27話 俺以外の渡航者
公園で行き倒れの女の子を拾うとか、まったく想定外の事態だ。
医者にみせたら栄養失調らしいのだが、いったん保護することに。
未成年略取誘拐っぽいが、まさか放り出すわけにもいくまい。
着るものもボロボロだし身体も汚いので、新しい服を買って風呂にも入れた。
夕飯は消化のいいうどんだ。
しばらくまともな食事をしてなかったみたいだし、消化のよさそうなものを選ぶ。
彼女は、半分ほど食べて残してしまったのだが、好き嫌いではないらしい。
もしかして点滴の影響があるのかもしれない。
それにチョコも食べたしな。
食欲がないというわけではないと思う。
食事のあとは、彼女の髪をヒカルコが切ってやった。
整えれば結構可愛いのにもったいない。
夜は、押入れからヒカルコの布団を出して、彼女と女の子で寝かせた。
昨日、彼女たちが一緒に服を買いにいったのだが、紙袋いっぱいの服やら下着が詰まっていた。
歯ブラシやら、風呂道具、食器なども買ってきたらしい。
こんなにどうするんだ。
まぁ、だれか引き取り手がいれば、そいつに渡してもいいが……いるかなぁ。
――朝起きると、コノミの顔色はかなりよくなっていた。
ヒカルコが先に起きて飯の用意をしているのだが、布団の中ですやすやと寝ている。
あんな場所で行き倒れなんて、いったいどういう生活をしていたのだろうか?
3人で朝食だ。
ヒカルコが卵焼きを作ったので、女の子が美味しそうに食べている。
今朝は全部食べたようだし、食欲は戻っているらしい。
「コノミちゃん、なんであんな所にいたんだ?」
「帰りかたが解らなくなった……」
「なんだ迷子か。そういうときには、お巡りさんに行くんだぞ?」
「……」
彼女が黙っている。
警察が嫌いなのだろうか?
そりゃ俺も好きではないが。
まったく自転車に乗ってると、100%職質かけてきやがって。
しかも自宅の前とかだぜ。
まったくうぜぇ。
そんなことより彼女の家か。
「コノミちゃんの家ってどんなのだ? 一軒家か? アパート?」
「繋がってる」
「繋がってるって……長屋かな?」
「駅の近く……」
「それじゃ、駅まで行けば自分の家は解るよな?」
「コク」
彼女がうなずいた。
「まずは、そこに行ってみるか……」
「コクコク」
ヒカルコがうなずいている。
警察は嫌だっていうのに、無理やり連れていくこともないだろう。
「ここから駅前まで行くとなると――時間的には、まだちょっと早いな」
区役所に行かないとダメだし、あと1時間ぐらいあとのほうがいいだろう。
その間に、彼女に字を読ませてみた。
ひらがなはなんとか読めるが――漢字は駄目。
計算は一桁の足し算引き算はできるが、他は駄目だな。
まぁ、一桁ができるってことは、繰り上がりを覚えれば問題ないと思うが……。
掛け算を習うのは、なん年生からだっけ?
そもそも、この女の子の歳が解らないし、本人に聞いても不明だ。
本人の申告だと、10歳ぐらいらしいのだが。
献本でもらった漫画を読ませているうちに、時間になった。
お出かけだ。
役所に行ったら、俺の身分も確かめられるかもしれないので、米穀通帳を持った。
こいつは身分証明書になると言われたからな。
ヒカルコも通帳をもっているらしいので持たせた。
それから、ノートと鉛筆もカバンに入れる。
コートを着込むと、外に出て鍵をかける。
コノミの新しいコートが目に入った。
そういえば――俺のコートもそろそろ新しいの買うか。
こいつは、一山いくらの古着で買ったやつだしなぁ。
でかけようとすると、八重樫君に会う。
「おはようございます」
「おっす」
「え?! 子どもですか?」
「ああ、知り合いの子どもをちょっと預かっててな」
「そうなんですね。子どもの声なんて全然しなかったので、驚きました」
「まさか、俺の子どもだとか思ってないよな?」
「ええ……」
どうも歯切れが悪い。
ヒカルコと住んだりしている辺りから、俺に対する彼の評価が下がっている気がするのだが。
「いきなりこんな大きな子どもができるはずないだろう。ヒカルコの子どもにしたってでかすぎるし」
「いやぁ、そうですけど……」
訝しげな八重樫君をあとにして階段を降りると、今度は大家さんにあった。
