47話 カメラ
そろそろ5月になろうとしている。
新聞にはベ平連のデモのニュースが載っていた。
ベ平連とはなんぞや? ベトナムに平和を! 市民連合ってやつだ。
ベトナム戦争が長引いて厭戦ムードが高まってくると、アメリカ本国でもこういうデモが沢山行われた。
それはさておき、いつもなら巷がゴールデンウィークなどとはしゃいでいても、俺にはまったく関係なかったのだが、家族ができてしまってはそんなことも言っていられない。
血の繋がりない急ごしらえの家族とはいえ、犬猫の子どもを拾ったわけではないのだ。
家族になったからには、人並みの生活をさせてあげるという大人としての責任がある。
その人並みの定義ってのが、どの辺りにあるのかは諸説紛々だろうが、まぁ世間で流行っていることには沿う必要があるだろう。
小学校でも、流行りの漫画やらTV番組がネタになる。
友だちとつき合うためには、そういう流行りを押さえるのも必要だろう。
「そんなものはくだらない」
――と大人が突き放すのは簡単だが、クラスで仲間外れになるのはやはり寂しいものがあるだろう。
俺にもそんな経験があるし、親を恨んだものだ。
子どもには、子どもの社会があるわけだし。
いつも言っているように、個人的にはすでにTVなんてものには興味がなく、観たくもないのだが、これからTV社会になる。
上手く世の中に沿って生活するためには、そのうちTVが必要になるだろう。
買うとしても一番最後になると思うが。
コノミに普通の生活をさせてあげるという目的のために、ひな祭りをやったりしたのだが――今度は5月5日の子どもの日。
鯉のぼりを買ったりするのは無理――そんなわけで自作しようと材料を買い出しに来ていた。
そこで、俺の秘密基地の隣に住んでいる奥さんを見かける。
動きが怪しいので、あとをつけていたら――なんと万引きをしていた。
金持ちのハズなのだが、なにか理由があるのだろう。
俺は彼女に声をかけて、一緒に茶店に向かうことにした。
突然俺に万引きのことを言われて、彼女はかなり動揺している。
震えながら俺のあとをついてくるのだが、別になにかするわけじゃねぇ。
単に話を聞くだけだ。
2人でいつものクラシック喫茶に向かう。
路地を曲がり店に入ろうとしたのだが、彼女がビビっている。
「あ~、中は暗いけど純喫茶だから、はは」
中のカウンターにいた店員にも聞く。
「大丈夫ですよ。同伴とかじゃないですから、あはは」
「やっぱり、そう言われることがあるの?」
「ええ、中でそういうことをすると、すぐに止めますよ」
やるやつがいるのか。
純喫茶――平成令和でも、こういう看板が生き残っていた店があるのだが、理由がある。
喫茶店ってのはいかがわしい場所でもあったわけだ。
有名なのが、同伴喫茶な。
逆に、そういういかがわしいことをしない喫茶ということで、わざわざ「純喫茶」などと名乗っている。
コーヒーの食券を買って、2人で暗い店に入って座る。
話していると、コーヒーがやってきた。
「なんであんな真似を? 白い立派な家に住んでいるんだ。お金持ちでしょ?」
「……」
彼女は黙っているのだが、それは言いたくないってことか。
俺は、コーヒーを飲むと話を続けた。
「そういえば、旦那さんを見たことがないんだけど、なんの商売をしていらっしゃるの?」
「ぼ、貿易の会社をやっていて、世界を飛び回っているので……」
へぇ、貿易会社の社長さんかぁ。
そうなると定番だけど――旦那さんが滅多に帰ってこないので、寂しいとかストレスとかそういうのかねぇ。
子どももいないみたいだし。
「あの、このことは――」
「あ~、別に誰かに言うつもりもないし」
「な、なにが目的ですか?! お金ですか?!」
彼女が少し声を荒らげた。
なるほど、万引きをネタに恐喝でもされると思っていたから、ビビっていたのか。
「いやぁ、こう見えても、それなりに金には困ってないので」
「それでは……」
「いやいや、タダの好奇心ってやつですよ。金持ちの奥さんがなんであんなことをするのかな~という」
「じ、自分でもよく解らなくて……」
「まぁ、色々とストレスでも溜まってるんでしょうなぁ」
「……」
彼女は黙っているが、ストレスって通じてるだろうか?
