66話 計画が進む
8月の頭、町内の盆踊りだ。
オッサンの1人暮らしなら、盆踊りなんてのはまったく関係ない話だが――子どもがいるんじゃ、そうもいかねぇ。
コノミに色々と思い出を作ってやらんと、彼女を捨てた母親と同じになっちまう。
アパートの住民全員で盆踊り会場になっている学校のグラウンドに向かう。
踊っていたのは、コノミと大家さんだけだったが、まぁこういうのは気分的なものも大きい。
なんか夏って感じがするだろう?
田舎だと夏祭りみたいな行事もあるのだが、ここらへんではどうだろうか?
前に暮らしていたアパートでも祭りの話は聞かなかったしなぁ。
浅草のほうなら、神輿が出たりするけどなぁ。
もしかしたら盆踊りイコール祭りなのかも。
――盆踊りに行った次の日。
戸棚の所にお椀に入ったビニル袋が置いてある。
その中には、オレンジ色の金魚が二匹。
飯を食い終わると、コノミが金魚を見つめている。
あまり見たことがないので、興味があるらしい。
「金魚って図鑑に載ってなかった……」
彼女に生きもの図鑑を買ってあげたので、いつもそれを見ている。
「そいつは元々、川や池にいるフナだよ」
「フナ?!」
彼女が図鑑を出してフナを探している。
「コノミ、そういうときには図鑑の後ろに載っている索引を使うんだよ」
「さくいん?」
「後ろを捲って、は行を探すんだ」
「は――はひふ……ふ、フナ! あった!」
「ページの数字が書いてあるから、そこを捲ればいい」
「わかった!」
彼女が載っていた数字のページを開く。
「フナ! でも、色が違う!」
「でも、同じ魚なんだよ」
「なんで?!」
「フナの中に色が違うのを見つけて、珍しいからそれを育てて、たくさん増やしたんだ」
「へぇ~そうなんだ!」
彼女が図鑑を持って、俺の膝の上に乗っている。
「10時頃になったら、金魚鉢を買ってこないとな」
「きんぎょばちってなに?」
「金魚を入れる水槽――容れ物な」
「ふ~ん」
「ヒカルコ、金魚鉢の金は自分で出せよ?」
「……」
黙っているのだが、出すつもりがあるのだろうか。
「はぁ」
ため息をついていると、戸がノックされた。
「篠原さん~」
「は~い」
大家さんだ。
コノミを膝の上から降ろして戸を開ける。
透明な器を持った黒っぽい色のワンピースを着た大家さんが立っていた。
「これ、使えないかしらぁ?」
「これって金魚鉢ですか?」
「そうなのよ~、昔ねぇ娘が金魚を掬ってきてねぇ」
「はぁ、どの家でもそうなんですねぇ」
「本当ねぇ」
「使ってもよろしいので?」
「ええ、どうぞ。捨てるのももったいないし、私が使うこともないし」
「ありがとうございます。それでは使わせていただきます」
やったぜ。
金魚鉢をどうしようかと思っていたのだが、これでロハ(死語)だ。
「コノミ、これが金魚鉢だ」
「大きい!」
「ほい」
俺は金魚鉢をヒカルコに渡した。
「うん」
彼女は金魚鉢を持って、台所に行った。
すこし埃を被っているし、洗うのだろう。
しばらくして戻ってきたヒカルコの手には、透明な水が入った金魚鉢が抱えられている。
水は、鍋に溜めて一晩置いたものだ。
本当はカルキを抜くために数日置いたほうがいいと思うのだが、そうもいってられん。
「昨日から袋の中に入れっぱなしだし――南無三!」
俺は、ちゃぶ台の上に置かれた鉢の中に金魚を流し込んだ。
大丈夫だろうか。
「泳いでる!」
コノミが金魚鉢にかぶりついている。
「は~い! 注目!」
コノミとヒカルコが正座した。
「それでは、ヒカルコ隊員とコノミ隊員に指令を申し渡す! 毎日金魚に餌をやって、水を1/3交換すること」
「毎日やらないと駄目?」
ヒカルコが手を挙げた。
「金魚は自分の糞で自家中毒を起こすらしいんだよ。だから、換えないとドンドン調子が悪くなる」
それにぶくぶくポンプもないしな。
酸素を補給するためにも毎日水換えが必要だろう。
「……わかった」
「金魚ってなにを食べるの?」
こんどはコノミの質問だ。
「雑食のはずだからなぁ。なんでも食うはずだが……金魚の餌も必要だろうな」
結局買い物に行く羽目になるのか。
とりあえず、ご飯粒を潰してあげた。
鉢の中に入れると、パクパクと食べている。
こいつら水草や苔も食うんだよなぁ。
ガキの頃、川で取ってきたフナをバケツに入れてすっかりと忘れてた。
2ヶ月ぐらいたったら、藻で緑のジャングルになっていたんだけど、その中で普通に生きてた。
可哀想になったので、そのまま川にまた戻してしまったのだが。
そういえば、ザリガニもたくさん取ってきたのに、放置して殺しちゃったよなぁ。
子どもってのは普通に残酷なことをするから、今思うとちょっと暗くなる。
獲るのは楽しいのだが、そのあとのことはまったく考えてないというか……。
さすがに、ヒカルコは考えるよな?
