6話 美人の女性編集者と……
隣の八重樫少年が、ついに漫画のプロデビューだ。
原稿料も結構もらっているので、ここから脱出するのも時間の問題だろう。
彼の担当の相原という美人編集者も度々、アパートを訪れることになった。
彼女が来るとお菓子を持ってきてくれるので、俺の楽しみも増えたってもんだ。
なにせ金を貯めているから、甘味など後回しだし。
相原さんの話では、デビュー作のアンケートがすごくよかったらしい。
雑誌の編集長としてはすぐに連載をしてもらいたい――というところなんだろうが、こちらにもこちらの事情がある。
とにかく引っ越しして、新しい部屋を借りるのも結構な金がいる。
出版社も金を貸してくれると言うのだが、それには八重樫君も難色を示した。
借金をすれば身動きが取れなくなって、出版社の言いなりにならなければならなくなる可能性もある。
よく使われる手では、新人に高額な家などを買わせて、働かざるを得ないような状況にしてしまうというものだ。
もちろん、皆がみんなそういう出版社ばかりではないし、聞いた話なのでどこまで本当かは不明だが。
今俺は、こういう所で世話になっている。
色々と天引きされて安い金で働かされているが、敷金礼金やらそういうのが要らない。
これは大きなメリットだし、保証人も要らないしな。
俺の場合はマジの天涯孤独で、保証人の探しようがない。
1年とか2年とか家賃を前払いするぐらいじゃないと部屋を貸してくれる所がないだろう。
とにもかくにも、1作目の評判がいいということで、八重樫君は気分をよくして次の作品を描いている。
次回作は、俺がネタを出した孤独な宇宙海賊の話だ。
勝手に描いた前作と違い、今度はネームを編集に見せてからペン入れを行っている。
つまり、編集の公認で絶対に次作も載ると保証がされているわけだ。
そうなれば目標もなく描いてたときとモチベーションが違う。
まぁ、プロデビューしてずっとそのモチベーションを続けるのがまた難しいのだが、それはかなりあとの悩みだろう。
今がなければ先もない。
今日も、俺たちの仕事が終わるのを見計らって、編集の相原さんが訪ねてきてくれた。
原稿の進捗状況を確認しにきたのだろう。
八重樫君は、コツコツと前に進むタイプなのだが、追い込まれないと動かないやつもマジでいる。
そのために、ちょくちょくと確認をしにやってくるのだと思われる。
俺も彼の部屋に呼ばれたのでお邪魔した。
「いやぁ、相原さんが来てくれると、美味しいケーキが一緒なので嬉しくて」
「ええ? 私じゃなくてケーキが嬉しいんですか?」
「はは、もちろん相原さんが来てくれるのも嬉しいですが、私みたいなオッサンじゃ、相原さんは嬉しくないでしょうし」
「そんなことありませんよ」
「ははは、ありがとうございます」
「篠原さんとお話していると、すごく勉強になりますし、とても参考になっております」
俺と小説の話などをしているときは、すごく楽しそうだし。
お世辞でもないんだろうなぁ。
「そうですか? 私はただの中卒のオッサンですからねぇ」
本当は高卒なのだが、現在昭和38年に43歳ってことは大正9年生まれってことになる。
いや、年が明けたので俺は44歳になったのか……。
大正なら中卒でも普通だし、なんなら小卒だってある。
う~ん、そう考えると俺は昭和1桁生まれでもないわけか。
ちょっと複雑な心境ではある。
「いいえ、とても勉強になっております」
「そう言っていただけるとありがたい」
今回の漫画のストーリーは、腐敗した地球政府から物資を奪う、鼻つまみ者の宇宙海賊の話だ。
まぁ、知っているやつは知っていると思うが、これもパクリだ。
「しかし、宇宙海賊は孤独と戦いながら、地球への侵略者と密かに戦っているんですよね」
相原さんが、完成した所まで原稿を見ている。
「そういうことになります」
「今回のストーリーのキモは、青く燃える女たちですね」
「皆がすごい美人に見えるのですが、中身は化け物――現実の女性も真っ青という……」
「まぁ、ひどい」
俺の言葉を聞いた相原さんがむくれる。
中々可愛い。
「はは、申し訳ない」
「でも、この話の説明をしたら、編集の男たちも同じことを言ったんですよ?! ひどいと思いません?!」