「おはようございます」
「あら、3人でお出かけ」
「はい」
大家さんがコノミの前にしゃがんだ。
「あら、随分と可愛くなったわねぇ」
彼女が女の子の頭をなでている。
「服も買ってやったし、ヒカルコが髪も切ってやりましたからねぇ」
「そう、よかったわねぇ」
「大家さんにも孫がいらっしゃるんでしょ?」
「それがいないのよねぇ」
孫ぐらいいると思ったが……。
2階に住むはずだった娘以外は、戦争で死んでるかもしれねぇし、迂闊なことは聞けねぇな……。
そもそも、婆さんに見えるが意外と若いのかもしれんし。
平成令和なら80歳超えは珍しくねぇけど、この時代の平均寿命はそこまでいってないしな。
「え? そうなんですか? でも、娘さん結婚したなら、そのうち連れてくるのでは……」
「そうだったらいいんだけどねぇ……」
彼女がため息をついている。
親の心子知らずか、それとも仲があまりよろしくないのか。
まぁ、他人の家庭に首を突っ込むべきじゃねぇな。
――といいつつ、こっちはこっちで突っ込んでいるけどな。
そもそも、ヒカルコのやつが変なことに興味出して突っ込むから、こういうことになるんだ。
いやいや、それで子どもの命が助かったのかもしれねぇし、それは言わないでやるか。
女の子はヒカルコと手を繋いで歩いている。
子どもの歩みは遅いし、国鉄の駅まではかなりの距離がある。
コノミは病み上がりだしな。
「通りに出て、タクシーを使うぞ」
「うん」
ヒカルコも、ちょっと距離があると思っていたらしい。
通りに出てタクシーをつかまえると、ドアが開いた。
「国鉄の駅までだけど、いいかい?」
「どうぞ~」
3人で、後部座席に乗り込む。
「駅の南口に」
「わかりました~」
車に乗った女の子がキョロキョロしている。
「なんだ、車に乗ったの初めてか?」
「コクコク」
タクシーは通りを真っ直ぐ進んで、交差点を左折。
このまま行けば国鉄の駅前――右手に区役所も見えてきた。
ここで、すべての用事が済むのはいい。
この区も、端から端だと結構距離があるからな。
車が駅南口前のロータリーに止まった。
白いボンネットバスが数台並んでおり、ロータリーの中心には白い柵で囲まれた植え込みがある。
「120円です」
「ほい、ありがとう」
3人でタクシーから降りると、辺りを見回す。
ここは平成令和にも来たことがある場所だが、今はマジでなにもないが、大きなデパートが目立つ。
有名デパートの本店がここだ。
元の時代と違うといえば、駅前に靴磨きがたくさんいる。
そういえば、昔はあちこちに靴磨きがいた気がするなぁ。
平成あたりから、新規の靴磨きという商売が認められなくなって、そういう商売はほぼなくなったらしいな。
そんなTVニュースを見たような。
駅前のすぐ目の前には団地がある。
ヒカルコの話では公営団地らしい。
こんな一等地に公団なんて昭和らしいが、ここはそれなりの年収がないと入れない所らしい。
時代の最先端をいっている場所だな。
「コノミちゃん、ここまで来たら自分の家は解るだろう?」
「コク」
彼女がうなずいたので、案内してもらう。
歩いていくと、路地に小さい子どもたちが沢山いる。
小学生は学校だろうし、幼稚園や保育園の数が少ないのかもな。
しばらく歩くと、木造の長屋が並んでいる場所にやって来た。
バラックが繋がったような形で、倒れないようにお互いを支え合っているように見える。
ガラスが入った扉には新聞受けがあり、なにか色々と差し込まれているが……。
「コノミちゃん、怖いオッサンとかは来てないか?」
「フルフル」
彼女が首を振っている。
借金がないのか、それともまだ借金取りは来ていないのか。
引き戸には、鍵はかかっていない。
中に入ってみたのだが――ガランとしていてなにもない。
生活感が皆無。
唯一あるのが古い布団ぐらいか。
手前に6畳、奥に4畳半の2部屋なので、結構広い。
カーテンもついてない部屋には光が斜めに差し込んで、床に散らばるゴミを照らす。
この様子から察するに、普通の生活しててある日事故や事件に巻き込まれて――とか、そんな感じではない。
見れば、お菓子の箱やらがチラホラ……。
