74話 レコーディング
八重樫先生が連載している宇宙戦艦ムサシ。
シートレコードを雑誌の付録につけようという計画が進行中だ。
歌を歌うのは、ムサシのオリジナル主題歌を歌った若き日の本人。
ちょっとデビューは早まったが、未来に主題歌を歌った本人が歌うのだから問題あるまい。
なんと、その現場に俺も立ち会えるのだ。
人のものをパクって、自分のロマンを叶えてもいいのか? ――という葛藤も若干あるのだが、まぁ若干だ。
この時代で、そのことを知っている人間は誰もいない。
俺が黙っていれば、歴史はそのまま流れていくのだ。
この手のタイムスリップものの定番だと、歴史を改変しようとすると強制力で戻されるというのがあるのだが、今のところそういった動きはない。
未来には聞いたことがなかった八重樫という漫画家をデビューさせて、宇宙戦艦ムサシという漫画をヒットさせた。
漫画の神様も、そのムサシに影響されて俺の知らない漫画を書き始めてしまうほどだ。
これだけ大きく歴史をいじっても、いまのところ問題はないが――。
なにをやってもOKというわけではないだろう。
たとえば、歴史上の大人物に干渉してしまうなどはかなり危険かもしれない。
あるいは、俺自身の出生に関係することにことが及べば、俺自身が存在しないことになってしまう。
俺が生まれてこなければ、ここにいる俺も存在しない。
――いや、そもそもとしてだな。
ここが本当に、俺がいた時代の過去なのかも怪しい。
ちょっと歴史の進みが遅いパラレルワールドに落ち込んだとか、その可能性はないだろうか?
もちろん、それを確かめる術もないのだが。
コノミが花火をしている写真を撮って、カメラ屋に持ち込んだ。
10枚ほど撮ったのだが、流れる火花とコノミの顔が判別できた写真は1枚だけ。
やっぱり難しい。
でも、当たりがあってよかったぜ。
コノミも喜んでいた。
――数日あとの夜、相原さんが高坂さんと一緒にやってきた。
ここに漫画家が揃っているので、一緒にやってきたほうが効率がいいのだろう。
タクシーも一台で済むしな。
いつもの献本とケーキをもらう。
「ありがとうございます!」
他にも本をもらって、コノミがニコニコだ。
今日は、ヒカルコも警戒していない。
おそらく、高坂さんがいるせいだろう。
その高坂さんも、この前のことがあったせいか、前のようにこちらを毛嫌いしている感じではなくなった。
「あの、篠原さん。来週は大丈夫ですか?」
考えごとをしていると、相原さんに話を切り出された。
「はい? 特に予定はありませんが。書いてた三文小説も打ち切りになってしまいましたし」
「え? そうなんですか?」
「はい、そろそろ特許のほうも忙しくなりそうなんで、まぁまた暇になったら書きますよ、はは」
「残念です……」
「それより、来週なにかあるんですか?」
「レコーディングです」
「ああ、決まったんですね?!」
「はい」
相原さんの話では、収録は8月31日。
レコーディングスタジオは、赤坂にあるらしい。
赤坂なんて、元の時代でもあまり行ったことがない。
2人の美人編集は、八重樫君と矢沢さんの所に寄ってから帰っていった。
矢沢さんの漫画も徐々に人気が上がってきて、ついに来月号は巻頭カラーらしい。
そりゃ、ヒロインが格好よく戦って、サポートする男たちは美男子揃い。
逆ハーレム状態で、男同士のイケナイ絡みもある。
まさに女の子が読みたい漫画を、今の時代に描いたわけだ。
未来で流行るパターンを詰め込んでいるのだが、この時代にも潜在的に需要があったはずで、それをいまから掘り起こしている格好になる。
――セーラー戦士はさておき。
「そうか~、やっとレコーディングかぁ。楽しみだな、ははは」
「む~」
「なんで、お前はむくれてるんだ?」
「べつに……」
「俺は仕事で行くんだぞ?」
そこに本を読んでいたコノミが入ってきた。
「ショウイチ! どこに行くの?」
「レコードを作りに行くんだよ」
「レコード?」
彼女はレコードは知らないかもしれない。
この前に見たシートレコードが初めてだろう。
「この前に作ったろ? クルクル回すと音が出るやつ」
「うん」
「その回る丸いのを作ってくるんだ」
「へ~」
