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昭和38年 ~令和最新型のアラフォーが混迷の昭和にタイムスリップしたら~【なろう版】  作者: 朝倉一二三


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42話 ひな祭り


 暦は3月になった。

 すでに気温は上昇して暖かく、昼間はストーブを点ける必要もないぐらい。


 陽気だけではなく、3月といえば――ひな祭り。

 俺が買った雛人形も、オート三輪で運ばれてきた。

 女の子がいるのにひな祭りをやらないわけにはいかず、雛人形を購入。

 少々の出費をした。


 まぁ、ヒカルコがやったように自作するという手もあるし、そういうのも情操教育にはいいと思う。

 金がないわけでもないので、雛人形を購入することにしたわけだ。

 多分、10年以上は使えるだろう。

 もしかしたら、コノミがいいお相手を見つけて子どもを生み、引き続き使ってくれるかもしれない。


 そうすれば無駄にはならないと思う。

 ひな祭りは女の子の祭りだが、5月には子どもの日があるな。

 昔はあちこちで鯉のぼりが上がったものだが、平成令和ではほとんど見なくなった。

 この時代では5月になると鯉のぼりが空を泳いでいるのだが――さすがに、このアパートにそんなスペースはない。

 小さな鯉のぼりでも買って誤魔化すしかないな。


 たとえば俺がまともな家を買っても、鯉のぼり用のポールとか立てないと思うし……。


 ――子どもの日のことはあとにして、買ったばかりの雛人形を出すことにした。

 学校から帰ってきたばかりのコノミに手伝ってもらう。

 彼女は1週間ほどで、九九を丸暗記してしまった。

 九九表はまだ貼ってあるが――俺より早くて悔しい。


「3月3日はひな祭りです。コノミは知っているか?」

「フルフル」

 やっぱり知らないらしい。

 一度もひな祭りをやったこともないし、学校に行ってなかったので、そういう話題も知らないのだろう。


「ひな祭りには、雛人形というお人形を飾ってお祝いをします」

「コクコク」

「雛人形を手に入れてきたので、一緒に飾ろうか?」

「わかった」

 押入れの奥から箱を引っ張り出した。

 配達されてすぐに押入れに入れたので、まだコノミは中身を見ていない。


 木箱の蓋を開けると、中には青いお内裏様と、赤いお雛様が入っていた。


「男のほうがお内裏様で、女のほうがお雛様な」

「うん」

 彼女が箱の中をじ~っと見ている。

 一緒にヒカルコも、箱の中をじ~っと見ている。


 興味がなかったらどうしようかと思ってたのだが、一応あるらしい。

 人形を2体取り出して、箱の引き出しを開ける。

 そこには赤い着物を着た三人官女。


「これが、三人官女さんな」

「うん」

 3体の人形を取り出すと、その下には宝箱やら牛車などのアイテムが入っていた。

 箱の引き出しをそのままにすると、階段状になるので、そこに人形たちを並べる。

 ヒカルコがやりたいようなので、彼女とコノミに任せた。

 飾ると中々綺麗だ。


 タンスの上を片付けて、その上に鎮座させた。

 大きさ的にはピッタリだ。


「お~っ! 結構豪華になるなぁ」

「「コクコク!」」

 2人がうなずいている。


「お祭りは3月3日なんだが、ご馳走はなにを作ろう?」

「カレー!」

 やっぱりカレーなのか。

 いいけどな。

 子どもが苦手な野菜も取れるし。

 完全食といえるかもしれん。


「それじゃ、ハンバーグも作るか」

「うん!」

「豪華にハンバーグカレーだな」

「すごい!」

 彼女がはしゃいでいる。


「人形に触ったりして、落とさないようにな。壊れちゃうから」

「うん」

 はしゃいでいるコノミだが、ヒカルコは人形をじ~っと見ている。

 物珍しいのか、男の俺はまったく興味がない。

 まぁ、見事な人形だってのは解るが。


 男の俺は、やっぱり飛行機とか船のほうが萌える。

 そういえば、萌えるなんて言葉もない時代だな。


