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5話 美人女性編集者がやってきた


 昭和38年にやって来て、年末になろうとしている。

 俺の隣に住んでいた漫画家志望の少年が、プロデビューできそうだという。

 こりゃ、めでたい。


 雑誌に載れば原稿料ももらえるだろうし、そこから金を貸してもらおうと思っている。

 俺が知っている馬がでてきたら、そいつで競馬の勝負をするつもりだが、結果は知っているのだ。

 いくら突っ込んでも外れるはずがない。

 もう未来は決まっているのだから。

 別にハナから少年の金を当てにしているわけでもなく、自分でも節約して金を貯めている。


 無理に金を借りなくてもいいのだが、勝負するなら種銭は多いほうがいい。

 借りた金もすぐに利子をつけて返せるわけだし。


 彼が午後からの仕事を休んで、出版社に行っている。

 最初は馬鹿正直に、「漫画でデビューできそうなので」――みたいな話を工場長にしそうだったので、少々お小言を言った。

 そんなの、「東京に出てきている親戚が怪我をして入院したらしいので、ちょっと見舞いに行って来ます」――とかにしとけばいいのだ。

 本当のことなんて言う必要はない。

 それに休みを取るなら、そっちのほうが取りやすいしな。

 だいたい、本当のことを言ったら、転職をする準備のために休みをください――と言っているようなものだろ。

 心証が違う。


 俺は、1日の仕事が終わり、アパートに帰って飯を作った。

 今日のメニューは、キャベツ入りのインスタント袋麺である。

 麺に味がついていてお湯をぶっかけるタイプだな。

 見たこともないメーカー製だったのだが――まぁ正直美味くはない。

 時代を越えたオーパーツである北海道一番塩ラーメンが世に出てくるのは、もう少しあとか。

 残念無念。


 俺がマズいラーメンを啜っていると、八重樫君が帰ってきたようだ。

 真っ先に俺の所にやってきた。


「おかえり~どうだった?」

「……そ、それが、連載を考えてくれないかと……」

「おお、いきなり連載かよ! よかったじゃないか。夢がかなったわけだ」

 大喜びしているのかと思ったのだが、そうでもないらしい。


「それはそうなんですが……」

「返事はしたのかい?」

「いいえ、考えさせてくださいと……」

「まぁ正直な話、それでよかったんじゃないか? 漫画を描くには、ここじゃ無理だろう」

「はい、工場を辞めるとなると、ここも引っ越さないといけません」

「引越し代やら、新しいアパートの敷金礼金が結構かかるなぁ」

 世の中、金金金だ。


「そうなんですよねぇ……」

「――そうすると、なん本か読み切りを描かせてもらって金を稼ぎつつ、ここからの脱出を図ると……」

「それもそうなんですけど……」

「なんか他に心配ごとでもあるのかい?」

 心配は引っ越しのことだけではないらしい。


「あれって、篠原さんの助言がなかったら、僕には描けない漫画でした」

「助言を上手く噛み砕いて形にするのも能力なんだぜ?」

「でも、僕だけであんな漫画を描けるのかと言われると自信がありません……」

「八重樫君が望むなら、可能な限り助言をしてあげてもいいがな……」

「そこまでしていただいて、篠原さんにいいことがないじゃありませんか」

「それじゃ、すごく有名な漫画家になって、金持ちになったら分前をくれよ。ははは」

「わかりました」

 真剣な顔をしてうなずく彼だが、俺はしばし考えた。


「う~ん」

「篠原さん?」

「それじゃ、最初から俺が原作者として加わろうか?」

「それでも構いません」

「それでも新人漫画家の安い原稿料から分前を取ろうと思わんよ。やっぱり売れてからの話だな」

「どういうことですか?」