「ははは、世の中の女性がみんな相原さんと同じ人ならよかったんですがねぇ」
彼女と冗談を話していたら、八重樫君が加わってきた。
彼もキャラについて一言あるらしい。
「そうなんですよ篠原さん。僕がこの話を聞いたとき、真っ先にウチの姉を思い出しましたよ」
「――ということは、八重樫君のお姉さんはすごい美人ってことなのか」
「街でも有名ですから、それなりだと思いますよ」
「結婚は?」
「見合いの話がなん件かきてたみたいですが、すごい気位が高い人ですからねぇ」
「まぁ、大学出ているなら、高卒やら中卒の男なんてお呼びじゃねぇだろうし……」
「僕から見たら、本当に姉は宇宙人じゃないかと疑いたくなりますけど」
「お餅を送ってくれたりしてくれているじゃないか」
「世間体を気にしているだけだと思いますけど」
随分と辛辣だな。
どうも彼にとって姉はトラウマらしい。
彼には悪いのだが、そんな美人だと言われると会ってみたくなるねぇ。
相原さんが買ってきてくれたケーキを食う。
いやぁ、まさに掃き溜めに鶴。
彼女がこんな場末に来てくれるのが、本当に癒やしだわ。
仕事の打ち合わせも終わったので、外まで彼女を送って別れた。
------◇◇◇------
――美人編集者が来てくれた次の日の朝。
いつものように工場に出勤しようとしたら、靴箱になにか入っているのに気がついた。
どうやら紙切れらしい。
学校の下駄箱ならラブレターというところなのだが、この掃き溜めにそんなものがあるはずがない。
とりあえず、ポケットに突っ込んで工場に向かった。
午前の作業が終わり、ベンチに腰掛けてアンパンを食う。
八重樫君はいつものラーメン屋に行っている。
あそこにいる女の子が好みらしいし。
美人度からすれば、相原さんのほうが美人だと思うんだがなぁ。
インテリの姉にいじめられていた彼は、美人編集者に食指が伸びないのであろうか?
毎日工場でアンパンを食っている俺は――若いやつらから、アンパンマンなどとあだ名をつけられているのだが、そんなことを気にしていても仕方ない。
俺は、いずれいなくなる人間なのだから。
――そういえばと、朝ポケットに突っ込んだ紙切れを思い出したので、そいつを開いてみた。
「はぁ、こいつはたまげたなぁ」
紙切れを入れたのは相原さんらしい。
今日の夕方に、個人的に会いたいと書いてある。
場所はアパートから離れた大通りでの待ち合わせ。
紙に書かれた時間が光っているようで、俺の目に眩しい。
罠か? 俺を陥れようとしている?
それとも、俺がタイムスリップしてきた時間渡航者だと感づいた、タイムパトロールか?
「まぁ、漫画じゃねぇんだから」
俺はアホな考えに自分でツッコミをいれて苦笑いをした。
あ、そうだ。
次の漫画のネタは、サイボーグお民さんのネタにするか。
未来から自分を殺す無敵のサイボーグが送られてくる。
主人公は男にしたほうがいいから、一緒にやってくるレジスタンスがヒロインってことになるな。
相原さんのことが気になるが、午後の仕事をこなし夕方になった。
アパートに戻った俺は、一応歯を磨いてから着替える。
普段着ているのは、この時代に来てから買った古着ばかり。
それよりも最初に着ていた服のほうが綺麗なので、全部それに着替えたわけだ。
こんなのでも一張羅ってことになる。
靴も履き替えると、俺はアパートを出て待ち合わせ場所に向かってみることにした。
腕時計はないが、スマホの時計がある。
なにがあるか解らないので、とりあえずコートのポケットに入れて持ってきた。
通りに出てしばらく待つ。
ずっと路地ばかり歩いていたが、通りに出るとリアカーやバイクが多い。
荷物を積んで車道をガンガン走っている。
交通法規もくそもあったもんじゃねぇ。
まぁ、車もトラックもガソリンも超高価な代物だからな。
沢山の荷物を入れたカゴを担いだ人や自転車も多い。
すべて人力ってわけだ。
街並みを観察しながら、しばし待つ。
「本当に来るのか?」
半信半疑で待っていると、タクシーがやって来てドアが開いた。
「篠原さん、待ちました?」
「いいえ、そんなには」
後ろ座席にいた彼女が、奥に座り直した。
俺に乗れってことなんだろう。
よく解らんが、とりあえず乗る。
なにか罠だったらどうするか?
