7話 ついにチャンスがきた
隣の八重樫君の担当だった相原さんという女性に誘われた。
そんなに好かれていると思わなかったが、仕事の件も含めてだろう。
八重樫君と同じように、絵はいいのだがストーリーがいまいちの漫画家がいるらしい。
昭和にやってきて大変だったが、たまにはこういうこともないとな。
こんなことに巻き込まれてどうなるかと思ったのだが、いいこともあるようだ。
――朝、旅館で目が覚めた。
相原さんとやったあと、彼女が寝てしまったので、俺もそのまま布団に入ってしまったのだ。
かび臭くない布団はいいもんだぜ。
しかも若い女が一緒ときたら、もう言うことなし。
俺の隣では、彼女がすやすやと眠っている。
2人が入った布団はポカポカで、いつものように服を着て寝る必要もない。
それはいいとして、いつまでもこの状況を楽しんでいる場合ではない。
朝なのだ。
彼女にも仕事があるだろうし。
俺は布団から出ると、浴衣を脱いで着替え始めた。
昨日活躍したスマホを、コートのポケットに突っ込む。
部屋にあったストーブは弱くなってまだ燃えていたが、やっぱり寒い。
外からは障子越しに柔らかな光が入ってきている。
夜に仲居さんが来なかったということは、泊まりでもよかったのか。
まぁ、ここは旅館だしな。
漫画家や小説家を缶詰にするにしても、寝泊まりするんだろうし。
着替え終わると、戸がノックされた。
「はいはい!」
「お目覚めでしょうか?」
「はい」
「朝食はどうなさいますか?」
「え~、ちょっと待ってください」
俺は慌てて、幸せそうに寝ている相原さんを起こした。
「う~ん……」
「相原さん、相原さん! 朝ですよ!」
「うん……」
「相原さん、お仕事どうするんですか?」
「……仕事……仕事?!」
仕事と聞いて彼女が飛び起きた。
「起きました?」
「きゃあ!」
彼女が慌てて肌を隠した。
浴衣が着崩れていて、ほとんど素っ裸だったのだ。
パンツは俺が脱がしてしまったし。
そういえば、昔ってあまり巨乳っていなかったよなぁ。
やっぱり栄養状態がよろしくなかったということなんだろうか。
「仲居さんが、朝食をどうするか聞いてますけど、食べてる時間はないですよね」
「すみません、今なん時ですか」
彼女が慌ててメガネを探している。
やっているときにはメガネをさせたままだったが、無意識にはずしてしまったようだ。
部屋の外にいる仲居さんに確認すると朝の7時らしい。
旅館から彼女の会社まで離れているし、俺のアパートにも寄るとなると、時間に余裕がないかもしれない。
車が少ない時代ではあるが、通勤にどのぐらいの時間がかかるのか、俺にはまったく解らない。
それに彼女は女性なので、色々と準備もあるだろう。
彼女が声を上げた。
「あの、食事はいいので、タクシーを呼んでください!」
「かしこまりました」
「す、すみません。熟睡してしまって」
「いいえ、仕事でお疲れだったのでしょうし、ははは」
彼女が慌てて着替え始めたので、それを鑑賞しようとしたら、追い出されてしまった。
着替え終わると、いつも肩から下げているショルダーバッグからブラシを出して、髪をとかす。
その中には色々と女の武器が入っているのに違いない。
仲居さんがやって来て、タクシーが来たと聞かされたので、慌てて1階に降りた。
「どうもお世話になりました」
彼女が仲居さんに封筒を渡している。
「料金は会社持ちじゃないんですか?」
「もちろんそうですけど、あれは心づけです」
余計なことを言わないようにと、チップを渡して口封じか。
まぁ、こういう所は信用第一だから、個人情報を漏らすとは考え難いが、少々のお金でそれが叶うと思えば損ではないだろう。
彼女と一緒に、止まっていた黒塗りのタクシーに乗り込む。
「新井薬師前まで」
彼女のその言葉を聞いて安心した。
途中で放り出されることなく、アパートの近くまで送ってくれることが確定したからだ。
車が動き始めると彼女は化粧をし始めた。
「相原さん――昨日のお話ですが、あんな素晴らしいお礼をされたんじゃ、私も頑張らざるをえません」
「あ、あの……ゴニョゴニョ……」
彼女の声が小さいので、顔を近づける。
「なんでしょうか?」