「売れたら、単行本やアニメ化したり商品化したりするだろ?」

「アニメ――ってTVまんがのことですか?」

「ああ、それそれ」

「でも、そんなのものすごい大ヒットしないと無理ですよ?」

 平成令和だと、どんなショボい漫画でも単行本化したりしてたが、昔は違う。


「まぁ、その大ヒットレベルになったら、分前をもらおうじゃないか――って話なのよ」

「そんな話でいいんですか?」

「ああ、俺に金ができたら、弁護士を入れて契約書も交わすからさ」

「そんなのなくても、ちゃんとお支払いしますよ」

 彼はそう言うのだが、そう簡単な話じゃない。


「金がなくてもニコニコしている人が、金を持った途端に豹変するんだよ。そういうもんだからさ」

「そうですね……見たことがあります」

 彼の実家は建築会社だと言ったが、用地買収で立ち退き料が入った途端、仲の良かった家族が大喧嘩して一家離散したことがあったらしい。

 やっぱりそういうのを見て子ども心を痛めていると、親父さんがやっている会社などに不信感を抱いたりするのかもなぁ。


 そういう話になったが、まずは彼が売れる漫画家にならないと話にならない。


「それで、原稿の内容はどうだったのよ?」

「大変すばらしいと褒めていただきました。読者の求めているものをよく掴んでいると」

「太ももとかパンチラとか、美少女の磔とかだろ?」

「はい」

「君が入れたチャンバラもよかったと思うぞ」

「アクションシーンもよかったと言っていただきました」

「漫画は芸術――なんていう人もいるけど、個人的な考えを言わせてもらうと、漫画は娯楽なんだよねぇ」

「編集の方もそれは言ってました。読者のほとんどが子どもなので、芸術を気取っても理解ができないからと……」

 子どもだから芸術が理解できない――というのはこれはこれで、凝り固まった大人の思考だけどな。


「ちょっと畏れ多いことを言うが――帝塚大先生とかそんな感じの話があるよな」

「あ、それは僕も思ってました。子どもが読んでもつまんないだろうなぁってやつですよね」

「大先生だから書かせてもらえるテーマなんだろうけど、新人漫画家がそんなの持ち込んでも門前払いだ」

「そうですよねぇ」


 後日、彼は出版社に連絡を入れて、しばらく読み切り中心にしてもらうことになったようだ。

 向こうは残念がっていたが、金がないと言ったら納得してくれたという。


 ------◇◇◇------


 ――そして昭和38年が終わり、昭和39年を迎えた。

 近所では、あちこちで餅つきをしている声が聞こえる。

 平成令和は切り餅が店で売っていたが、この時代にはそんなものはない。

 餅がほしかったら、もち米を買ってきて、蒸して、臼と杵でペッタンペッタンとつくしかない。

 自動餅つき機なんて出たのもかなりあとになってからだ。

 ウチの実家もすぐに買ったので、よく覚えている。


 今年は東京オリンピックだ。

 まさか昔の東京オリンピックを生で観ることになろうとは。

 ――と、いってもわざわざ国立競技場まで、オリンピックを観に行ったりはしないけどな。


 昭和の工場といえども、さすがに正月の三が日は休みである。

 寒い中、八重樫君と一緒に近くの神社に初詣に出かけた。

 ここには、それなりに有名な神社がある。

 境内には出店が並び、ガキがわんさかいる。

 非常にうるさい――よくいえば景気がいい。

 しめ縄やら熊手も売っているが、無神論者の俺には関係のないものだ。

 それにこういうものは業者の都合で買わされているような気がして、どうにも好きになれない。

 熊手を買ったら、毎年大きくしていけばいいとか、いったい誰が決めたんだ。

 八重樫君も買ったりはしないらしい。


 人混みの中を参道を一緒に歩く。


