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昭和38年 ~令和最新型のアラフォーが混迷の昭和にタイムスリップしたら~【なろう版】  作者: 朝倉一二三


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79話 動物園に行ったあと


 皆で動物園に行った。

 たまに家族サービスもしなくてはならない。

 巷のお父さんたちも頑張っているのだろう――大変だ。

 特に野村さんの家のように、貧しいのに子だくさんの家は大変だろう。


 ――動物園に行った次の日。

 月曜日なので、当然コノミは学校だ。

 俺は撮りまくったフィルムを持って駅前の商店街に向かった。

 カメラ屋に現像を頼むためだ。


 現像には1週間ほどかかるらしい。

 フィルムを預けたのち、軽く買い物をして帰ってくると、俺とヒカルコに郵便がやって来た。

 ヒカルコのは原稿料振込のお手紙――俺のは、特許事務所からだった。

 彼女は定期的に文芸誌に連載しているので、これからも原稿料が入ってくるだろう。

 もう、立派な作家だ。

 他の出版社からも誘いを受けているようだが、すべて断っている。

 彼女にその気がないのだ。


 俺にやって来た封筒の中身を見ると、レコードジャケットと円盤磁気ディスクの特許か。

 レコードジャケットに穴を開けて、レコードを取り出さなくても聴けるってやつだな。

 円盤磁気ディスクは、言わずもがなフロッピーディスクの原型になる――はず。

 こいつは国際特許を取ってもいいだろうが、色々と面倒だ。

 日本国内の特許だけでも、十分な金になるだろう。


 あっちこっちで忙しいから、新しい特許とか考えてなかったな。

 探せば色々とあると思うのだが……。

 別にのべつ幕なし特許を取りまくって、世界一の富豪になろうとかは考えていない。

 ようは、ちょいと贅沢をして暮らせるぐらいの金があればいいのだ。


 たとえば、インターネットの仕組みやら、TVゲームの仕組みやら、ネットショッピングの特許を取れば、いずれはサブマリン特許として莫大な富を生むかもしれないが……。

 サブマリン特許といえばアメリカが本場だが、特許の仕組みが少々違うので日本でも同じように儲けるのは難しいかもしれないが……。


 もうすぐ、日本でもモータリゼーションが始まり、後世に名を残す名車が次々と発売される。

 ヨトタの2000GTとか、マツキのロータリースポーツとか、欲しいじゃん。

 そういうのをサクッと買えるぐらいの財力が欲しいわけよ。

 可能ならば、実用、観賞用、保存用と3台ぐらいは欲しいね。


 そういえば――特許といえば、有名な乳酸飲料の会社から連絡がないな。

 プラ容器に銀紙で蓋をするって特許がないと、あの乳酸飲料がヒットしないと思うんだが……。

 この特許については、売り込みに歩いたりはせずに、相手の出方を待っている。

 パウチの特許もそうだが、商品化するためにはどうしても必要になるからだ。


 ――そんなある日、相原さんから連絡。

 スケジュールが詰まっている中、急遽シートレコードに入れるドラマ編の収録が決まってしまったらしい。

 収録には参加したいと思っていたが、全部相原さんに任せてしまうことにした。

 まぁ、数分のドラマの収録だしな。

 個人的には歌が本命で、ドラマ編はオマケみたいなものだし。


 部屋に戻ろうとすると、大家さんから声をかけられた。


「コノミちゃんに、動物園の絵葉書ありがとうって言っておいてねぇ」

「はい」

「子どもから絵葉書もらうなんて、初めてよ~」

 孫からの手紙をもらったように、大家さんが喜んでいる。

