43話 実用新案
俺と八重樫君の凸凹コンビを支えてくれた編集の相原さんが異動になるという。
彼女には色々とお世話になり非常に残念だが、これも仕事だししゃーない。
それでもコノミに会いにくると言っていたが、どうだろうか?
コノミも相原さんのことが好きなので、ぜひ会いにきてほしいと思う。
相原さんは少女漫画の編集に異動するらしいが、俺も少女漫画の原作は少々厳しいような……。
まぁ、ちまたの有名な作品は読んだことがあるので、それをベースに考えられなくはないが。
新しい編集も美人の女性だが、どうも漫画が好きではない様子。
それはいいとして、作品に口出ししなければいい。
どうせすぐに異動になるかもしれないし。
――3月26日、コノミの終業式&小学校の卒業式である。
卒業式らしく桜が満開とはいかず、まだつぼみだ。
始業式は4月6日で、それまで春休みだ。
4月から、彼女は4学年に編入になることに決まった。
思いの外、勉強もできるようで物覚えもいい。
普通に皆と授業を受けられるようで、彼女も楽しみにしているようだ。
彼女の言葉を信じれば――俺たちに会ったときに10歳なら、今年は11歳。
本当は小学5年生だったということになる。
やはりハンデがある中で、ここまでやれた彼女の健闘を称えるべきであろう。
子どもってのは学校嫌い、勉強嫌いというのが多いが、彼女はずっと学校に通うのを夢見ていたらしいので、普通のガキとは違うのだ。
そういえば、終業式と始業式って保護者は出るのかねぇ……。
「ヒカルコ、始業式と終業式って保護者が出るのか?」
「フルフル」
そうか、そうだっけ?
なにせ小学校なんて30年近く前だしなぁ。
「保護者が出るのは、入学式と卒業式だけか」
「コクコク」
「授業参観とか、お前が行ってくれよな」
「うん」
そういうのはオッサンより、女のほうがいいだろ。
それに若くて美人の保護者ってのは、子どもにとってステータスだしな。
今日は終業式だけなので、すぐにコノミが帰ってきた。
友だちを連れて。
いつもの女の子で、名前を鈴木久美子ちゃんという。
「鈴木さん、こんど何年生なの?」
「4月から5年生になります」
「ウチのコノミは4年に編入になるんだけど、学年は違うけど仲良くしてあげてね」
「はい」
色々と厳しい家庭のようで、挨拶もしっかりとできるよい子である。
彼女の親は、コノミと一緒に遊んでいることに関してはなにも言っていないようだ。
コノミが新聞に出た有名人であるというのも大きいだろう。
やはり寄付として送られてきたものをそのまま学校に寄贈したりしたのが効いている。
新聞に載った、不幸な女の子を悪く言うやつは誰もいない。
保護者である俺とヒカルコが、小説家だということも新聞には載っていたしな。
八重樫先生には悪いが、これが漫画家だったら色々と言われたかもしれん。
玄関から入って左側には俺が買った本棚がある。
こうやって徐々に家具が増えていき、部屋が狭くなるんだよなぁ。
しかも3人も暮らしているから、当然のごとく狭いのだが、それは俺のせいではない。
ここを契約したのは、俺1人だし。
ヒカルコや、ましてや公園で女の子を拾うなんてまったくの想定外だ。
それはさておき、本棚には今までもらった献本などが入れてある。
コノミが買った本や、彼女のために買った図鑑なども一緒だ。
「あ、この本はうちにもあります」
鈴木さんが指したのは、少年少女文学全集。
本棚には、最初にサンプルでもらったものと、ヒカルコが書いた全集の献本が入っている。
全集は大きいので、本棚からはみ出して目立つ。
「さすがに、こういう本なら買ってもらえるのか」
「はい」
「む!」
コノミが全集を取り出すと、ペラペラと捲って女の子に見せた。
「ここ、ヒカルコが書いた」
「……えっ?!」
