75話 結果的には人助け?
雑誌にシートレコードの付録をつけるというプロジェクトは、佳境を迎えた。
ムサシの主題歌を歌った若き日の歌手を見つけ出し、その歌声を収録してもらうことができた。
あとは、都内各所に散らばっている付録の部材を印刷所に集めて、製本するだけである。
9月売りの雑誌に同梱することができるという。
ネタから出た真というか、それが現実になってしまう。
相原さんは俺が凄いというのだが、これはどう見ても彼女の能力によるものだろう。
世の中には、なにかを掴むとそれを形にして、凄いことをしてしまう人が確実にいる。
――暦は9月になった。
コノミの二学期が始まると、彼女がなにか持って学校から帰ってきた。
「ショウイチ、おやすみの日にこれ飲むんだって……」
彼女が差し出したのは、チョコ型のなにか――色も茶色っぽい。
「それ、虫下し」
その正体をヒカルコが知っていたようだ。
「ああ、虫下しかぁ。そういえば俺もしばらく飲んでないから、みんな一緒に飲んだほうがいいんだろうか?」
「コクコク」
失念していたのだが、この時代はまだ腹の中に寄生虫がいる人が多かった。
野菜も流水にしばらく晒すのも普通だし。
まぁ、煮たり炒めたりして食えば、問題ないのだが。
外で感染することもあるし。
手洗いが大事だ。
親の時代じゃ虫下しを飲んだらしいが、俺の時代ではすでに飲んだ記憶がない。
もしかして小学校で飲んだかもしれないが、記憶にない。
コノミが持ってきたのは、虫下しだけではない。
彼女が見せてくれたのは青い丸いシール。
「これは、知ってるぞ。ぎょう虫検査のシールだ」
「……」
「朝起きたときトイレに行ってな、お尻の穴にペタっとくっつけてから、学校に持っていくんだ」
「……そんなの恥ずかしい……」
彼女が顔を赤くして、イヤイヤをしている。
「恥ずかしいだろうけど、皆やるからな。これは仕方ない」
「私のときにはなかった……」
「始まったのは、最近じゃないのかなぁ……」
ヒカルコのときにはなかったらしいので、ここ数年で新しく始まったのだろう。
それだけぎょう虫が問題になったってことだ。
そのぎょう虫も寄生虫だしな。
一応、袋がついていて、それに入れて学校に持っていくようだ。
「ほら、これに入れて持っていけば、外から見えないから」
「……」
彼女が嫌そうな顔をしているのだが、サボっても持ってくるまで言われるだろうし。
説得はヒカルコに任せて、俺は炊事場にカ○ピスを作りに向かう。
そこに八重樫先生がいた。
「先生――先生が小学生のときにぎょう虫検査ってあったかい?」
「はい? なんですか、それ?」
彼の反応を見ると、まったく知らないらしい。
「そうか、先生のときにはなかったと」
「いったいなんですか?」
「学校でやってる寄生虫の検査だよ」
「はぁ~今はそういうのがあるんですねぇ」
――ということは、やはり最近始まったということなのだろう。
彼と話していると、後ろのドアが開いた。
「ぎょう虫検査やりましたよ!」
顔を出してきたのは、簡単服をきた矢沢さんだ。
「矢沢さんはやったのか」
「お尻の穴にペタッと貼るやつですよね?」
「そうだけど――女の子が、お尻の穴とか言っちゃいけませんよ」
「ええ~、いいじゃないですかぁ……」
そのとき、階下から大家さんの声が聞こえてきた。
「こらぁ! 女の子がなんて話をしてるの?!」
「ほら、怒られた」
彼女が舌を出して引っ込んだ。
「やっぱり、検査が始まったのは、ここ数年って感じだな」
「へぇ~」
「コノミは虫下しを持ってきたけど、先生は?」
「今年は飲んでないですねぇ」
やっぱり、普通に飲むみたいだな。
皆で飲むか……。
――ぎょう虫検査の話をした次の日の朝。
ヒカルコに説得されて、コノミはシールを学校に持っていったようだ。
まぁ、これは仕方ないよなぁ。