 彼女に話さず、皆で動物園に行ったことで少し拗ねられてしまったのだが、機嫌を直してくれたようだ。

 暇なので全国旅行しまくりの大家さんは、絵葉書もよく出したようだが、もらうことはあまりないらしい。

 まぁ、この時代――観光地に旅行をするだけでも、一大イベントだからなぁ。

 金と暇がある大家さんのような人は、かなり珍しい。


 ――そこからしばらくして、再び相原さんから連絡。


 ドラマ編の収録が終わったあと、すぐにシートレコードのプレスが始まり、付録の生産も始まったらしい――まさに電光石火。

 今月売りの雑誌に、シートレコードが同梱されるわけだ。

 こちらも楽しみだ。

 果たしてどんなできになっているのか。


 献本でもらうから、その前にレコードプレーヤーを買っておくか。

 また、部屋が狭くなるな。

 まぁ、聴かなくなったら秘密基地に置けばいい。

 電報には、先生にも伝えるように書かれていた。


 隣の先生を尋ねる。

 今は、作業で忙しいときだ。


「お~い先生~!」

「はいは~い!」

 パンツ姿の八重樫君が顔を出した。

 9月中旬といえど、まだ少々暑い。


「相原さんから連絡があって、シートレコードのプレスが終わったみたいだぞ。今月号には間違いなく付録がつく」

「すごいですよねぇ。レコードの付録なんて!」

「え?! 雑誌の付録にレコードがつくんですか?!」

 部屋の奥から声がしたのは、アシに入っている五十嵐君だ。


「レコードっていうか、シートレコードっていうペラペラのレコードなんだが」

「あ、知ってますよ!」

「発売前だから、言いふらしたりしないでな」

「はい」

 どうも、この時代はコンプライアンスとかがイマイチだからな。

 守秘義務ってのもあやふやだ。

 それゆえ、帝塚先生のアイディアが他社に盗まれるみたいな事件も起きたのだろう。

 情報を漏らした人間は軽い気持ちだったのかもしれないが、許されないこともある。

 五十嵐君などはまだ未成年だが、すでに社会人だ。

 守るべき社会の常識というものがある。


「軽い気持ちで、ペラっと喋ったりしたら、業界にいられなくなることもあるからね」

「わかってます」

 まぁ、捨てる神あれば拾う神あり。

 漫画が描ければ拾ってくれる業界などもあるかもしれないが、不義理をした人間ってのはどこの業界でも嫌われ者だ。


「先生、ムサシの付録に備えて、ちょっとレコードプレーヤーを買ってくるからさ。サンプルが来たら聴かせてあげるよ」

「よろしくお願いしますよ」

「え? ステレオって高いんじゃ……」

 五十嵐君は、プレーヤーの値段が気になるようだ。


「小型のやつで物品税がかからないのがあるから、そいつを買ってくるよ。LPレコードとかは聴く予定がないし」

 だいたい、そんなものを買っても置く場所がねぇ。


「そんなのがあるんですね」

「先生の実家にはステレオもあったんだよな?」

「はい」

「この金持ちめ~」

「今は貧乏ですけど……」

「単行本が出たらガッポガッポじゃないか」

「そんなに売れますかねぇ」

「売れるに決まってるじゃん。富士山先生のオバ9で小中学館のビルが建つそうだからな」

「そうなんですか? TV漫画も始まりましたしね」

「ムサシを売りまくって、第2ビルを建ててやろうぜ?」

「そんなに上手く行きますかねぇ」

 まぁ、図に乗るより、謙虚なのはいいことだよ。

 謙虚すぎるのも問題だけどな。


 先生は忙しいようなので、駅前のレコード屋にプレーヤーを買いに向かう。


「おっと、その前に――」

 動物園の写真ができているかもしれない。

 俺はカメラ屋に向かった。


「ちわ~」

「篠原さんいらっしゃい~。写真できてますよ」

