68話 小中学館
作曲家という音楽のプロの前で、俺の下手な歌を披露するという罰ゲームのあと――。
俺は相原さんと一緒に、以前に泊まったことがある旅館を訪れた。
昼飯を注文しようとしたら――「なんでも作れる」ということだったので、俺がレシピを書いてツナマヨのおにぎりを作ってもらった。
旅館の板前が作ったのは、おそらく――生の刺し身を焼いてほぐしてマヨで和えたもの。
恐ろしく贅沢なツナマヨだ。
もしかして、この時代にもツナ缶があるのかもしれないが、近所では見たことがない。
俺が子どもの頃にはツナ缶はあったのだが……。
一般的になるのは、もう少しあとなのだろうか?
相原さんにタクシーで送ってもらい、俺は私鉄の駅前で降りた。
「篠原さん、ここでよろしいのですか?」
「はい、ちょっと駅前で買い物をしたいので……」
「それでは、作曲家の先生から曲が送られてきましたら、ご連絡いたしますので」
「それは編集部で聞くことになるんですかね?」
「はい」
彼女と別れて、黒塗りのタクシーを見送った。
駅前で降りてなにを買うかといえば、マグロかカツオのサクが欲しい。
この時代でも、ツナマヨおにぎりの美味さに感激した俺は、コノミにも食べさせてあげたいと思ったわけだ。
魚屋でもマグロのサクを買おうと思ったのだが――缶詰を見つけた。
マグロの缶詰だが、「鮪缶」って書いてあったので、今まで気が付かなかった。
俺の頭の中には、○ーチキンというイメージがあるからだ。
もしかして、旅館のツナマヨも鮪缶を使ったのだろうか?
鮪缶を発見したので、たくさん買う。
多分、八重樫君や矢沢さんも食べるだろうし、大家さんもいる。
マヨネーズは、冷蔵庫の中に入っているから大丈夫だ。
「たくさん使いそうだから、海苔も買うか……」
乾物屋で海苔を買い、次は米屋に行く。
いつも行っている米屋だ。
「はい、毎度~」
「コシヒカリってある?」
「ありますよ~」
やっぱりあるんだ。
藍色の前掛けをしている彼が、奥から10kgの紙袋を出してきた――値段は2000円らしい。
普通の米が、今は10kgで1300円ぐらいだから、倍はする計算だ。
高い米なので、店先に並んでなかったのか。
それは解ったが、この時代の米はやっぱり高いな。
コシヒカリがあると解っても、金がないときにはどのみち買えなかった。
それにしても、昭和にやってきたときに1000円だった米が、もう1300円になってる。
30%もインフレが進んだってことだ。
「配達しますか?」
「いいや、頭に乗せて持っていくよ」
俺は米を頭の上に乗せた。
手には紙袋に入った鮪缶と海苔を持っている。
なんとも危ない恰好だ。
今にして思うと、コンビニ袋ってのは実に画期的な発明だったな。
頭の上に米を乗せたまま、俺はアパートに帰ってきた。
とりあえず、炊事場に米を置く。
さて、米はどのぐらい炊くべきか……。
八重樫君の所で尋ねると、アシの男性が来ていた。
彼の話では、矢沢さんの所にもアシの女性が来ているらしい。
「それじゃ――大家さんを入れて全部で8人か」
1人おにぎりが2個として、全部で16個だ。
1合でおにぎり2個作れるから、全部で8合炊けばいいか。
「ショウイチ」
炊事場にヒカルコがやって来た。
「ヒカルコ、おにぎりを作りたいから、飯を8合炊いてくれ」
「たくさん炊く!」
「皆にも食わせてやりたいからな」
「わかった」
8合ってことはキログラムにすれば、1kg以上だ。
今日買ってきた米の1/10を使うことになる。
「ほら、いい米も買ってきたぞ」
「コシヒカリ?! やった!」
「コシヒカリは知ってるんだ」
「うん」
ヒカルコが米を研ぎ始めた。
ガス炊飯器は5合炊きなので、デカい鍋で炊くことにした。
やることは一緒だ。
強火でグラグラと煮て、水がなくなったら弱火にして蒸らす。
これで飯が炊ける。
飯はヒカルコに任せて俺は、ツナマヨを作り始めた。
缶詰の中身をボウルに開けて、マヨネーズを入れる。
「え?! 鮪の缶詰にマヨネーズ?」
「まぁな。できてからのお楽しみってやつだ」
ゴマと大葉もあったので、少々刻んで投入。
少々味見――うん、この味だ。
「あらぁ、今日は篠原さんも作ってるのぉ?」
後ろのドアが開いて、大家さんがやって来た。
「俺が考えた変わったおにぎりを作りますから、大家さんも食べてくださいね」
俺が考えたってのは嘘だが。
「それは楽しみねぇ。篠原さんのお料理は、変わってて美味しいからぁ」