解っているのか、いないのか。
実際にシートレコードができ上がったら、レコードプレーヤーを買うつもりだから、聞かせてやろう。
――相原さんがやって来た、次の日。
サントクに電話をかけたのだが、ずっと話し中で繋がらない。
多分、注文につぐ注文で、電話が空かないのだと思う。
電話の回線も増やしているはずだと思うが……。
芸能人と会うので、爪切りの宣伝のためにサンプルを渡そうと思ったのだが、これだけ売れていればそれも必要ないか……。
そして、明けて日曜日。
以前、話に出ていた富士山冨士夫先生原作のアニメが、今日から放送されるらしい。
まだ白黒アニメの時代だ。
アニメがカラーになるのはもう少しあとだと思われる。
そういえば、コノミが他の子の家に遊びに行ったりしているので、TVを観たらしい。
ウチにも欲しそうな顔をしているのだが、この部屋でTVは困る。
狭い部屋がさらに狭くなる。
この時代の人たちはTVに飢えているが、俺はTVが嫌いだしな。
ヒカルコも欲しがっているのだが、そのうち大金を儲けて家を買うから、それまでTVは我慢してくれ。
――8月31日になった。
今日はムサシの主題歌収録の日であるが、朝から猛烈に緊張している。
なんでこんなに緊張するのだろうか。
芸能人なんてまったく興味がないのだが、子どもの頃から慣れ親しんだ主題歌を歌っている人に会える。
――そう思うと、心がはやる。
自分でも笑ってしまうが、やっぱり子どもの頃の思い出ってのは特別なものなんだろうなぁ――と、自分でも改めて思う。
俺が緊張しているのが解るのか、ヒカルコが呆れている。
お前には男のロマンは解るまい。
などと思っていると、外に車が止まった。
窓を少し開けてみると、黒塗りのタクシーである。
相原さんも降りてきたので――俺は上着とカバンを持つと、玄関の戸を開けた。
階段の所にいる相原さんと目が合う。
「おはようございます」
2人で挨拶をする。
「ヒカルコ、それじゃ行ってくるからな」
「いってらっしゃい」
今日はむくれていない。
収録で、他にも沢山の人がいると解っているからだろうか。
ヒカルコのことはさておき、先生の所を訪ねた。
「先生、レコーディングに行ってくるよ」
「お願いします。僕はやっぱり無理です」
原稿が詰まっているらしい。
「わかった」
八重樫君と挨拶をすると、相原さんと一緒に待たせていたタクシーに乗り込む。
「今日はよろしくお願いいたします」
一応、社交辞令を交わす。
「いいえ、今回の企画は、篠原さんのアイディアがなければ、とてもじゃないですが実現しませんでしたよ」
「それを言ったら、相原さんがいなけりゃ、こんなに順調に進みませんよ」
俺のは、ただの思いつきと、未来の知識に頼っているだけだからな。
それを実際の形にしてしまう彼女は、やはり優秀だ。
俺に同じことをやれと言われても無理だし。
「ありがとうございます」
タクシーはいつも俺たちが歩いている早稲田通りから、山の手通りへ。
甲州街道を抜けて、外苑東通りに出た。
ここまでくれば、すぐ赤坂だ。
建物はまったく違うが、道路の形は一緒。
到着したのは、赤坂見附の近く――コンクリート製のビルの前。
さすがにここらへんは、再開発がかなり進みビルが多い。
近くには高速道路も走っているし、下町に比べたらここは別世界だ。
地方の人が思い描く都会というのは、まさしくこういう感じではなかろうか。
タクシーを降りると、相原さんと一緒にビルに入った。
ドアが勝手に開いた――自動ドアだ。
ある所にはあるのな。
中には絨毯が敷いてあり、ちょっとしたホールになっているらしい。
隅に待合室がある。
女史と一緒にそこに向かい、赤いソファーに座っていた人物に挨拶をした。
男性は、ジーンズに革ジャンを着ていた。
その隣には、ちょっと明るめな色のスーツを着たマネージャーらしき男が座っている。
「小中学館の相原です。本日はよろしくお願いいたします。こちらは――」
「私は、篠原と申します」
礼をして、俺の名刺を渡した。
立って名刺を受け取ってくれた背の高い男性が――若き日の佐伯治、その人だった。
若い! 思わず、口からその言葉が出そうになった。
歳は――20歳ちょっとじゃないか?