こういうことに関しては、ヒカルコに丸投げだ。
コノミが言うことを聞かないからといって、まさか俺が彼女のパンツを下ろすわけにもいくまい。
本当に11歳なら、そろそろ毛が生えてくる年齢だしな。
いや、そういう問題じゃねぇか。
それから、年齢が年齢だ――いずれは月のものもやってくるだろう。
一応、そのことについてもヒカルコと話し合ってはいるが、全部彼女に丸投げだ。
こういうときには、女がいてくれてありがたい。
ヒカルコがいなければ、大家さんとかに頼む羽目になるかもしれん。
午後になり学校からコノミが帰ってきたが、無事に提出し終わったようだ。
女の子たちは、やっぱり恥ずかしがっていたらしい。
確か、毎年やっているはずだから、他の女の子たちはすでに経験済み。
コノミは初体験ってわけだ。
――コノミの学校が始まった次の日。
俺は特許事務所に行って、カラオケの特許出願をしてみた。
演奏だけ入った専用のテープやレコードにマイクをつなげて、歌って楽しむ機械――という触れ込みだ。
事務所の所長の爺さんは、微妙な顔をしていた。
未来に大ヒットするとは当然知らないし、知るはずもない。
どこまで認められるか不明だが、少しでも金になるかもしれない。
発売されていたラジカセなどにもマイク端子があったので、やろうと思えばカラオケと似たようなことができたのだが――。
演奏だけが入ったテープを用意するってのが、難しかった。
たまにレコードのB面がインストルメンタルのものがあったりしたのだが、あまり一般的ではなかったし。
――駅の購買で、店頭に刺さっている新聞をチラ見。
紙面には、インドとパキスタンが戦闘を始めたとかいう物騒な記事が載っていた。
ベトナムでも戦争の真っ只中だしな。
このまま第三次世界大戦になるんじゃないか?
また核兵器が使われるんじゃないか?
――そんな心配もあるのだが、そうはならないことが未来からやってきた俺が知っている。
アパートに帰ってきて、少々悩む。
俺は色々とやらかしてしまっているので、日本の歴史が少々変わる可能性があるわけだが――。
まったく無名の漫画家をデビューさせたり、潰れるかもしれない会社を立て直したり、そんなことじゃ、世界情勢までは変わらないだろう。
世界情勢もそうだが、もう一つ確実に変わらないものがある。
それは天災だ。
多少歴史が変わったとしても、たとえばプレートテクトニクスに変化があるわけでもなし。
日本を襲った大震災などは、未来になっても確実にやってくるだろう。
そのとき、俺がなんとかできるだろうか?
オッサンが1人、「日本が滅ぶ! 日本が滅びますぞ!」といっても、変なオジサン扱いされて終了のような気がする。
そもそも、このままいったら、そのときまで生きられねぇけどさ。
八重樫君との打ち合わせも済み、ネームも終了した彼は、すでに次号の原稿を描き始めている。
今回は、敵の1人が捕虜として捕まる回だ。
捕虜を隅々まで調べて、敵が人間とほとんど変わらないことに艦内が愕然とするわけだな。
あんな残虐なことをするのだから、敵は化け物に違いないと思っていたら、そうじゃなかった。
艦内を二分して、「敵は絶対に殺すマン派」と「あくまで人道的な扱いをするべき派」で争う。
この時代でも、劇画などで敵を殺しまくる酷いストーリーなどがあったりするのだが、ムサシが連載しているのは少年誌。
どうしても綺麗事が必要だ。
ベトナム戦争が泥沼化すれば反戦運動なども起こるし、綺麗事を言っておかないと槍玉に挙がるかもしれん。
とりあえず、シートレコードプロジェクトではやることはやってしまい、人任せなので俺がやることがない。
久しぶりに、サントクに行ってみることにした。
大家さんから電話を借りる。
サントクにかけると会社には繋がったのだが、社長がいるかどうかは不明らしい。
会社は大丈夫なのか?
