57話 矢沢さんの漫画
矢沢さんが、俺と八重樫君が住んでいるアパートに引っ越してきた。
編集の相原さんにとっても、固まって住んでもらったほうが仕事がしやすいだろう。
もっとも矢沢さんは、人間関係を一回リセットしたかったようであるが。
――引っ越しが終わった夜、相原さんがやって来た。
いつもより遅い時間なので、仕事が長引いてしまったのだろう。
まずは矢沢さんの所にまっすぐに向かい、どうなっているか様子を見てきたようだ。
すぐに仕事にかかれないようなら、予定に狂いが出てしまうからな。
「引っ越しのお手伝いができませんで、まことに申しわけございませんでした」
「相原さんもお忙しいでしょうから、仕方ありませんよ」
彼女が持ってきてくれた本を、早速コノミが開いている。
いつものようにケーキも持ってきてもらったが、甘いものよりも本が先らしい。
コノミの頭をなでながら、昼間にあったことを話した。
「はぁ……」
話を聞いた相原さんが、大きなため息をついて暗い表情でどんよりしている。
「そういう偏見をなくしていくためにも、相原さんのような方の活躍が必要になってくるんですよ」
「わ、私ですか……?」
「前の職場でムサシをヒットさせて、今度の所でもセーラー大戦をヒットさせれば、会社としても無視できなくなるでしょ?」
「ま、まぁそうでしょうかねぇ……」
「そうなれば、若くして女性で編集長という人事もありえる」
「そ、そうでしょうか?」
「編集長になったら、同期の新聞記者って方にまた記事を書いてもらえばいい『新時代、女性の社会進出の旗印現る!』とかいって」
「おもしろそう!」
食いついたのは相原さんじゃなくて、話を聞いていたヒカルコだ。
「新聞に載って全国の女性から反響が大きくなれば、もう会社としても粗末には扱えません」
俺がコノミで取った戦法と同じだ。
有名で人気がある人物を抱えていて、そいつになにかあれば組織が共倒れになるから、そうならないようになんとかするはず。
「ショウイチ、そのあとは?」
「女性解放の旗印になって人気が出れば、チャンスは向こうからやってくるよ」
「向こう?」
「国会議員の先生たちだ。女性票を得るために最適だろ? なにせ有権者の半分は、女性なんだから」
「ああ! ショウイチすごい!」
ヒカルコが手を叩いている。
「別に凄かないだろ」
「そ、それって私に、国会議員になれってことですか?!」
「本当に女性解放をするなら、そのぐらいやらなきゃ、女性への差別はなくならないと思いますよ」
「た、確かにそうですが……」
「まぁ、夢物語みたいな話ですが、頭の片隅にでも置いていただければ」
「は、はぁ……」
もちろん彼女も半信半疑だ。
俺だって本気で思っているわけではない。
「でも、男女平等って言葉はあまり好きじゃないんだよなぁ。なにをもって平等とするのかって問題もあるし」
そんな感じなので、雇用に関する法律も――男女平等法じゃなくて、男女雇用機会均等法って名称なんだと思う。
「あの、ありがとうございます」
相原さんが頭を下げた。
「まぁまぁ、オッサンの戯言だと思ってください」
「いいえ、篠原さんが真摯に女性の社会進出について考えてくださっている方と、改めて思いました」
「私も!」
ヒカルコが俺の首に抱きついてきた。
「あ! コノミも!」
小さな女の子もヒカルコの真似をして、俺の胡座のところにダイブしてきた。
「コノミが大きくなる頃までには、色々と改善できていればいいなぁ……」
「そうですね……」
そう言いながら、相原さんがもじもじしている。
「相原さんも、抱きつきます?」
「し、しませんけど!」
彼女の顔が赤い。
「ははは――コノミ、相原さんからいただいたケーキを食べよう」
「うん!」
そのあとは、皆でケーキを食べた。
あと10年ぐらいすれば、多少は健全化するんだっけなぁ?
一応、それっぽい法律はできたりしたが、セクハラやらパワハラやらが問題になって、取り上げられるようになったのは21世紀に入ってからじゃなかったか?
それまでは、女のケツを触ったりとか普通にやられていたしなぁ。
そう考えると、とんでもねぇ時代だよなぁ。
強姦とかあっても、泣き寝入りとか沢山あったと聞いたことがあるし……。
さすが昭和は魔境だぜぇ――とか言って、俺も似たようなことをやっているがな。
――そして相原さんが帰ったあと。
もう暑いのに、布団の中でヒカルコは俺にべったり。
ヒカルコがくっついてくると、コノミも真似をする。
最初は可哀想だと思って一緒に寝てやったりしていたが、大きくなったのにこんなことをしているのは少々マズいのではなかろうか?