もうちょっとあとの言葉だったか?
話は聞けたし、これ以上はどうこうするつもりもない。
俺たちは、茶店の外に出るとその場で別れた。
一緒に帰ったりすれば、変な噂が立つからな。
個人主義になっていた平成令和と違い、この時代はまだ近所づきあいが盛んだ。
あらぬ噂が立つと、あっという間に広がるかもしれない。
実際、コノミが新聞に載った話などは、町内の人たちがみんな知ってる。
東京の中なのに田舎っぽさがあったり。
それがいいのか悪いのかは、賛否両論あると思うが。
そのまま秘密基地に到着すると、工作を始めた。
最初は、鯉のぼりや鱗の型紙を切っての準備だ。
特に鱗は沢山必要になるが、小さいと大変なので、大きくデザインしたほうがいいだろう。
青はお父さん、赤はお母さん、黒は子どもだが――黒が父、青が子どもバーションもあるらしい。
一番上には吹き流しのようなものがついているな。
そういえば、一番てっぺんには矢車も回っていた。
色々とついているが、全部意味があるんだろうなぁ――やっぱり。
工作をしていると外が暗くなってきたので、造りかけの材料を持ってアパートに帰った。
秘密基地の隣の白い家にも明かりがついている。
あの奥さんも帰ってきているらしい。
アパートに帰ると、外で大家さんにあった。
「あら? もしかして鯉のぼり?」
大家さんは、俺の荷物に入っている鯉のぼりの材料に気がついたようだ。
「そうなんですよ。本物の鯉のぼりは無理なので、コノミと一緒につくろうかと」
「ええ? でも、女の子だけの家なのに、鯉のぼりというのは……」
え? それってやっぱりおかしいのか?
ウチは、男兄弟だったからなぁ。
大家さんの話だと、女の子だけの家庭で鯉のぼりは変らしい。
「でもぉ、せっかくだし、赤い鯉のぼりなら女の子っぽくていいかもねぇ」
「ありがとうございます」
そうなのか~。
部屋に戻ると、コノミの友だちは帰っており、飯の用意ができていた。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
コノミが俺が文机の近くに置いた紙袋の中身を覗いている。
「それはお土産じゃないぞ」
「……」
それでも中身が気になるのか、ガサガサしている。
「それは、鯉のぼりだ」
「?! 鯉のぼり?」
「さすがに大きいのは買えないから、作ろうかと思ってな」
「……」
やっぱり気になるのか、中を覗いている。
そんなに気になるのか。
そもそも、鯉のぼりがなんなのか知らないのかも。
「ほら、ご飯を食べよう」
「うん」
3人で夕飯を食べながら、彼女の友だちのことを尋ねた。
「クラスでお友だちができたんだな」
「うん、野村さん」
「最初、男の子かと思ったよ、はは」
「ダメ!」
コノミから注意されてしまった。
その野村さんは、男の子と間違われるのを気にしているらしい。
それなら、髪を伸ばしてスカートとか穿いたほうがいいんじゃねぇの?