「よしコノミ。買い物に行くか! 九九を覚えたから、漫画を買わないとな」

「うん!」

「私も行く!」

 ついでに晩飯の買い物もしてこよう。

 皆で着替えると、紙袋と買い物カゴを持ってアパートを出た。

 外で掃除をしている大家さんに出会う。


「こんにちは!」

 コノミの挨拶に大家さんが笑顔になる。


「はい、こんにちは~。コノミちゃん、お雛様買ってもらったの?」

 まだ、大家さんには見せてない。


「うん、すごく綺麗!」

「よかったわねぇ」

 彼女がコノミの頭をなでている。


「コノミの希望で、ひな祭りはカレーなんですよ」

「あら~、甘酒とか菱餅じゃないの?」

「聞いたら、カレーということだったので、はは」

「そうなの」

「大家さんも食べにきませんか?」

「あら~いいのかしら?」

「大家さんも女の子ですし」

「おほほ、そうよねぇ」

 そう言われて、彼女も楽しそうである。

 大家さんと別れると、路地を歩いて国鉄側の商店街に行った。

 四角いモルタル造りの小さな本屋で漫画を探す。


 木の本棚にたくさんの本が並んでいるのだが、雑誌なども多い。

 本棚の間を歩いていると紙のにおいが漂う。

 平成令和で俺が買う本は、ほぼ電子書籍になってしまっていたので、こうやって本屋巡りをすることもなくなっていた。

 一緒についてきたヒカルコは小説を選んでいるようだ。


「コノミ、3冊買っていいぞ」

「3冊……わかった!」

 彼女が真剣な顔をして本を選び始めたので、俺は図鑑を探すことにした。

 図鑑は見ているだけでも勉強になる。

 彼女が興味を持ってくれればの話だが。


「コノミ、こういう本はどうだ?」

「……」

 彼女に図鑑を見せると、じ~っと見つめている。


「見たことない動物とか、お魚とか載ってるぞ?」

「うん」

 どうやら見てみたいようだ。

 それじゃ買ってもいいな。

 彼女が選んだ漫画雑誌と単行本、ヒカルコが選んだ小説が2冊と、図鑑が2冊。

 合計で7冊を購入した。


 図鑑などは俺の紙袋の中に。

 コノミが自分で選んだ本は、大切に彼女が持っている。


「あ、そうだ。本も増えるから本棚も買うか……」

 前に文机を買った店に寄ると、本棚を買う。

 持って帰れないので配達してもらうことにした。

 夕方には運んでくれるという。


 買い物をしたあとアパートに帰ってくると、早速コノミが漫画を開いている。

 ヒカルコは帰ってくると、すぐに料理の仕込みを始めたようだ。

 それに気がついたコノミは、本を置いて炊事場に向かった。

 どうやら手伝うらしい。


 1人で部屋にいると、八重樫君がやってきて俺が貸していたモデルガンを持ってきた。


「やっぱり、実物は参考になりますねぇ」

「そうだろ」

「篠原さんが教えてくれた、松下アキラって人の漫画探しましたよ」

「見つかったかい?」

「はい、篠原さんの言うとおり、メカが格好いいですねぇ」

「そうだろ。しゅっとしてていいよな」

「ああいうのを見ると、僕が描いたのも直したくなりますが……」

 俺の紹介した漫画に少し影響を受けたようだ。


「手はあるぞ? ムサシの艦内に工場施設があるから、そこで部品を作って改造したってことにすればいい」

「あ、なるほど!」

「原料などは、小惑星や他の太陽系の惑星に降りて採掘すればいいし」

「そういう回を入れるのもおもしろそうですね!」

「原料を採掘しているところを敵に襲われてピンチになるとか。新しい鉱物を発見して、パワーアップできるとか」

「地球にないような鉱物があるかもしれませんから、そういうこともできるんですね」

 まぁ、元素は元素周期表にある分しか存在していないわけだが、そこは未来。

 今は発見されていないような新しい理論に基づき、新しい元素が発見されているかもしれないし。

 A元素とB元素の中間の素質を持つ、地球じゃありえないようなものとかな。


「そういうことだな」

 彼は早速ネタを考えるようだ。

 スケッチをするために彼が借りていたモデルガンを返してもらう。


「そういえば聞いたんですが……桑原先生が銃刀法違反で捕まったって聞きましたよ」