「八重樫君、しめ縄やらお供えは?」

「買っている余裕がないですが、お餅は姉が送ってきてくれましたよ」

「いいお姉さんじゃないか」

「……」

「どうした?」

「姉は嫌いなんですよね」

 彼の顔を見ると、本当に嫌いのようだ。


「そうなのか?」

「姉は、できがよくて大学も出ています。よく比べられました」

 まぁねぇ、姉弟で比べられるってのは嫌なもんだ。


「お姉さん、大学も出ているのか」

「はい、僕の漫画のこともよく見下していて、『くだらない』とか『そんな商売で食べていけるのか』とかよく言われてますよ」

「当たればデカいんだぞ! って言ってやりなよ、はは」

「そう言うと、『博打みたいな商売』とかまた馬鹿にするんですよ」

「けど、商売ってのは、おおよそ博打みたいな要素を含んでいるだろ?」

「父親がやっていることを見ていると、博打そのもののような気がしますけど」

 話しているうちに、賽銭箱の前に到着した。

 デカい鈴を鳴らして、祈るフリをする。


「君は飛躍の年だ。よく拝んだほうがよくないか?」

「こんなのは気休めですから」

「ははは、神様ってのは平等だからな。どんな貧乏人も金持ちにも国会の先生たちにも、ちょっとずつご利益がある」

「それって、結局はなにも変わらないってことですよね?」

「まぁ、そういうことだな。貧乏人にだけご利益があったら、それこそ不公平じゃないか」

「そりゃそうですねぇ」


 アパートに帰ったら、彼から餅を分けてもらった。

 さっそく炊事場のコンロで焼く。

 売っている切り餅ではなくて、昔ながらの杵つきの餅である。

 コンロで焼いていると、プク~っと膨れてきた。


「おお、美味そう」

 ――といっても、食えるのは1枚か2枚。

 たくさん食えるものじゃないし。

 雑煮が食いたいけど、作るのが面倒だ。

 その場で焼いた餅を食っていると、突然話しかけられた。


「……あけましておめでとうございます」

「え? はい、おめでとうございます」

 いつもつっけんどんな態度をしていて、俺が盗撮をしている女だ。

 ムチムチしているのはいいが、黒い髪が長くて、もっさりとしてる印象。

 これでも化粧をすれば化けるのか。


 明るいときに見るのは初めてだな。

 正月だから休みなのか。

 いつも俺なんて相手にしてなかったのに、掌返すのはどんな心境の変化か。

 通常は、こんな女が掌返すなんてのは、ロクなことじゃないのは確か。

 なにかのセールスとか、宗教がらみとかそういうやつだろう。


「お餅焼いているんですね」

「隣のやつから、2枚もらいましてね」

「……私、ここで働いているので……よろしければ来てください」

 彼女がマッチを渡してきた。

 ああ、マッチなぁ。

 昔は、店にオリジナルのマッチが用意してあって、店の名前や電話番号、住所などが書いてあるのが普通。

 上着のポケットに店のマッチが入っていて、旦那の浮気がバレるなんて話もよくあった。

 それこそたくさんのオリジナルマッチが巷にあふれていたので、マッチを集める趣味なんてのもあったぐらいだ。

 それはいいとして、マッチの箱を見れば飲み屋のようだ。


「飲み屋か――俺は酒を飲まないんだよなぁ。それにこういう所に住んでいるから、金がねぇし」

 それを聞いた彼女が、悲しそうな顔で自分の部屋に戻ってしまった。

 なんだ、客が少ないから営業してこいとか、外で客を引っ掛けてこいとでも言われたのか?

 こういう商売も大変だろうと――マッチを見ながら思う。

 まぁ、楽な商売なんてねぇしな。


 マッチを持った俺は、好奇心で女の部屋の前に行ってみたのだが、引き戸に隙間があるのに気がついた。

 そこを覗くと、女が着替えているのが見える。

 おお、この隙間からスマホのカメラで写らないだろうか?