それを見ていると、女の子が気まずそうにしている。
彼女の様子を見て察した。
「大丈夫、店からものを盗ったりしたことで、警察に言ったりはしないから」
俺の言葉を聞いて、ヒカルコも理解したのだろう。
女の子を抱きしめている。
多分、親がいなくなって腹が減った彼女は、店頭から万引きなどを繰り返していたのだろう。
黙って店のものを盗んだりしたら、お巡りさんに捕まるということは知っているらしい。
もしかして、母親が似たようなことをして捕まったことがあるのかもしれない。
そうしているうちに路地に迷い込んで、帰る場所が解らなくなったと……。
まぁ、子どもでそんな生活を長くは続けられないから、親がいなくなって1週間ってところだろうな。
この様子から見ても、母親が戻ってくることはねぇな。
戻ってくるつもりなら、彼女に金やら渡しているだろうし。
それでも、ゴミの中にひらがなの書き取り帳みたいなものがある。
字を教えていた頃は、多少なりとも愛情もあったのだろうか。
どんな生活をしていたか、女の子に聞いても言葉に出てこない。
ゴミを少し漁ると、請求書のようなものに渡良瀬マキという名前が見える。
住所も書いてある。
カバンからノートを出すと、そいつをメモった。
他にはなにもない。
写真などもないから、いったいどういう女だったのかも解らないし、子どもに母親の特徴を聞いても答えられないだろう。
これじゃ探しようもないな。
「渡良瀬マキね……もう、ここには用はねぇな」
どのみち、金のない女の子がここに住み続けることはできない。
「コノミちゃん、多分もうここには住めないと思う」
「コクコク」
彼女がうなずいた。
まぁ、本当の歳は解らんが、そのぐらいは解るだろう。
ヒカルコから離れた女の子が、ゴミの中を漁っている。
「どうした?」
彼女が手にしたものを見て、俺は自分の目を疑った。
シルバーの金属製の枠にはまった黒い鏡のように見えるが、鏡ではない。
「コノミちゃん、それを見せてもらえないかな?」
「コク……」
彼女から手渡されたそれは、間違いなく――スマホ。
この子の母親――いや、親子で時間渡航者?!
「これってお母さんからもらったの?」
「……コク」
彼女がうなずく。
「コノミちゃん、どこから引っ越してきたか覚えてる?」
「フルフル」
女の子が首を振っている。
記憶にないのか……。
母親だけ時間渡航してきて、こちらでコノミが生まれたのか――それとも親子でそうなのか。
現時点では、まったく解らない。
とりあえず女の子に残ったのは、これだけということになる。
「綺麗……」
ヒカルコがスマホのガラスを覗き込む。
そりゃ、こんな精密な工業製品なんてこの時代じゃ作れないだろう。
俺は彼女にスマホを返した。
「それは、すごく高価なものかもしれないから、人に見せちゃいけないよ」
「コクコク」
コノミが俺の言葉にうなずいた。
動くかどうかは解らんし、人前で使うわけにもいくまい。
こんなものを後生大事に持っているということは、多少は母親に対する想いが残っているのかもしれない。
それにしても、俺以外にも未来からやって来たやつがいるとは……。
俺と違い、未来のネタを金にできなかったのか。
それに、コノミぐらいの子どもがいるということは、昭和20年代にタイムスリップしたんだろ?
生き延びただけでも、すごいかもしれない。
それも精根尽き果てて――子どもを置き去りにするという、こういう形になったのか。
俺たちは部屋から出ると、もと来た道を歩き始めた。
「さてぇ、どうしたらいいかねぇ」
「どうするの?」
「普通は、やっぱり施設だぜ?」
「そんなの可哀想!」
ヒカルコが、コノミを抱きしめた。
「そうは言うがな……まったく身寄りがないんじゃなぁ」
「ショウイチ……」
ヒカルコが悲しそうな目で俺を見ている。
おいおい、世の中にゃできることとできないことがあるんだぞ。
犬猫を拾うのとはわけが違う。
見れば、女の子がしょんぼりしている。
まぁ、母親にも捨てられて、俺たちからも要らないと言われているようなものだし。
「わかったわかった――2人して、そんな顔をするな」
「うん」
俺が1人悪者になればいいわけだが、それで上手くいくか?