――とか思うのだが、色々と理由があるのだろう。
そこら辺は、気をつけたほうがいいか。
食事が終わると、俺も片付けを手伝った。
ちゃぶ台を使いたいからだ。
場所が空いたら、鯉のぼりのパーツを並べる。
「……」
コノミがじ~っと、パーツを見ている。
「コノミも手伝うか?」
「うん!」
「私も! 私も!」
なぜか、ヒカルコまでフンスと気合を入れている。
「でも、大家さんから女の子しかいないのに、鯉のぼりは変って言われたから、赤いのだけ作ってみようか」
「うん!」
「それじゃ、2人は画用紙に描いてある鱗を切ってくれ。難しいぞ?」
「頑張る!」
「よしよし」
肥後○守を使わせるよりは、ハサミのほうが危なくないだろう。
コノミが慎重に、俺が画用紙に描いた鉛筆線をなぞってハサミを入れている。
赤い鱗に白を貼って、その上からまた赤を貼る。
本当はもう1色、水色などがあれば綺麗だと思うのだが、これでいいだろう。
鱗は沢山必要なので、数を作らねばならない。
切って貼って沢山の鱗ができたら、赤い緋鯉のベースに貼っていく。
まぁ、女の子鯉なので、緋鯉じゃねぇんだが。
「上手いぞ」
「うん」
手作りなのだから、多少曲がったほうが味が出ていい。
風になびくわけでもないから、片側だけ作ればいいだろう。
最後に鰓と目玉とヒゲを貼り付ければ完成だ。
「ほらコノミ、緋鯉ができたぞ」
「すごい!」
「本当は、緋鯉はお母さんなんだが……」
「ひごい?」
「そう」
「ショウイチは、なんでも知ってる!」
「ははは、なんでもってわけじゃないけどな」
作業に熱中していると、コノミが寝る時間になった。
「もうちょっとやる」
「はい、ダメダメ。またあした一緒に作ろう?」
「……うん」
彼女も眠たいようなので、俺の言葉に従うようだ。
みんなで歯を磨いて、クィーンサイズの布団を敷く。
コノミの希望で一緒に寝ているが、ずっとこのままってわけにはいかないだろう。
まぁ、彼女ももう少したてば、1人で寝たいと言い出すに違いない。
二次性徴に入れば、もう一人前のつもり――大人ぶってみたくて、親に逆らったりする。
反抗期ってやつだな。
俺にもそういうときがあったし、みんなそうやって大きくなるわけだ。
コノミにも反抗期なんてやってくるのだろうか?
なんか親らしいことを考えつつ、いつものように3人で川になる。
俺が真ん中で、コノミとヒカルコに抱きつかれているわけだが、すっかり暖かくなり、これから初夏に向かう。
そうなる前に勘弁してほしいのだが。
------◇◇◇------
――鯉のぼりを作り始めてから、3日ほどで完成した。
部屋の中に細い竹の棒を立てて、そこに鯉のぼりが飾ってある。
大中小の赤い鯉のぼりだ。
遊びにやって来た、コノミのお友だちにも評判がいい。
ボーイッシュな野村さんには弟が2人いるようだが、鯉のぼりはないらしい。
ポールを立てて空に泳がすとなると、スペースがある一軒家じゃないと無理だしなぁ。
「私も作るの手伝った!」
コノミが自信満々に答えている。
実際、彼女はかなり頑張ったのだ。
中々、手先も器用である。
編み物とかさせたらよいかもしれないが、先生がいないしなぁ。
「鱗が沢山あったから、大変だったよな」
「うん! 大変だった!」
「すご~い!」
友だちの受けはいいようだ。
コノミのお友だちが来てしまったので、また俺は秘密基地に退避だ。
大人しく仕事でもするか。
秘密基地にやって来ると、隣の奥さんと出会う。
「ちわ~」
「……」
俺の顔を見た彼女は、嫌そうな顔をしている。
まぁ、それは仕方ない。
「あの~いずれは誰かに見つかると思いますから、止めたほうがいいと思いますよ。最初に見つかったのが俺でよかったのかもしれません」