「え?! 桑原先生って、ナインマンとか描いている有名な先生か?」

「はい」

 なにやら実銃を持ってて捕まったらしい。

 やべーじゃん。


 俺は返してもらったモデルガンを持って、秘密基地に向かう。

 こういうものは、子どもには見せないほうがいいだろう。

 それにガンマニアとかいう噂が立つと色々と面倒だ。

 なにか事件があったりすると、痛くない腹を探られることになりかねんし。

 さっき出た漫画家の先生の話じゃねぇが――実際に俺は、本物の拳銃を持ってるしな。


 ついでに、コノミが唯一母親からもらったもの――スマホを持ってきた。

 こいつを調べるためである。

 正直あまり気が乗らないので、延び延びになっていたのだが、やってみることにした。

 俺は秘密基地にモデルガンを置くと、隠してある充電ケーブルを引っ張り出す。


「さてさて、なにが出てくるのか……」

 幸いコネクタは俺が持っていたものと一緒である。

 覚悟を決めて充電ケーブルを差し込んだ。

 とりあえず画面に電池のマークが出ている。

 どうやら充電できるようだが、中身をチラ見するだけだから、フルまで充電する必要はないだろう。


 10分ほど充電してから電源を入れてみた。

 OSが起動するが、パスワードやら指紋認証タイプだとアウトだな。

 画面が立ち上がったが、パスワードはないみたいだ。

 他に使えるやつがいないので不要だと悟ったか?

 多分、俺がやっているように、普段は電源を落として使っていたのかも。


 それに充電器が見当たらない。

 紛失したのか、それとも最初からもってなかったのか。


 データは生きているようで、画像データが100枚ぐらいあった。

 開くと――コノミに似ている若い女の写真が沢山。

 服装や景色を見ると令和か平成の写真だろう。

 歳は20歳ぐらいだと思われるが、その中には赤ん坊の写真などはない。


 その後、突然バラックが並ぶ昭和の写真になっている。

 この落差がすごい。


 最初は驚いて写真などを撮っていたが、すぐにのっぴきならない状態になったのだろう。

 昭和20年代といえば、食うのも大変な時代だ。

 どうやら暦などは修正せずに、そのまま使っていたらしい。

 やっぱり、20歳ぐらいのときに昭和20年代にタイムスリップして、コノミを産んだってことになるか。

 昭和の写真はあまりなく、その中に赤ん坊の写真が一枚。


 多分、コノミだ。

 おそらくは望んで産んだ赤ん坊でもなかったのだろう。

 自分だけでも食うのが精一杯なのに子どもの面倒までみなくてはならない。

 そんな彼女に愛情を注げというのも、酷なことなのかもしれない。


 それ以降の写真はないが、一枚だけ男の写真があった。

 横顔なので、多分隠し撮りではなかろうか。

 さすがに、スマホの存在は隠していたのだろう。

 普通に考えたら、こんなものを持っていたら、どんな目に遭うか解ったものではない。


 写真を撮らなくなったのは、なにか理由があるに違いないだろう。

 あるいは、そんなことをする余裕もなくなったのか。

 横顔の男が父親なのかも解らん。

 もしかして、スマホの中にはテキスト文章もあるかもしれんが、探して読む気にもならない。


「はぁ……」

 俺は赤ん坊の写真を見ながら、深い溜息をついた。

 まぁ、このスマホのデータを漁るのは気が進まなかったのだが、予感が的中した格好だ。

 数枚の写真から、タイムスリップしたコノミの母親がどんな生活を送ったのか、察せられてしまったからだ。

 多分、コノミを捨てた母親は、昭和の生活に限界が来てしまったんだろうなぁ。

 平成令和の女子が戦後にタイムスリップ――まるで異世界に転移するようなもんだ。

 そりゃ困難の連続だっただろう。


 暗い気持ちになっていると電源が落ちた。

 どうやらバッテリーが死んでいるらしく、充電がうまくできないのかもな。

 コノミが10歳だとすると、このスマホも10年以上たっているわけだし……あ、年が明けたので彼女は11歳か……。

 動くだけでもめっけもんだ。


 さて――この母親の写真をコノミに見せてやるべきだろうか?