「コノミ、大きくなったら1人で寝ないとな」
「ヒカルコもショウイチと一緒に寝てる――」
「大きくなったのに大人と寝ているなんて、友だちに言ったら笑われるぞ?」
「いーやー」
彼女が離れてくれない。
まぁ、もう少したったら、自然と離れていくようになるかもしれん。
前にも思ったが、子どもには反抗期がつきものだ。
それが普通だが、実の親子でなくても反抗期ってのはあるのかね?
――数日あとの6月22日。
某国との基本条約が締結されたと、新聞に載った。
そうか、令和でも度々――「解決済み」という話題に乗った条約だったが、この年に結ばれたものだったのか。
それから約60年あとも、ゴールポストを動かしたなどと、まだすったもんだしている。
そんなものを結ぶだけ無駄だと、偉い人たちに教えてやりたいわ。
まぁ、そんなことデキッコナイスだがな。
冷静に考えてみると、早く戦後を清算して未来に進むために、どうしても必要だったのだろう。
それが60年以上もすったもんだするとは思ってなかったろうがな。
――そのまま6月下旬。
雨が降ったり止んだりしている中、矢沢さんがデビューする少女誌が創刊された。
まったく少女誌を扱ってこなかった小中学館が出したため、かなり後発ということになる。
そのため、独自性を出そうとして実験的な作品も多い。
その中の1つが、矢沢さんが描いた変身セーラー美少女戦士である。
変身ヒーローのように女の子の主人公が変身して戦う――という、ありそうでなかった漫画なのであるが……。
未来に流行ったネタを持ってきても、100%流行るのか解らないというのが、こういう業界の難しいところでもある。
当たるも八卦当たらぬも八卦――近所の山で摘んできたきのこ汁という感じ。
晴れると急に暑くなるので網戸をつけて、冬に片付けていた扇風機を秘密基地から持ってきた。
そうなると、秘密基地で仕事をするときに困るので、あちらにも扇風機がいるかなぁ……。
それに秘密基地用の網戸も作ったほうがいいだろう。
窓を開けると蚊だらけになるからな。
それよりもだ――コノミを学校に送り出したあと、畳に寝転がって相原さんが持ってきてくれた献本を読む。
当然少女漫画ばかりだが、作品全部が一斉にスタートなので比べられて面白い。
少女誌なのに、男性作者の作品も結構ある。
巻頭は、それなりに有名な先生のようで、矢沢さんの漫画は中間辺り。
仰向けで漫画を読むが――普通に面白いと思う。
寝転がっている俺にヒカルコが抱きついてきた。
「お前は読んだか? 矢沢さんの漫画」
「うん」
「どうだった?」
「面白いと思った」
男の裸が出てきているが、これは大丈夫だろうか?
「裸とかどうだ?」
「ひどい漫画のシーンに比べたら綺麗だし」
彼女の言うとおり、少年漫画でも酷いシーンが増えつつある。
そのせいで、PTAとかでやり玉にあがったりするんだけどな。
それに抗議した漫画家の先生もいたみたいだし。
俺に抱きついているヒカルコに話しておくことがある。
「ヒカルコ、コノミには父親もいないし、母親からも相手にされていなかったっぽい」
「うん」
「コノミはまだ子どもだし、当然甘えたいはずだが、自分ではどうしていいか解らん――そこで、お前の真似をしているわけだ」
「……」
「ヒカルコがやっているなら、私もやっていい――はずってな」
「……うん」
「だから、あまり変なことをするなよ?」
「うん」
コノミが留守なので、抱き合ってゴニョゴニョする。
「コノミがいると中々できねぇからなぁ……」
身体を起こすとヒカルコを抱き寄せて、唇を重ねる。
彼女と舌を絡めていると、隣のドアが開いた。
その音を聞いた俺たちの動きが一瞬止まる。
先生は、オッサンと女が絡んでいる部屋を通り過ぎて階段を降りていった。
「なんだ、八重樫君はお出かけか――ちょうどいいタイミングじゃないか」
「うん」
ヒカルコもやる気満々なので、やることにした。
秘密基地でやってもいいのだがなぁ。
わざわざあそこまで行くのも面倒だし。
それに、あそこは俺の部屋なので、あまり人を入れたくない。
趣味のものが沢山置いてあるしな。
早くまともな金を稼いで、自分の部屋を持ちたいぜ。
「ふう……」
ちょっと運動してしまったので暑い。
窓を開けると、網戸をつけて扇風機を回した。