そりゃ若いわ。
革ジャンを着ていて、髪型はリーゼント――外国のロッカーっぽいぞ?
ロケンロー! 洋楽が好きなんだろうか。
「ああ! あなたが作詞作曲なさった方ですね!」
「ええ、まぁ――そうなんですが、素人なもので、編曲の先生のおかげですよ」
「相原さんから聞いたお話では、主なフレーズは、すでにでき上がっていたそうで」
「そうなんですが……はは」
基本的にパクリなので、あまり「すごい」と言われると恐縮してしまう。
それよりも、俺はハイになっていた。
自分で、なにを言っているのかよく解らん。
こんな俺を笑う人間がいるかもしれないが――。
子どもの頃に、お面ライダーの大ファンだった人が、目の前に「本郷隼人」がいたらどうする?
テンション上がるだろう?
まさに、今の俺がその状態だ。
「いやぁ、僕はムサシのファンだったので、この話が来たときに天啓かと思いましたよ」
「その話は相原さんから聞きましたが、まさか漫画を読んでいただいているとは……」
「ムサシの話も、篠原さんが原作なんですって?」
「表に出てはいませんが、そのとおりです」
「いやぁ――漫画といえば、文字どおり子供だましみたいな話が多い中で、ムサシは輝いてましたよ」
彼がラーメン屋で読んだ漫画に載っていたらしい。
「ありがとうございます」
話している間に、スタッフが呼びにやってきた。
収録の時間になったようだ。
スタジオは地下にあるらしいので、皆で階段を降りていく。
「佐伯さん、つかぬことをお伺いしますが――」
「はい? なんでしょう?」
「洋楽がお好きなので?」
「え?! はい! よくお解りで!」
振り向いた彼の顔が、満面の笑みだ。
「ああ、やっぱり」
「篠原さんもお好きなのですか?!」
「あ、いやぁ、そんなには――けど、有名な曲は聞いたことがありますよ」
「どんな曲がお好きですか?!」
「ベンチャーズとかどうでしょう? ウォーク・ドント・ラン、パイプラインからダイアモンド・ヘッド、テケテケテケテケ~」
彼が、ガッチリと俺の両手を掴んだ。
「今度、飲みにいきませんか?!」
「も、申し訳ない。私は、酒がまったく飲めなくて……」
「それは残念……」
本当に残念そうである。
ロックの話はさておき、地下のスタジオにやって来た。
壁は穴の開いた板で覆われており、沢山のツマミが並んだ機械がひしめいている。
正面には、巨大なガラス窓。
その奥には、マイクがセットされている。
佐伯さんがガラスの向こうに行くと、収録が始まった。
部屋の天井――両サイドにある大きなスピーカーから音楽と歌声が聞こえてくる。
試作のテープに入っていたのはピアノだけの曲だったが、曲を構成する楽器も増えて、音楽の厚みも増した。
それに合わせる歌声も若い。
そりゃ、ムサシのオリジナルが始まったのは、昭和48年。
それから遡ること、8年も前にこの曲を歌っているのだ。
そう、この曲と歌声だ――思わず聞き惚れる。
俺はしばし感動を味わっていた。
「いいですねぇ! この曲は!」
1回目の録音が終わって、彼が声を上げた。
「やっぱり、オケになるといいなぁ……」
編曲の先生も、素人のアカペラでよくここまで再現できたものだ――さすがプロ。
「そうですねぇ」
相原さんも感動している。
「これは、雑誌のオマケだけじゃもったいないよ。子どものレコードになんて贅沢な……」
つぶやいたのは、佐伯さんと一緒に来ていたマネージャーの人だ。
「雑誌の付録にシートレコードをつけるなんて、初めてのことらしいので、どうなるか解らないんですよねぇ」
「紙でできた組み立て式のレコードプレーヤーをつけるんだって?」
「はい、原理的には蓄音機と一緒ですし」