平成令和なら無理だろうが、ここは昭和だしなぁ。
実際に、俺の戸籍もできてしまっているし。
「しばらく音信不通だった内縁の妻に会いに行ったらもぬけの殻で、戸籍のない娘がいた――って感じかなぁ……」
「ショウイチはそれでいいの?」
「俺は別に構わんが……」
別に俺の籍に入れようってんじゃない。
この子の戸籍がないことには学校にも行けないし、この先の生活にも支障がでるかもしれん。
いや、学校には行けるのか?
まったく解らん。
とりあえず役所に行って聞いてみないことにはな。
3人で手を繋いで、広い通りに出た。
この通りは国鉄と直角に交わっていて、通り沿いに区役所もある。
ちょっと行った所に警察署もあるのだが、行っても無駄だろうし。
通りを歩いて区役所に到着した。
今のアパートに引っ越してきて、転居届を出したとき以来だ。
「さて――こういう場合は、やっぱり戸籍課か……」
俺は、以前に戸籍をもらった窓口に向かう。
前と同じように藍色の制服を着たお姉さんがいる。
PCやらFAXがないので、なんか部屋が広く感じるな。
「あの~すみません」
「はい」
女性がやってきてくれた。
「実は知り合いの所に行ったら、もぬけの殻で、この子どもだけ残されてましてね」
「え?!」
お姉さんが驚いているが、俺だってとんでもないことに巻き込まれた。
「子どもに話を聞いたら、どうも学校にも行ってないみたいなんですよ。もしかして無戸籍じゃないかと思いまして」
「え! あ、あの、少々お待ち下さい」
「はい」
奥のほうで話していた女性が戻ってきた。
「その方のお名前とかは……」
「あ、解ります。渡良瀬マキ、住所は――」
メモった住所を教えてやると、また奥のほうで話し込んでいる。
これは長くなりそうだと思ったので、窓口の前にあるベンチに座った。
元時代なら、こういう場所には自販機などがあるのだが、この時代にそんなものはない。
せいぜい水飲み場ぐらいだ。
「コノミちゃん、トイレとか大丈夫か?」
「コクコク」
俺はカバンの中から、昨日買ったチョコを取り出した。
「チョコ食べるか?」
「「コクコク」」
大きい子と小さい子が、口を開けているのでチョコを放り込んだ。
2人が顔を見合わせて、ニコニコしている。
そのまましばらく待っていると、俺が呼ばれた。
「あの、住所と戸籍を調べましたが――渡良瀬マキという方は、この区にはいませんねぇ」
「え?!」
転居届を出してなかったということだろうか?
いや――彼女はどこかに頼って、戸籍を作るということをしなかったに違いない。
その前に、平成生まれで20歳ぐらいの若い子が、終戦直後にやって来て絶望しかなかったのかも……。
俺だって、やって来たのが終戦直後じゃ生き延びる自信がないし。
「あ~いやぁ、まさかそんな感じになっているとは……」
「お力になれず申し訳ございません」
母親の戸籍がないということは、当然コノミの戸籍もないということだ。
戸籍がない場合、学校はどうなるのだろうか?
「あの――戸籍がない場合、学校には通えないのかい?」
「それは、区の教育委員会に申し出れば問題ないと思いますよ」
学校は戸籍がなくてもOKなのね。
ただ、戸籍があると入学のお知らせなどが回ってくるってだけか。
「この子だけ戸籍を取るということは、できないの?」
「無戸籍児童でも、施設などに収容されれば戸籍が与えられますよ」
「それじゃ保護者がいなけりゃ、この子は20歳過ぎるまで無理ってことか」
「そういうことに……」
ヒカルコが引き取るつもりでいるから、一緒に暮らすことになるのか。
マジで?