鈴木さんが、コノミの言うことを理解できなくて、本をじ~っと見ている。
「その話は、そこにいるヒカルコが書いたんだよ」
「えええ?!」
俺の言葉に、彼女が驚いている。
「本当だよ。その本も出版社から直接もらったんだ」
「本当ですか?! すごい!」
「ショウイチとヒカルコは、実はすごい!」
コノミが女の子に胸を張っている。
さて、コノミの友だちが来たから、俺は秘密基地に避難するかぁ。
玄関には、コノミが持ってきた、上履きがある。
「コノミ、これは洗わないとだめだな?」
「先生から洗ってきなさいと言われた」
「よしよし」
下のポンプのある所で洗おう。
靴用に専用のたわしがいるな――買ってくるか。
ついでに、駅前の商店街まで遠征だ。
商店街近くの通りまでやって来ると、建物の取り壊しが本格的に始まっていた。
これで、駅前から一直線に突き抜けたわけだな。
ここに、平成令和でも残っていた大型のショッピングモールが建築されることになるわけだ。
駅前までやって来ると、電気屋で電気スタンドを購入。
秘密基地のちゃぶ台が暗いので買うことにした。
どんどんものが増える。
スタンドを買った帰りに、太い針金の柄がついた細長いたわしを買う。
これでコノミの靴も洗えるだろう。
秘密基地に行く前にアパートに戻ると、コノミの上履きを洗った。
洗い終わった上履きは、階段の踊り場の所に立てかけて乾かしておく。
まぁ、階段を上がれば音がするので、ここなら盗まれることもないだろう。
平成令和の感覚で暮らしていると、ものがなくなるのがこの時代だ。
そのあとは秘密基地に戻り、電気スタンドを設置。
これで仕事がはかどるってもんだ。
------◇◇◇------
――3月28日に中山競馬場で、スプリングSが行われた。
俺が狙っているキーストトンは、1番人気で2着に敗れ――1着はダイダイコーター。
やっぱり買わなくて正解だ。
次のレースは皐月賞だが、これも買えない。
もどかしいが、勝利パターンを崩すわけにはいかない。
ぐっと我慢だ。
数日あと、今月31日で新宿の淀橋浄水場が廃止された。
その跡地に、新宿ビル群が建設されるわけだ。
早く儲けて副都心の土地を買いてぇ。
そういえば、ヨ○バシカメラって、淀橋からきてるんだな。
考えてみれば当たり前なのだが、新聞読んでて気づいたわ。
――そして暦は4月に突入した。
新聞には国産旅客機のYSが就役したと載っていた。
子どもの頃に乗ったことがあったのだが、この年がデビューだったのか。
外はもうぽかぽかの陽気で、コートもストーブも必要ない。
ストーブは担いで、秘密基地に収納することにした。
少々重いが近くなので問題ない。
階段の下にも物置があるのだが、灯油が入っているからな。
アパートに戻ると、ヒカルコからデカい封筒を渡された。
差出人を見ると特許事務所。
封を切って中身を確かめる。
出てきたのは、爪切りカバーの実用新案登録の書類。
「やった! やっと1つ通った」
「よかったね、ショウイチ」
「そうだな」
早速、大家さんの所に行って、電話帳を貸してもらう。
ヒカルコのやつは、大家さんちの内階段も普通に使って出入り自由になっているので、借りてきてもらった。
この時代、ネットでググるとかできないので、こういう方法でしか調べられない。
確か電電公社で、電話番号から住所を教えてくるサービスがあったような気がする。
そう、NTTじゃなくて、ここじゃ電電公社だ。
ちゃぶ台に電話帳を乗せて、持ち込む会社を調べる。
当然、爪切りなどの刃物などの会社だ。
俺の知っているメーカーを探す。
個人で電話を持っている家が少ないのか、分厚い電話帳1冊で東京の全部が載っているっぽい。
「え~と……」
探す探す探す――ない? ないぞ?
コノミが俺と一緒になって、電話帳を覗き込んでいる。
もしかして、まだ存在しないとか?