その社員から話を聞くと、会社のビルが3つになってしまい、連絡をするのが大変らしい。
俺は電話を切ると、電話代の20円を置いた。
「篠原さん、お仕事?」
大家さんがやって来た。
「はい、ちょっと上野まで」
「電話代なんて要らないのに……」
「そうはいきませんよ」
なんでもなぁなぁにしてしまうとよろしくない。
けじめはつけるべきである。
部屋に戻ってくると、スーツに着替えた。
持っていくものを整える。
サントクの様子見と一緒に、新製品の売り込みだ。
俺が特許を取った、袋とじ棒を売り込んでみる。
今は爪切りが売れているだろうが、そのうち行き渡ると頭打ちになるだろう。
そのときに次に売れるものが必要になるはず。
あの会社は、爪切りのカバーを大量生産するために、プラスチック工場を買収したと言っていたからな。
プラ製品なら作れるということだろう。
「ちょっと上野に行ってくる」
「うん」
そういえば、ヒカルコとしばらく出かけてないな。
「ヒカルコ――休みになったら、コノミと一緒にどこかに行くか?」
「うん!」
彼女の顔がパッと明るくなった。
「コノミが喜びそうと言ったらどこかな?」
「う~ん、動物園とか遊園地とか?」
「それじゃ、コノミは図鑑を見ていたから上野の動物園とか行ってみるか」
まだ、パンダはいないよなぁ。
「うん」
動物園のあとは、上野にあるデカい有名レストランでお食事――昭和の定番コースだ。
写真を沢山撮りそうだから、フィルムを仕入れておくか。
普通の思い出写真だから、カラーフィルムでいいだろう。
本当は俺と2人で出かけたいのだろうが、コノミがいるからな。
ヒカルコには悪いと思っているのだが、どちらかがアパートにいないと。
この時代にはすでに、両親が共働きで子供だけが家にいる「鍵っ子」という言葉がある。
親が帰ってくるまで、誰もいない部屋でジッと子どもだけで待っているわけだ。
俺も両親が共働きだったから、小さい弟の面倒までみていた。
飯を作って一緒に食べたりとかな。
親の愛情なく育ったコノミに、そんな思いはさせたくない。
アパートを出ると、いつものように私鉄から山手線に乗り、御徒町駅についた。
ヒカルコにはいつも「上野に行ってくる」と言っているのだが、降りるのは御徒町だ。
駅から歩いていくと、路地に沢山トラックが並んでいる。
前に来たときより、さらに混雑しているのだが大変な騒ぎだ。
電話の話では、会社のビルが3つになったと言っていたが――なるほど、3箇所で積み込みなどが行われていた。
その中にひときわ大きな男がいる。
岩山君だ――彼も元気でやっているようだ。
これだけ力仕事が必要なら、彼のパワーはうってつけだろう。
「ビルは3つになったが、本社は前の所なんだろう……」
もう少し儲けたら、もっと大きなビルに引っ越すとか、自社ビルを建てるとかするんだろうな。
荷降ろしをしている作業員や社員の間を縫って、会社の中に入った。
フロアに入ると、電話がひっきりなしになっていて、受話器を沢山持った社員たちが対応に追われている。
相変わらず、すごい喧騒だ。
小さなカウンターの所に、タイプを打っている制服の女性がいる。
メチャ真剣に打っているので中々話しかけられず、キリのいいところまで待ち、やっと話しかけた。
「あの~」
「は、はい!」
「社長さんいらっしゃいますかね?」
「社長~!」
女性が奥に走っていくと、すぐに社長を連れて戻ってきた。
見た感じは、少々疲れている様子だが、元気そう。
「先生! ご連絡をしようとしてたところなんですよ!」
「おはようございます――いや、こんにちはですかね」
「おはようございます! どうぞ、こちらへ!」
彼に連れられて、社長席の隣にある応接室に案内された。
社長と向かい合ってソファーに座る。
「いや~、すごい騒ぎですね」
「忙しすぎて、まったくてんてこ舞いですわ! ダハハ!」
彼が頭をかいている。
嬉しい悲鳴ってやつだろう。
「私が連れてきた岩山君も頑張っているようで、一安心です」
「いやぁ、彼は頑張ってくれてますよ。なにせ3人分の荷物を一気に運びますからな!」
「来るときにこちらに電話をかけたのですが、社屋が3つあって社長がいるか解らないと……」
「いやぁ、まったくもってお恥ずかしい……もう、これでも足りないぐらいなんですわ」
売れに売れているという感じだが、商品は爪切りだ。
一通り家庭に行き渡れば、動きが止まるだろう。