「あ、あの……あまり恥ずかしいことは……」
彼女は恥ずかしいのか、両手で顔を隠してしまった。
顔が赤いのか、耳まで赤い。
いいねぇ――昭和の擦れてない女。
平成令和じゃ、完全な絶滅危惧種だな。
「いやぁ、相原さんの恥ずかしい姿が、創作活動には必要なんですよ」
「嘘ばっかり……」
あまりいじめると可哀想なので、そこそこで止めておく。
嫌われたら、もったいねぇし。
仲がいいままなら、またできるかもしれん。
それより、到着するまで時間があるので打ち合わせもしておく。
大きな通りは結構な交通量があり、都電も走っているため中々前に進まない。
バイクやリヤカーなども出張ってきてごった返している。
ずっと山手線の外で暮らしていたので都電を見なかったが、環状線の内側の道路は線路だらけ。
昭和が終わる頃には、都電ってわずかしか残っていなかったがなぁ――こんなに路線があったのか。
そのぐらい道路の真ん中を線路が占めている。
おっと、仕事の話をしなくては。
「ネタのジャンルというのは指定はありますかねぇ。時代劇とかは書いたことがないので、ちょっと苦手なんですが……」
まぁ、某火付盗賊改方とか読んだので、あれから引っ張るという手もあるが。
この年代だと、あの小説はまだ発表されてなかったはず。
ネタを1つ2つパクっても、問題はねぇだろう。
「その人もSFが好きらしいので、SFでできれば……」
「わかりました。相原さんの芸術的な姿を見たらいい話が浮かんだので、それをお送りいたしますよ」
「や、やめてください……」
彼女がまた顔を隠している。
平成令和にゃ、こんな女はいないよなぁ。
深窓の令嬢なら、もしかしていたのか?
そんな女が俺と知り合うなんて限りなくゼロに近かっただろうが。
送るネタは、昨日思いついたサイボーグお民さんの話でいいだろう。
歴史を変えるために、主人公を狙う殺人サイボーグが未来から送られてくる話だ。
いや、あれはロボットだったかアンドロイドだったか……まぁ、サイボーグでいいか。
9人のサイボーグが戦う某有名漫画もこの時期だろうから、この単語もそれなりに知名度があったのだろう。
アパート近くの通りに到着した。
タクシーから降りる。
彼女はこのまま会社に出勤するのだろう。
「それでは相原さん、原作ができたら、すぐに郵送いたしますので」
「はい、よろしくお願いいたします」
彼女がニコリと微笑んだ。
メールとは言わないが、FAXもない世界とはマジで不便だ。
バイク便も宅配便もないので、マジで郵便しかない。
いや宅配便はあるのか?
それか直接人が持って行くか。
よく新幹線で取りに行ったとか年配の編集に聞いたことあったしな。
商社は外国との通信でテレックスというのを使っていたが、そんなものは一般には普及してない。
マジで大変な時代だ。
まぁ、逆にいえばのんびりしているわけだが。
昭和初の朝帰りだ。
すぐに着替えないと。
階段を上がって自分の部屋に入ろうとすると、音で気がついたのか八重樫君が顔を出した。
「おはようございます」
「おはよう」
「珍しく留守でしたね」
「近所で偶然に昔の知り合いに会ってな」
まぁ、酒飲みなら朝帰りもあるだろうが、俺は飲まないしな。
彼は不思議に思っているのだろう。
「そういうこともあるんですね」
「ははは、まぁな」
――といつつ、地方の電車の中で小学校の同級生に偶然あったこともあるし、ないともいえん。
まさか本当のことを言えるはずもないし。
すぐにいつもの作業着に着替えて、顔を洗う。
スマホの画像や動画が上手く撮れているかは、帰ってきてからのお楽しみだ。
それに色々と用事ができたので忙しい。
――そしていつもと同じ作業をして、工場の昼休み。
俺はこれまたいつもと同じようにアンパンをかじりながら、買い物に出かけた。
普通の店は夕方になると閉まっている所が多いのだ。
帰ってからだと間に合わないこともあるので、昼休みの間に買い物をしなくちゃならねぇ。
文房具屋を探して400文字詰めの原稿用紙を買う。
まさか仕事するのに、ノートの切れ端に書くわけにもいかんだろう。
それにしても、この歳でまた原稿用紙を使うなんて思わなかったぜ。
原稿用紙に書くなんて、中学校の読書感想文以来か?