いや、そんなことはない。
風呂屋でカミソリを買ったりしたので、メーカーは存在しているはず。
そのカミソリのメーカーは、爪切りも製造していて、平成令和でも残っている有名企業だ。
炊事場にいって、買い置きしているカミソリの紙パッケージを見てみる。
「あ~、メーカー名が違うのか」
俺が知っている有名なメーカー名は、これからあとに変わったらしい。
マークは同じだし。
部屋に戻って電話帳で再度確認すると載っていた。
電話番号の横には住所も載っている。
え~と、千代田区か――。
千代田区に爪切りやカミソリを作っている工場があるわけではないだろう。
本社の機能だけで、工場は別の場所にあるはず。
こりゃ都内の地図もいるなぁ……。
「よし!」
俺は買い物と情報収集に出ることにした。
「どこ行くの?」
立ち上がった俺に、ヒカルコが質問してくる。
「商店街」
「私も行く!」「コノミも!」
「なにも買わないぞ?」
「「……」」
2人して黙っている。
「お前は金持っているんだから、自分で好きなものを買えばいいだろ」
足でヒカルコのケツの所をウリウリすると、逃げ回ってコノミの後ろに隠れた。
子どもを盾にするなんて卑劣なやつだ。
「お買い物~♪」
コノミが着替えながら、変な歌を歌っている。
まぁ、暇なんだろう。
4月からは、正式に4年生だしな。
3人で出かけると、商店街にやってきた。
春休みなのでガキが多い。
着物に割烹着姿の女性の間を、子どもたちが走り回っている。
本当に騒々しい。
こんだけガキがいれば、そりゃ人口も増えるわ。
どんな貧乏人でも結婚して子どもがいたし、結婚して子どもがいないとピーとか言われて、同調圧力で責められたんだから、そういう時代だ。
国がどんどん発展していくから常に人手不足で、選り好みしなけりゃいくらでも仕事があった。
学歴も関係なく、中卒で働く。
そして働いていれば、なんとか飯が食えたわけだ。
それがよかったのかどうかは知らないけどな。
本屋に行って、俺は都内の地図を購入した。
コノミがもぞもぞしていると思ったら、俺の所に本を持ってきた。
「ショウイチ、これ……」
彼女が本を2冊差し出す。
「ダメダメ、コノミが九九を覚えたときに沢山買っただろ? どうしてもほしかったら、ヒカルコにお願いしてみたら?」
彼女がヒカルコのところに本を持っていった。
ヒカルコがしゃがんでコノミと話していたのだが、1冊に絞らせたようだ。
買ってやるらしい。
際限なく買ってやるわけにはいかんからな。
いや、本なんていくらでも買ってやってもいいんだが――そうは言っても、限度というものがある。
彼女は、相原さんなどからも本をもらっているし、本に関しては恵まれていると思う。
ああ、ちょっと前まで独身だったのに、親の苦労を実感することになろうとは……。
ウチの親もこんなことを考えていたのかもしれん。
本屋を出ると、俺は小間物屋に向かった。
昔は小間物というのは、背負って売り歩いていたらしい。
昭和の終わりにコンビニやホムセン、100均などができると、全部そういうのはなくなってしまったからなぁ。
まぁ雑貨屋として残っているところもあるが……。
商店街に店があるのは知っていたが、中に入ったことはなかった。
コノミはヒカルコに買ってもらった本を胸に抱えている。
店に入ると爪切りを探す。
棚は細かく仕切られていて、様々なものが売っている。
櫛や鏡、化粧品なども扱っているようだ。
その中に――見つけた。
当然、爪切りにはカバーがついていない。
それを俺が発明することになるわけだからな。
1つは、俺が住所を調べた有名メーカーのもの。
もう一つは――見たことがないマークが入っている。
爪切りに刻まれた、山冠に三のマーク。
とりあえず、この店にはこの2つしか売ってないようだ。
「ちょっと――」
俺がレジに爪切りを持っていって話を聞こうとしたら、服を掴まれた。
ヒカルコが、ポップな色使いの箱をもっている。
どうやら化粧箱らしい。
「それこそ、自分で買えよ~」
「……」
彼女が横を向いている。
そこにコノミが花柄のブラシを持ってきて、箱の上に置いた。
まぁ、女の子だからブラシの1つも持っいてもいいけど。
「ったく、しゃーねぇ」
俺は箱をヒカルコから取ると、レジに持っていった。
そう、ここにはレジがある。
デパートにはあったが、近所の店にはなかった。
おそらくこいつは高価なものなのだろう。
そこに座っていたのは、割烹着を着た白髪の婆さん――に見えるのだが、多分そんなに歳はとってないんだろうなぁ。
やっぱりこの時代の人間は歳を食ってみえる。
それにしても、小間物屋で割烹着か。
もうちょっとおしゃれにしたほうが客が入ると思うんだが――まぁ、それは余計なお世話か。
「爪切りと化粧箱で、650円だよ」
婆さんがぶっきらぼうに答えたのを受けて、俺は財布から1000円を出した。