「それで、私のほうに連絡したいということでしたが……」
「お! そうそう!」
彼が、立ち上がると、自分の机の引き出しからなにやら持ってきた。
紫色の布――いや、風呂敷か。
そういえば、この時代は風呂敷が普通に使われていたが、自分で使う習慣がないのでアパートには置いてない。
ヒカルコも使わないんだよなぁ。
社長が風呂敷の包をテーブルの上に置いた。
それを開くと、中から出てきたのは――おそらく100万円の札束が2つ。
「大変遅くなってしまいましたが、先生からお借りしたこの金で大変助かりました!」
彼がテーブルにつくぐらいに頭を下げた。
「もう大丈夫なんですか?」
「ダハハ! もうこの通りですよ」
社長が、フロアを指した。
今も、じゃんじゃん電話がかかってきて、首の所に電話を挟んだ社員が対応している。
「いやそれはいいのですが、社長。私が貸したのは190万円だったと思いましたが――増えてませんか?」
「そりゃもちろん、利子ですよ」
「別に利子は、なくても構いませんが」
「そういうわけにはいかんでしょう」
「しかし――社長が80万円でいいって言ったところに、強引に90万円を渡してしまったわけで……。余計に貸し付けて余計に利子を取ることになってしまいますよ」
そのあとには50万円だっていうのに、100万円を押しつけてしまったしな。
「実は先生……あの90万円で、本当に助かったのです……」
「……」
彼が、俺がサントクを訪れたときのことを語り始めた。
「あのとき、ワシと女房はもう覚悟を決めておったんですわ……でも、娘たちだけは、なんとか助けてやろうと……」
社長が涙を流し始めた。
いつも豪快に笑っている社長だが、人知れずこんなに悩んでいたのか。
俺が金を持ってきたときも泣いていたが、そういうことだったのか。
それならそうと言ってくれよ――と、思ったのだが、旧知の仲ならともかく、仕事で会ったばかりの人間にそんなことを言えるはずがねぇか。
「それじゃ多めに持ってきて正解でしたねぇ」
彼が俺の手をガッチリと掴んだ。
「まさにまさに! 先生は、この会社のみならず、私たち家族の恩人なんですわ!」
「そんな大げさな、はは」
俺はちょっと照れ隠しで笑ってしまった。
「いやいや、大げさではありませんよ。真面目な話ですわ!」
「それで危機を脱して、目が回るほど忙しくなってよかったですなぁ、はは」
「先生、ありがとうございます……」
本当に、サントクという会社は、消える一歩手前で棺桶に脚を突っ込んでいたのだ。
俺がいなかったら、この会社は確実になくなっていたんだな。
それどころか、この社長も……。
まぁ、まったく性分じゃないが、人助けできたってことか。
結果的によかったな。
サントクと社長はよかったが――ライバル会社が増えたカミソリで有名なあの会社は困るかもしれんなぁ。
あっちはデカくて有名だから、コケることはないと思うが……。
サントクの代わりに、向こうがなくなったら、それはそれで可哀想ではある。
――とはいえ、叩き出されて嫌な思いをしたんで、もしそうなっても助けねぇけど。
俺の心は、猫の額より狭いからな。
今日、金を返してもらえたのは、ちょっと予想外だった。
まぁ、返してもらっても、いつものとおり表立ってはデカく使えない金なんだけどな。
「それで社長。私の用事というのがありまして」
「ほう、なんだね? 先生のことだから、またなにかおもしろいことなんじゃないかね?」
俺がカバンの中から、袋とじ棒の試作品を取り出した。
「これです」
「ん? これは……」
「これは、袋を閉じる便利道具なんですよ――なにか袋はないですかねぇ。お菓子の袋とか、砂糖の袋とか」
「○○君~!」
「は~い!」
社長に呼ばれて、中年の女性社員がやってきた。
寿退職するのが普通の昭和に、この歳まで残っているとは――お局様だな。
みたいなことを令和に言ったら騒動になるが。
社長に言われて、女性社員が砂糖の紙袋を持ってきた。
よくやるのが、折って閉じるわけだが、これだと砂糖のにおいで蟻がやってきたりする。
ここらへんだと舗装されているし、蟻はいないかもしれないが……。
「袋を開いている所を折ります」
「ふむ」
彼が俺のデモンストレーションを興味深そうに見ている。
「そして、この棒を差し込むと――このように、閉じることができます」
「これで、閉じられたのかね?」
「はい、逆さまにしても平気です」
実際にやってみせるが、大丈夫だ。