 俺は自分の部屋に戻ると、スマホを持ってきた。

 引き戸の隙間からカメラのレンズが覗くように調整する。

 ちょっと拡大すると綺麗に映るようなので、俺はシャッターを3回ほど押した。


 すぐに撤収して、炊事場に戻った。

 2枚目の餅を焼いていると、戸が開いて女がこちらを見ている。

 ほらな。

 深追いしていたら危ないところだった。


 部屋に戻ったらじっくりと堪能しよう。

 こういう盗撮データが金になればいいんだがなぁ……。

 元の時代ならSNSに載せて広告で金を引っ張るとか手があるが――もちろん犯罪だが。


 焼いた餅を持って、自分の部屋に戻った。

 餅を食いながら、さっき撮ったスマホのデータを見てみる。


「おお、撮れてるぜぇ~」


 高いスマホなら、もっと鮮明に撮れたのかもな。

 でも日本製のやつは音を消せないんだよなぁ。

 流行っていたスマホの中にはSDカードが使えない機種もあったし。

 こんな時代に来ると解っていれば、機種の選択も色々と考えて、それに可能な限りの大容量のカード入れただろう。

 そこにエケペディアのデータを落としまくる。

 これで完璧。

 詳しい年表が手に入れば、先回りして色々と金にできたはず。

 ――とまぁ、できなかったことを考えても仕方ない。


 ――そのまま1月も流れて月末。

 仕事が終わってある日の夕方。

 飯を食い終わったので、布団に潜り込んで新聞を読んでいると、外に車の音がしてこのアパートに誰か客がやってきたようだ。

 ギシギシと階段を上がってくる音がする。

 俺の部屋を通り過ぎて隣で止まると、戸をノックした。


「八重樫先生、ご在宅ですか?」

 女の声だ。


「は、は~い、どうぞ~」

 先生~なんて言葉を使うので、おそらく編集者だと思われる。

 こうなると本格的に漫画家の先生様だし、しかも女性担当。

 やっぱり若い先生だから、たらしこみ要員だろうか。

 なんて考えるのは、俺がオッサンだからか。

 あとで、なにを話したか教えてもらおう。


 俺には関係ねぇ――と、寒いので布団の中に潜り込んでいると、戸をノックされた。


「篠原さん、来てください!」

「ええ? 俺かい?」

「はい、編集さんが会いたいそうなんです」

「マジかよ、人に会うような格好をしてないぞ?」

「大丈夫ですよ」

 最近、床屋も行ってねぇし、無精髭も伸びてる。

 あの工場だと身なりはどうでもいいからな。


 少年に急かされているのだが、もしかしてスマホの撮影チャンスがくるボーナスタイムがあるかもしれん。

 スマホを隠し持って彼の部屋に行くと、声のとおりの女性編集者がいた。

 メガネをかけて、耳が隠れるぐらいの髪型をした知的そうな女性だ。

 大きなショルダーバッグが、勤め人っぽい。


 実際、出版社に勤めているなら、大学出のインテリなんだろう。

 インテリ――そういえば、この単語も令和じゃ死語かもしれん。

 彼の部屋も暖房がないので寒いのだが、彼女はコートを脱いで手に持っている。

 一応礼儀なのだろうが、寒くないだろうか?

