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昭和38年 ~令和最新型のアラフォーが混迷の昭和にタイムスリップしたら~【なろう版】  作者: 朝倉一二三


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15話 血は水よりも濃し


 俺の部屋の隣に八重樫君が引っ越してきた。

 新しいアパートにやってきて、あと1週間で勤めていた工場も辞める。

 漫画家として本格的な活動が始まるわけだ。

 すでに3本目の読み切りの原稿も完成して、次は連載の話も進んでいるらしい。

 プロデビューも済み、すでに結構な人気がありファンも獲得しているという。


 連載のためのネタも考える必要があるのだが、そこは俺の出番だ。

 彼はSFが得意そうだし、この時代はまだSFが強い。

 そこでSFストーリーにしてみようかと思う。


 彼が仕事から帰ってきたら、俺の部屋で連載ものの打ち合わせをする。

 彼が連載をするのは月刊誌だ。

 もう週刊誌も発売されてるのだが、さすがに1人で週刊連載をするのは少々厳しい。

 週刊連載をするとなるとアシスタントも必要になるし、このアパートじゃ少々つらいだろう。

 せめて2部屋がほしいところ。


「題名は宇宙戦艦ムサシ」

 俺はちゃぶ台の上で話を切り出した。


「宇宙戦艦ですか? なんかすごそうですね!」

 いわずもがな、超有名なアニメのパクリである。

 勇姿もあの軍艦のような姿をパクリたいのであるが、連載であのデザインでは作画コストが高すぎる。

 コピー機などは、この時代にはないし。

 もうちょっと簡略して描きやすくしたほうがいいだろう。

 たとえば砲塔の数を減らすとかな。

 一応、絵は上手くないのだが、図に描いて説明をしてみた。


「すごいですね!」

「でも、毎回これを描くとなると大変すぎるから、効果的に線を減らさないとだめだろう」

「そうですね……でも、恰好がいいから、このままいきたいところですけど」

「ははは、苦労するのは君だから、そこら辺の判断は任せるよ」

「はい」

 そして戦艦の艦首に装備された超破壊砲。

 これが、たった一艦で敵の大艦隊と対決するための切り札になるわけだ。

 そのための舞台装置として用意された禁断の兵器だが、それが続編では雑魚にも搭載されるようになってしまった。

 その時点でこの物語は破綻してしまったと――個人的には思っている。

 もちろん異論は認める。


 まぁ、観客がそれを望み、それを作ったのなら正解なのであろう。

 俺も読者を楽しませるべきだと言っているわけだし、当時ガキだった俺は実際に物語を楽しんでいた。

 でも、大人になってから観てみると、やはり不満が残る。

 別にファースト原理主義者ではないのだが。


 ネタも大量にあるので、うまくいけば長期連載にもできるだろう。

 さらに連載が続くようであれば、続編やら他のSFからネタを引っ張ることもできる。

 このアニメは当初は人気があまりなく、往路だけで打ち切りになってしまったのだ。

 描かれることがなかった復路も描けば、連載を続けることも可能。

 すべては、売れてからの心配になるが。


「話が壮大になって大作になれば、設定も大量に必要になるぞ。敵の戦艦やら、空母やら、戦闘機やら……」

「それは覚悟ができてますよ」

「おお、やる気あるねぇ」

「そりゃ、こんなチャンスは次にあるかどうかも解りませんからねぇ」

「君も使ってみたいネタがあれば、どんどん放り込むんだぞ? 若いのに出し惜しみなんてしても仕方ないし、そんな余裕だってないはずだ」

「そうですね。もう全力勝負ですよ」

 彼が気合を入れている。

 実際にヒットした物語なのだから、ストーリーに魅力があることは解っている。

 あとはどれだけ読者を引き込むことができるかにかかっている。


「あ、そうだ! 篠原さんに見せようと思っていたんですよ」

「なんだ?」

 彼が、自分の部屋に戻るとなにかを持ってきた。

 手に持っているものを見ると、ハガキの束らしい。


「もしかして、ファンレターか?」

「そうです」

「大丈夫か? 酷いこととか書かれてなかったか?」

「そんなことはありませんよ」

 日本人はとりあえず否定から入るからな。


「まぁ、人気が出ればアンチも出てくるから、それは覚悟しててな」

「アンチってなんですか?」

「あ~、これこれが嫌いだと、目の敵にしてくるやつかな?」

「いますねぇ、そういう人。嫌いなら読まなけりゃいいのに――って思いますけど……」

 逆にいえば、アンチが出ればそれだけ知名度があるって証拠にもなるんだが。

