんだが、そうなると余計な仕事まで回ってくる可能性があるからな。
断るのも面倒になるし。
八重樫君に入った印税から、シナリオの外注費として俺に渡されることになるだろう。
「そんな口約束で大丈夫なんですか?」
高坂さんがいらぬ心配をしている。
「弁護士を入れて、しっかりと契約書を交わしているから大丈夫。それに、金を払わないならシナリオの協力をしないだけだし」
「そ、それは困りますよ。ムサシの続きを描けと言われても、僕にはできませんし」
単行本はめでたいが、相原さんの用事もあるようだ。
いったい、なんだろう?
「相原さんもなにかあるんですか?」
「はい! 実は、ムサシの主題歌がレコードになることが決定しまして!」
「え?! レコードって、シートレコードじゃなくて本当のレコードですか?」
「はい! 本当のレコードです!」
完全に事後承諾じゃないか。
原作の八重樫君も知らないのに、すでに決定しているのが昭和だ。
まぁ、彼も反対はしないと思うが。
「凄いじゃないですか!」
先生が興奮している。
やっぱり反対ではないらしい。
レコード化のきっかけは、主題歌を歌ってくれた佐伯さんらしい。
彼が所属しているレコード会社の社長に聴かせて、付録の雑誌もすごく売れていると教えたようだ。
歌もそうだが、シートレコードを聴いた社長さんは、ドラマ編にも大変興味を示したという。
「雑誌が100万部以上も売れたのなら、レコードも売れるだろうと踏んだかな?」
「そうかもしれませんねぇ」
「レコードの売上がよかったら、ドラマ編を入れたLPレコードも出したいと……」
相原さんの口からとんでもない話が出た。
「ええ~? そこまで決まっちゃってるんですか?」
「はい」
さすが昭和、このスピード感。
これが平成令和なら、無駄な会議とプレゼンをして時間を浪費しているところだ。
でも、この時代のLPレコードは2000円以上する。
平成令和なら2万円を超える、高額商品だ。
漫画のレコードなど、出して売れるかな?
そりゃ、オリジナルのムサシでもドラマ編のLPが出て売れたけどさ。
あれは、今の時代から10年ぐらいあとだ。
昭和50年になると、大卒の初任給が9万ぐらいになる。
今は2万円ちょい――実に4倍以上。
収入は4倍になるが、LPの値段はほとんど変わらなかったはず。
それなら売れてもおかしくない。
「いやぁ、めでたいんだけど、問題があるぞ?」
「なんですか?」
「レコードにするとなると、歌詞を2番まで作って歌って再レコーディングだ」
「あ、そ、そうですねぇ」
「それにレコードにはB面もあるから、エンディングテーマも作らないと駄目だ」
「そうなんですよ!」
相原さんがにじり寄ってきた。
「当然、作るのは俺――と」
「お願いできないでしょうか?」
「む~!」
懇願しながら、じりじりと迫ってくる相原さんの前にヒカルコが割って入った。
「ヒカルコさん、今は大事な話をしているところなので」
「大丈夫だよ相原さん。実はもう考えてあるし」
「本当ですか?!」
彼女の顔が紐を引っ張った蛍光灯のように明るくなる。
これ、二人きりだったら、また裸土下座とかされたところだな。
エンディングは、オリジナルと同じサヨナラのスカーフでいいだろう。
「篠原さん、どんな歌ですか?!」
「聴かせてください!」
先生と、相原さんににじり寄られて披露する羽目になった。
歌は下手なんだけどなぁ……。
「――サヨナラのスカーフ~♪ と、こんな感じの歌だ」
「いいですねぇ!」
「はい、これも佐伯さんに歌っていただきましょう!」
「もちろんですよ」
「篠原さんって、タダの変なオジサンじゃなかったんですね」
また、そんなことを言っているのは高坂さんだ。
「そうです! 私が、変なオジサンです」
「変なオジサン~変なオジサン~♪」
俺の言葉を聞いて、またコノミが変な踊りを踊っている。
「ぷぷ……」
相原さんが笑っていると、突然戸が開いた。
「なんですか集まって! また私を仲間外れにしようとしてますね!」
入ってきたのは矢沢さんだ。
「してないしてない」
彼女にもムサシのレコードの話をする。
「篠原さん! 私の変身セーラー服にも、主題歌を作ってくださいぃ!」
矢沢さんが突っ込んできて俺に抱きついてきた。
「あ~!」
突撃してきた矢沢さんを、ヒカルコが引き離そうとしている。
「そっちは、まだなんにも決まってないと思うけど……」
八重樫君の冷静なツッコミだ。
「ずるいですぅ! 八重樫先生ばっかり」
「別にずるくないですよ」
「むー!」
彼女がむくれているのだが、気が早すぎるだろ。
矢沢さんが俺に抱きついているのを見て、高坂さんがドン引きしている。
別になにかしてるわけじゃないんだけどなぁ……。
まぁ、やっぱり俺は、変なオジサンなわけだ。
――というわけで、急きょ主題歌の2番と、エンディングテーマを作ることになった。
相原さんは、そのスケジュール管理のために、毎日あちこちを走り回っている。
歌詞はパクリなので、すぐにできる。
それはいいのだが、また作曲家の先生の前で下手な歌を披露しなくちゃアカンのか……。
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――後日、レコードになる歌の歌詞などを書いて相原さんに送る。
アパートで連絡を待っていると、郵便がやって来た。
レスポンスが早いな――と、思ったのだが、大きな封筒の差し出し人は特許事務所。
中を見ると、パウチの特許だった。
取ってみたはいいが、これって本当に特許になるのかね?
まぁ、待てば海路の日和あり。
こいつはドリンクの銀紙の蓋と一緒に、向こうから来るのを待つとするか。