「なんの話ですか?!」
「は?」
俺は彼女の予想外の反応に間抜けな声を出してしまった。
「変な言いがかりをつけるつもりなら、警察を呼びますよ!」
俺は彼女の豹変ぶりに驚いたが――まぁ、すぐに理解した。
あの場合は現行犯だったわけで、すぐに店に連れていかれたら、言い訳ができない状態だったが――。
今は違う。
彼女が万引きしたという証拠はどこにもないのだ。
つまり彼女は、そういうことはなかったことにしたのだろう。
確かに、ここに警察を呼ばれても、貿易会社の社長夫人VSしょぼいオッサン。
証拠はないし、どうみても俺に勝ち目はない。
悲しいけどこれ、現実なのよねぇ。
「あ~、はいはい。こりゃ申し訳ありませんねぇ」
俺はその場で頭を下げた。
「……」
彼女が玄関に戻るとバタンと乱暴にドアが閉じられる。
「なんだよ――コノミがいるから、よい大人ぶったりしたのに。そっちがその気なら、こっちもそれなりのことをしちゃうぜ」
俺は秘密基地に駆け込むと、畳みに寝転がり作戦を練った。
その前にデータの確認をするために、スマホの電源を入れる。
カメラのフォルダを探すと、写真を確認。
隣の奥さんが、小物をカゴの中に入れる連続シーンが、しっかりと撮れている。
顔も写っているので証拠としても十分だろう。
まさか、あの状態で写真を撮られていたとか、夢にも思うまい。
なにせ未来のオーバーテクノロジーだからな。
まぁ、これでもあとで金を払ったとか言われたら、それで終了のような気がするが。
そのときは、しゃーない。
単に人の厚意をないがしろにしたのに腹が立ったので、ちょいと嫌がらせをしたいだけなのだ。
金持ちがムカつくので、写真を使ってどん底に叩き落とそうとかそこまでは考えてない。
セコい? 器が小さい?
まぁ、俺はそういう人間なので仕方ないな。
聖人君子ではないので、ムカつくこともあれば嫌がらせもしたくなる。
それはさておき――この写真をどうやって奥さんに見せるか?
スマホをそのまま見せれば簡単なのだが、それはできない。
嘘も荒唐無稽なぐらいデカくなれば、逆に信じるやつも出てくるのだが――。
たとえば、俺はアメリカから送り込まれたエージェントで、この板はNASAで開発された極秘の超情報機器だ――とかな。
秘密を漏らしたら、命が危なくなるぞ?
などという設定なら信じるやつがいるかもしれん。
八重樫君も、俺が未来からやって来て荷物をなくした――とか言ったら、一瞬信じそうになっていたからな。
極秘の任務を受けたスパイとか軍人とか、そういう国際結婚詐欺に引っかかる人もいるから、意外と使える手なのかもしれん。
ある日突然、未来から子孫がやってきた――とかな。
あ、そう考えると、葛飾にいる爺さんのところを訪ねても、案外信じてくれたのかも……。
爺さんのことも、酔っ払うたびに同じ話を聞かされたし。
親族しか知り得ないことを知っているし、詳しく話せば力になってくれたかもしれん。
まぁ、すべてあとのカーニバルだが。
今更、爺さんの所に行ってもメリットもねぇし。
――いやいや、そうじゃねぇ。
写真の話だな。
「そうだ!」
俺はいい考えを思いついた。
スマホの画面をカメラで撮ればいいのだ。
やろうと思えば、この秘密基地で現像もできる。
電気も引いたしな。
どのみちカメラを買って自分で現像するつもりだったから、これで踏ん切りがつく。
俺は身体を起こした。
「よし、とりあえずカメラの値段でも下調べに行ってみるか」
思い立ったが吉日。
下調べと言いつつ、金も10万円ほど持つ。
この前、金が入ったから生活費は大丈夫だが、ダービーの資金を投資しちまったからなぁ。
もう、ここは恥を忍んで、ヒカルコの金を借りるか?