「これは便利じゃないか!」
「もっと大きなものを作れば、肥料袋やセメント袋も閉じられると思いますよ」
「ほう!」
「これは試作品なので竹で作りましたが、サントクでプラスチック工場を買収したとおっしゃっていたので、プラで作れば安く作れますよ」
「これは面白いな!」
「あの、社長。これ欲しいんですけど……」
女性社員が閉じ棒を欲しがっているのだが、これは試作品なので困る。
「実は先生。今は爪切りが売れているが、いずれは頭打ちになるのが解っているので、次の商品をなににしようか考えていたところなんですわ」
「これなら簡単につくれると思いますけど」
「うん――橘君を呼んできてくれ」
「はい」
橘って、ここの商品開発をしている人だな。
女性社員に呼ばれて、すぐに若い男がやってきた。
「社長、お呼びですか?」
「発明家の先生が、また面白いものを考えてきてくれたんだよ」
「これです」
さっきとまったく同じデモンストレーションをして見せる。
「これは――すごいですね! こんな簡単な構造なのに……」
「プラだと簡単に成型できると思います――具体的には……」
長い閉じ棒の金型を作って、短いものはカットすればいい。
プラ製品で高いのは金型なので、これなら高価なものが一つで済む。
「ははぁ……なるほど」
「爆発的に大ヒットってわけにはいかないかもしれませんが、それなりに売れる商品だと思いますよ」
「ワシもそう思うよ。これは面白い」
「これも特許を取っていますので、特許料は売上の3%でOKですよ」
「う~む、解った! やろう!」
即断即決、これぞ昭和。
「ありがとうございます」
「橘君、試作に入ってみてくれ。爪切りが一段落するまで、生産はできんだろうがな、ダハハ!」
彼も売上が右肩上がりなので、上機嫌だ。
それと――サントクに来たついでに、ちょっと考えていたネタを話す。
これは、特許が取れるかイマイチ不明だったのだが――。
「社長、T字カミソリってありますよね」
「うむ、ウチでも作っているが……」
「それを、二枚刃にできませんかね?」
「二枚?!」
図に描いて説明をする。
未来では、2枚3枚は当たり前、5枚刃なんてものまで売っていた。
「こんな具合にカミソリの刃を二重にするんです」
「ほう――これで、なにか利点があるのかね?」
「はい、一枚目の刃が髭を引っ掛けて伸びたところに、2枚めの刃がやってくると――結果深剃りができると」
「それは、本当かね?」
「まぁ、理論上はそうなるんじゃないかな? って感じです。さすがにコレは試作ができないので、作ってないのですが――もし、サントクさんで作れるなら、研究してみてはいかがでしょう」
「これは先生の特許ではないのかね?」
「これで本当に特許が取れるかわからないので、確実なものから申請しているものですから」
まぁ、実際にメリットはある。
あるから、2枚刃やら3枚刃、5枚刃まで作られているのだ。
「う~む、しかし経費がかさむなぁ。単純に刃が2枚になれば、倍の値段になるわけだからね」
「それなのですが社長。日本はこれからドンドン景気がよくなります」
「うむ」
「私の勘では、先進国列強に肩を並べ、10年で給料が5倍。20年で10倍になるでしょう」
「そんなに増えるかね?」
「ええ、そうなれば――単純にものさえあればいいという時代が終わり、消費者がよりいいものを求めるようになります」
より、高性能なものを、より高級なものを。
「なるほどなぁ……先生は、そこまで考えていらっしゃる」
「話半分で聞いてもらえれば――でも、遠からず日本は、世界と肩を並べますよ」
「戦後の焼け野原から裸一貫――もしそうなれば、痛快ですなぁ」
「はは……」
日本がそうなったのは、やっぱりバブルの頃だろうか。
まぁ、確かにあの頃はイケイケドンドンだったし。
アメリカの不動産を買いまくってひんしゅくを買ったりとか。
貧乏人が突然金持って成金になっただけだよなぁ。
今は、某国がそんな感じになってるが。
誰もが一度は通る道なのかもしれないが。
「2枚刃や3枚刃のカミソリだと、金属で作るのは少々難しくなるかもしれませんから、プラスチックの出番になるでしょう」
「なんでもプラスチックの時代になりますなぁ」
「持ち手と刃の部分を別にして、挿げ替えできるようにすればいいかもしれません」
図に描いて見せた。
昭和の終わりには、もう作られていたのだが、今の技術じゃどうかな?