 う~ん、彼女からまったく母親の話も出ないし、会いたくもないのかもしれないなぁ。

 写真を見せて、彼女のトラウマが拡大すると可哀想だし……。


 コノミのスマホを持つと、俺はアパートに戻った。


 ------◇◇◇------


 ――スマホのデータをみた数日あと、3月3日のひな祭り。

 コノミが学校から帰ってくると、友だちを連れてきた。

 女の子の家は、このアパートと学校の途中にあるらしい。


「すご~い!」

「これ、雛人形」

 コノミが人形の自慢をしている。

 ウチに雛人形があるということで、見物をしにきたらしい。


 コノミのお友だちが来たということで、俺は秘密基地に避難しよう。

 今日は暖かいので、筆記用具を持つとコートも着ないで外に出た。


「そうか――いちいち筆記用具を持たなくても、秘密基地に予備を置けばいいのか」

 俺は、そのまま文房具屋まで買い物に出かけることにした。

 商店街に到着すると、筆記用具やら原稿用紙を大量に買う。


「いつも毎度あり~」

 店主の角刈りの親父が声をかけてくる。

 いつも文房具を買うので、顔を覚えられてしまったようだ。


「ちわ~」

「原稿用紙をたくさん買うけど、物書きなのかい?」

「まぁ、そんなところだ。売れない物書きな」

「大変だねぇ、ははは」

 俺としては趣味なので、どうでもいいのだが。

 長年プロをやってて、自分の実力なんて解っているしな。

 未来の知識があるからネタには困らないが、それで傑作が書けるわけでもねぇ。

 ノーベル文学賞取った小説を丸暗記していて、あのまま書いたら有名になるかもしれないが。

 そんなことデキッコナイスだしな。


 俺はそのまま秘密基地に戻ると、原稿用紙を積み上げた。

 モデルガンをいじりながら仕事をする。

 そういえば、そろそろ爪切りカバーの実用新案が登録されるかもなぁ。

 特許事務所の爺さんは、登録されたら手紙をくれるってことだったが。


 実用新案登録ができて、それをどうやって金にするかだが……。

 やっぱり突撃するしかねぇか?

 アポなしとかで、相手にしてもらえるだろうか?