 誰も知らない漫画家なら、アンチもいないわけだし。


「ストーリーも面白いですし、女の子も可愛いです――か、いいじゃないか」

 女の子が可愛いという感想が多い。

 本当はエロいと書きたいのだろうが、書けなかったのだろう。


「ありがとうございます」

「女の子が可愛いってのは、大きな武器になるからな。そこは力を入れたほうがいいと思うぞ」

「はい」

「そうかぁ、八重樫先生の漫画が、少年たちの股間を鷲掴みしてしまったか」

「その言い方は止めてくださいよ……」

「ははは、多分事実だと思うがな。敵の独裁帝国の偉い将軍にも美人のお姉さんとか入れたほうがいいぞ」

 キャラ設定を詰める。


「敵は人間と同じなんですよね?」

「そう――人間を情け容赦なく殺すので、どんな化け物かと思ったら、ほぼ人間と一緒だった。違うのは肌の色だけ……」

「そのことで主人公が、『なぜ戦うのか?』と苦しむ……」

「そういうわけだな」

 敵の捕虜の中にその女将軍がいて、検査のために裸にひん剥けば、お色気シーンも作れるだろう。

 元のアニメにはなかった話だが、多少はオリジナリティを出さないとな、ははは。


 八重樫君が膨大な設定をこなしていく。

 もう工場の仕事はないので、1日中漫画に没頭できるのだから、彼にとっては最高の環境だろう。

 元々、色々と考えるのは好きな性分のようだ。

 まぁ設定だけ作れて、話を作れないやつはいるからな。


 ------◇◇◇------


 ――そして、5月末日。

 俺は府中競馬場にいた。

 今日は日本ダービーだが、すごい人混みでもみくちゃにされている。

 馬券を買うのも難しく、最初に特券で70枚をやっと買ったのだが――。

 もう追加で買うのが困難になってきたので、ルールを変更することにした。

 思い切って投下する金を増額したのだ。

 特券を100枚ずつ購入して、なんとか3回買えた。

 100枚でもかなりハイエナたちがざわついていたので、この金額あたりが限界だろう。

 購入できた特券は、370枚――37万円分だ。

 平成令和だって単勝を100万円も買ったら注目される。

 そんなことをするのは、地方競馬でマネーロンダリングしている「や」のつく自営業の人ぐらいのもんだ。


 もしかして――前のレースで味をしめた八重樫君が、こっそりとやって来たりしてはいまいかと思っていたのだが、彼は賢明だったようだ。

 博打なんてロクなもんじゃねぇからな。

 俺が言うのもなんだが。


 ――そしてダービーの発走。

 府中の2400mはスタンドの眼の前からの発走であり、内馬場にも沢山の人が馬たちを応援している。

 そしてゲートから全馬発走!

 馬場をぐるりと回って、馬が団子状態で直線にやって来た。


「行け行け~!」

 沢山のオッサンの中に混じって叫ぶ。

 馬群の中から2頭が抜け出したが――当然、俺が単勝を買ったシンシンザンが勝った。

 沢山のハズレ馬券と特券のロール束が、スタンドの上から降ってくる。

 人でごった返してぎゅうぎゅう詰めなので、逃げることができない。

 紙の束で死ぬことはないと思うが、結構な恐怖である。

 スタンドの近くにはよらないほうがいい。


 最終レースが終わり、人々がまばらになってから、当たり馬券の払い戻しをした。

 単勝の払い戻しは210円で、77.7万円のスリーセブン。

 これで資金はかなり楽になるだろうが、シンシンザンの単勝馬券は確実に安くなっている。

 この馬が強いとバレてしまったからだ。

 おそらく3冠最後のレースの菊花賞では、倍率は1倍台になるだろう。

 苦労して、1倍台じゃちょっと割に合わない気がするので、買うかどうかは微妙だ。


 勝つレースが解るなら、もっと倍率が高いレースを狙ったほうがいい。

 いや、投資と考えれば、1.5倍とかになるならこれはすごいことなのだが。

 大金を窓口に突っ込むので、目立ちやすいのが欠点だ。

 俺がいかにも8○3風のオッサンなら、絡んでくるやつもいないと思うのだが……。

 美味しい馬券で、俺にも解るような馬が出てくればなぁ。

 これは待つしかないか。


 いつものようにタクシーでアパートに帰って、八重樫君にお土産を渡した。


「いやぁ、前回の競馬で味をしめて、八重樫君がこっそりとダービーにやって来てるんじゃないかと探しちまったよ」

「もう、あれだけで懲り懲りですよ。心臓がバクバクで倒れそうになりましたもん」

 彼は博打にハマるタイプではなかったようで――一安心だ。


 ――そして6月に入り、雨が増えてきた。

 そろそろ梅雨時だ。

 この雨が上がる頃には夏到来で、暑くなるだろう。

 さすがにクーラーは無理――いや、まだ家庭用のクーラーは発売してないか?