いい歳した大人だし。
金魚鉢を戸棚の上に置くと、朝の涼しいうちにコノミが宿題をやり始めた。
毎日、しっかりとやるというのが、やっぱり大切。
彼女は、毎日絵日記も描いている。
1度サボり癖がつくと、元に戻すのが大変だ。
コノミの勉強を見てやり、商店街が開く時間になったので、3人で買い物に行く。
さて、金魚の餌ってのはどこに売っているのか。
令和なら、ペットショップってものがあるから、そこにいけば普通に魚の餌も売っていたのだが――。
この時代じゃ、そんなものはない。
いや、あるのかもしれないが、見たことないぞ。
あるのだが、知る人ぞ知る商売なのかもしれない。
そういえば昔は、金魚も天秤やリヤカーで売り歩く金魚売りがいたよなぁ。
昔って今か……。
金魚のことを考えながら、路地を歩く。
今日も暑く、30℃を確実に超えている。
一緒についてきているコノミも随分と日に焼けて黒くなった。
友だちがやってきても家で漫画を読んだりしていることが多いのだが、ちょっと外に遊びに行くだけでも、日に焼けるんだな。
熱中症にならないように気をつけないと。
帽子を買ってあげたほうがいいだろうか?
「ヒカルコ、コノミの帽子を買おう。外で遊んで、熱中症になると危ないからな」
「ねっちゅうしょう?」
ヒカルコが不思議そうな顔をしている。
「ああ、日射病な」
令和には日射病ってあまり使わなくなってたな。
みんな熱中症になってた。
「わかった」
コノミの服やらファッションは、全部ヒカルコにまかせている。
俺には解らんし。
商店街に到着したので、まずはコノミの帽子を買う。
女性陣が選んだのは、ツバがあってちょっと膨らんだ白い帽子。
金はヒカルコが払った。
コノミの服などは、彼女が出している。
「うん、可愛い」
「えへへ……」
コノミが照れているのだが、可愛いのは間違いない。
「さて、次は金魚の餌だが……」
どこにあるのかね?
――考えていると、商店街を道路の向こうからリアカーがやって来た。
「きんぎょ~え~きんぎょ~!」
ラッキー金魚屋だ。
リアル金魚屋を見たのは、俺も初めてかもしれん。
俺は、リアカーの所に向かった。
「ちわ~」
「毎度~! 金魚ですか?」
リアカーを引いていたのは、背の小さな白髪の爺さん。
紺色のつなぎを着ている。
「いや、金魚の餌って売ってないかい?」
「ありますよ~」
彼が、リアカーの下の部分から、いくつか箱を取り出した。
見れば――紙箱に入った顆粒状の餌と、瓶に入った乾燥アカムシ。
「箱のやつを2つと、アカムシを2つくれ」
「毎度~!」
悩んでいた金魚の餌も簡単に手に入ったな。
案ずるより産むが易しってな。
「ショウイチ……」
金魚の餌を持った俺の服を、コノミが引っ張る。
その先にあるのは――。
「ああ、本屋な。いいよ」
「やった!」
彼女がほしい本と、花の図鑑を買ってあげた。
ヒカルコも本を買ったようだが、自分が読む本は自分で金を出すようだ。
アパートに帰ってくると、バケツに水を取り置いた。
「水道の水には薬が入っているから、こうやって1日置いてから、金魚の水に使うんだ」
「うん」
「ちゃんと毎日、金魚鉢の水を交換して、餌もあげるんだぞ」
「うん、今日はやらなくてもいいの?」
「多分、さっきあげたから大丈夫だと思うが……少しやってみるか?」
「うん!」
コノミが、瓶に入っていた乾燥アカムシを、ひとつまみだけ水面に落とす。
水面に浮かんでいる餌を、金魚がパクパクと食べ始めた。
「お~、食べてる食べてる」
「すご~い!」
コノミが餌を食べている金魚をじ~っと見ている。
どうやら金魚のおかげで、昨日のひよこのことは忘れているようだ。
それにひきかえ――ヒカルコは、買ってきた本をちゃぶ台で読んでいる。
「ヒカルコ~、お前が取ってきた金魚なんだぞ~、ちゃんと面倒みろよ」
「……わかってる」
こっちは、ひよこのことを引きずっているのだろうか?