用紙は50枚で30円。
ゴム消しも買う。
消しゴムじゃなくて、ゴム消しな。
元の時代に売っていたプラスチック消しゴムじゃなくて、マジでゴムの消しゴム。
これがまた全然消えないのだが、これしかないのだから仕方ない。
1個5円。
ついでにセルロイドの下敷きも買う。
昔は普通に売っていたものだが、こいつがまた危険だ。
ゴニョゴニョすると簡単にニトロセルロースという火薬になる。
放置しても、条件次第で燃えたりしてかなりヤベー代物。
どこぞの工場で、ドラム缶に入れていたニトロセルロースで大火事になり、消防士が20人ぐらい殉職したことがあった。
アニメのセルも本物のセルロイドだったので、なん回も火災事故を起こし、有名な作品もセルごと燃えてしまって存在しないものもある。
次は古本屋で辞書だ。
PCもワープロもないし、解らん言葉や漢字があったら辞書で調べないとあかん。
めんどうくせぇ。
最後は八百屋に行って、木箱を譲ってもらう。
昔はダンボールが普及する前は木箱だった。
りんごなどは地方から木箱で送られてくる。
野菜なんかも地産地消が基本で、東京近郊も農家がたくさんあった。
毎朝、カゴに山のように野菜をいれたお婆さんたちが、列車に乗ってやってくるのだ。
それ専用の列車もあったぐらい。
昭和の終わりごろにも、結構残っていた。
そんな地方からはるばるやって来た、この木箱を机代わりにするわけだ。
俺は苦学生か! 立て万国の労働者!
などとアホなことを言っている場合ではない。
買ってきたものを工場の隅っこに置かせてもらう。
見てないとすぐになくなるからな。
モラルもクソもあったもんじゃねぇ。
まぁ、原稿用紙とか取るやつはいねぇと思うが。
仕事が終わったので、木箱に全部入れて持って帰る。
「篠原さん、それどうするんですか?」
八重樫君が不思議そうに見ている。
「お膳がわりにするんだよ。畳で食うのもつらくなってきたし」
「もうちょっとちゃんとしたの買ったほうがいいと思いますけど……」
「それは儲けてからな。それにどうせ引っ越すのに荷物を増やしても仕方ないだろう」
「儲けるあてはあるんですか?」
「まぁ、任せろ。ははは」
飯を食ったら、原稿用紙に原作を書き始めた。
文字を書くには裸電球では少々つらいが、昔の人はこれで勉強をしてたんだから、なせばなる。
それにしても、鉛筆で文字を書くなんて久々でまったく指が動かない。
字が下手くそで、まるで小学生だ。
まぁ、これからは手書きするしかないのだから、リハビリだと思わないと。
それは仕方ないとして、こいつを真っ先に相原さんに見られるのは少々恥ずかしい。
漢字もすっかり忘れているので、辞書を引く。
読めるのだが書けない。
脳みそがすっかりとPC回路になっているので、手書き回路が切れてしまっているのだ。
新しい習熟プログラムをインストールしないとダメだ。
プログラムインストールのためには、書く書く、ひたすら書くしかない。
ネタは決まっているので、原稿用紙10枚ほどに漫画の原作の起承転結を書いた。
4000文字なんて一晩で書けるし、まして知っているネタで悩む必要もない。
漫画の原作ってのはどのぐらい書けばいいのかまったく解らないので、とりあえずこれでいってみる。
有名な大先生の原作は1回で数行だったみたいな話も聞いたことがあるし。
もうちょっと詳しく書いてほしいとなると書き足せばいいだろう。
言われたらそうするしかないが、そうなると小説と変わらん気がするが……。
八重樫君の誘いも断って、今日は仕事をした。
どうも目の前に仕事があると片付けないと落ちつかない。
書き終わったら、明日の昼休みに郵便局から発送しなくては。
まったくFAXもメールもないってのは、すげー不便だな。
「ふう……」
久々に手書きの仕事なんてしたので疲れた。
カバンの中にしまってあったスマホの電源を入れて、Hなデータを見る。
こいつはお宝だが、スマホが死んだら永久に見れんなぁ。
このままいっても、SDカードの規格ができるまで俺は生きてないだろ?