「社長! なんかすごいですね! 本当に実現できそうな気がしてきましたよ!」
商品開発をしている男性が興奮している。
「先生、こんなことをタダで教えてしまっていいんですか?」
「はは、売れそうな発明はまだありますから、大丈夫ですよ。それにサントクが大きくなって、株式上場なんてことになれば、私もありがたいですし」
「いやぁ……そこまでは考えてませんよ」
彼は否定的だが、可能性は十分にある。
プラスチック製品を作れるなら、色々と売れるものを作れるしな。
ただ、基本的に値段が安いので、あまりドカンと儲からないかもしれないが。
それでも社長は、2枚刃や3枚刃のカミソリの研究も始めるようだ。
いずれは実現するのだから、研究を始めるのも早いほうがいい。
俺は社長に挨拶をすると帰路についた。
ついでにアメ横で、カラーフィルムを購入。
ここまで来たのだからと――モデルガンショップに寄って、2丁買った。
ルガーとエンフィールドだ。
また、八重樫君に貸してやろう。
大金を持っているので、電車には乗らず贅沢にタクシーだ。
200万円近く懐に入れているのだから、そのぐらいしてもいいだろう。
競馬で勝った帰りもそうだが、こういうときには金をケチるのはアカン。
タクシーでアパート前に到着。
車から降りると、大家さんとハチ合わせる。
「あら~篠原さん、豪気ねぇ」
「いや、ちょっと仕事で……はは」
懐に大金を抱えているとは、言えない。
親しい仲でも、言わないほうがいいことがあるのだ。
そのまま階段を上がって、八重樫君の所に向かう。
「先生いるかい?」
「は~い」
パンツ姿の彼が顔を出した。
後ろにアシの五十嵐君がいる。
「ほい、またスケッチするかい?」
彼に、袋から出したモデルガンを手渡した。
「ありがとうございます」
「それって、本物ですか?」
五十嵐君が、先生と同じことを言っている。
一応、そういうことを聞くんだな。
本物なんてそうそうあるわけが――いや、この時代は洒落にならんし。
実際、俺も持ってるしな。
「そんなわけないだろ」
「な~んだ」
「なんだって、桑原先生のことを聞いてないのか?」
「聞きましたよ。本物の鉄砲を持ってて逮捕されたんですよね?」
「そうそう、有名な先生でもそういうことをすると、あっという間に奈落に転落するからな。先生も気をつけないとアカンよ」
「もちろんですよ」
彼は真面目だから、大丈夫だろう。
――とかいいつつ、真面目なやつが羽目を外したときが一番怖いんだが……。
俺はモデルガンを八重樫君にあずけて、部屋に戻った。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
珍しくヒカルコが抱きついてきたので、なでてやる。
昼飯を食べてしばらくすると、コノミが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり~」
彼女がランドセルを置いたのだが、珍しく横にリコーダーが刺さっている。
ずっと学校に置きっぱなしだったような気がしたのだが。
「リコーダーはどうした? 壊れたとか?」
「ううん」
違うらしいのだが、彼女が困った顔をしている。
「どうしたんだ?」
「笛を舐める男の子がいる……」
「ええ? やっぱりいるのかぁ――」
「そんなやついるの!?」
珍しくヒカルコが憤慨している。
「まぁいるだろうなぁ」
俺が通っていたのは昭和の終わり頃の小学校だ。
そのときの体験談を話すわけにはいかない。
「コノミの笛にもそんなことされたの?」
俺は半分茶化して聞いていたのだが、ヒカルコが真剣だ。
「多分、大丈夫だと思う……」
「コノミは可愛いから狙われるかもな、はは」
「い~~~~や~~~~」
コノミがイヤイヤする姿が可愛いので、笑っていたらヒカルコからどつかれた。
「あたた……」
「なんとかして!」
「なんとかってなぁ……」
しかたなく、学校への連絡帳に書く。
「え~と、他の生徒さんからも連絡が入っているかもしれませんが、女の子の笛を舐めるとかいう変態行為をする男の子がいるようです。止めさせて、防止策を講じてください――これでいいだろ?」
ヒカルコがフンスフンスしている。
そんなに怒らんでも……。
「コノミ、この連絡帳を先生に見せてな」
「うん」
「それはそうと――日曜日に、皆で動物園に行こう」
「動物園?! 動物園ってなに?」
コノミが俺に抱きついてきた。
彼女は動物園にも行ったことがないから、どういうものか解らないようだ。
こういうときには、TVがないと情報が入ってこなくて少々困る。
TVがあれば、ニュースなどで動物園のことをやったりするからな。
「動物園というのは、動物が沢山いる公園だよ」
彼女が本棚から動物の図鑑を持ってきた。
「こういう動物が沢山いるの?」
「ああ、いるぞ。図鑑に載っている全部はいないと思うが……」
「ゾウはいる?!」
彼女が本を指す――興味津々だ。
「いるな」
「それじゃ、キリンは?!」
「いるだろう」
「それじゃ――サイは?!」
「多分、いると思うぞ」
「やった!」
彼女が図鑑を掲げて走り回っている。
リコーダーの嫌なことなど、吹き飛んでしまったようだ。
とりあえず学校も問題なさそうだし――リコーダーの件はあったが……。
保護者として、色々と情操教育を講じてやらんとなぁ……。