いや、考え過ぎだろう。
彼女が、タクシーの運ちゃんに行き先を指定している。
「篠原さん、食事まだですよね?」
「はい」
まぁ、ジタバタしても仕方ないので、夜のドライブを楽しむことにした。
明かりが少なく、夕方になるとすでに閉じている店が多い。
この時代は車が少なく、交通量もまばら。
車自体が結構高いし、そもそもガソリンが高い。
現在リッター47円らしいが、元の時代とくらべて物価10倍ならリッター470円ってことだろ?
仕事とか、それなりに裕福なやつじゃないと乗れないな。
タクシーの前をオート3輪が走っている。
「オート3輪か――あったなぁ」
思わずつぶやいてしまったが、大丈夫か。
俺のガキの頃にはほぼ引退してしまっていて、現物を見たことはなかったのだが。
車が高価だったので、少しでも安くするために3輪にしたとか。
ウチの爺さんの話だと、ものによってはバックギアがなくて、エンジンを逆転させたらしい。
昔を思い出していると、前のオート3輪が左折したのだが、いきなり右にゴロリとひっくり返った。
車体の下側が見えている。
「ええ?」
思わず、そっちを見てしまった。
前のタイヤが1本なので安定性にかけるらしい。
「はは、毎度のことですよ」
前にいる運転手が笑っているのだが、なんとも大雑把である。
さすが昭和。
走っている車を見るのも飽きたので、今回のことを相原さんに尋ねてみた。
「今日はどういったお話で? 八重樫君は一緒じゃなくてよかったんですか?」
「はい、詳しいお話は着いてからで」
「……」
彼を抜きで話をしたいということは、仕事の話だと思われる。
多分、俺に原作を書かせたい漫画家が他にいるのだろう。
辺りが暗くなるころ、車が小さな木造の旅館のような建物の前に止まった。
「旅館ですか?」
「ウチと契約している旅館です」
「ああ、逃げる小説家とか漫画家を、雪隠詰めにするという場所ですね」
「そんなにひどくはないですが、そのとおりです」
彼女が笑っている。
閉じ込めるだけではなくて、旅館なので当然食事も出せるのだろう。
どうせ酒は飲まない人だし、変な夜の店じゃなくてよかった。
「こういう所に帝塚大先生とかも来たりするのですか?」
小さな明かりが点いている玄関までの通路を、2人で歩く。
「あの方は、専用のスタジオを持っているそうですから、そこに編集が押しかけているみたいですよ」
「そんなに仕事を引き受けなければ――と思いますけどねぇ」
「でも、編集としては受けてほしいところなので、仕事を受けてくださると言うなら、詰めかけますよ」
「なるほどなぁ」
玄関から入ると、第一印象は暖かい。
中も畳と黒い柱、白い漆喰でいい感じ。
逆に、平成令和でこういう所に来たいと思っても、残ってねぇからなぁ。
再現して建てようとしても、膨大な金がかかるだろ。
仲居さんが2階の部屋に案内してくれた。
部屋の中には黒塗りの大きな座卓と、座布団。
右側は雪の松が描かれた襖で仕切られている。
本当になくなってしまった懐かしい日本住宅だが、その雰囲気をぶち壊す存在がある――TVだ。
スイッチを引っ張ってみたのだが――点灯しない。
この時代のTVは真空管なので、内部のヒーターがあたたまるまで動作が安定しないのだ。
TVを点けたまま、部屋を見渡す。
奥には椅子と小さなテーブルが置かれた謎の洋風スペース。
旅館に定番のこれは、この時代からあったのか。
部屋の隅には、煙突がついた縦型の石油ストーブが置いてある。
なんか薪ストーブとか石炭ストーブのイメージがあったのだが、普通に石油ストーブもあるらしい。
「すぐに食事にしてください」
「かしこまりました」
「俺、酒は飲まないんで、なにか他の飲み物を」
「それでは、サイダーなどは?」
「じゃあ、それで」
仲居さんが出ていったので、俺はストーブで手を炙った。
やっぱり石油ストーブぐらいは欲しい――と思うんだが、これはかなり高いもんだろう。
それに煙突の工事をしないとダメだから、あそこじゃ無理だな。
どのみち、すぐに脱出するのだから、荷物を増やさないようにしなければ。