「そりゃそうだけど、普通はそんなこと考えないしねぇ」
話を聞いていた相原さんも、うなずいている。
「はは、私は変わり者なので……」
「この篠原さんは凄い人なんですよ」
止めてくれ相原さん。
真に偉大なのは――あとの時代にシートレコードの付録と組み立て式プレーヤーを考えた人だ。
俺はタダのパクリ野郎でしかない。
無事に収録が終わる。
録音し直しなどもなしで、一発で決まった。
さすがプロだ。
「いやぁ、これは普通にプレスしても売れると思うけどなぁ」
佐伯さんの率直な反応だ。
プレスというのはシートレコードじゃなくて、普通のレコードにするということだと思う。
「雑誌に載ったあと、読者の反応次第になります」
相原さんが、スタッフの相手をしている。
「これは受けると思うんだけどなぁ」
佐伯さんは、普通のレコードにしたいようだ。
まぁ、売れるはずだよな。
未来にヒットして、令和まで残っていた曲なんだから。
「この付録が不評でも、私は外注を外されるだけだけど、相原さんを巻き込んでしまったなぁ……」
「そんなの構いませんよ。辞めろと言われれば辞めますし」
「価値を解ってないかもしれない連中が、相原さんをクビにして、ライバル会社なんかに行ったらヤベーことに……」
「それを言ったら、ほとんどの編集者が、篠原さんが凄い人だと理解してませんよ」
俺はインチキ野郎なのだが、そのインチキを使えるのが凄いと言われれば――そうかもしれない。
彼女はそれを見抜いているのだろうか?
スタッフと一緒に1階のホールに戻った。
でき上がった音源は、佐伯さんが所属しているレコード会社を通じて、シートレコードをプレスしている会社に回される。
それができたら、印刷会社に回されて本と同梱されるわけだ。
「相原さん、紙プレーヤーの組み立ては行われているんですか?」
「はい、確認したところ順調ですよ」
組み立ては、内職を斡旋している業者によって末端に送られ、完成したのちに集められる。
最終的には、それも印刷会社に集まるわけだ。
「はぁ~、やっぱり相原さんはスゲーなぁ……」
「すごくないですけど……」
彼女がすごくないなら、他の人間はそれ以下やんけ。
相原さんと話していると佐伯さんがやってきた。
「篠原さん、近くに美味しい食堂があるんですが、昼飯をどうですか?」
「あ~」
「あの――誠に申し訳ございませんが、このあとすぐに仕事の打ち合わせが入っておりまして」
相原さんが、頭を下げた。
そんな予定はなかったと思ったのだが、なにかあるのだろう。
「そうか~、それは残念だなぁ。篠原さんとロック談義をしたかったのに……」
「はは、談義できるほど、詳しくないんですけど……」
「そんなことはないでしょう、ははは」
ビルを出て、佐伯さんと収録スタッフに別れを告げると、近くでタクシーを拾う。
さすが、ここらへんはすぐに営業車を拾える。
利用する人が多いんだろうな。
俺は相原さんと一緒のタクシーに乗った。
「神田、山の神ホテル」
「は~い」
あそこで昼飯か。
「相原さん、なにか火急の打ち合わせですか?」
「……」
彼女が赤くなってモジモジしている。
「公私混同はいけませんな~」
「……意地悪……」
真っ昼間から、タクシーでホテルに乗りつけて食事。
腹が一杯になったら、当然のお楽しみタイム。
いいのかな~?
それに最近、相原さんはすごく積極的だ。
開き直ったせいもあるのかもしれないが、ゴニョゴニョのほうもすごく積極的。
それならと、当然のごとく俺もそれに応えてしまうんだが。
2人で裸になり、ホテルのベッドの上。
あ~あ、いいのかねぇ……と、思いつつ、十分にゴニョゴニョしまくってから、俺は帰路についた。