 現像のこととか聞きまくったり、高価なカメラやら機材を買っているから、すっかりとお得意様だ。


「やったぜ! ナイスタイミング」

 カメラ屋のオヤジが、奥から白い封筒に入った写真とネガを持ってきてくれた。

 さっそく写真を確認する。

 気になるのは、お猿の電車の写真だ。

 パラパラと写真をめくり、その写真を探す。


「お?! ちょっとピンが甘いが――セーフだな!」

 そこにはお猿の電車に乗って笑っているコノミが、しっかりと写っていた。

 デジタル写真なら、シャープネスをかけたりとか、いくらでも手があるんだが、フイルムじゃそうもいかない。


「そういう写真は難しいですよね」

「もう、一発勝負だったよ」

 他の写真もよく撮れている。

 一脚を持っていってよかったな。


 俺は金を払うと、カメラ屋を出た。

 かなり枚数があるので、現像とプリント代で結構な金額になってしまったが、致し方ない。

 コノミの思い出のためだ。


 写真の成功に気をよくした俺は、レコード店に向かった。

 以前にシートレコードのサンプルを貰った店だ。

 世話になったから、ここで買わないとな。


 レコード店に入ると、相変わらずレコードが沢山並んでいる。

 店の右側がレコードで、左側は楽器などが並び、その一角にプレーヤーが置いてある。

 大型のステレオなどは電気店で購入したほうがいいだろうが、小型のものならここで十分だ。


「いらっしゃいませ~」

 奥から髭を生やしてエプロンをした紳士風の男が出てきた。


「ちわ、レコードのプレーヤーを見せてくれ」

「――おや、以前ウチからシートレコードをもらっていった、お客さん」

「覚えてましたか」

「そりゃもちろん。変わったお客さんだったからねぇ、はは」

「おかげさまで、シートレコードの仕事が上手くいきそうだから、プレーヤーを買いにきましたよ」

「ありがとうございます~」

 八重樫君にも言ったが、小型のものでいい。

 ターンテーブルが18cm以下で、3200円のやつなら、物品税がないのだ。


「これでいいか」

 俺が選んだのは、白いプラスチック製のボディで蓋がついている、ベクター製。

 値段は3000円で、本当にシンプルだ。

 ついているのはターンテーブルとアーム、そしてスイッチ兼ボリュームのツマミが1個だけ。

 EPレコードしか聴かないから、45回転だけなのだろう。

 今のところ、音楽には飢えてないが、そのうちレコードとかも聴きたくなるのだろうか?

 スマホにも音楽は入っているのだが、もう長い間電源も入れてない。

 最初熱心に撮っていたスケベ写真も撮らなくなってしまったし……。


 ただもしも――八重樫君のお姉さんとゴニョゴニョすることがあれば、そのときにはぜひともカラーで動画にしたい。

 男の夢がそこにあるのだ。


 スマホのことはさておき、広い家に引っ越したら、もうちょっといいステレオを買えばいい。

 奥に家具調のボディに布が張られたステレオが飾ってあるのだが、値段は7万9000円。

 初任給2万2000円とかの時代だぜ?

 やはり高い。


「毎度あり~」

 軽いので、担いで帰ることにした。

 レコードもないのに、アパートに持って帰っても仕方ないので、秘密基地に置く。

 いや、レコードを買えばいいんだけどな。

 使えねぇ金を沢山持っているわけだから。

 金があるとはいえ、あまり興味がねぇものをじゃんじゃか買うのもなぁ……。

 レコード屋に並んでいるのも、俺から見たら昭和の懐メロばっかだし。


 いや、ロックならいいのか……。

 ステッペンウルフとか、なん年だっけ?

 そろそろだよなぁ。


 黒い炎とかマイ・シャローナとかは、70年代だっけ……?