 俺も部屋の中でコートを着ているが、寒いので脱ぎたくない。


 寒い中、膝上スカートからチラ見している白い太ももが眩しい。


「はじめまして、篠原です。こんな格好で失礼いたします」

「私、小中学館の相原と申します」

 彼女から名刺をもらう。

 かなり昔から名刺って普通だったんだな。

 それにしても、小中学館とかメジャーどころだし、そこに入社しているってことは、やっぱり大学出だな。


「篠原さん、見てください!」

 八重樫君が、少年ナントカという雑誌を掲げている。


「おお~、献本か。わざわざ持ってきていただいたわけだな」

「けんぽんってなんですか?」

「関係者に配られる、刷本の見本だよ」

「はい、そのとおりです」

 女性がクスクス笑っている。

 まぁ、この時代は情報を得る機会が少ないから、彼が知らないのも無理もない。

 八重樫君から本を貸してもらい、ペラペラとめくる。

 ちょうど中間辺りに、彼の漫画が載っていた。


「俺の助言どおりに、名前を『やえがしはじめ』にしたんだな」

「はい」

「難しい漢字だと、子どもたちが読めないかもしれないからな。まず作者の名前を覚えてもらうことが肝要だし」

 名前を覚えてもらわないと、ネタにされたり話題にも上がらない。


「かんようってなんですか?」

「とても大事ってことだよ」

 笑いながら2人の会話を聞いていた彼女が口を開いた。


「まさか、原作者の方がいらっしゃるとは驚きました」

「まぁ、原作者なんて、だいそれたものじゃないんですけどね」

「そんなことはありませんよ。こんな話は僕だけじゃ絶対に思いつけませんし……」

「編集部でも、この『ウラシマ効果』が話題になっていました」

「こういう格好いい単語とか、ウンチクを入れると、子どもが自慢げに話したり話題になるんですよ」

「ウンチクってなんですか?」

「深い知識とかそういう意味だな」

「へぇ~」

 八重樫君、学校の勉強は苦手っぽいな。

 自分でできが悪いって言ってたぐらいだが、地頭力は悪くないと思うけどな。

 実際に彼のお姉さんは大学出ているらしいし。


「篠原さんは、小説家志望だったとか」

 女性がそんなことを言い出した。

 まいったな。


「八重樫君、そんなことも話したのかい?」

「え? ダメだったでしょうか?」

「いや、ダメじゃないが――こんなオッサンのことを話題にしても仕方ないだろう」

「そんなことありませんよ」

「まぁ、なに者にもなれなくて、こういう場所に吹き溜まっているオッサンが、前途ある若者にちょっと力を貸してやろうと、少々勘違いをしてみたんですよ」

「どんな小説がお好きですか?」

「まぁ、月並みですが九島由紀夫先生とか田端康成先生ですかねぇ。あんな素晴らしい文章が、私にも書ければよかったのですが、はは……」

「ロシア文学などは?」

「一応、『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とかは読みましたが……」

 俺の言葉に彼女が反応した。

 カラマーゾフの兄弟が彼女の好みらしい。


「篠原さん、外国の小説とか読むのが大変じゃありませんか?」

 八重樫少年が余計な心配をしている。


「確かに分厚くて、固有名詞がゴチャゴチャしてて大変だが、話の筋はそんなに難しくないんだぞ」

「そうなんですね……僕も読んだほうがいいと思いますか?」

「いやぁ、結構最初で挫折すると思うがなぁ……たとえば、世界の少年少女名作文学全集みたいなわかりやすく翻訳されているものもあるから、そういうので読むって手もあるぞ?」

 俺が口にした言葉に、彼女が反応した。


「あ、あの! 弊社で編纂へんさん中の全集のことをどうしてご存知なのですか?!」

 え? やべ! まだ、そういうのが出る前だったか?

 これは上手くごまかさないと。


「え?! あ、あの本当にそういうのを作られているのですね。私が言ったのはたとえ話でして……」

「そうですか。弊社でまさに世界の少年少女名作文学全集というのを編集している最中でして」

 作っている真っ最中か。


「個人的な意見ですが、そういう感じの漫画全集があればなぁ――と思いますけど」

「それなら僕にも読めそうです」

「面白そうだろ? ところがギッチョん(死語)そうはいかない。そういう全集に金を出すのはインテリの親だからな」

 俺が言ったことが、彼にも解ったようだ。


「あ――漫画なんてくだらない、ウチの親と一緒ですね……」

「名作小説の全集なら金を出す親がいるけど、漫画の全集なんかに金を出す親はいないってことだ」

「篠原さんのおっしゃるとおり、単発の企画などで童話や名作などの漫画単行本などはあるのですが……」

 そういうもののユーザーは逆に貧乏人の親たちだ。

 貧乏ながらも、子どもたちに名作に触れてもらいたいと願う親心ってやつだな。

 世の中、中々上手くいかない。


 そのあと、机にあった次回作の原稿を少年と相原さんが見始めた。

 完全に2人は俺に背中を向けて、彼女は美味しそうな丸い尻をフリフリしている。

 チャン~ス!