どうやら、大家さんもおにぎり作りを手伝ってくれるようだ。
16個もあるから、そりゃ人数が多いほうがいい。
おにぎりだけではなく、汁物もあったほうがいいということで、大家さんが豚汁を作るようだ。
彼女の豚汁は美味いからなぁ。
豚汁とおにぎりかぁ、まさに日本の味。
おにぎりの中身はツナマヨだけどな。
でも、作られてからずっとコンビニで愛され続けているツナマヨは、国民食になっていると言えないだろうか。
「あちち! あち!」
炊きたてのご飯でおにぎりを作るという無謀。
ベテランの大家さんは平気そうだ。
熱いので、形にしたらすぐに海苔を巻く。
「具はこれなの?」
大家さんが、ツナマヨをじ~っと見ている。
当然、初めて見るものだろう。
「そうなんですよ」
「変わってるのねぇ……」
ワイワイと、手作りで16個の黒くて丸いおにぎりが完成した。
いや、丸いのは俺とヒカルコのやつだけか。
大家さんが握ってくれたものは三角形だ。
さすが、熟練主婦の手並みを感じる。
「おら~、八重樫君と五十嵐君、おにぎりと豚汁を食え~」
「ありがとうございます!」「あざーす!」
矢沢さんの所には、大家さんが持っていった。
「さて、俺たちも食うか」
「うん」
「大家さんも一緒にどうですか?」
「あらぁ、いいのかしらぁ」
大家さんと話していると、八重樫君が飛び出してきた。
「篠原さん!」
「うわ! なんだなんだ!」
「これ! めちゃくちゃ美味いですね!」
「魚の缶詰を、マヨネーズで和えたものだよ」
「へぇ~! そんなものでも、おにぎりの具になるんですねぇ! それに、この米ってコシヒカリじゃないですか?!」
「お! さすが金持ちの息子」
おそらく、彼の実家では高い米を買っていたに違いない。
「ええ?! 篠原さん、そんな高いお米を買ったの?」
「はい、美味しいほうがいいと思いまして」
「まぁ、それは解るんだけどね~」
今度は、矢沢さんが飛び出してきた。
「篠原さん! これって、すごく美味しいんですけどぉ! なんですか?!」
八重樫君にしたのと同じ説明をしてあげる。
「皆の口に合ってよかったよ」
この昭和の時代でも、ツナマヨは受けると証明されたわけだな。
ヒカルコ、大家さんと一緒に部屋に戻って食事にした。
「ハグハグ……」
コノミが大きな口を開けて、おにぎりにかぶりついている。
「美味いか?」
「うん!」
「よかったわねぇ。でも、このおにぎりなら誰が食べても美味しいって言うわよ」
「うん、私もそう思う」
ヒカルコも美味しそうに食べている。
ただまぁ、ツナマヨが好きじゃないって人もいるのは確かだ。
「もしかしたら、このおにぎりも日本中に広がるかもなぁ」
まぁ、未来ではそうなっていた。
確実に広がるのは間違いないのだが、ツナマヨで特許は取れないだろうな。
ウニ軍艦を作った人が、特許を取った話を聞いたことがないしなぁ。
------◇◇◇------
――相原さんと作曲家の家に行ってから1週間ほどがたった。
「コケコッコー!」
朝早くから、コケコッコーで起こされた。
鶏の鳴き声だ。
多分、近所で子どもが買ったひよこがデカくなったのだろう。
昨日まで聞こえていなかったはず。
これはやっちまったなぁ~。
「ほら、ヒカルコ! ひよこなんて買うと、こうなるんだよ。多分、あそこで売ってたひよこの成れの果てだぞ?」
「……」
どうも彼女は、自分の若さ故の過ちを認めたくないようである。
一緒にコノミも起きてしまい目をこすっているので、これでひよこが欲しいとは言わなくなるかもしれない。
「多分、あちこちから苦情が入って、すぐに鍋にされちゃうぞ」
「……」
ヒカルコは黙っているが、玄関の戸を開けると新聞がきていたので、読むことにした。
「コケコッコー!」
「「……!」」
なんか外から怒鳴り合っている声が聞こえる。
あ~もう、朝っぱらから。
それでなくても昭和の連中は血の気が多いのに。
布団の上に新聞を広げると、シンガポールが独立したと書かれている。
シンガポールって、マレーシアから昭和40年に独立したんだな。
知らなかったよ。
こうやって新聞を見ていると、歴史の勉強になるなぁ。
今まさに歴史を目撃しているわけだし。
朝が早くて少々眠たいのだが、電報がやって来た。
相原さんからだ。
午後に迎えにくると書いてある。
別に迎えに来なくても、こっちから行くのに……。
音楽のサンプルができたのだろうか?