キーストトンが皐月賞で負けたから、人気が落ちるだろう。
そこで勝負だと思うのよ。
どの道、残っている金だと勝負を賭けるには足りない。
やっぱり、50万円ほどドーンといきたいところ。
なにせ、ダービーを絶対に勝つ馬が解っているのだ。
借りたってすぐに返せる。
オッサンになると、腰が重くなるのだ。
やる気が起きたときにやらないと、ずっとそのまま――みたいなことになりかねん。
とにかく、あらゆることが面倒くさくなるのだ。
よく、歳を食って丸くなる――なんて言われることがあるが、丸くなんてなるはずがないのだ。
三つ子の魂百までもって言うだろ?
丸くなるのではなくて、面倒くさくなっているだけ。
怒ったり文句を言うのも面倒になるので、「ああ、いいよいいよ」「好きにしろ」とか言い出すのだ。
結局、中身は一緒。
爺になって、ちょっと小賢しくなって取り繕うことを覚えただけだし。
中身なんて変わるはずがない。
俺は自問自答しながら、玄関に鍵をかけて国鉄の駅前に向けて歩き始めた。
確か、駅前にカメラ屋があったはず。
この時代じゃ○○カメラみたいな量販店もないから、どこで買っても値段もそんなに変わらないはず。
いつもの路地を歩き、駅前商店街の入り口に近づくと、甲高い大きな音が聞こえてきた。
大型のマンションとショッピングモールの複合施設の建設が始まっている。
俺が聞いた音は、複数機立ち並んでいる巨大な杭打機だった。
「はぁ~すげぇな」
オリンピック直後は、景気が下むいたとか新聞に載っていたが、これから「いざなぎ景気」になるわけだろ?
そろそろ、その兆候が見られてきたのだろうか?
八重樫君の実家は建設業だと言っていたから、これから大儲けしてデカくなるのかね?
羨ましい限りだが、大手ゼネコンに八重樫組とかなかったような……。
やっぱり途中で吸収合併とかされたんだろうか?
杭打機の音を聞きながら、カメラ屋に向かう。
そんなに大きな店ではなく、現像や撮影などもやっている店だ。
ショーウィンドウには、女の子が晴れ着を来た七五三の写真などが飾られている。
「ふ~ん」
二階に上る階段があるので、上がスタジオになっているのだろう。
店内のガラスケースの中に、カメラが複数台並んでいる。
この時代、カメラの種類も少なく、そんなにいろいろと選択肢があるわけでもない。
俺が目をつけていたピータックスSPも並んでいた。
値段は5万5000円だ――やはり高い。
「なにかお探しですか?」
奥から、グレーのジャケットを着たオッサンが出てきた。
歳は俺と同じぐらいか。
「このピータックスのSPな」
「今、売れてますよ~。海外でもすごい人気で、中々入って来なくなってます」
「そうか~やっぱりな」
「海外の有名な人が使ったということで、人気に火がついたようで」
「この値段で測光機能もついているしなぁ」
「そうですね」
事情を話し、現像に必要な機材一式の見積もりを出してもらう。
「全部で、6万5000円ほどですね」
「引き伸ばし機とかも含めて?」
「ウチに中古がありますから、それでもいいならもう少し安くなりますよ」
「ああ、中古でもいいよ」
「それじゃ――6万円ってところですかねぇ」
オッサンが、そろばんを弾いている。
「それと、金払うんで、フィルムの現像の仕方を教えてもらえねぇか?」
「ウチで現像もできますよ」
「ほら、人に見せられねぇ写真とかあるわけで」
「あ~なるほどぉ。そういうのも追加料金をいただければ、やりますけど……」
そう言われても、スマホの画面を撮ったものなどを写真のプロとかに見せられねぇ。
「まぁ、どうしても無理だと悟ったら、頼むかもしれねぇが」
「ははは、多分大丈夫だと思いますよ。でも、画質にこだわりとか?」
「いや、そうでもねぇけど……」
「それなら、普通のネガフィルムでも十分だと思いますよ」
「う~ん、そうなの?」