確かに、施設に突っ込むのも可哀想だとは思うが……。
まぁ、学校に行けるならあとは病院だけだが、金の問題だけクリアすれば、多少金がかかるってだけだ。
彼女が大きくなってから、自分で戸籍を取ればいい。
戸籍が駄目だと解ったら区役所には用はない。
役所から出ようとしたところで、目の前に2人の警官が仁王立ちになった。
俺より背が高いしゴツいので、逆らうのは得策じゃねぇな。
「なんでしょうか?」
「少女を誘拐しようとしている男がいると通報を受けた。お前か?」
くそ、役所のやつらだな。
まぁ確かに――この状態だと、未成年略取誘拐とか言われても言い訳ができんし。
「知り合いの子どもを保護しているだけですけど?」
「そうですよ!」
ヒカルコがコノミを抱きしめている。
少女は怯えているようだ。
「詳しいことは署で聞くから来てもらおう」
「これって逮捕状とかありませんよね? 任意同行なら従う必要はないはずですけど?」
――とか言ったら、いきなり殴られて床に尻もちをついた。
さすが昭和。
人権もクソもあったもんじゃねぇ。
口の中が少し切れて、鉄の味がする。
ヒカルコが警官に食ってかかろうとしているので、止めた。
「やめろヒカルコ。こういうときは、なにを言っても無駄だ」
「……」
頭に血が昇っている彼女に小声で話す。
「お前、執行猶予がついているんだろうが、パクられたら実刑だぞ」
「……」
むくれるヒカルコと俺は、2人の警官に連れられて役所を出た。
さすがに手錠はかけられないようである。
外に待っていたク○ウンのパトカー――前に警官が乗り、後ろに俺たち3人が押し込まれる。
パトカーに乗るなんて滅多にない機会ではあるが、あまり楽しいできごとではないな。
警察署の場所は、車で数分――すぐ近くである。
コンクリート製の厳つい建物でそれっぽい。
近くに警察学校もあり、ここは戦中は陸軍の学校としてゲリラなどを育成していたはず。
警官につれられて、警察署の中に入った。
中は雑然としており、人が沢山いる。
ワイワイと騒がしく、カウンターと机と書類が詰まったキャビネットが並ぶ。
役所もそうだが、こういう施設はすでに蛍光灯が入っていて明るい。
あちこちで、りんりんと電話がけたたましく鳴っている。
俺たちは空きスペースのような場所に立たされると、警官が木製の椅子を持ってきた。
そこに座れと言われたので――座る。
目の前に座ったのは、俺たちを連れてきたやつらとは違うヒゲを生やしている警官。
ちょっとは偉い人なのだろう。
「誘拐の嫌疑らしいが、なにか身分を証明できるものは?」
カバンから米穀通帳を取り出した。
やっぱり持ってきてよかった。
「これしかないですが」
「篠原さんね」
「この子どもを、誘拐しようとしていると、区役所から通報があったのだけど……」
「説明しますとですね……」
俺は一連のできごとを話した。
この子の母親と内縁でしたと言っても証明ができんけどな。
そもそも、親子共々に戸籍がないので、どこのだれかも証明できない。
「ふ~ん」
男は、椅子から立ち上がると、少女の所に行った。
「お嬢ちゃん、この男にどこかに連れて行かれそうになっている、とかじゃないの?」
「フルフル」
彼女が首を振った。
「それじゃ、あいつの名前って解る?」
「ショウイチ」
少女はヒカルコにしがみついている。
「……」
これじゃ埒が明かねぇ。
「お巡りさん、ちょっと電話をかけさせてくれよ」
「電話?」
「電話ぐらいかける権利はあるだろ? これって人権侵害だぞ?」
「ふん、聞いたような口を……」
元の時代にゃ、ボイスレコーダーみたいなものがあったのだが、ここにゃない。
俺のスマホを持ってくれば、それもできたかもしれないが、見せるわけにはいかないしな。
ああ、もしかして――俺の口ぶりから活動家だと勘違いされたかな?