 まぁ、やるだけやってみねぇとな。

 特許を取って放置していたら、向こうからやって来るとかはまずねぇだろうし。


 いや、乳酸菌飲料の銀紙の蓋は違う。

 あのドリンクを商品化するにはどうしても必要な特許のはず。

 もしかしたら向こうから来るかもしれん。

 それは待ってみることにして、爪切りカバーは持ち込んだほうが早そうだ。

 一目みれば、便利なものだと解るはずだし。


 ちゃぶ台で仕事をしていると、窓から入ってくる光が暗くなりはじめる。


「そろそろ帰るか……」

 秘密基地を出てアパートに戻ると、カレーのにおいが漂ってきた。

 そういえば、コノミのリクエストでカレーとハンバーグになるんだった。

 ハンバーグの作り方は、ヒカルコに教えたのでマスターしている。

 高い肉と卵を使うので、今の時代じゃ高級料理だな。


 ガキの頃に食ったマ◯シンハンバーグもすでに販売されているのだが、最初のバージョンは色々な肉が混じっていたはず。

 値段は安いのだが、どうせ食うなら本物のハンバーグのほうがいい。


 炊事場から大家さんとコノミの声もするので手伝っているようだ。

 本当に家族みたいだよなぁ。

 大家さんも暇しているみたいだから、気分転換にいいのかもしれない。

 俺は、部屋でじっと料理ができあがるのを待つことにした。


 八重樫君には悪いが、ハンバーグつきカレーはウチの家族だけ。

 彼にはアシに来ている矢沢さんと一緒に、普通のカレーを食べてもらう。

 待っていると――ヒカルコと大家さんが、お盆にカレーを載せて持ってきてくれた。


「あら~、素晴らしい雛人形ねぇ」

 大家さんの目には、真っ先に新しい人形が飛び込んだようだ。


「ありがとうございます」

「これじゃ、私があげようとした人形なんて霞んじゃうわ」

「伝統的なものには、しっかりとした価値がありますので」

「そう言っていただけるとありがたいのだけど――ウチの娘が解ってくれるのかしら……」

 ちゃぶ台の上に、ハンバーグカレーが並ぶ。

 大家さんの分にはハンバーグが乗っていないのだが、彼女が遠慮したためだ。

 さすがにカレーとハンバーグはキツイらしい。

 若い人専用ってことだろうが、まぁ俺も若くはねぇが。


 カレーが配膳し終わったのだが、大家さんが外に出ていった。

 すぐに戻ってきて、手にはアルマイトの鍋が握られている。


「ひな祭りといえば、これよね」

 鍋の中を見ると、白いつぶつぶのドロドロ。


「甘酒ですか?」

「そうよ」

 平成令和のようにパックの甘酒が売っているわけがないので、大家さんの自作だろう。


「甘酒って作るのに時間がかかりますよね。ありがとうございます」

「いいのよ。久しぶりに作ったけど、作り方は忘れてなかったわねぇ」

「ご飯を食べたあとですかね」

「冷蔵庫があるなら、数日でも大丈夫よ」


 甘酒はあとにして、カレーを食う。

 カレーとハンバーグ――最強である。

 コノミも真剣な表情をして黙々と食べている。

 食欲があるのはいいことだ。

 ガキの頃は、いくら食べても太らんからなぁ。

 歳を食うと、油断するとすぐに太るし。


「篠原さん、お酒飲まないのねぇ」

「ああ、飲みませんね。タバコも吸いません」

「寝タバコで火事が多いから、本当に困るのよねぇ」

 火事は全財産を一瞬で失う可能性があるからな。


「タバコは健康にもよろしくないですし、百害あって一利なしですよ」

「そうよねぇ」


 食事のあとは、皆で甘酒を飲んだ。

 ほんのりと甘い甘酒――飲むのはなん十年ぶりだろう。

 独身だと甘酒を飲む機会なんてゼロだし。

 わいわいと、家族じゃないのに家族のような光景。


 こうして、コノミの初めてのひな祭りは終わった。


 ------◇◇◇------


 ――3月も暦が進み、中旬を過ぎた。

 新聞には、ソ連の宇宙飛行士が初宇宙遊泳をしたというニュース。

 そういえば、まだアポロも打ち上がってないんだよなぁ。

 月まで行ったアポロのコンピュータも、初期の家庭用ゲーム機以下の性能しかなかったらしい。


 あちこちにある桜が咲き始めたある日、コノミから渡された連絡帳に、彼女の編入について書かれていた。

 来月の4月から、4年生に編入になるらしい。

 やっぱり、九九を簡単にマスターしたことが大きかったな。

 九九ができれば、掛け算も割り算も、桁が増えてもやることは一緒だし。

 掛け算ができれば分数もできる。

 時間と距離と速度――なんかは、もうちょっとあとか?