それは結構楽しみだ。
シートレコードができあがったら、レコードプレーヤーも買わないとな。
八重樫先生にも確認をしてくれと書いてあるので、一緒に行くということだな。
それはいいのだが――今の時期、先生は忙しそうだからなぁ。
一応、確認してみる。
「お~い、先生。起きてるかい」
「はい」
ランニングにパンツ姿の八重樫君が顔を出した。
アシスタントの五十嵐君もいる。
ここに泊まったようだ――大変だなぁ。
「相原さんから電報が来て、迎えにくるみたいなんだが――多分、ムサシの主題歌の件だと思う」
「僕も行くんですか?」
「相原さんが確認してくれというから」
「僕も聴きたいところなんですが、今はちょっと手が離せないところでして……」
俺も創作をするオッサンだから解る。
中途半端なところで止めると、効率が極端に落ちるのだ。
創作ってのはノリでやるものだからな。
「だよなぁ……それじゃ、できあがってからのお楽しみにするか?」
「はい、そうしてください」
「まぁ、曲は俺が歌っていたあの曲だぞ?」
「楽しみですよ! あれに音楽がつくんですよね?」
「そうだよ。オーケストラでジャジャジャジャ~ン! って感じで」
「やったぁ!」
彼がニコニコしているのだが、マジで忙しそうだ。
五十嵐君は死にそうな顔をしているし。
暑いしなぁ……。
八重樫先生が不参加ならば仕方ない。
俺が1人で楽しんでくるか。
スマホの録音機能を使えば簡単だが、見せられるわけがねぇし。
携帯プレーヤーがないというのは、結構不便なんだなぁ。
自分の部屋に戻る。
「午後ってことは、昼までは秘密基地にいてもいいっちゅ~ことだな」
ここにいると、コノミの友だちが来るかもしれんし。
外に出ると、今日も暑い。
夏真っ盛りって感じだ。
ジリジリとデコに日を集めながら、秘密基地にやってきた。
隣の白い家を見てみるが静かだ。
最近、隣の奥さんの顔も見てないような気がする。
庭の草も伸びて来たような……。
ここの旦那さん、貿易会社をやっていると聞いたような気がするから、それについて行ってるのかな?
秘密基地に入ると、溜まっているフィルムの現像などをした。
茶色の蛇のようなフィルムを紐に引っ掛けて乾燥させるのだが、暑いと現像作業が厳しい。
あっという間に薬品の反応が進んでしまうのだ。
涼しくなるまで、写真屋に任せるべきだろうか。
「さて、そろそろ昼飯の時間か?」
アパートに戻ると、ヒカルコが素麺を作って待っていた。
麺をたぐりながら、コノミと話をする。
「コノミ、お友だち来てたか?」
「うん!」
朝の涼しい時間帯に、彼女は宿題などもやっているので問題はないだろう。
飯を食い終わったので、出かける準備をしながら相原さんの到着を待つ。
「ショウイチ、今日はどこに行くの?」
「本を作っている会社に行ってくる」
「本がたくさんあるの?」
「そりゃあるだろうなぁ」
「いいなぁ」
「コノミ、本が沢山あるなら、図書館がいいぞ」
「としょかん?!」
そうか、彼女は図書館を知らないのか。
「ヒカルコ、午後からコノミを連れて図書館に行ってみたらどうだ?」
「うん」
俺や八重樫君がなん回か利用しているし、彼女も小説の資料を探しに使ったりしている。
この時代、情報源といえば図書館ぐらいしかなかった。
令和のネットでググる行為の代わりだな。
ヒカルコと話していると、外に車が止まった。
戸を開けて下を覗く。
止まっていたのは黒いタクシー――迎えがきたらしい。
「それじゃヒカルコ、コノミ、行ってくるから」
「……」「いってらっしゃ~い!」
コノミはいつものとおりだが、ヒカルコは少々むくれている。
最近、相原さんと出かけることが多いからだろうか?