 俺はコートのポケットからスマホを取り出すと、彼女の股間に差し入れた。

 いつものようにシャッター3回。

 すぐにしまう。


 今後の打ち合わせが終わり、最後に彼女が封筒を差し出した。


「八重樫先生も家計が苦しいということでしたので、経理にいって原稿料を半額だしてもらいました」

「原稿料ですか?! ありがとうございます!」

「やったじゃないか八重樫君。これで本当のプロになったわけだ」

「ありがとうございます!」

 通常の原稿料は、半年先〆の翌月払いらしい。

 いったん収入が途絶えて、仕事をやっても金が入ってくるのは半年あとってことになる。

 その分の貯蓄をしておかないとダメということだろう。


「なにはともあれ、まずは独立のための資金を貯めないとな」

「今日は、次回作のネームを拝見できましたが、次回からは事前に見せてください」

「わかりました!」

「はは、プロになっちゃうと、あまり好き勝手に描けなくなるってことだ」

「そ、そうなんですね」

 彼がちょっと不安な顔をしている。

 出版社が欲しいのは売れる漫画だからな。

 売れるものを描いてもらわないと話にならんというわけだ。


「そ、そんなことはありませんよ。作家性は重視するようにしております」

 可愛い女性編集者をいじめるのは止めておこう。


 話が終わったので、彼女を道路まで送る。


「それでは、今後ともよろしくお願いいたします」

「はい、よろしくお願いします」

 彼女は通りまで出てタクシーで帰るようだ。

 さすが一流出版社。


 アパートに帰って俺の部屋に戻ろうとすると、八重樫君が呼んでいる。


「なんだい?」

「相原さんが、差し入れを持ってきてくれたんですよ」

「なんだい? 食い物か?」

「多分そうだと思います」

 彼女が持ってきた白い箱を開けると、ショートケーキが4つ入っていた。

 女性らしい選択だ。


「おお、ケーキか!」

「篠原さん、食べましょう! お茶淹れますね」

「お茶なんてあるのかい?」

「そりゃありますよ」

 俺はいつも水か、店で買ってる牛乳だからなぁ。

 俺は自分の部屋から箸を持ってきて、それで食べた。


「ンマーイ! ケーキなんて久しぶりだよ」

 こんな時代ならバタークリームかと思ったら、まともなケーキだった。

 中々侮れんな、昭和。


「それより八重樫君。原稿料っていくらだった?」

「まだ見てません」

 彼が封筒を開け始めた。

 出てくる札を数える――というか見たら解る。

 懐かしい聖徳太子が2枚と、出たばかりの伊藤博文が4枚――2万4000円だ。

 また聖徳太子様を拝むことになるとはなぁ。

 けど、この時代の聖徳太子様は、平成令和の10万円札相当だ。


「半分って言ってたから、16ページで4万8000円か、1ページ3000円――結構高いな」

 物価1/10としても、50万円相当か。

 単行本が滅多に出ず、印税が期待できないとなると、このぐらいの稿料がないと生活できない。


「こんな大金、初めてですよ……」

「銀行か郵便局に口座は?」

「郵便貯金がありますけど」

「すぐに入れないとな」

「は、はい……あの」

 彼がなにか言いたそうな顔をしている。


「なんだい? なにかまだ心配ごとがあるのかい?」

「本当に篠原さんの取り分は要らないのですか?」

「ああ、まだいいよ。それより前に言ったが、近々金が必要なときに金を貸してくれ」

「わかりました」

 彼は興奮しているようなので、1人にさせてあげよう。

 やる気を出して、すぐに漫画を描きたいみたいだし。


 俺は部屋に戻ると、布団に潜り込んでスマホで撮ったデータを見た。

 炊事場より明るいせいか、インテリらしい上品そうなベージュのおパンツがよく撮れていた。

 また俺のコレクションに1枚加わったわけだ。


 掃き溜めにいるあのもっさりとした女もいいが、頭がよさそうな女もいいもんだ。

 昭和のあんな女性とおつき合いできる日はいつになるのか……。



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