それでも電話はかけさせてくれるようだ。
誰にかけるといっても、あまり頼る人はいないのだが……
俺は警察の黒電話を借りると、ある人に電話をかけた。
『はい、丸山荘』
「ああ、大家さんですか? 度々お世話になっております、篠原です」
俺が電話をかけたのは、前のアパートの大家さんだ。
彼は政党関係の仕事をしているので、そっちのほうにも顔が利くだろうと思ったわけだ。
『あら、篠原さん。電話なんてどうしました?』
「実は――カクカクシカジカで……」
とりあえず事情を説明すると、電話の向こうで大家さんが笑い出した。
『ははは――そう、無戸籍の子ども。篠原さん、随分と面白そうなことに巻き込まれているね』
冗談じゃねえ。こっちは全然おもしろくねぇぞ。
「それで、顔の広い大家さんなら、弁護士の先生にもお知り合いがいるんじゃないかと……」
『今は、区の警察署にいるのね』
「はい」
『それじゃ、知り合いの先生に連絡してあげるから』
「ありがとうございます!」
やっぱり弁護士の知り合いがいた。
やったぜ――世の中、やっぱりコネだ。
『気をつけてねぇ』
「ありがとうございます。警察署から出たら、すぐにお礼に伺いますから」
『まぁ、頑張って』
電話を切った。
席に戻ったが、弁護士が来るなら、もうなにも話すことはないだろう。
「これ以上は黙秘します」
これでOK。
胸ぐらをつかまれたりしたが、無視。
ジッと座っていると、縦縞の入った茶色のスーツを着た紳士風の中年男性がやってきた。
髪を七三に分けており、ピシっとしている。
彼がやって来ると、俺に名刺を手渡した。
「篠原さんですか?」
「はい」
「弁護士の沖田と申します」
「よろしくお願いいたします」
「ちっ!」
警官が舌打ちをした。
「これは不当逮捕ですよ!? 公権力の無差別行使だ!」
「逮捕ではない。任意同行を求めただけだ」
「令状がないなら任意ですよね? 行く必要ないでしょ? ――と、言ったら殴られました」
弁護士の先生に事情を説明する。
一応、女の子の母親とも内縁だという設定をそのまま話した。
「これは、強制的に連れて来られたも同じですね!」
「な、殴ってはいない」
「区役所の中で殴られましたから、目撃者も沢山いましたが?」
「し、しかし、略取誘拐の疑いもあるし……」
「誰が被害者だと言うのですか?!」
警官が女の子を指したので、彼女の前に弁護士がしゃがんだ。
「お嬢ちゃん、篠原さんに無理やり連れて行かれたの?」
「フルフル――ショウイチは助けてくれて、ご飯を食べさせてくれて、服も買ってくれた……」
「そうですか」
話を聞き終わった弁護士が立ち上がった。
「これのどこが略取誘拐なのですか?!」
「……」
「この子の親から、捜索願や被害届が出されたんですか?!」
「……」
都合が悪くなったのか、警官は黙ってしまった。
「このとおり私も怪我をしたんで、警察を傷害で訴えたいんですが……」
「もちろん、手をお貸しいたしましょう!」
「よろしくお願いいたします」
警官たちは、これ以上なにもできずに大人しく手を引いた。
そりゃ、どう見ても不当逮捕だからな。
3人で警察署を出た。
「先生、いかほどお支払いすればよろしいのでしょう?」
「まぁまぁ、とりあえず診断書を取りましょう」
「はい」
「近くに知り合いの病院がありますから」
警察署にやって来た道をもどり、交差点を左に曲がる。
右に曲がると駅前に逆戻りだ。
「先生、女の子は私が保護するということになるのですが、そのときに法的な問題があるのでしょうか?」
弁護士は、俺が電話した大家さんからあらましを聞いているだろう。
「知り合いということですし、大丈夫でしょう。被害届を出す人もいなくなってしまったようですし……」
まぁ、本当はダメなのかもしれないが、弁護士なら孤児が入る施設を知っているのだろう。
引き取る人間がいるならそっちのほうがいいと、目を瞑ってくれているのかもしれない。
ここら辺は昭和だな。
しばらく歩くと、ビルに病院の看板が見えてきた。
そこで診断書を取り、弁護士の先生に告訴状と被害届を出してもらうことになった。
料金は2万円――まったくえらい出費だ。
弁護士の話では、家庭裁判所にコノミの戸籍を作ってもらえるように申請できるらしい。
戸籍のない者に戸籍を作る就籍という専門の用語まであるんだな。
知らなかったわ。
俺の場合は、うやむやのうちに役所で戸籍が作れてしまったが、彼女が未成年のせいもあるだろう。
その手続きも頼むことにした。
金が3万円ほどかかるが仕方ない。
あと、戸籍はなくても保険証はもらえるらしい。
無戸籍でも学校に行けるのと一緒だな。
なんだよ区役所のやつら、そういうことを教えてくれよ。
多分――俺のことを通報したくらいだから、まともに話を聞いてなかったんだろう。
彼女の戸籍が作れるのなら、それから保険証の申請をすればいい。
ついでに、コノミの母親の捜索願の件も聞いてみた。
彼の話ではそれも引き受けてくれるようだが、戸籍もない母親じゃ探しようがないだろうな。
弁護士からの依頼であれば戸籍謄本などをゲットできるが、それもないわけだし。
母親が時間渡航者ってことは、この世界には親族もいない。
俺と同じように本当の天涯孤独。
女の子を引き取るとか言い出す親戚もゼロってことになる。
――というわけで――なんだか解らんが、俺はヒカルコの他にも、小さい子どもの面倒を見ることになってしまった。
まったく、どうしてこうなった。