そんなことを言われても、これも仕事だしなぁ。
階段を降りると下に、相原さんがいた。
「こんにちは」
「篠原さん!」
「別に迎えにきてくださらなくても、神田まで電車で行きますのに」
「いいえ、そういうわけには――あの、八重樫先生は?」
「確認しましたが、今ちょうど忙しいらしくて……」
そのとき、階段の上から声がした。
「相原さん、申し訳ないです。今、ちょっと忙しくて……」
階段の上にいたのは、Tシャツにズボンを穿いた八重樫君だ。
「原稿があるならやむを得ません」
「漫画家は原稿第一ですからねぇ」
「はい」
先生が忙しいなら、仕方ない。
彼も主題歌のできが気になるだろうが。
俺と相原さんは、八重樫君に挨拶をしてタクシーに乗り込んだ。
今日も暑いが、タクシーの中は涼しい。
「あ、クーラーが入っている」
「この営業車には装備されてますよ」
俺たちの前でハンドルを握っている運転手が答えてくれた。
「それじゃ、一般に売っているク○ウンにもクーラーはついているのか」
「暑いのに窓を開けてないのは、そうでしょうね~」
――とはいえ、一般の家庭にクーラーが普及するのはまだまだあとの話か。
相原さんと、主題歌の話をする。
「八重樫先生も聞きたがっていましたよ」
「もっと手軽に聴ければいいのですが……」
この時代のオープンリールのデッキなんて、マニアじゃないと持ってないし。
俺はいいことを思いついた。
「電話の近くで、テープを再生して電話で聴いてもらうというのは」
「ああ、それでも聴いていただくことはできますね! 先生に話してみます」
話しながらも車は進む。
は~涼しい。ずっとここにいたいぜ~。
車なら、相原さんが勤めている小中学館に行くのは簡単。
早稲田通りをずっと走れば靖国通りにぶつかる。
そこまで行けば目的地周辺だ。
タクシーが止まったので降りると、目の前にはレンガ作りの大きな建物があるのだが、様子がおかしい。
「ここって――もしかして、解体してます?」
「はい、ここに9階建ての大型ビルが建つみたいですよ」
「はぁ~」
そういえば、俺が知っている小中学館のビルってのは黒塗りのデカいビルだ。
あれは、ちょうどこの時代に建てられたものだったのか。
建て替えで取り壊されるときには、漫画家の先生たちが集まって建物に寄せ書きをしたりして、ニュースになってたな。
「富士山先生の、オバ9って知ってますか?」
「あの8月末から、TV漫画になるという……」
「そうです! それですごく儲かったらしくて、あはは」
これが昭和か。
一発当てれば、ビルが建つ。
それを目当てに毎回フルスイングして、三振バッターアウトで退場したやつも沢山いるんだろうなぁ。
まさに山師の時代。
「それじゃ、ムサシも大ヒットすれば、日本出版界を牛耳れるぐらいのもっと巨大なビルに」
「なるかもしれませんねぇ」
相原さんが笑っている。
各編集部はバラバラになり、周りのビルに引っ越して編集作業を進めているらしい。
大変だわ。
彼女に案内されて、コンクリ造りの中規模なビルに入った。
薄暗くてエレベーターもなく、むき出しのコンクリートの階段を上り、3階の扉を開く。
重い鉄製の扉が不気味な音を立てて開いた。
「篠原さんをご案内いたしました~」
中は蛍光灯が灯っており、それなりに明るい。
沢山の机が並び、山積みの原稿らしきものが延々と続く。
当然、電子機器の類は一切ない。
全部アナログで、切った貼ったして雑誌を作っているわけだ。
ざっと見回して30人ほどの人がいるように見える。
編集だけではなく、漫画家もいるみたいだ。
打ち合わせとか、カット描きとかの仕事であろうか。
チラ見したが、先生の所に原稿を取りにきている高坂さんの顔も見える。
相原さんの声に、編集部の全員の目がこちらに向かってくる。
大注目されてるらしいな。
まぁ、ムサシの原作をやっているといっても、表にはまったく出ていないし、表記もされていない。
注目をされているというか、好奇の視線ってやつかも。
まるで、幽霊か珍獣を見ているかのようだ。
皆の視線が集まる中、編集長に紹介された。
ワイシャツを着た、ちょっとごつくて角刈りの編集長である。
まぁこういった所をまとめるためには、ちょっと強面のほうがいいのだろうが。
昔の編集ってのは、それっぽい恰好をしている人が多かったような気がするし。
「はじめまして、ここの編集長をしております、大山と申します」
