18話 都内を歩く
競馬で儲けた金を使って、特許を取る作戦が始動した。
空振りもあったが、なん点かが申請を通過したようだ。
まぁ特許が正式に認められるまでに、1年ぐらいはかかるようなので、気長に待つしかない。
待っている間に他のやつが似たようなものを申請しても、先に出したもん勝ちだ。
馬券作戦も、シンシンザンの菊花賞までやることがない。
前哨戦やオープン戦などにも、シンシンザンが出走しているのだが、そこまで俺が戦績を覚えていないのだ。
俺が知っているのは、三冠馬になったあと古馬になって天皇賞や有馬記念を勝ったということだけ。
知らないレースには手は出せない。
慌てなくても、俺の知っている馬が出てくる可能性はまだあるし、今まで稼いだ分でも贅沢をしなければ楽勝で暮らしていける。
6月も末に差しかかり、八重樫君が描いていた「宇宙戦艦ムサシ」の連載1回目の原稿が完成した。
俺とヒカルコで、ベタを手伝ったりしたけどな。
やっぱり人数がいると作業が早い。
彼も早くアシを雇えるようになればいいのにな――と思う。
俺が読んだかぎり、いいできだと思うのだが、今の読者の目にはどう映るか。
それが少々心配だが、編集部の受けはいいらしい。
まぁ編集に受けても、読者に受けないと話にならんが。
俺は雨の降らない梅雨空を見上げながら、国鉄駅の近くにある例のクラシック喫茶にコーヒーを飲みに来ていた。
インスタントコーヒーもあるのだが、やはり不味い。
もう訪れることができないと思われた喫茶店の思い出に浸る。
そこで、しばらくまったりとしたあと、茶店を出て商店街を物色していると、あるものが目についた。
小さな冷蔵庫の中にクリーム色の小瓶が入っている。
俺はそれを取り出すと買ってみた。
瓶は持っていけないのでここで飲む。
瓶の牛乳のような紙の蓋を針で取って、一口飲んだ。
乳酸飲料だな――あの有名な「ヤ」のつくドリンクだ。
へ~、この時代はプラ容器じゃなくて、瓶だったんだな。
「ん~」
俺は閃いた。
もしかして、のちに出るプラ容器の特許を、今なら取れるんじゃね?
プラ容器に銀紙で蓋をして、尖ったストローを挿したりして飲む、アレだ。
俺は慌ててアパートに戻ると、図面を描き始めた。
これはデカい稼ぎになるかもしれない。
そう考えると気合も入るってもんだ。
俺がちゃぶ台で図面を引いていると、ヒカルコがやって来た。
「今日は忙しいからな」
「……」
彼女が黙って、持ってきた原稿用紙を広げると、俺の向かいで小説を書き始めた。
「順調か? 詰まっている所はないか?」
「……コクコク」
彼女が黙ってうなずいた。
そのまま図面ができ上がる頃には夕方になったので、駅前に一緒に買物に向かう。
帰ってくると、彼女に飯を作ってもらうことにした。
金があるので肉が食えるのがいい。
揚げたカツが売っていたので、今日はカツを食うことにした。
炊事場で揚げ物をするのは大変だ。
買ったほうが安い――とはいえ、めちゃ高いけどな。
たまには美味いものも食いてぇ。
飯を待っていると、ヒカルコに炊事場に呼ばれた。
「どうした?」
「……水の出が悪い……」
「まじで?」
見れば、蛇口を全開にしているのに、水がチョロチョロとしか出ない。
水道工事とかそういう話ではなかったと思ったがなぁ。
料理は彼女にまかせて、下に降りて大家さんの玄関の戸を叩いた。
大家さんが出てきたのだが、1階の台所でも水の出が悪いらしい。
「やっぱりあれかしらぁ?」
「ああ、新聞に載ってましたねぇ」
彼女の言葉に思い当たる節がある。
新聞に載っていたというのは渇水の記事だ。
東京の水瓶になっている、なんとかっていうダムが干上がったらしい。
二階に上がると、八重樫君の部屋のドアを叩く。
「お~い、八重樫君」
「は~い、どうしました?」
「水の出が悪いから、鍋とかに水を溜めておいたほうがいいぞ?」
「なんか渇水だとか新聞に載ってましたね」
「本当に渇水だとすると、鍋の水なんて気休めだろうが……」
水の心配をしながらも料理は完成した。
飯を食い終わったあと、俺は茶碗や皿を洗い、彼女はちゃぶ台で原稿を書き続けた。
そして夜も更ける頃に2人で一緒に布団の中――というか、布団の上。
ほとんど裸で寝る。
夜も暑いのだが、熱帯夜という感じではない。
彼女は暑いみたいだが、未来の東京の暑さを実体験している俺は、このぐらいは余裕。
全然平気だ。
――ヒカルコと一緒に寝た次の日。
朝起きる。
真っ先に炊事場に向かうと、ヒカルコが朝飯を作っていた。
なにせ冷蔵庫がないので、毎回飯を炊かなくてはならない。
「水出たか?」
「ううん……」
蛇口をひねってみる。
やっぱりチョロチョロとしか出ない。
こりゃヤバいかもしれん。
マジか。
この時代、家にガチャポンプを設置している家も多い。
大家さんの家も、階段の下に石でできた水場と緑色のガチャポンプがある。
そこから分けてもらう手もあるが、飲水としては使えない。
あくまで洗濯用とかそんな感じだ。
まぁ、沸かせばいけるのか?