 そこまでいくと、俺も聴きたい曲があるんだけどなぁ。

 YESのランナバウトも70年代か。

 あ、ショッキング・ブルーは60年代から活躍していたはず。


 そういえば、ビートルズはもうデビューしているのか。

 世界中で大ヒットしているんだろうが、俺はあまり聴かないんだよなぁ……。

 有名な曲は知ってるけど。


 ああ、ビートルズといえば――。

 タイムスリップして、ビートルズの曲をパクって大ヒットを飛ばすという話があったよなぁ。

 俺も似たようなことをやっているわけだな。

 たまたまムサシの曲に関わってしまったが、音楽のプロじゃねぇから今回きりだが。


 音楽のことを考えながら秘密基地にやってくると、隣の家の様子が変だ。

 俺とちょいとゴニョゴニョした美人の奥さんがいる白い豪邸。

 旦那さんが貿易会社の社長らしいという話。


 前からちょっと草がボーボーで手入れがされてないなぁ――とか思ってたら……。

 なんと、「売家」の看板が、玄関にかかっている。


「ええ?! なんじゃこりゃ」

 なんでこんなことになったんだ?

 まさか、俺とのことがバレて――とか。

 いや、それなら俺の所にやってくるだろうが。

 弁護士などが調べれば、俺が住んでいる場所なんかはすぐに解る。


 庭を覗き込んでいると、近所のオバサンらしき女性がやってきた。


「そこの家、夜逃げしちゃったらしいのよ!」

「え?! 夜逃げですか? 旦那さんが貿易会社をやっているとかなんとか――」

「そうそう! それで、その旦那さんがね! 海外で騙されちゃってぇ、商品を持ち逃げされちゃったらしくてねぇ!」

「えええ!」

 恐るべし、主婦の井戸端会議連絡網。

 そんなことが、町内会に知れ渡っちゃっているのか。

 やっぱり、俺とのことなんて知られたら、あっという間に広まってしまったろうなぁ。

 くわばらくわばら――これは雷避けだったか。


 オバサンの話では、夜逃げしちゃったもので、家の家具なんかもほとんど中にそのままのこっているらしい。

 そりゃ多分、着の身着のままで夜逃げしたんだろうしなぁ……。

 少々可哀想な気もするが――今度はあの旦那と一緒のはずだから、もしかして幸せなのかもしれない。


 そうか――あまり深入りしなくて正解だったな。

 売家って書いてあるが、借金の抵当とか絶対に入っているよな。

 いや、すでに売っているんだから、競売からどこかが買って、こんな感じになっているのか。

 そうなると――ここの旦那が帰ってきたときには、すでに会社がヤバかった――ということになるのかな?