「はじめまして、篠原です。よろしくお願いいたします」
彼に俺の名刺を渡した。
「小説をお書きになるのは相原から聞いて知っておりましたが、発明家?!」
「そちらが本業なんですよ」
俺はカバンから、爪切りのサンプルを取り出した。
「それも相原から聞きました。爪が飛び散らない爪切りを作ったと……」
「水道橋の駅前でも売ってたりしますよね」
「俺も買ったぞ」
編集の若い男が手を上げた。
「ありがとうございます」
「う~む――実は俺も買ってしまったが……」
「まぁ、発明家なので紙でできたレコードプレーヤーを考えついたわけでして」
「あれは、すごいと思ったよ! 子どもの工作みたいなもので、しっかりと音が出るなんて」
「ウチの子どもも面白がっていたので、子どもには受けると思いますよ」
「俺もそう思う……」
そこに中年の男―― 一見して狐のような男がやってきた。
少々柄の入ったシャツに黒いズボンを穿いている。
「それにしても、本当にいたんですなぁ――篠原さん」
彼が俺の顔を見て、訝しげな顔をしている。
「そりゃいますよ。今だって高坂さんが、私と八重樫先生の所に来てますでしょ? 彼女から私の話を聞いているはずですが……」
「そりゃそうなんだけどさ」
「もしかして、全部相原さんの狂言だと思っていたとか?」
「……そ、そこまでは言わないけどね。まったく他の仕事は受けてくれないし」
俺は、相原さん経由じゃないと仕事は受けないと言ってあるからな。
「さっき言ったとおり――発明家が本業でして、小説家とか原作の仕事は趣味なんですよ」
「ウチとしては、あんなすごい話を書けるなら、他の仕事もやっていただきたいんですがねぇ……」
編集長が腕を組んで唸っている。
俺としては、そんな面倒は困る。
とりあえず、金ができたら面白おかしく暮らすに決まっているだろう。
FIREってやつよ、FIRE~!
この時代にそんな言葉はないけどさ。
「すごいことはすごいんですが、他の漫画家から色々と言われてしまって、困っているんですよねぇ」
やたらと、この狐が絡んでくるな。
相原さんに色々とハラスメントしていたのは、こいつなのか?
「なぜ、漫画家さんが困るんです?」
「そりゃお宅が、あんな話を書くからに決まってるでしょ?」
「野島さん!」
相原さんが割って入った。
どうやら野島という名前らしい。
「ああ、解りました」
「え? なにがですか?」
相原さんが不思議そうな顔をしている。
「今まで、テキトーに銀色のスーツを着て円盤に乗って宇宙を飛び回っていれば、SF漫画って名乗れたわけでしょ?」
「ええ、まぁ……」
「そこに、私と八重樫先生が、ワープやらタキオン粒子やらの話を描き始めてしまったもんで、いままであったSF漫画は10年ぐらい時代遅れになったってわけで」
「そ、そうなんだよねぇ……読者からも古いって言われ始めて、漫画家たちが困っているんだよねぇ」
「困ると言われても――10年進んでしまった漫画が今、読者たちに受けているわけですよね? 編集長?」
「ああ、飛ぶ鳥を落とす勢いだ」
「それを今更、路線変更なんてできませんでしょ?」
「無論だ」
「それなら、他の漫画家さんも頑張って10年進歩していただかないと」
俺も偉そうなことを言っているが、未来で流行ったネタを持ち込んだだけのインチキだけどな。
「う、ぐっ……そ、それはそうやけど……」
イントネーションから、どうやら関西系の人らしい。
「突然、世の中が進歩することを、パラダイムシフトって言いますが、今回はそれが漫画界で起きたってだけですよ」
「う~む……」
編集長が、難しい顔をして唸っている。
「あ、あの! 篠原さんは、テープを聴きに来ただけなんですけど……」
「あ、そうそう。あの狐さんが絡んできたんで、横道に逸れましたね」
「誰が狐や!」
周りからクスクスと笑い声が聞こえる。
「申し訳ございません。ご機嫌が斜めなのは、お稲荷さんをお供えに持ってこなかったからでしょうか?」
「そんなんいらんわ、ボケぇ!」
「お! さすが本場のツッコミですねぇ」
「ボケられたら、ツッコミせなしゃーないやろがい!」
「「あはは」」「だめぇ……」
あちこちで編集たちが笑い転げている。
「プッ……」
相原さんまで、口を押さえて笑っている。
こう見ると、女性の編集もそれなりにいるようだ。
そんなことより、テープだよテープ。
どういう音楽ができたのか、気になるじゃないか。