いまいち、なにを考えているのかわからん。
――昼からは秘密基地に移動して、浴衣姿のコノミの写真を現像する。
かなり暗かったので心配したのだが、使えるフィルムがありそうだ。
乾燥したらルーペで確認してみないと。
――そして、その夜。
相原さんがやって来た。
彼女に関しては、「忘れてください」が、どうしても気になる。
気にはなるが、やって来た彼女は普通だ。
いつものように、コノミにお土産の本を渡している。
益々本が増えるな。
子どもでこんなに本や漫画を持っているのは、いないんじゃないかな?
なにせ週刊の漫画雑誌が50円とか60円なのに、単行本は200円以上する。
本そのものが高いせいもあるのだが。
俺がガキの頃も、本は特別なときに買ってもらうもの――みたいな感じだったと思う。
「ありがとうございます」
「コノミちゃ~ん!」
相原女史が、コノミに抱きついてクンカクンカしている。
今日もエネルギーを補給していくのだろうか。
彼女から本をもらったコノミは、ニコニコしながら本を読み始めた。
「あら、金魚」
女史が我が家の変化に気がついたようだ。
「昨日、ヒカルコが掬ったんですよ」
「屋台ですか?」
「ええ」
「夏ですよねぇ~」
彼女がひらひらと泳ぐ金魚を眺めている。
「コノミが浴衣姿で、盆踊りに行ったんですよ」
「え?!」
彼女がこちらを向く。
「可愛かったよなぁ」
黙って本を読んでいるコノミの頭をなでてやる。
「わ、私も見たかったのに! 見たかったのにぃ! コノミちゃんの浴衣姿で、私の魂も救われるかもしれないのにぃ!」
相原さんが泣きそうな顔になって訳のわからんことを言っている。
そんなにか?
「しゃ、写真を撮りましたから、上手く撮れていたら、編集部に送りますよ」
「お願いします!」
彼女が嬉しそうだが、それよりも仕事の話だ。
「相原さん、シートレコードの話は進んでいるんですよね?」
「はい、大丈夫です。生産してくれる所も見つかりましたし」
「プレーヤーの箱を組み立ててくれる所はどうですか?」
「そちらもなんとかなりそうです」
相原さんの話では、通常の価格より少々値段が上がるらしい。
原価がかかるので、やむを得ない。
月刊誌発行部数の45万部のうち、通常バージョンを30万部、高い付録つきを15万部という感じに分けるようだ。
本誌が130円ぐらいだが、付録つきは160円とか少々お高い感じにするのだろう。
まだ計画段階で本決まりではない。
なにせ、漫画雑誌にシートレコードをつけるなんて、誰もやったことないのだからおっかなびっくりだ。
ムサシを連載している雑誌は、最初は15万部だったらしいのだが、今は45万部まで増えている。
実に3倍になったわけだ。
その功労者が、目の前にいる相原さんなのだから、もうちょっと優遇されてもいいと思うのだがなぁ……。
これも昭和だから仕方ないのか。
少々憤懣やるかたない感じがするのだが、シートレコードの企画も上手くいけば、女史を疎かにすることはできなくなるのではないだろうか。
「はぁ~順調ですねぇ。さすが相原さん」
「いいえ、そんなことありません……」
「また、男どもからは煙たがられるかもしれませんが、はは」
「もう、気にしませんから!」
彼女がフンスと気合を入れている。
「む~」
横にいるヒカルコが、不満気な顔をしている。
「なんだよ、仕事の話をしているんだよ」
「ぷい」
彼女が横を向いた。
「それでですね!」
相原さんが迫ってきた。
「はいはい」
「今週の金曜日、作曲家の方にお会いしてほしいんですけど」
「金曜というと6日ですね」
「はい」
「いきなり作曲までしてしまうんですか?」
「シートレコードをプレスするのは確定ですから、早めに動きませんと……」
「しかし、私の鼻歌から作曲とかしてもらえるんでしょうか?」
「それは大丈夫です! 先生にも確認しましたから!」
マジですか。
俺がプロの前でアカペラ歌って、それを作曲家が書き起こすんだろうか。
これまた前代未聞かもしれない……。
「ちょっと不安ではありますが、面白そうですから、もちろん協力いたしますけど……」
「当然ですよ! 今回の計画は、篠原さんが肝なんですから!」
「あの――これって、印税とか関係はないですよねぇ」
「申し訳ございません! 雑誌の付録なので……でも、協力費として予算は出せますよ!」
「まぁ、これに期待はしてませんけどねぇ。あくまでムサシの宣伝でしょうし」
「はい」
それよりも、ムサシの単行本が出れば大きい。
なにしろ、この時代の単行本は値段が高いからな。
八重樫先生が得る印税10%のうち、俺が3%をもらうことになってる。
単行本が220円なら、印税は22円。
10万部売れたら、220万円――この時代、月給が2万円ちょいだからな。
昭和38年にやって来たときには、大企業の月給でも2万円に届いてなかったが、昭和40年に入ってすでに初任給が2万円を突破している。
もう高度成長期が始まりつつあるわけだ。
それだけの印税が入れば、八重樫君の生活も一気に楽になるだろう。
アシスタントもたくさん入れて、週刊のほうにも進出できるかもしれん。
とりあえず、打ち合わせは終わった。
金曜日に相原さんと一緒に作曲家の家に行く。
マジか――本当に大丈夫だろうな?