 漫画や文学全集などを読んで、漢字もかなり覚えたしなぁ。

 子どもで脳みそが柔らかいのか、一度聞いたら忘れないようだし……。

 まったくもって羨ましい。


 世代が変わっても同じことを毎回学習しなきゃだめってのは本当に無駄だよなぁ。

 基礎学習なんかはハードディスクを入れるように、ポンと頭の中に差し込めるようになってほしいぜ。

 令和から50年とか100年たったら、電脳化みたいなこともできるかもしれないが、この時代から100年たってもそれは無理。

 まぁ、こういう時代だと思って楽しんだほうが得策だよな。

 それなりに面白いこともあるし。


 ――コノミの編入が決まってから数日あと。

 暗い中、相原さんが八重樫君の原稿を取りにやってきた。

 いつものように彼女1人ではなく、ダークなスーツに身を包んだ黒髪の女を連れている。

 シルバーの白い眼鏡をした、知的な美女って感じだが、あまり好意的な顔をしていない。

 なんだか仕方なく相原さんについてきた――みたいな感じがする。


 俺の所に八重樫君もやってきて、4人で話す。

 ヒカルコにはお茶を淹れてもらった。


「先生、原稿ありがとうございました。引き続き人気は衰えておらず、編集でも一押しでいくことで一致しております」

「ありがとうございます」

「それで――あの、前々に申し上げていた私の異動の件なのですが」

「やっぱり正式に決まったのですか?」

「――はい」

 先生の言葉に、彼女がちょっとうつむいて答えた。


「お姉ちゃん、もう来ないの?」

 コノミが立ち上がると、相原さんの所に行った。

 彼女は相原さん大好きだからな。


「コノミちゃん! コノミちゃんの所に遊びに来てもいい?」

「いいよ!」

「ありがとう~!」

 相原さんが女の子に抱きついた。


「担当が変わるのは残念ですが、近くにやってきたときには、コノミに会いにきてやってください」

「……はい」

「それで――もしかして、そちらが新しい担当さんですか?」

「はい」

 俺の質問に、相原さんが黒髪ロングの女性を紹介した。


「高坂美子です。よろしくお願いいたします」

「はい、よろしく~」

「よろしくお願いします」

 八重樫君の挨拶には、ちょっと覇気がない。

 やっぱり担当が変わることに抵抗があるようだ。

 漫画家に限らず、担当ってのは結構大事だからなぁ。


「それじゃ矢沢さんも、本格的に作品に取りかかるのかな?」

「そういうことになりますねぇ」

「八重樫先生の新しいアシも至急さがしていただかないと」

「その件につきましては、あてがありますので大丈夫です。新人ですが、先生のファンの方ですよ」

「お~、八重樫君も有名になったなぁ」

「そんなことありませんけど……」

 コノミも入れて4人で話していても、新しい担当の高坂という女性は終始渋い顔。


「高坂さん、漫画とかあまり好きじゃないんじゃない?」

「え?! そ、そんなことはありませんけど……」

 どうも歯切れが悪い。

 本当は文学とかやりたくて出版社に入ったのに、興味がない漫画部門やらに回されてしまってひねくれる編集もいるし。


「文学好きなら、そっちのヒカルコはどう? 文芸誌に連載しているんだぜ?」

「ひ、ヒカルコさんって、あの寺島ヒカルコさんですか?!」

 彼女に献本の文芸誌を見せてやる。


「やっぱり! あ、あの、私! あなたの作品の大ファンです!」

「……!」

 ちゃぶ台に手をついて身を乗り出す彼女に、ヒカルコがドン引きしている。

 ドン引きといえば、俺や八重樫君もドン引きだが。


「高坂さん!」

「は、はい!」

 彼女の失礼な言動に我慢しきれなくなったのか、相原さんが声を上げた。


「仕事の引き継ぎは、しっかりといたしますので」

 相原さんが頭を下げた。


「いえいえ、それでは高坂さん、これからよろしくお願いします」

「よろしくお願いいたします」

 俺と八重樫君で礼をした。


「それじゃコノミちゃん。またね」

「うん!」

「あ! 忘れてましたが、文学全集のお金が振り込まれてますから」

「そうなんですか? あとで確認してみます」

「よろしくお願いいたします」

 高坂という新しい担当は、ヒカルコとまだ話したかったようだが、相原さんに引っ張られて帰っていった。


 編集がいなくなった部屋で、八重樫君と顔を見合わせる。


「ケーキでも食うか」

 皆で、相原さんが持ってきてくれたケーキを食うことにした。

 このケーキは、あの新しい担当も引き継いでくれるのだろうか。


「はぁ……」

 先生がため息をもらした。


「まぁ、そんなに気を落とすことはないだろ。漫画に興味がないってことは、口を出さないってことだろうし」

「そうなんですかね」

 あんまり漫画に熱心な編集じゃなかったので、彼はがっかりしたようだ。

 今までも、漫画を下に見られるということを繰り返してきた彼だしな。

 それは当然ともいえる。


「逆にいうと、手のかからない漫画家だという認識が編集にはあるから、ああいう担当でもなんとかなるだろうと思われているのかもしれんし」

「僕は、今までどおりに描けばいいってことですよね」

「そういうことだな。編集よりも、新しいアシのほうが気になるが」

「相原さんの紹介ということなら、それなりの人がやって来るとは思いますけど」

「そうだな」

 彼女の目は確かだし。

 ああいう能力がある人が、女性だからというだけで下に見られるのは、さすが昭和だな。


 ――相原さんがやって来た日から数日あと。

 コノミを学校に送り出したあと、外でスポーツ新聞を買ってきた。

 3月28日は、スプリングSである。

 去年はこのレースに出たシンシンザンで儲けさせてもらったが、今年はそうもいかない。

 有力馬として俺が狙っているキーストトンの他に、ダイダイコーターという馬が載っていた。


 ダイダイコーターも聞いたことあるぞ。

 こいつも強い馬だったはずだが、戦績がまったく解らない。

 俺が知っているのは、キーストトンがダービーを勝ったということだけ。

 やはりスプリングSや皐月賞もスルーだろう。


 皐月賞の手前、3月26日は小学校の終業式で、コノミは春休みに入る。

 相原さんは4月から異動ということなので、次に編集が来るときにはあの女か……。

 相原さんとのつき合いも、少なくなるかもなぁ……。

 少々残念だが、俺は相原さん経由の仕事しかしないので、ムサシの他の仕事は編集部から受けるつもりがない。


 ヒカルコと一緒に銀行に行ったら、文学全集の原稿料が振り込まれていた。

 42万円である。

 彼女は前のお金もほとんど使っていないので、ほぼまるごと残っている。

 ――つ~か、生活費は俺が出してるじゃん。

 まぁ、俺になにかあったときのために、貯金しておけばいい。

 そのうち、彼女が独立したくなるかもしれんし。


 それはいいのだが、今年の分の確定申告は多くなりそうだ。

 原稿料は源泉を引かれているが、その他にも地方税やら国保の金がめちゃ取られるぞ。

 面倒くさくなりそうなので、金があるなら税理士を頼んでもいいのだが。



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