いや、この時代は公害とかヤベーからな。
地下水は汚染されていると思っていいだろう。
平成令和なら、店でなんとかのおいしい水が売っていたりしたが、この時代にそんなものはない。
東京砂漠って歌があったが、マジで東京砂漠。
なんか
このまま水がなくなったらどうするんだ、これ。
こんなことで悩んでもいられん。
俺は飯を食うと、資料を集めて特許事務所に向かった。
俺の目の前で、特許事務所の所長が難しい顔をして唸っている。
俺が持ち込んだ、プラ容器に銀紙の蓋をする特許だ。
「う~ん、これは面白いけど、もう飲料品メーカーが特許取っているかもしれないよ」
すでに出願中かもしれないから、その場合は申請料金が無駄になる。
「まぁ、それでも構いません」
あの「ヤ」のつく有名な発酵飲料の未来の形にするためには、この特許はどうしても必要なはずだ。
当たればデカい。
もう1つ、今日申請を頼んだのは――窓のレールに切り欠きを入れて、溜まっているゴミを掃き出しやすくする特許。
「ああ、これも面白いかもね。でも必要かなぁ……」
所長が図面をジッと見つめている。
まぁ、いいのだ。
その特許はアルミサッシのための特許で、今の浅い木枠の窓は想定していない。
特許の有効期間は20年だが、それまでにはアルミサッシが一般に普及するはず。
サッシが普及すれば、外付けの網戸の特許も引っかかる。
そうすればパテント料を払うか、買い取るしかなくなるわけだ。
どれも気の長い話に聞こえるが、競馬でいくら稼いでも、デカい買い物で使えないからな。
沢山の特許を出しておけば、そのうちにどれか引っかかるだろ。
取得した特許には維持年金がかかるのだが、そんなに高いものではない。
その金を使って、今度は投資に突っ込む。
これで倍々ゲームになる。
俺は特許事務所を出ると、電車に乗ってちょっと寄り道をすることにした。
赤い中央線に乗って、流れる景色を眺める。
やっぱり、金に余裕ができたら写真を撮りたいぜ……。
曇っているが、暑いので窓が開けられている。
そこから風が入ってきて、天井にはくるくると回る鉄製の扇風機。
乗客が少ないと、タバコを吸うやつがいるのも昭和だ。
そんな電車にしばらく揺られたのち、四谷で乗り換えて水道橋駅で降りた。
駅までには大きなビルはなく、道路には都電が走っている。
「ここにも路面電車が走っていたのか」
山手線の内側は、都電の路線だらけみたいだな。
確かに便利そうではあるが、マイカーブームが来て車が増えたら、大渋滞になりそうな。
今でも、かなり交通の邪魔になっている感じがするし。
道路を渡ると――そこには東京ドームはなく、懐かしい後楽園スタジアムが見えてきた。
近くには遊園地の乗り物らしきものも見える。
いつもは目立つ場外馬券売り場の黄色いビルもなく、なんだかサーカスのテントみたいな木造の白い建物が立っている。
あそこが場外馬券売り場だろうか?