「は~涼しい」
俺が扇風機に当っていても、ヒカルコがベタベタとくっついてくる。
「おい、暑いだろうが。離れろ」
「やだ」
――とかいいながら、俺の膝にダイブしてくる。
マジで暑い。
クーラーが欲しいところだが、クーラーはまだあとの時代だろうし、昔の機械じゃ電気代が鬼のはず。
ヒカルコにベタベタされながらも、机で仕事をする。
暇を見つけては、小説を書いて出版社に送っているのだ。
なんだかんだと、ヒカルコの投稿もしっかりと続いている。
そのうちまとめて出版されたりすれば、金が入ってくるだろう。
まぁ、俺の小説は完全に趣味になっているけどな。
昼になると、そうめんなどを食う。
商店街で、瓶の麺つゆを見つけたので使ってみた。
この時代から、この手の商品が売っていたらしい。
そうめんや蕎麦にそのまま使うにはイマイチだが、煮物の味付けなどには使えそうだ。
なにせ薄めれば使えるのだから便利だ。
汁を作るたびに鰹節を削るのは、非常に面倒。
そっちのほうが絶対に美味いのはわかるのだが……。
昼飯を食べたあとも仕事を少々していると、コノミが帰ってきた。
お友達が3人一緒である。
彼女たちのお目当ては、新しくやってきた漫画の本だろう。
いつもはコノミたちの邪魔にならないように、秘密基地に退避するのだが、今日は少々やることがある。
矢沢さんが連載を始めた漫画の感想を、子どもたちに聞いてみたいのだ。
読者層は一応小学生~中学生ぐらいを想定しているのだが……。
とりあえず、真っ先に彼女たちに読んでもらうことにした。
ヒカルコには、カルピスを用意してもらう。
「その漫画はどう? 面白い?」
「……うん、面白い……」
「鈴木さんは?」
「……ちょっと、いやらしいかな……」
彼女はコノミの同級生より1年上の学年なので、少々お姉さんなのだ。
それゆえ、性的なものに感受性が高くなっているのかもしれない。
――とはいえ、男の裸が出てくるだけで、べつに絡みがあるわけでもない。
そんなシーンを載せられるはずもないし。
皆に読んでもらった感想は――概ね好評。
その前に連載1回目なので、まだどういう話なのか解らないのかもしれない。
それでも、一応ヒロインの変身シーンはあるし、戸惑いながらも妖魔という敵と戦ったりする。
物語の方向性は見えているはずだ。
「う~ん」
少々考えごとをしていると、漫画を持ったコノミが俺の膝の上に乗ってきた。
いつもと同じ行動なのだが、今日は他の女の子たちがいる。
「コノミ、お友達がいる所でこういうことをしたら、笑われるぞ?」
「なんで?」
コノミが不思議そうな顔をして、俺を見上げている。
「なんでってなぁ――」
彼女の頭をなでなでしながら、女の子たちを見ると――こちらをじ~っと見つめている。
「「「……」」」
「小学4年生が、こういうことをして、子どもっぽくないかい?」
「……羨ましい……」
半ズボンを穿いた、ちょっと男の子っぽい野村さんの言葉に、俺は少々戸惑った。
「そうなのかい?」
「ウチのお父さんなんて、帰ってきたらお酒飲んで寝ちゃうし……」
「お父ちゃんは、タバコくさいから嫌い……」
他の女の子もそんな感想か。
まぁ、俺もガキのころは、大人ってのはなんでタバコなんて吸うのか――とか思っていたよ。
「私のパパは、勉強しろしか言わない……」
しょんぼりしているのは鈴木さんだが、彼女の家は厳しそうなので解る。
「ショウイチは、そういうこと言わないし」
「コノミは、ヒカルコと一緒にいつも勉強しているから、言わなくてもいいだろ?」
「うん」
いい子なので、彼女の頭をなでてやっていると、ヒカルコも俺に抱きついてきた。
「子どもがいるのに、止めろ」
彼女の頭にチョップを入れる。
「うにゃ!」
抱きつきを阻止されて彼女がしょんぼりしているのだが、それを見たコノミがドヤァ――みたいな顔だ。
まぁ、膝の上のコノミの件はよしとして、矢沢さんの漫画は概ね好評のようだ。
これなら心配いらないのではないだろうか。
話が進めば、徐々に人気も上昇してくるかもしれないが、上がるなら早めのほうがいい。
そうじゃないと、打ち切りの話が出てきてしまうからな。
せっかく大ヒットするネタなのに、そこまでいく前に打ち切りされたんじゃ、矢沢さんが可哀想だ。