こっちは素人だからなぁ。
プロの意見に従う。
別に芸術写真を撮るわけでもねぇし。
現像の仕方まで教えてくれるというので、ここでカメラ本体とレンズ、現像の機材や薬品などを一式購入した。
さすがに大量なので、配達してもらうしかないだろう。
その前に、しばらくこの店に弟子入りして、現像の手ほどきをしてもらわないといかん。
――さっそく、近所のよろず屋からノートと鉛筆を買ってきて、レクチャーを受けることになった。
基本的なカメラの使い方はもちろん、現像には沢山の薬品が必要らしい。
フィルムカメラも使うのは久しぶり――といっても、写ってルンですしか使ってなかったが。
お客が来たときには一旦中断するので、少々時間はかかるがしゃーない。
沢山の工程やら注意事項をしっかりとメモっていく。
人生、一生勉強だ。
別に人から強制されたわけじゃなくて、自分の趣味のための勉強だしな。
――それから数日、カメラ屋に通いレクチャーを受けた。
店を閉めたあと、機材の運搬もしてもらう。
秘密基地の仏壇がある部屋に、暗幕を引いて暗室を作った。
テーブルを運び込み、電線を敷いて赤い電球を取りつける。
いかにも現像室って感じがするぜ。
現像時間などの細かい管理が必要なので、機械式のクロノグラフ腕時計も購入した。
かなり高い買い物だったが仕方ない。
時計なら普段使いもできるしな。
水も沢山使うらしいので、水道も開通させた。
流しの部分の窓も塞いで、暗幕で囲ってある。
準備ができたので、スマホの画面を写してみることにした。
なにせ、こんなことやったことがない。
失敗したら失敗したで、それでいい。
どうしても隣の奥さんに嫌がらせしたいわけじゃないしな。
スマホを点灯して、三脚に固定をしたカメラのファインダーを覗く。
デジカメのようにバリアングル画面とかないので、こうするしかない。
絞りは開放、シャッタースピードは解らんので、条件を変えて複数枚撮った。
接写するので、接写リングを取り付けてある。
シャッターはレリーズボタンで押す。
8枚ほど撮ったが、フィルムが余っているので、外の景色を撮ってみた。
オートフォーカスなんてないし、もちろん手ブレ補正機構もない。
しっかりと構えて、シャッターボタンを押す。
撮影が終わったら現像だ。
急ごしらえの暗室で、フィルムを取り出して金属製のボビンに巻いていく。
それを金属の筒の中に入れて、複数の薬品に浸す。
現像液で現像して停止液で停止、そして定着液で定着――名前のままだ。
水洗いして見てみる。
「おお~っ、ちゃんと写っているじゃないか!」
当たり前といえば当たり前なのだが、ちょっと感動する。
ライトボックスとルーペで拡大して、ピントやブレがないか確認。
それが終わったらプリントだ。
こういうことも自分でできるもんなんだぁ。
この経験が執筆に生きることもあるし、なにごともやってみるもんだ。
まぁ、俺の場合はちょっと動機が不純だけどな。
写真のプリントは引き伸ばし機という機械を使う。
こいつは、投影機みたいなものだ。
ランプで投影している先に印画紙があり、そこに焼つけが行われる。
それが終わったら、また現像、停止、最後は定着する。
現像液を揺らしていると、画像が浮かび上がってきて、これまた感動。
俺の心はガキのようにワクワクしていた。
俺が最初にプリントした写真は、ちょっと位置がずれてしまったが、たいしたことはない。
写真には、隣の奥さんが万引きした決定的瞬間がバッチリと映っていた。
スマホの画面を写したので、もっとザラザラしたりTV画面のようにドットが写ったりするんじゃないかと思ったのだが、結構綺麗だ。
十分に見られる。
さて、写真は上手くできあがったが、どうするか。
とりあえず――決定的瞬間の一枚を、隣の郵便ポストに入れておいた。
ははっ、俺って性格悪いよなぁ。
自分でも解っているから、今更だが。