中に入ると閉まっていて薄暗い。
土日になると汚いオヤジどもがうじゃうじゃと集まってくるのが嘘のようだ。
確かにしんと静まった窓口が20ほど並んでいる。
馬券は買えるようだが――ここじゃ大レースになったら、すぐに満杯になりそうだ。
ダービーのときには競馬場でも買うのがやっとだったから、ここで大レースの馬券を買うのは厳しいだろう。
平成の時代でも、新宿の場外馬券売り場から、駅の南口まで行列ができたことがあったし。
俺は売り場を出ると道路を歩き始めた。
腹が減ったので、なにか食い物屋を探すことにしたのだ。
道路には縦横無尽に線路が走り、路面電車が走っている。
その車両を目で追っていくと、蕎麦屋の看板が見えた。
「蕎麦か、いいねぇ。たぐってみるか~」
道路を渡ると、その蕎麦屋に向かう。
建物には本郷1丁目の文字。
道路の向こうを見れば、コンクリ製の高架が見えて、その先にはカマボコ型の建物。
「あんな建物あったかな?」
建物は建て直したりすることはあるが、道路や線路は簡単に敷き直したりはできないはず。
俺の記憶をたどると、高架を走っている電車は――どうやら丸ノ内線らしい。
「へぇ、丸ノ内線駅ってあんな建物だったのか……」
俺は地下鉄の駅を眺めながら、お目当ての蕎麦屋に入った。
――蕎麦屋に入って30分あと、蕎麦をたぐって満腹になった俺は、来た道を戻り始めた。
後楽園も見たし、ついでに新宿の南口の場外も見にいってみるか……。
距離的には新宿のほうが近いし。
俺は中央線に乗り、水道橋駅から新宿駅に到着――南口から出た。
「うは~なにもねぇな」
駅前には線路の上を走る立体交差があるのは同じだが、建物がなにもない。
ビルなどほとんどなく、目の前に広がっているバラック群。
背が低い建物ばかりなので、空が広く感じる。
ちょっと先に交差点が見えるが、明治通りだろう。
そこに架線に棒を引っ掛けたバスが走っているのが見える。
トロリーバスだ。
実物を見るのはもちろん初めて。
反対側の新宿副都心のほうも見てみるが、なにもない。
あの高層ビル群が立ち並ぶのはもう少しあとらしいが、これだけなにもないとちょっと寂しい。
俺は、場外馬券売り場がある方面に歩き始めたのだが、それらしきものは見当たらない。
その場所には高い煙突の銭湯らしき建物があるだけ。
周りにも小さなバラックが所狭しと立ち並ぶ。
昭和後期から平成に入ると、ここらへんにはペンシルビルが沢山建っていたが、この細々とした建物が全部ペンシルに姿を変えたらしい。
金ができたら、ここらへんの家を買えば金になるなぁ。
市街化調整区域なんかあっても、いずれは全部外れるし。
2~3軒まとめて買って更地にすれば、バブルで大金が転がり込む。
そうなりゃウハウハだ。
それはそうと、場外馬券売り場だ。
近くには見当たらないので、そこら辺の人に聞くと、新宿の馬券売り場は東口にあるらしい。
場所も狭くて大混雑するらしいので、俺は行くのを諦めた。
平場のレースならいいけど、俺は大レースしかやらないからな。
諦めた俺は、そのまま駅の南口に戻るとホームに降りた。
電車を待っていると、後ろから声がする。
「篠原さん」
「え?」
見れば、編集の相原さんだった。
「どこかにお出かけだったのですか?」
「はは、ちょっと後楽園を見物に行ったあと、ここらへんをウロウロしてました」
「南口はなにもないと思いますが……」
「まぁ、本当になにもなかったですねぇ、はは」
立ち話もなんなので、ベンチに座る。
昼すぎなので客は少ないが、朝はラッシュでとんでもないことになるだろう。
昔の写真を見たことがあったが、客が降りられなくなって窓から出ている写真があった。
この時代の電車は窓が開くので、それができるのだ。
もちろん、駅員の助けとかが必要になるが……。
駅の売店からコーヒー牛乳を買ってきた。
元の時代なら缶コーヒーなのだろうが、この時代にそんな洒落たものはない。
駅弁のお茶も陶器の瓶に入ってたりする。
「ありがとうございます」
「お仕事はどうですか?」
「八重樫先生の漫画が順調で、編集でも推していくことになりました」
「おお、それは良かった」
「宇宙を進む戦艦の話なんて画期的ですよね!」
「こういう敵側って化け物みたいなやつらが多いですが――相手は人間と変わらんのですよ」
「それによって、色々な葛藤が生まれるわけですね」