あ~あ、もったいねぇけど、しかたねぇな……。
------◇◇◇------
――季節は3月に突入した。
気温は上昇してかなり暖かくなり、もう暖房は必要ないぐらいほど。
今月末には桜も咲くだろう。
八重樫君の2作めの原稿も末には終わり、4月末発売の雑誌には載ると思われる。
俺が原作をやった、他の漫画も今月末の雑誌には載ると相原さんから言われた。
俺の隣に住んでいる少年からは金は取ってないが、相原さん経由で受けている仕事は金を取っている。
正式には作画7割、原作3割とかいう決まりがあるらしいのだが、俺は一律1本1万円ということにしてもらった。
きっちりといただく。
間違って大ヒットして単行本などが出た場合はそのときに再契約するということになった。
まぁ、ありえんとは思うけど。
工場の給料と別に原作の仕事もしつつ、収入も増えつつある。
勝負の準備は整いつつあるのだが、日曜の競馬新聞を見ても知っている馬が出てこない。
そう思っていたのだが――ついに来た!
俺でも知っている名馬の登場だ。
その名はシンシンザン。
戦後初めての三冠馬――つまり、皐月賞、ダービー、菊花賞を勝った馬である。
この馬は全レース1着と2着しかない馬で、古馬になっても天皇賞や有馬記念を勝った。
まだ関東のレースには出ていないのだが、ダービー馬候補として名前が新聞に出ている。
府中にやってくるのは、今月末3月29日のスプリングSだ。
新馬戦からずっと関西のレースを走っていたから、情報がなかった。
解っていても関西のレースは関東じゃ買えねぇし。
「よし!」
俺は競馬新聞を見ながら拳を握りしめた。
もう勝つのが解っているので負けるはずがない。
関西のレースも買えるなら、新馬戦からずっと買えば儲けられたのに。
この時代は関東のレースしか買えないのが悔やまれる。
シンシンザンは新馬戦から無敗で皐月賞まで制したからな。
スプリングSのあとは、皐月賞とダービーを買えば、倍々ゲームで金が増えるって寸法よ。
ただし、買うのは勝つのが解っているデカいレースだけだ。
前哨戦や普通のオープン競走などは、どういう戦績だったか覚えてねぇし。
1着と2着しかなかったはずなので、複勝を買えば外れることはないが、人気馬の複勝なんて1.1倍とか元返しすらある。
そんなの買っていられない。
やっと巡ってきたチャンスだが、あまり大量に賭けてオッズが史実と変わったりしたら、レースそのものが変わったりしないだろうか?
ここは慎重になる必要がある。
常に全ツッパして、外れたらそこで終了だ。
俺の頭の中に疑問がかすめるが、どうだろう?
歴史に名を残す三冠馬が、この世からいなくなったりするだろうか?