「ちょいとお姉さん。釣りはいらんので、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
「あん? なんだい?」
「この爪切りはなんてメーカーなんだい? こっちは知っているんだが……」
「……」
彼女がじ~っと爪切りを見ていたのだが、椅子の後ろから黒電話を持ってきてカウンターの上に置いた。
受話器を取るとジーコロジーコロと、どこかに電話をかけはじめた。
「ああ、○○の○☓だけど、いつもお世話になっております」
『……』
「それはいいんだけど、お前さんの所から卸してもらってる爪切りがあるじゃないか」
『……』
「そっちじゃなくて、ヤマに三のほうね」
ヤマに三というのは、屋号のことだ。
それが爪切りに刻まれている。
『……』
「そう、それそれ、それってなんて会社なんだい?」
『……』
「はぁ、サントクさんね。そうなの、ちょっとお客から聞かれてさ。そうそう――ありがとうございます」
婆さんが電話を切った。
「お兄さん、サントクさんだって。3つの徳って書いてサントクね」
「ありがとうございます。お姉さん」
「……」
心なしか、婆さんが照れているように見えるのだが――。
彼女と話しているうちに、いつの間にかカウンターの商品が増えている。
2人がそ~っと置いたらしい。
後ろを見ると、2人が横を向いている。
「ヒカルコ! お前がやるから、コノミが真似するんだろうが!」
2人で逃げ回って、キャッキャとはしゃいでいる。
怒られてなぜか楽しそうだ。
「ったく――釣りは要らないとか言っちゃったけど、全部でいくら?」
彼女がレジスタを操作し始めた。
ガチャガチャとデカい音がして、チーンという音とともに、金を入れる場所が開く。
「720円だよ」
「それじゃ、電話で聞いてもらった代金が280円ってことにしてくれ」
「ああ、いいからいいから、それならあと280円分、なにか買っておくれ」
「わかった――お~い、あと280円分、買い物できるぞ」
「「……!」」
2人が棚を物色し始めた。
「お兄さん、女に甘いねぇ」
「んなこたーない。これでも、厳しいときには厳しいのよ」
「本当かねぇ」
買った荷物を抱えて、アパートに帰った。
どんどんものが増えるのだが、まぁ女なら化粧やらおしゃれのグッズはどうしても必要か。
コノミが小さな髪飾りを買ったので、横の髪を編んでやる。
「ヒカルコ、髪飾りで留めてやってくれ」
「コクコク」
「中々、可愛いな」
コノミが、ヒカルコが買ってきた化粧箱の鏡で見ている。
「コノミ、髪飾りをしている女の子とか、学校にいるか?」
「うん」
「それじゃワンポイントぐらいはOKなのか。でも、学校で髪飾りが駄目だと言われたら、止めないと駄目だぞ?」
「……」
それに関しては彼女は不満のようだが、学校で決まっているものはどうやっても曲がらんし。
それにこの昭和の時代は、先生の言うことは絶対だしな。
ヒカルコは化粧箱をいじり、コノミは買ってきた本を読み始めた。
さっき小間物屋で聞いた、サントクという爪切りのメーカーを電話帳で探す。
「え~と、漢字は三徳だったな……」
あった――本社は上野らしい。
買ってきた地図で場所を調べると――上野と秋葉原の中間辺りだ。
メジャーなほうの会社は、秋葉原の近くに橋があるが、あの向こうだ。
好都合だ。これなら1日で両方回れるな。
とりあえず、2社にアポなし突撃をしてみて、ダメなら他の会社も探してみよう。
インスタントラーメンの会社が300社もあるってんだから、爪切りの会社もまだあるだろう。
この時代は細かい会社が淘汰される前の黎明期。
そこから急成長する会社もあるかもしれない。
それにしてもサントクか。
聞いたことがないメーカーだな。
多分、俺がものごころつく前になくなった会社なんだろうな。
――実用新案登録の書類がやって来た次の日。
俺は、早速会社巡りをしてみることにした。
行ってみるだけなら、別に金がかかるわけじゃないし。
実物を見れば、よい発明だと解ってくれるかもしれない。
俺はスーツを着込む――やっぱり見た目は大事だ。
カバンに書類とハンコ、サンプルを突っ込む。
身分証明には米穀通帳を持った。
やっぱり、どこの誰か解らないと困ることもあるだろうし。
「さて、出かけてくるぞ。夕方前には戻れると思う」
「私も行く!」
コノミが手を上げているのだが、さすがに無理。
「ダメダメ、今日はお仕事で会社を回るから、子どもを連れて行くわけにはいかないぞ」
「む~」
むくれ方まで、ヒカルコに似てきている。
彼女のマネをしているのだ。
俺は、ヒカルコの頭にチョップを入れた。
「ぴゃ」
「お前が言うことを聞かないから、コノミが真似するんだよ」
「そんなことない」
彼女がむくれている。
そっくりだ。
「あるに決まってるだろ」
それはいいとして、会社巡りに子どもを連れて行くわけにはいかない。
コノミをなだめると、俺は1人でアパートを出た。
駅の途中の桜はまだ咲いてない。
こんなに咲くのが遅かったっけ?