仲居さんが出ていく頃にはTVが映っていた。
白黒TVだ。
当然チャンネルはガチャガチャ回すやつ。
とりあえず回してみたが、バラエティ番組と野球中継なので消した。
いまさらTVを観ても仕方ないし、俺も10年ほど前からTVは観ていなかった。
時間の無駄だ。
「いやぁ、久々にまともな食事にありつけるみたいで、感謝感激雨あられですよ」
「篠原さんは、ああいう場所にいる人じゃないと思えるんですけど」
「まぁ、今は本当に金がないんで、雌伏のとき。そのときが巡ってきたら本気だす――ってわけですが」
「ウチで援助して差し上げてもよろしいのですよ?」
「八重樫君にはそういう話があったのを知ってますけど、私にもですか?」
「はい、編集長の許可は取ってありますし……」
「まぁ、それはお断りさせていただきましょう。時がくれば、あそこからはすぐに脱出できますし」
「本当ですか?」
「ええ」
彼女と話していると、鍋がやってきた。
どうやら鶏の水炊きである。
満々(なみなみ)と張られたお湯の中に白い肉が泳いで、水面には脂が浮く。
「おお~、久々の肉だぜぇ!」
「うふふ、たくさん食べてください」
「そりゃもちろん、ゴチになりますわ」
「どうぞ」
俺はとりあえず鶏肉を箸で小鉢に取ると、口に運んだ。
タレはポン酢だろう。
あとは大根おろしがある。
「ンマーイ!」
こりゃ、ブロイラーじゃないな。
その前に、この時代にブロイラーの大量生産自体がなかったかもしれん。
ギトギトの脂は少ないが、ちょっと固い肉を噛むと、肉汁と旨味が口の中にあふれる。
「いかがですか?」
「さすが、一流会社お抱えの店ですねぇ」
「重役の会議や、接待にも使われてますから」
「へぇ~、こいつは役得だったなぁ。八重樫君にはちょっと悪いことしちゃったかもな」
俺はサイダーを飲んだ。
そういえば、純のサイダーってのももう中々飲まないよなぁ。
「彼には、このことはご内密にお願いいたします」
「そりゃ話せませんねぇ。こんな場所で美味いもの食って、相原さんとデートとか。あ、デートって解ります?」
「ええ、もちろん」
デートって話は否定しないんだ。
これは脈アリってことなんだろうか?
歯を磨いてきてよかったぜ……。
「まぁ、彼はインテリのお姉さんにトラウマがあるみたいで、相原さんのような女性は苦手っぽいですけどねぇ」
「篠原さんはどうなんですか?」
「私ですか? もちろん大好物です、ははは」
「うふふ」
こんな所につれてきて、美味いものを食わせてデートだと否定せずなのは解ったが、話を進めてほしい。
食事が終わったので、仲居さんが片付けてくれた。
「さて、相原さん――お腹もいっぱいになったので、そろそろお仕事のお話を――」
「あの、私が担当している漫画家さんで、絵はよいのですがストーリーがいまいちの方がいらっしゃいまして……」
「ははぁ、その方の原作も私にやらせようということですな」
「お願いできないでしょうか?」
「う~ん、そうですなぁ。これは言うなれば、八重樫君のライバルに塩を送る行為になるわけで……」
「そこをなんとか……」
彼女が俺の手を握ってくる。
これはやっぱり、脈アリのサインってことなんだろうか?
オッサンは期待しちゃうぞ?
「う~ん、それじゃ相原さんの特別なお礼があれば、私は頑張っちゃうんですけどねぇ」
俺は彼女の身体を見た。
「……はい」
彼女は立ち上がると、右側にあった襖を開けた。
そこには布団が敷いてある。
ああ、なるほど――こういう所って高級連れ込み旅館でもあるわけね。
枕元に行くと彼女が後ろを向いて、恥ずかしそうに服を脱ぎ始めた。
おいおいマジか?
イッツアトラップか?
もしかして、ハニトラ?
いや、こんなオッサンにハニトラしかけてなんのメリットがある?
――そんなことを思いつつ、ゴニョゴニョしてしまったのだが……。
終わったあとで、彼女がすやすやと眠っている。
あ、それはいいのだが、ここに泊まってもいいのか?
泊まりとか休息とか聞かれなかったが……。
相原さんは、すやすやと寝ているし。
もしかして激務で疲れていたのかもしれん。
まぁ、いいか。