 俺は少々暗い気持ちになって、秘密基地にレコードプレーヤーを置いた。

 まったくの他人なら、「へ~そうだったのか」で済むが、それなりに知り合った仲だしなぁ。


 ――家に帰ると、ヒカルコと写真を見る。


「よく撮れてたよ」

「うん」

 写真に写っているのは、女の子たちばかりだけどな。

 まぁ、一緒に写っている相原さんの写真も多い。

 その中から、漫画家の先生たちが写っている写真をチョイスして、隣の戸を叩いた。


「先生~ちょっと悪い」

「は~い」

 パンツ姿の八重樫君に、写真を渡した。


「ほら、動物園の写真ができたぞ。これとこれがいいかい?」

「あ、ありがとうございます! 綺麗に写ってますねぇ」

「はは、俺の腕も少しは上がっているからな」

 矢沢さんの所も訪れて、写真を手渡した。

 簡単服を着た彼女が顔を出して、俺のプレゼントに喜んでいる。

 渡したのは――オーバーオールを着た先生が、動物園の前でピースサインしている写真だ。


「うわぁ! ありがとうございます! お母さんに送ってあげようっと!」

「それはいいかもよ。先生の元気な姿を見られるし」

「はい! ありがとうございますぅ」

「写真ですか?」

 奥から、アシスタントの女の子が顔を出して、キャッキャウフフしている。


「焼き増しもできるから、必要なら言ってね」

「ありがとうございますぅ」


 ――昼をすぎるとコノミが帰ってきたのだが、少々機嫌が悪い。

 話を聞くと、教室で少々揉めたようだ。

 野村さんが、動物園で買ったパンフレットなどを学校に持ってきて、自慢したらしい。

 よほど嬉しかったのだろうが、そういうのが面白くない連中もいる。

 以前も、写真を撮った撮らないで揉めたことがあったが、またそういう感じなのだろう。


「でもなぁ、コノミのお友だちを、みんな連れていくわけにはいかないからなぁ」

 金銭的には問題ないが、管理しきれない。

 事故でもあったら大変だし、俺の人生が終了してしまう。


「うん」

 それは彼女も理解しているだろう。

 まぁ、不可能だし、俺としてもわけわからんやつらの面倒は見たくねぇ。

 鈴木さんと野村さんは、いつもコノミと仲良くしてくれているので、その礼も兼ねているのだ。


 コノミはクラスでも少々浮いた存在だ。

 ここら辺が地元でもないし、古くからの知り合いもいない。

 それに新聞などにも載った、ちょっとした有名人。

 クラスメイトも、一歩下がった感じでつき合っているのだろう。

 そんな中でも、分け隔てなく彼女とお友だちつき合いをしてくれているのが、鈴木さんと野村さんだ。

 もう1人いるのだが、今回は不参加だったし。


「コノミ、お友だちをたくさん作るより、仲のいい子を大切にしたほうがいいと思うぞ」

「うん」

 まぁ、社会に出たらコネがものを言うのだが、それは友人じゃないしなぁ。

 子どもの頃にしかできないことがあるのだから、それを大事にしたほうがいいだろう。


「「コノミちゃ~ん!」」

 彼女と話していると、鈴木さんと野村さんがやって来た。

 戸を開けると、今日は他の女の子もいるようだ。


「お! 鈴木さんと野村さん、いいところに来たね。ちょうど写真ができ上がったんだよ」

 俺は3人の女の子を招き入れると、ちゃぶ台の上に写真を広げた。


「好きな写真を持っていってもいいよ。同じ写真が欲しいなら、焼き増しを頼んであげるから」

「焼き増しってなに?」

 コノミも、皆と一緒に写真を見ている。


「写真を増やせるんだ」

「本当?」

「もちろん――あ、お猿の電車の写真は、コノミにあげてな」

「私もその写真がほしい!」「私も!」

「それじゃ、早速焼き増し――っと」

 お猿の電車は、コノミが先頭に乗っているから、鈴木さんと野村さんは後ろなんだけどなぁ。

 それでもいいのか。


「いいなぁ……私も行きたかった」

 今回不参加だった女の子が愚痴をもらした。

 家庭の事情もあるし、他人に子どもを預けるのをヨシとしない親もいるだろう。


 写真はヒカルコにまかせて、俺は秘密基地に避難した。

 秘密基地にやってくると目に留まる、隣の売家。


「ふう」

 俺は軽くため息をついた。


 ――数日あと。

 午前中、家にいると外に車が止まったのだが、窓から見ると黒いタクシー。

 相原さんか? ――いや、相原さんにしては時間は少々早い。

 彼女は夕方からやってくることが多いし。


 それにタクシーから降りてきたのは、スーツを着た男たちが3人。

 いったいなんだろう?

 いや、ウチじゃないかもしれないし――と、思っていたら、塀にある戸を開けて入ってきた。

 マジか。


 ああ、そうだ。

 八重樫先生の所に、他の出版社から原稿の依頼かもしれないぞ。

 彼は原稿は受けないだろうがなぁ……。

 ――みたいなことを考えていたのだが、タクシーから降りてきた男に見覚えがあるようなないような……。

 だれだっけ?