「鼻歌から作曲とかふざけんな?!」とか言われないだろうな?
その前に、契約などをしなくていいのだろうか?
そう思ったのだが、今回のレコードはオマケで、販売するわけじゃないしなぁ……。
つまり印税は発生しない?
だってシートレコードには値段がついてないし……
まぁ、お仕事代は出るだろうが、金の期待はしていない。
相原さんは、矢沢さんの所でネームの打ち合わせをして、そのあと八重樫君の所にも顔をだして帰っていった。
やっぱり、ここに3人固まっていると仕事では便利だろうな。
3人で、相原さんが持ってきてくれたケーキを食べたあと、寝る時間になった。
デカい布団を敷いて3人で寝る。
「お~い、ヒカルコくっついてくるな。暑いんだから」
暑いので、上はタオルケットだけだ。
「コノミも~!」
コノミも俺の腹の上に乗ってきた。
「お~い、止めてくれ~暑い~」
まぁ、それでも昼間よりは涼しくなっている。
ヒートアイランド現象が起こってないせいだろうな。
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――数日たって、金曜日になった。
今日は、午前中に作曲家のところに行くという話だったのだが、なん時頃に行くのか不明だ。
ここらへんは、携帯やらスマホがないので少しアバウトだな。
スマホがあれば、「これから向かいます~」と連絡があれば、ああ○時頃にやってくるな――という感じで解るのだが、それがない。
のんびりと忙しいが同居している――それが昭和だ。
髪を整えて、スーツを出す。
コノミは夏休みの宿題をやっている。
出かける準備をしていると、外に車が止まった音がした。
窓を開けると、黒塗りのタクシー。
そこから相原さんが降りてきて、階段を上ってくる音がする。
「篠原さん~」
「はいはい」
ドアを開けると、彼女が顔を出した。
「コノミちゃん、おはよう」
「おはようございます!」
相原さんがコノミに本を渡して、抱きしめた。
「相原さん、いつも本を持ってきてくださるのはありがたいのですが、無理をなさらなくても……」
「大丈夫ですよ。出版社なので、本だけは山ほどありますので」
彼女が持ってくるのは、雑誌から児童文学など多岐にわたる。
俺も知っているような作家さんの本もあるのだが、まったく知らない本も多い。
多分、返本の山の中から、探して持ってきているのではないだろうか。
「それじゃ、行きましょうか? ヒカルコ、コノミいってきます」
「いってらっしゃーい!」
「……」
なぜか、ヒカルコがむくれている。
「仕事だって説明しただろ?」
「……」
返事がないので、出かけることにした。
相原さんと階段を降りて、外に待っていた黒いタクシーに乗り込む。
彼女の座席には、紙袋が置かれていた。
タクシーなどを経費で使えるのは羨ましいが、俺にも特許の金が入ってくれば、法人化して経費が使える。
役員報酬をもらっても、税金で引かれるだけだからな。
金は食えるぐらいでいいので、儲けは投資に突っ込む予定だ。
タクシーに乗り込むと、豊島区に向かうと言う。
そこには畏れ多くも畏い方も通うデカい大学があるのだが、その近くらしい。
俺はカバンの中から写真を取り出した。
「相原さん、どうぞ。コノミの写真です」
「え?! ああ、可愛い! これが浴衣姿ですねぇ!」
「モノクロですけどねぇ」
「この写真って篠原さんがお撮りになっているんですよね?」
「ええ、私が撮って、自分で現像もしてますよ」
そういえば、カメラで写真を撮るようになってから、スマホの出番が減ってしまった。
普段から使わないものになっているから、もう電源を入れようとも思わないんだよなぁ……。
中に、読んでない小説とかもあるんだが、この時代でも読んでない本が結構あるし。
最初喜んで撮っていたゴニョゴニョ写真やゴニョゴニョ動画も、最近は撮らないし……。