悩むところだが、実際に歴史に存在しなかった俺というファクターで歴史が変わりつつあるんだよなぁ。
すでに、かつて存在しなかった、八重樫はじめという漫画家も生み出してしまっているし……。
俺の不安と期待をよそに、気温は上昇を続けて東京にも桜前線が到来した。
近くの桜の木も花をつけ始めて、気の早い連中が酒盛りをしている。
こういうやつらは、かこつけて酒を飲みたいだけだからな。
さけが飲めりゃなんでもいいわけだ。
窓から桜を眺めていると、家々の屋根にTVのアンテナが立っている。
うちの周りは静かだが、それなりにTVを持っている家庭があるらしい。
さて、今度の日曜日はいよいよ東京競馬場で勝負だ。
この一発で、俺の今後が決まる。
いつまでもこんな所にいられるかっての。
――そんなある日の夜。
俺の所に、相原さんがやって来た。
「いらっしゃいませ~。まさか、こんなオッサンの部屋に美女を迎えることになるとは、まさに神のみぞ知るってやつですよ」
「そんな大げさな。これをお渡ししておきます」
彼女が手提げ袋の中から、献本を出してくれた。
「おお、コレに載っているわけですな」
「はい」
俺が原作をした漫画のことだ。
一応、原作者としてペンネームで載っているのだが、俺の正体は彼女しか知らない。
それに彼女経由でしか仕事を受けるつもりはないし。
たとえば、彼女が小中学館を辞めたら、他の編集からの仕事は断る。
まぁ、八重樫君の原作はもちろんやるが。
その彼も、経験値を積めば自分でストーリーを作り出すかもしれないしな。
俺も漫画家の原作者としてこだわるつもりはまったくない。
金儲けの方法ならいくらでもあるからだ。
いくらでもあるってわりには、苦労しているけどな。
とりあえず、手持ちの勝負資金がないと、どうしようもないのだ。
それはいいとして漫画を見てみる。
実は原作は渡したが、できあがった漫画を見るのは初めてなのだ。
そこらへんは面倒なので、好き勝手にしていいと言ってあったし。
別に人のネタをパクって書いているので、作品に愛着があるわけでもなし。
「おお、絵も上手いですねぇ。最後にサイボーグに追い詰められる場面なんてすごい緊迫感が出ている」
「そうなんですよ。傑作だと思います」
「原作をつけても、それを表現として絵にできないと、この先も難しいですからねぇ」
「はい」
「さすが、相原さんが目をかけている方だけある」
「篠原さんのおかげです」
「私はねぇ――ほら、相原さんの素敵なお礼目的で書いているだけのオッサンだから」
「……」
彼女が顔を赤くしている。
いいねぇ。
「あの、これもお持ちしました」
彼女が俺に封筒を手渡した。
ちょっと中身を見てみると――聖徳太子。
「原稿料、今いただけるんですか?」
「はい、多分お金が入り用かと……」
彼女が、俺の使っている木箱のテーブルを見ている。
「ありがとうございます。今年中にはここを脱出したいと思っているんですけどねぇ」
「大丈夫なのですか?」
「まぁ、大丈夫ですよ。女神様から勝利のツキをかなりいただいてますし」
「もう!」
冴えないオッサンの俺が、才女の彼女をどうこうするつもりはねぇ。
たまに相手をしてもらえれば万々歳だ。
俺のほうの用事は済んだので、2人で八重樫君の所に行った。
「いらっしゃいませ。相原さん、篠原さんの所に行ったんですか?」
「はい、仕事のお話で……」
「仕事ですか?」
「これだよ」
彼女が持ってきてくれた、献本を見せてあげた。
「この本が?」
「相原さんの紹介で、この漫画の原作をちょっと手伝ったんだ」
「ええ~? いつの間に……」
彼女がニコニコしている。
「おっと、ヤキモチ焼いたりするんじゃ~ないぞ? 八重樫君の手伝いはタダでやってるが、この子からは金をしっかりもらっているからな」
「そうなんですか?」
「はい」
「まぁ、君にはここで色々と世話になっているから、出血大サービスよ」
そうは言っても彼はあまりいい顔をしていない。
自分の他にもネタを渡したのをよく思っていないのだろう。
俺の仕事でやったんだし、そこら辺は理解してもらうしかないな。
彼が作業している原稿の進捗状況を確認した相原さんが帰ったので、お土産でもってきてくれたケーキを食べることにした。
彼は、ケーキを食べながら俺が原作を提供した漫画を読んでいる。
「もう、この漫画面白いじゃないですか。こんな話、僕が描きたかったですよ」
「心配するなって。面白い話はまだあるから」
「本当ですか?」
「ああ」
まだ若いねぇ。
でも、向上心があるから嫉妬はするんだろう。
いずれは原作なしでも、傑作を描けるようにならないとな。
------◇◇◇------
――そして3月末の日曜日、昭和39年3月29日。
今後の勝敗を分ける、運命の日がやってきた。
俺は朝から気合を入れて準備を行う。
懐には、今まで爪に火をともして貯めた、たくさんの伊藤博文と聖徳太子、岩倉具視と板垣退助が3万円分。
小銭は隠すのに邪魔なので、その都度札に両替していた。
こうしてみると、札の種類が沢山あるな。
漫画の原作の稿料1万円。
八重樫君から借りた3万円。
合計7万円を懐に入れて、府中へ出発した。
狙うは未来の三冠馬シンシンザン!
いざ、決戦のときである。
皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ!