39話 コノミのお友だち
神田神保町にある、和洋折衷のホテルに相原さんと一緒にいる。
コノミのことで少々迷惑をかけてしまったということで、お詫びのつもりなのだろう。
俺としては、こんなお詫びがあるなら、どんなことでもやってしまいそうで怖い。
後悔先に立たずとは言うが、据え膳食わぬは男の恥とも言う。
やらずに後悔するよりは、やってから後悔したほうがいいのではないだろうか?
ヒカルコになし崩し的に押しかけられてしまい、そのことで相原さんに嫌われてしまったと思っていたのだが、そうでもないらしい。
まぁ、彼女はキャリア志向だろうしなぁ。
家庭やらに興味はなさそうだし。
あくまでビジネスパートナーとして、俺とつき合っているのかもしれん。
ベッドに寝ている彼女をなでなでしてやる。
「相原さん、仕事でストレスが溜まっているんじゃないんですか?」
「……」
彼女がギュッと目を瞑っているのだが、多分そうなのだろう。
あんまり女性の地位が高いといえない時代だしなぁ。
しばらく、相原さんの頭をなでなでしていたのだが、彼女が身体を起こした。
包まっていたシーツを放ると、着ていた服を全部脱ぎ、シャワーがある部屋に裸で駆け込んだ。
彼女がシャワーを浴びている間、窓から景色を眺める。
銀座、丸の内方向には、たくさんの鉄骨の骨組みが並び、急速に都市化が進んでいる。
やっぱり、千代田区中央区辺りから、ビルが立っていくんだなぁ。
都市開発ゲームでも駅の周りからビルが建っていくが、そんな感じか。
しばらくシャワーを浴びていた彼女だったが、裸にバスタオルを巻いて出てくると、その顔はいつもの相原さんに戻っていた。
ストレスは解消できたのだろうか?
あとは――美容と健康のためにも、しっかりと眠って欲しいのだが……。
彼女が脱いだ服を着始めた。
俺はそれを黙って眺める。
美人の着替えは絵になるねぇ……いつまでも眺めてしまう。
「あ、あの、むこうを向いてください」
「ええ? いまさら?」
「いいですから!」
まぁ、正気に戻ると恥ずかしいのだろう。
俺は後ろを向いた。
着替え終わった相原さんと一緒に部屋を出て、1階に降りるとキーを返す。
外に出ると、少し日が傾いていた。
アパートに帰ればちょうど飯時かな?
「篠原さん、夕ご飯は……?」
「さすがに、夕飯まで食べて帰ったら、ヒカルコにへそを曲げられそうで……はは」
「そうですか……」
彼女は残念そうである。
「コノミにケーキのお土産を買っていきたいんで、あの喫茶店によってもいいですかね」
「はい! ご案内します!」
来た道を戻れば国鉄の駅なのだが、相原さんは路地を歩き始めた。
俺はまったく道が解らないので、彼女について行くしかない。
大通りに面した場所は、コンクリや石造りの建物が多いが、路地の中に入ると木造の家屋も多い。
やっているのかどうかも解らない小さな本屋とか、小料理屋もある。
彼女のあとをついて、路面電車が走る大通りに出た。
ここまで来れば、俺でも場所が解る。
このまま北に行けば、水道橋の駅だ。
以前に相原さんと訪れた喫茶店に入ると、ケーキを3つ注文した。
ついでだ。コーヒーも飲みたいので、注文して座席に座った。
前には相原さんがいる。
「お仕事大丈夫ですか?」
「はい、いつものことですから」
彼女はニコニコしているのだが、半分フレックスタイム制みたいなものなのかもしれない。
出版社ってのは夜遅くまでやっているのがデフォみたいな感じだし。
夜の10時とかに平気でメールとか送ってくるからな。
この時代だと土日も関係ない感じだし。
「相原さん、日曜は休んでますか?」
「はい、可能な限り……」
ああ、いかにも昭和って感じがするなぁ。
俺たちの感覚ではそうなのだが、この時代は違う。
働けば働くほど会社が大きくなり、自身も豊かになることを実感できた時代なのだ。
そうみんな感じていたから、必死に働いた。
労働基準法なにそれ? って感じだし。
それを美化するわけじゃ~ないけどな。
学生運動とかしていた連中が、「立て万国の労働者」とか「搾取に決起せよ」って言ってるのに、国鉄のストやらで、その労働者の皆さんに大迷惑かけているわけだし。
ブルーカラーから白い目で見られていたのもあたり前○のクラッカーだよな。
しばらく相原さんと話したのち、帰ることにした。
「今日はありがとうございました。いや、ありがとうございましたは、ちょっと違うか」
「あ、あの……」
彼女が赤くなっている。
「仕事に疲れて、なでなでしてほしくなったらいつでもどうぞ」
「は、はい……」
買ったケーキを持ち、彼女と一緒に水道橋までやってくると、別れて電車に乗った。
相原さんは名残惜しそうにしていたが、彼女にはこれから仕事が待っているだろう。
キャリアウーマン(死語)は大変だ。
ここで抱き合ったりして、彼女の同僚に見られたら大変だしな。
このままなら仕事で打ち合わせをしていた帰りに見えるし。
夕方のラッシュに差しかかっていたので、電車は混んでいるが、朝よりはマシだ。
動けないなんてことはないし。
ケーキもあるので、ラッシュが酷いようならタクシーで帰ろうとしたのだが……。
国鉄を乗り継ぎ、私鉄に乗ると駅に帰ってきた。
ケーキは無事だ。
すでに暗くなっている道を歩いて、アパートに戻る。
見上げると――自分の部屋に明かりがついていて待っている人がいるというのは、なんだか変な気がする。
ちょっと前までは、俺は独身のプロだったのだ。
突然昭和に飛ばされて家族ができるなんて、だれが想像できたであろうか。
「ふう……ヒカルコのやつはもう自分で稼げるだろうが、コノミのためにも金を稼がないとな」
俺は塀の扉を開けると階段を上り、玄関の戸を開けた。
「ただいま~」
「ショウイチ、おかえりなさい!」
まっさきに、コノミが出迎えてくれた。
「おう、ただいま! はい、お土産」
「ケーキ!」
俺は部屋の中をチラ見した。
「おかえりなさい……」
ヒカルコが座っているちゃぶ台の上に料理が並んでいる。
「まだ、食べてなかったのか?」
「うん、ショウイチが帰ってくるまで待ってた」
「ありがとうな。でも、ケーキは夕飯を食べたあとだぞ?」
「わかった!」
コノミがすごく明るくなったのはよかった。
これなら、多少の困難は自力ではねのけてくれるだろう。
もちろんサポートはする。
飯を食ったあと、皆でケーキを食べて、3人で寝た。
コノミが抱きついてくると、伝わってくる小さなぬくもり。
本当の親子じゃねぇのに守りたくなる。
これは本能的なものなのだろうか。
まさか、俺がこんな感情を持つことになるとは……。
------◇◇◇------
――相原さんとやった次の日。
いつものように、コノミを学校に送り出して、家でヒカルコと一緒に小説を書く。
ヒカルコのやつが、構ってほしいのかベタベタしてくる。
しばらく背中合わせで、小説を書いていたのだが、抱きついてきた。
「なんだ? 飽きたのか?」
頭をなでなでしてやる。
「ん~」
俺の膝の上に、うつ伏せの身体を乗せてバタ脚をしている。
なにか不満を表明しているらしいが。
デニムを穿いている尻をぺちぺちと叩く。
「おら、作業の邪魔するなよ。お前は小説で食えるようになったかもしれないが、俺はコノミの生活費を稼がないと駄目なんだから」
俺の言葉に、彼女が起き上がった。
「私も稼ぐ」
多少やる気が出たようで、彼女もちゃぶ台に向き直った。
そのまま昼飯を食い、コノミが帰ってくる頃――階段を上がってくる音がする。
どうやらコノミが帰ってきたらしいが、小さい足音が2つ聞こえてくる。
戸が開いた。
「……ただいま」
「お、おかえり~」
「おかえりなさい」
俺とヒカルコの出迎えにもなんだか、コノミの様子がおかしいが……。
「どうした?」
「あ、あの、友達連れてきた……」
彼女の後ろから顔を出したのは、コノミより少し背の大きい女の子。
長い髪を両側に分けている長いおさげ、丸顔のほっぺを赤くしている可愛い子だ。
黒っぽい厚手のワンピースを着て、手袋をしている。
「おお、いらっしゃい! コノミが連れてきた友だち1号だな」
「うん」
「どうぞ~。ヒカルコ、おもてなしよろしく。俺は秘密基地に避難しているからな」
「コクコク」
この狭い部屋にオッサンがいたんじゃ、女の子も落ち着けないだろう。
そういえばコノミから話を聞いたなぁ――彼女が、漫画を禁止されている女の子だろうか。
もしそうだとすると可哀想だ。
子どもの頃に禁止されたことに、大人になってからハマるなんてことも聞く話だしなぁ。
漫画アニメを禁止されたガキが、重度のヲタクになるとかな。
あの行動って、なにか名前がついているのだろうか。
いつも保健室にいると言っていたが、身体が悪いようには見えない。
なにか精神的なものかもしれないしな。
俺はカバンに筆記道具を入れると、コートを着た。
「ほんじゃ、ちょっと仕事に行ってくるぜ」
まぁ、そういうことにしておく。
多分、子どもの目から見れば、俺が働いてないお父さんに見えてしまうかもしれん。
1人暮らしなら、まったくそういうことなんて気にしなかったのだが、子どものイジメというのもツマランことから始まることがあるしなぁ。
まぁ一応、学校には小説家だって言ってはあるがな。
俺は少し歩いて、秘密基地に到着した。
玄関の鍵を開けて、中に入る。
ちゃぶ台にカバンを置いて、天井からぶら下がるランプに火を点けた。
ここには暖房がないので寒い。
俺の部屋の暖かみを覚えてしまうと少々つらいので、火鉢を引っ張りだした。
幸い、炭が少々残っているので火を点ける。
ここにストーブまで買うとなると金がかかりすぎるなぁ。
夏の扇風機ぐらいはあってもいいと思うが……。
そうなると網戸もつけないとだめだな。
「やっぱり秘密基地には、電気ぐらい必要か」
色々と工作したり、物書きの仕事をしたりするには、ランプは暗いしなぁ。
平成令和なら、バッテリー式の明かりやら発電機だって売っていたのだが、この時代じゃ家庭で使えるようなコンパクトなものはないだろうなぁ。
あったとしてもスマホを充電できるような代物じゃないと思うし。
コノミの友だちがよく遊びにくるようになれば、ここに来ることも増えるしな。
本格的に秘密基地化することも考えるか……。
なぁに、電気代ぐらい三文小説を書けば稼げる。
あんなの、いくらでも書けるからな。
夕方になり、そろそろコノミの友だちも帰ったと思うので、アパートに戻ることにした。
ついでに大家さんの所を訪ねる。
電気の引き方を尋ねるためだ。
この時代、電話がない家も多かったし、コンビニ払いなどもなかった。
電気代も一軒一軒徴収員が回って回収していたのだ。
それを代行している家に、連絡すれば電気会社に連絡してもらえるはず。
「あら~篠原さん、どうしたの?」
「あの~電気を引くにはどうしたらいいんですかね?」
「向こうの通りに電気工事屋さんがあるから、そこに頼めばやってくれるわよ」
「ありがとうございます」
「まさか、ウチの部屋に電気引くわけじゃないわよね?」
「ああ、違います違います、小さいバラックみたいな家を手に入れたので、そこを仕事場にしようかと」
「ああ、前に聞いた所ねぇ」
大家さんには、あの婆さんのことや葬式のことは話した。
彼女がちょっと寂しそうな顔をしている。
もしかして、俺が引っ越すとでも思っているのだろうか?
「あ~、とてもじゃありませんが、暮らすのは無理な場所なので、このアパートから引っ越すのはしばらくありませんよ。改築する金もありませんし、はは」
「そうなの、よかったぁ」
大家さんには、ヒカルコやコノミもよくしてもらっている。
コノミなんて本当の孫みたいに可愛がってもらっているしな。
電気工事屋は、明日にでもいって相談してみるか……。
金ができたら改築して、事務所にするのもいい。
特許計画が上手くいけば、どのみち法人化しないとだめだからな。
この時代の所得税はめちゃ高いし。
70年代に入ったら、累進課税の最高は7割とか8割までいったはず。
個人でそんな金を取られるのはバカらしい。
起業して会社の収入にすれば、法人税はそこまで高くない。
俺は大家さんに挨拶して、部屋に戻った。
2階に上がってドアのノブに手をかけると、廊下にカレーのにおいが漂ってくる。
炊事場でヒカルコがカレーを作っているのだ。
多分、コノミのリクエストだろう。
やっぱり、この時代でも子どもはカレーが大好きなのだ。
それにカレーとなると、大家さんが食べにくる。
彼女もカレー好きらしいが、それにかこつけてのコノミ目当てなのかもしれない。
ただいま、隣の八重樫先生が追い込みに入っているが、矢沢さんも手伝いに来ている。
最初は彼らの分までヒカルコが食事を作っていたのだが、あまりにも甘えすぎということで八重樫くんが遠慮してしまったのだ。
最近は店屋物などを取っているようである。
そこそこ稼いでいるし、ムサシが大人気なので単行本化の話も来ているらしい。
それなら金には余裕があるはず。
出前を取っても、接待費で落ちるしな。
この時期になると確定申告があるが、作家としては去年ほとんど収入がなかった。
工場で働いていた分は源泉が引かれていたし。
原稿料からも源泉が引かれているしな。
経費があれば、少しは戻ってくるのだろうが、なにもない。
原稿用紙や文房具など、そのぐらいか。
でも、領収書などを取ってないから、今年から取っておかないと駄目だろうな。
一応、税務署には行ってみるつもりではいる。
隣の八重樫君は、忙しいので出版社が紹介してくれた税理士に頼むらしい。
金がかかるが、確定申告している暇がないのだろう。
ドアを開けて中に入ると、コノミが1人で漫画を読んでいた。
「お友だちは帰ったのか?」
「うん」
「2人でなにをして遊んだんだ?」
「漫画を読んでた」
やっぱり、あのお友だちは、漫画を禁止されている家みたいだ。
それで、ウチにご禁制の品を読みにきたのか。
ウチには、相原さんが持ってきてくれた献本がたくさんあるからなぁ。
子どももいなかったのに漫画が揃っている家もあまりないだろう。
この時代、漫画はまだ「子どもが読むもの」というイメージが強い。
そう考えると、俺のパートナーとなっているヒカルコは当たりなのかもしれない。
普通の女なら、「そんな子どもが読むものは捨てて!」とかいい出す可能性だってある。
「お! そうだ! お友だちが、コノミの所に遊びに来たのなら、コノミがお友だちの家に遊びに行くかもしれない」
「うん」
「それじゃ、お友だちの家に行ったときの練習をしようか」
「練習?」
彼女と2人の玄関に入る練習をする。
「他の人の家に上がるときには、『お邪魔いたします』って言うんだぞ」
「お邪魔いたします!」
「そう、偉いな」
彼女の頭をなでてやる。
そして、框に上がったら、自分の靴を揃える。
これでだいぶ相手の親の印象が違うはずだ。
漫画を禁止している家なら、そういうことにうるさいはずだし。
「わかった!」
「よしよし、そしてお菓子やジュースなどのおやつを出されたら?」
「ありがとうございます!」
「そうそう! 偉いぞ!」
「えへへ」
彼女と、お友だちの家訪問練習をしているとカレーができたようだ。
八重樫君も顔を出して、大家さんからカレーをもらっている。
どうやら、ヒカルコと大家さんが一緒にカレーを作っていたらしい。
「先生どうだい? 調子は?」
「大丈夫ですよ。問題なしです」
「その割には疲れているみたいだが、大丈夫か?」
「はは、大丈夫です」
「矢沢さんは、部屋を用意してあるから、使って頂戴ね」
彼女が来たときには、大家さんが2階の部屋を貸してくれているのだ。
若い娘が男の人の部屋に泊まったり、夜中に帰るのは反対らしい。
「ありがとうございますぅ!」
矢沢さんは若いせいか、まだ元気あるなぁ。
カレーができたので、大家さんと一緒に食事をする。
「今日、コノミのお友だちが来てたんだよな~」
「うん」
「あら~よかったわねぇ」
こんな会話をしていると、まるで家族の会話だ。
いつもと違うのは、相原さんと会ってきたのを気にしているのか、ヒカルコがいつもよりベタベタしてくることだ。
ヒカルコがくっついてくると、コノミも一緒にくっついてくる。
まぁ、いいけどな。
------◇◇◇------
――皆でカレーを食べた次の日。
コノミを学校に送り出したあと、俺は大家さんに教えてもらった電気工事屋に向かった。
カバンの中にはハンコと、米穀通帳が入っている――念のため。
到着したのは、木造の工場のような場所。
電柱の上に載っているでかいトランスや、白いキノコがつながった碍子などが置いてある。
俺はグレーの作業服を来ている男に話かけた。
「あの~」
「なんでしょう?」
「家に電気を引いてもらいたいんですがねぇ」
「それなら、向こうの事務所にお願いします」
彼の指す方向に木造の小屋のような小さな建物がある。
中に入ると、カウンターと机が並んでいた。
皆が外にいる連中と同じグレーの作業着だが、女性は下は黒いスカートを穿いているらしい。
「なにかご用ですか?」
女性が相手をしてくれたので事情を話す。
説明をすると申込用紙をくれた。
それに氏名と住所を記入してハンコを押す。
――数日あと、電気工事の車がやってきて工事をしてくれた。
電線を引き込んでメーターを取りつける。
「これ、壁に穴を開けていいですかい?」
「ああ、もう好きにしてくれ」
普通は天井裏を這わしたりするのだが、家の中を電線が走っている。
部屋の真ん中に照明のソケットが取り付けられた。
四角くて、差し込んで回すとカチっとハマるやつな。
照明のソケットって、この頃にはもうあったのか。
「これなら蛍光灯も点けられるな」
「そうっすね!」
若い作業員が笑っている。
もう一箇所、柱の所にコンセントをつけてもらった。
これでどうにかなるだろう。
月に電気代が1000円とか2000円とか、かかることになるが。
まぁ、必要経費だ。
電気代は、電気工事屋の事務所に払いに行ってもいいらしい。
秘密基地だから、いつもいると限らんし、それはありがたい。
よし、ここも使えるようになったから色々と揃えるぞ~。