俺も昭和に順応しつつあるのだろうか。
あ、でも――八重樫君のお姉さんにその機会が巡ってきたら、ぜひとも動画で残したい。
「すごいですね……」
「はは、別にすごくはないですよ」
カバンに入れて持ち歩いている、コノミの写真を見せる。
女の子の友だちと、頬をくっつけて笑っている写真だ。
「この写真も可愛い……」
彼女が写真を見て、顔をほころばせている。
「じゃぁ、それもどうぞ」
「いいんですか?!」
「自分で現像しているから、焼き増しもできますし」
「あ! そうですよねぇ」
相原さんがニコニコしているので、俺は安心した。
ずっと引っかかっていて聞けなかった、例の電報の件だ。
この際だ、聞いてしまおう。
「それじゃ、あの電報の件は――終わったあとに正気に戻ったら恥ずかしかった――というだけなんですね?」
「え?! あ、あの……そ、そうです」
いきなり俺に突っ込まれて彼女がしどろもどろになっている。
「でも、忘れるなんて――相原さんは、とても素敵だったのに……」
「や、やめてくださいぃ……あんなことをしちゃうなんて……」
彼女が両手で顔を隠して真っ赤になっている。
やっぱり、仕事が上手くいって盛り上がってノリノリになってしまっただけのようだ。
「俺としては、相原さんとならいくらでもしたいんだけどなぁ……」
「え?! ええ…………は、はい」
女史が顔を隠したままうなずく。
タクシーの中でする会話じゃねぇな。
多分、車が騒々しいので前の運転手には聞こえてないだろうが。
「しかしなぁ、いつも素敵なお姉さんが、ベッドの上であんなことをするなんて、コノミが知ったらショックだろうなぁ……」
「ぎゃぁ! 止めてください! や め て く だ さ い~」
相原さんがマジ顔になっているので、俺はビビった。
「も、もちろん冗談ですよ」
「……」
彼女が真っ赤な顔で、プイと外を見てしまった。
――そんなアホな会話をしている間に駅に到着した。
目白駅と書いてある。
コンクリートでできた平屋の駅の前には人も多く、車も多い。
相原さんの指示で、タクシーが狭い路地に入っていくと、大きな木造の家の前に到着した。
木の塀に囲まれて、背の高い庭木が茂っている。
こういうのを見ると――手入れに金がかかりそう、とか思ってしまうのが、貧乏人の性なのか。
立派な庭を横目で見ながら、石畳を歩いて玄関までやって来た。
黒塗りの立派な扉の横についている呼び鈴を鳴らす。
「は~い!」
中から女性の声が聞こえる――と、ドアが開いた。
出てきたのは、中年で髪にパーマを当てているちょっと小太りの女性。
着物を着ているのだが、ここの奥方――ではないだろう。
多分、お手伝いさんだと思われる。
「あの、本日――お伺いする予定になっておりました、小中学館の相原と申します」
「あ、はい! お聞きしておりますよ。どうぞ~」
俺たちは玄関すぐ横にある応接間に通された。
絨毯の上にソファーと小さなテーブルが置いてある部屋である。
――しばらく待っていると。
茶色の着流しの、初老の男性がやって来た。
背が高く、グレーの頭に鼻の下には立派な髭。
「ようこそ、小中学館さん」
「本日はよろしくお願いいたします」
2人で立ち上がって礼をした。
「そちらの方が、お話に出ていた……?」
「はい、篠原と申します。よろしくお願いいたします」
一応、名刺を渡した。
「こちらこそ――え? 小説家?」
「本職はそうなんですよ」
「ははぁ……なるほど」
「ちなみに、アカペラから作曲なんて仕事をお受けになったことは……?」
「ああ、大丈夫ですよ。鼻歌から起こしたときもありましたし、ははは」
マジで、そういうこともあるのか。
まぁ、思いついたフレーズを使って、曲を作りたいって人もいるかもしれないしなぁ。
とりあえず、気難しそうな先生じゃなくてよかったぜ。