 ――すると戸がノックされた。


「こんにちは~、ここは篠原さんのお部屋でしょうか?」

 マジでウチか。


「はいはい」

 戸を開けると、中年の男が2人と頭がグレーな初老の男性が1人。


「私――」

 名刺を出されて解った。

 カミソリで有名な、サントクのライバル会社。

 初老の男性は、専務らしい。


 男たちの後ろで小さくなっている男も思い出す。

 アキバ近くの会社に飛び込みの営業にいったときに、俺を追い出した男だった。


「まぁ、立ち話もなんなので――狭い部屋ですが」

 男を3人招き入れて、ヒカルコにお茶を淹れてもらった。


「本日はお願いがありまして、突然お邪魔をさせていただきました」

「察しはつきますよ。爪切りカバーの実用新案の件ですよね」

 サントクの爪切りが馬鹿売れしているので、問題になったのだろう。


「はい、そのとおりで」

「実は、そちら様の会社にも売り込みに行ったのですが、ケンモホロロに追い出されてしまって、はは」

「その件は、誠に申し訳なく――」

 男が2人で、ちゃぶ台に頭をつけた。

 その後ろで、俺を叩き出した男も小さくなって、一緒に土下座をしている。


「後ろの方がここにやってきたということは、私が売り込みに行ったことは把握されているのですね?」

「はい、受付の女性社員からの証言で……」

 会社でも爪切りの問題が出たあと「実は――」という話が出て、実用新案登録の住所からここを探し当てたのだろう。


「本来なら、どこの会社と契約してもよろしいのですが、今はサントクさんに賭けてますからねぇ」

「そこを、なんとか!」

 再び、男性がちゃぶ台に頭をつけた。


「そう言われましてもねぇ……」

 俺としては、本当にサントクに賭けているので、爪切りの件は他と契約するつもりがないのだ。

 必死に食い下がろうとする男性に、俺も最後の手段に出すことにした。

 水戸黄門の印籠だ。


 俺の文机の引き出しから、デカい封筒を取り出すと、その中身を男に見せた。


「これは?」

「これは、サントクの株券です」

「株?!」

 男の顔色が変わる。


「サントクがデカくなって上場すれば、こいつが化けるわけで――私はもう、サントクと一蓮托生なんですよ。専務さんぐらいになれば解るでしょう?」

「……」

 3人が顔を見合わせている。


 さすがに、そこまで言われたら引き下がるしかないだろう。

 男3人が肩を落として、すごすごと帰っていった。

 通りでタクシーを拾うまで、歩きだろう。

 こういうのは一期一会――逃がした魚は大きいわけで。


「ふう……」

 突然のできごとに驚いた俺は、炊事場でお湯を沸かしてコーヒーを飲むことにした。


「篠原さん、誰か来てましたね」

「おっと先生。仕事中にうるさくしてスマンね」

「いいんですよ」

「爪切りの実用新案の件だ」

「ああ! 他の爪切りの会社さんですか」

「まぁ、そうなんだけど――今の会社で世話になっているから、他と契約するつもりはねぇけどな」


 ちょっとしたできごとはあったが、午後になるとコノミが帰ってきた。

 そろそろ父兄参観があるらしい。

 父兄といっても、いくのはほぼオカンだよな。

 時代が進むと、授業参観みたいな名称に変わってしまったが。


 前から言っているように、こういうのはヒカルコに行かせればいい。


 ――そのうち、俺が契約を断った会社からも、爪が飛び散らないアイディアグッズが出た。

 プラのカバーを取り付けるのは実用新案で取られているので、爪切りに布の袋を被せたようだ。

 まぁ、原理は一緒だな。

 有名なメーカーなので、ネームバリューでそこそこ売れているらしい。

 サントクがデカくなっても、あのライバル会社が潰れることはないだろう。


 昭和では定番のパクリ商品も出ているようだが、そういうものの対応は、サントクに任せてしまっている。

 個人じゃ訴訟とか無理だしな。

 だが、パクリとかやらかすのは小規模会社が多くて、売上的には大したことがない。

 相手にするだけ無駄かもしれないなぁ……。



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