まぁ、コノミが学校に行く頃には咲くだろう。
平日の昼間だというのに、花の下で酒を飲んでいるやつがいる。
俺はそれを横目で見ながら私鉄に乗り、高田馬場駅で山手線に乗り換え、秋葉原までやって来た。
「ふう……」
暖かいので、少し歩くと汗ばむ。
金はあるから夏用のスーツも買うかぁ。
仕事ってことになると、やっぱり戦闘服は必要だしな。
いつもの電気街とは反対方向に歩き、橋の上を歩く。
下を見れば神田川だが、ゴミが浮いて色々と垂れ流しているドブ川。
ここまで異臭が漂ってくるので、俺はにおいに鼻を摘み、橋を渡った。
「地図ではここら辺だと思ったが――」
見つけた。
小さなコンクリート製の3階建てのビルだ。
縦型の看板にも会社名が書いてある――間違いない。
俺は一旦深呼吸してから、大きなガラス製のドアを開けた。
入ると正面には受付のカウンターがある。
その後ろにはつい立てがあり、平成令和のように机を仕切るパーティションなどはなく、ズラリと机が並ぶ。
あちこちで電話が鳴り、対応している人たちがいる。
俺はそれを見ながら、カウンターに向かった。
「こんにちは~」
「いらっしゃいませ」
「私、発明を生業としている篠原と申します」
「はぁ……」
突然やってきたオッサンに、受付の女性は明らかに困惑している。
「今日は、御社のためにプラスになる発明をご提案いたしますため、やってまいりました」
「あ、あの~ご予約は……?」
「予約はありませんが――まぁまぁ、見てやってください。ここに取り出したのは御社の爪切り!」
「はぁ――」
「切れ味よく切れますが、重大な欠点があります。パチンと切ると、爪が飛び散って辺りが爪だらけに」
「たしかにそうです。私は新聞紙を敷いてやってますが」
俺はカバンから、試作のカバーをつけた爪切りを取り出した。
「そこで! 私の発明したこの爪切りならば!」
パチンパチンと、デモンストレーションして見せる。
「こんな具合に、爪が飛び散らないわけです」
「「へぇ~」」
受付の女性には、受けはいいみたいだ。
「こういう発明を売り込みたいので、話を聞いてくれそうな人を呼んでくれませんかねぇ……?」
「……少々お待ち下さい」
受付の1人が立ち上がり、右手にある階段から2階に上がっていくと、背広を着た男を連れて戻ってきた。
なんだか顔が四角くてゴツい、体育会系みたいな男だ。
歳は40ぐらいか。
「なんだというんだ」
男は、突然連れてこられて、不満そうな顔をしている。
そこで俺は、受付の女性たちに説明したと同じデモンストレーションをして見せた。
「ふん――それで?」
「単純かつ、効果的な発明だと自負しております。ぜひとも、御社の製品に採用していただきたいのですが」
「こんなものがなんだというんだ! 忙しいのに呼びつけやがって!」
男が不満をあらわにした。
「でも、これって便利ですよ」
受付の女性たちもそう思ったのか、俺の発明を擁護してくれている。
「うるさい! 受付の女ごときが、口を挟むんじゃねぇ!」
男性社員に怒鳴られて、受付嬢たちはしょんぼりしてしまった。
いかにも昭和っぽい。
ああ、こりゃだめだな。
俺は、爪切りをカバンの中に戻した。
「貴重なお時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」
「まったく、お前みたいな乞食がよくくるんだ。二度と来るんじゃねぇぞ」
「はい、失礼いたします」
俺は、受付の女性たちにも礼をした。
彼女たちは、この発明は便利そうだと解ってくれていたようだが。
はぁ――この会社はダメだな。
それでも、大きくなって残っちゃうんだろうなぁ。
平成令和でもメジャーな会社だったし……。
まぁ、あの男だけがたまたまなのかもしれないが……。
俺は、通りを走っている都電に乗り込むと、次の会社に向かった。