「そのとおりです。まぁ、悪いやつが、ボカーンとやられて『うわ~やられた~!』ってほうが子どもには解りやすいかもしれませんが……」
「いいえ――この話は、子どもたちにも教訓になると思いますよ」
「敏腕編集者の相原さんにそう言っていただけると、大変心強い」
「そ、そんな……」
喜んでいる彼女だが、ちょっと元気がないような気がする。
「どうしました? なにか仕事で揉めごととか?」
「……いいえ……あ、あの……他言無用で……」
「もちろん」
相原さんが編集している月刊誌でなく、週刊誌のほうだが、大手の有名な先生が乗り込んできたんだそうだ。
「子どもたちに悪影響を及ぼすような低俗な漫画をすぐにも打ち切るべきだと、編集長に直談判をしてしまいまして……」
「いやぁ、その低俗なものが売れますからねぇ。もちろん酷すぎるのは、一考する余地はあると思いますけど……」
こんなものが流行ったら小説は終わり、こんなくだらないものが世に溢れたら漫画はおしまい、こんな映画が――以下略。
古今東西、そんなことが繰り返されて囁かれたりしているが、終わったためしがない。
川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
未来から来た俺が断言できる。
小説も漫画も映画も終了していないし。
どんなものでも常に時代とともに変わっていくのだ。
「そのとおりです」
「出版社もそれで儲けてますしねぇ。それで売れなくなったら、漫画家が責任とれるのか? ――って、取れませんよね」
「要望が聞き入れられない場合は、全部の連載を打ち切ると仰って……」
「すご~く、真面目な人なんだろうなぁ……言っていることは理解できるが……」
「はぁ……」
彼女がため息をついた。
編集者ってのも中々大変だ。
逃げ回って描かないやつを、捕まえて描かせないといけないしな。
「女性編集者って大変そうですね? 嫌味とか言われたりしません?」
「……はい、よく……」
彼女はコーヒー牛乳の瓶を両手で持って下を向いている。
疲れているのかもしれない。
「早く編集長になって、顎でこき使ってやらないと、はは」
「篠原さんは、女のくせに――って言いませんよね?」
「私は、もっと女性は社会進出するべきだと思ってますしねぇ。男と対等であるべきだと思ってますよ」
「そうなんですね……」
「ヒカルコに小説を教えているのだって、手に職があれば男に頼らずとも生きていけるでしょ?」
「あ、あの……私は篠原さんを誤解してました……」
「ははは、いや――実は相原さんの思っているとおりかもしれませんし」
最初は金で買ったとか言えん。
彼女は出版社に戻るために、やって来た赤い電車に乗った。
「それでは」
「お仕事頑張ってください」
彼女に手を振る。
それじゃ俺は反対側の電車に乗るか~。
相原さんと別れた俺は、ガタゴトと電車に揺られて到着した駅で降りた。
途中の商店街で、トタンのバケツとホウキを買う。
ヒカルコから、買ってくれと頼まれたものだ。
俺は拭き掃除なんてしたことがなかったからなぁ。
「そういえば、掃除機ぐらいはあったほうがいいか?」
昔読んだ記事によれば、掃除機が普及したのは団地が流行ったせいらしい。
普通、ホウキで外に掃き出したりするが、団地でそれをやると近所迷惑になるから――という理由のようだ。
けどまぁ、6畳の部屋で掃除機もいらねぇか。
ホウキで十分だよな。
途中の肉屋で、またカツを買い込み――トタンのバケツにホウキを突っ込んで部屋に帰ってきた。
「ただいま~」
ドアを開けるとヒカルコがいる。
少々暑くなったので、扇風機がある俺の部屋がいいらしい。
彼女は、ちゃぶ台で小説を書いていた。
まぁ、俺の仕事の邪魔をしなけりゃいいけどな。
「おかえりなさい……」
「ほい、バケツとホウキ。カツを買ってきたから、夕方に食おう」
「コクコク」
こんな具合に平和な感じの日々が過ぎた。
八重樫君が暑くて苦しんでいるので、網戸を作ってやる。
扇風機も欲しいようだが、金が順調に入ってくるようになるまで我慢するらしい。
大丈夫か?
その前に身体を壊したらマズい。
まぁ、前のアパートでもそれで暮らしていたのだから、なんとかなると思うのだが……。
------◇◇◇------
――7月の半ばには雨が降らなくなり、梅雨明け。
夜になると、遠くから盆踊りの音が聞こえてくる。
俺も知っている東京音頭やら、東京オリンピック音頭だ。
オリンピック音頭に踊りってあったのか?