まぁ、1話に少々Hなシーンもあるし、それなりに注目や話題になるのではないだろうか。
続きに期待だ。
少女たちの感想は聞けたので、俺は秘密基地で仕事をすることにした。
基地の玄関までやって来て、鍵を開ける手が止まる。
「やっぱり暑くなってきた」
今日は雨も降っていないし、秘密基地用の扇風機を買ってくるか……。
暑くて集中できないんじゃ、基地の意味がなくなるしな。
俺は、鍵を開けるのを止めて、国鉄の駅前にある電気屋に向かうことにした。
ついでにカメラを持って街並みを撮影だ。
古い店とか小料理屋とか、いいモチーフになる。
駅前に建設中の巨大ショッピングモールの工事現場にもカメラを向けた。
年代物の重機とかダンプとか、貴重な資料になるだろう。
カメラで写していると、安全対策がまったく取られていないことに気づく。
労災まっしぐら――ヨシ! ナントカネコ案件だ。
同じレンズとカメラでずっとこのようなスナップ写真を撮ってきた。
最初はカメラ内蔵の露出計を使っていたが、この天気でこの絞りなら、シャッタースピードはこのぐらいと――もう覚えてしまった。
商店街のアーケードも撮影して12枚撮ったので、フィルムを巻き戻して同じ所にあるカメラ屋に現像を頼んだ。
こういう当たり障りのない写真はプロにやってもらえばいい。
それに、気温が上がってくると現像が難しい。
薬品の化学反応があっという間に進んでしまうのだ。
うっかりすると、すぐに真っ黒に。
クーラーを入れて、薬品も冷蔵庫に入れればいいのだが、プロでもないのにそんな金は使えん。
ついでに以前に頼んだプリントをもらい金を払う。
いいできだ。
「篠原さん、東京中の写真を撮ってるの?」
俺がそこら辺の風景ばかり撮っているので、カメラ屋のオヤジが呆れている。
ほっとけよ。
「まぁな。こういうのが50年ぐらいたつと、懐かしい貴重な資料になるんだよ」
「ええ? そういう感じで写真を撮ってるの? 随分と気の長い話だね」
今の時代に生きている人たちには、理解できない感覚なのかもしれない。
そういう俺も、どうでもいい街の写真なんて、本当にどうでもいいと考えてたオッサンだったし。
カメラ屋から出ると、電気屋に向かい扇風機を買った。
前と同じモデルが500円ほど安くなっている。
今使っているもので全然困っていないので、同じものを購入して秘密基地に戻った。
早速、コンセントに挿して扇風機を使う。
古いバラックの建物の中に風が吹き渡る。
「ア~、ワレワレはウチュウジンダ」
とりあえず、これはやらないとな。
そういえば、サントクはどうなったかなぁ。
社長さんから電報などないから、大丈夫はなずだが……。
今度の日曜に、岩山君の所に行って話でも聞いてみるか?
扇風機が無事に設置できたので、次は網戸を作ろう。
以前に網戸を作った材料や道具も、こちらに置いてあるからな。
生活しているスペースは6畳1間なので、余計なものは置けない。
普段使わないものなどは、全部秘密基地に持ち込んでおり、冬場に使ったストーブや灯油もここにある。
巻き尺で長さを測ってギーコギーコと木材を切り、網戸を作っていると、戸がノックされた。
「は~い?」
集金でも来たか?
引き戸を開けると、目の前には丸い眼鏡とオーバーオール――矢沢さんだった。
胸にはスケッチブックとノートを抱えている。
「こ、こんにちは」
「え? どうしたの?」
俺は予想外の客に少々驚いてしまった。
「ヒカルコさんに聞いたら、仕事で出かけたということだったので、ここかな? ――と」
「まぁ、君にはここを教えてたからねぇ」
仕事の打ち合わせだろうか?
なにか用があってきたのは間違いないと思うので、とりあえず中に入れる。
「おじゃまします~」
「言っておくが、ここにはなにもないからなにも出せないよ」
「はい、わかってます~」
「ガスもないから、お湯を沸かすときには七輪だし」
「そうなんですねぇ。ウチも、ずっと七輪でしたよ」
うっ、冗談をそういう話で返されると、ツライ。
「ちょっとごめんよ。キリのいい所まで作業させてくれ」
「いいですよ~。私も突然やって来てしまいましたし」
「すぐに終わるから」
彼女が俺の作業をじ~っと見ているのだが、なんの用だろうか。
見られていると、気になって作業が進まないんだが……。