網戸が入っている窓から外をチラ見すれば、浴衣を着たガキンチョが走っていく。
俺は祭りなどが嫌いな男なので、どうでもいい。
隣の八重樫先生も、それどころではないだろう。
競馬新聞をチェックしていたら、俺の知っている馬が出てきた。
キーストトンという馬だ。
こいつは確か――ダービーを勝ったはずだが、それ以外の戦績を俺は知らない。
強い馬なのは間違いないが、確実に結果を知っているのはダービーだけ。
シンシンザンは三冠馬という情報を知っていたので、皐月賞、ダービー、菊花賞と買うことができるが、この馬の馬券を買うのはダービーまで待つ必要がある。
なんとももどかしいが、やむを得ない。
また競馬で儲けられると思っていると、俺が知っていたセルロイド工場の火災が、まさにこの7月半ばに起きた。
消防士が18人殉職した大災害で、新聞の一面に載っている。
まさか、この年だったとは……。
正確な日付などが解っていれば注意喚起できた……かな?
いや、解らん。
それに災害で死んでいた人間を助けたりすれば、ヤベーことにならんか?
下手をしたら歴史が変わるぞ?
気温が上がってくると、水不足が洒落にならないレベルまでやってきた。
蛇口を開けても水道からはほとんど水が出ない。
大家さんの所にはガチャポンプがあるのだが、地下水はハッキリいってヤバい。
水質検査もしていないし、この時代にゃ公害も放置しているのだから、地下水も汚染されている可能性がある。
それでも、飲まないと死ぬってレベルなら口をつけるしかねぇが、近くに給水車がやってくるという。
八重樫君とヒカルコ、そして俺でバケツを持って、近くの神社に向かうことにした。
俺は、大家さんの分のバケツも持っている。
さすがに炎天下、年寄りにバケツ持たせて並ばせるわけにはいかねぇ。
ここの神社はかなり広いので、十分なスペースがある。
近所に大きな公園もあるのだが、かなり遠いし、さすがにあそこまで歩くのはキツイ。
沢山の人たちが並び、深緑色のバキュームカーみたいなトラックが止まっている。
給水を行っているのは――なんと白人だ。
「なんだ? もしかして米軍か?」
「みたいですね……」
「自衛隊はこういう装備は持ってねぇのか」
「多分、持っていると思いますけど……」
それじゃ自衛隊だけじゃ間に合わなくて米軍も出張ってきてくれているのか。
米軍でもなんでもいいし、水をくれるならありがてぇ。
「車があればなぁ、どこかに水を汲みに行けるんだが……」
「篠原さん、車運転できるんですか?」
「できるぞ、免許ないけどな」
持ってるけど、この時代じゃ使えねぇだろう。
「駄目じゃないですか!」
「バレなきゃいいんだよ、はは」
俺も昭和に毒されつつある。
並んでジッと水を待っていると、列の中にデカい身体が飛び出して見える。
俺はその大きな身体に見覚えがあった。
八重樫君にバケツを預けると、その大きな身体の下に向かう。
「よぉ、お兄さん! 俺のこと覚えてる?」
「……うっす!」
こちらを向いてニコリと笑った彼は、やっぱり競馬場で警備をしていた彼だった。
「ここら辺に住んでいたんだ。大学生だって言ってたけど、それじゃ早稲田の大学辺り?」
「うす!」
「すげーめちゃ優秀じゃん」
「んなことないっす!」
謙遜する彼に住所を聞いた。
ボディーガードの仕事などがあったら頼みたい。
俺たちの会話に周りのオバサンたちも加わってきた。
どうやら並んでいるだけで暇らしい。
あまりにやかましいので、自分の所に戻ってきた。
「知り合いですか?」
「まぁな。変なチンピラに絡まれたときに助けてもらったんだ」
「へぇ~、なんかすごく強そうな人ですね」
「大学の空手部だってさ」
「本格的ですね~」
帰りに、優しき巨人君に飯ぐらい奢ってやりたいところだが、この給水はいつ終わるんだ……?
結局、朝から並んで、昼前頃に水をもらって帰ってきた。
給水車はマジでありがたいのだが――こんな少しもらっても、雀の涙だな……。
まったくなぁ、平成にも渇水ってあったが、こんなにひどくはなかったぞ。
帰り道、トラックが道路脇のドブに白い薬を撒いていた。
もうもうと白い煙が舞い上がる。
消毒液なのか、それとも蚊やハエを駆除するための殺虫剤なのか。
酷いにおいで近寄れないが、身体に悪いことは確か。
まぁ、殺虫剤はともかく――この渇水は、いったいいつまで続くんだろうか。