 それなら扇風機ぐらいは買ってもいい。

 この前のダービーで勝ったしな。


 資金もできたし特許で儲けたいと思っているので、特許事務所やらも色々と調べ始めた。

 ――といっても、情報源は電話帳だけ。

 ネットで評判を調べたりできないので、実際に事務所巡りをして、良さげな所を自分の足で探すしかない。

 資金ができたので次の段階へと――投資のことも調べたが、この時代そういう口座を開くためには、資産がある程度ないと無理らしい。

 平成令和のときみたいに、誰でも口座を開けてお小遣いでも取引ができるなんてことはない。

 なんらかで儲けた金で、土地やら家を買って資産を作ってからじゃないと口座も開けないということだ。


 1970年台、オイルショックによって原油の価格が爆上げしたので、そのときに先物でも買っていれば大儲けができるだろう。

 そのときが俺の第2の勝負だ。

 それまでになんとか資産を作らんとな。


 とりあえず競馬で金は作ったが、こいつはおおっぴらには使えない金だ。

 こいつで家やら土地なんて買ったら、税務署がすっ飛んでくるだろう。


「この金はどこから持ってきた?!」

 てなもんだ。

 競馬での収入も、本当は申告をしないとマズいからな。

 すぐに金の出どころが追及される。

 そんなヘマをするわけにはいかねぇ。


 いや、本当は申告しないとダメなのよ? ウヒヒ。


 ――晴れ間を縫って、俺は緑色の電車が走る環状線に乗って、秋葉原に向かった。

 駅に降りると、大きなビルもまだ少なく、雑多な店が沢山ならんでいる。

 よくわからん細かい電子パーツとか買うやつがいるのだろうか?

 商売になっているということは、いるんだろうなぁ。

 通りを見れば、看板看板看板、とにかく看板だらけ。

 縦型の看板が重なるように所狭しと並んでいる。

 これはカオスですごいかも。

 アピールするものが看板しかなかったから、看板を出しまくっているわけか。

 中国や香港とかでこういう風景が今でもあるが、かつての日本もこんな感じだった――というわけだ。


 人が多いと思ったら、今日は日曜日か。

 ダービーを取ってしまったので、あとは菊花賞まで競馬をやることはない。

 そうなるとあまり曜日を気にしていなかった。


 俺は人混みを縫って、大通りに出てびっくり――都電が走っている。

 こんな所にも路面電車が走ってたのか。


 道路に走る線路を横断して、ある電気店を訪れた。

 別に1円でも値切って安く――なんてことは考えてない。

 だいたい面倒だし。

 とりあえず目についた電気屋に入った。

 夏の前で売り時なのか、店の前には青い透明な羽根の扇風機が沢山並んでいる。

 羽根は白いカゴに覆われており、印象的には俺がガキの頃にみた扇風機とさほど変わらない。


 店内を見てみたが、あるのは白黒TV、洗濯機、冷蔵庫、天井からは照明がぶら下がっている。

 洗濯機は2槽式じゃない1槽式だ。

 1槽式といっても全自動じゃない。

 脱水槽がないので、洗ったら横にあるローラーで潰して絞る。

 値段は2万5000円と書いてある――つまり25万円だ。

 冷蔵庫は冷凍室がなくて、5万5000円。

 これでも、ものが冷やせるだけで画期的だ。


 店内には家電の種類じたいが少ないし、クーラーなどは見当たらない――ということは、やはりまだ一般には売りに出されていないのだろう。

 迂闊にクーラーやらエアコンのことを口に出すと、墓穴を掘りそうなので止めておいた。


 まぁ、扇風機なんてどれでもいいので、目についたものを購入。

 どれも、弱中強のボタンと首振りしかついていない。

 タイマーがついたりするのも、もうちょっとあとか。

 値段は8500円――かなり高い。

 この時代に消費税はないが、家電には物品税がかかるらしい。

 物品税か~、そういえばそんなのあったなぁ……。

 たしか車にもかかっていたような気がする。

 平成令和にも完全になくなったわけじゃなく、酒やらガソリンなどで残っていたし。


 まぁ物品税はいいとして、ヒートアイランド現象がない今の東京は、夜中でも窓を開ければ結構涼しい。

 ただ、窓を開けると蚊が入ってくるので、網戸が欲しいところだ。

 アパートの窓にはそういったものがついていないので、どこからか網を買ってきて網戸を作るしかないな。


「お客さん、TVはどうですか?! 今、売れてますよ!」

 白いシャツにハッピを着た店員の話を聞くと、結構TVは普及しているらしい。

 やっぱり今年のオリンピックをTVで観たいという需要だろうか。

 値段を聞くと5万5000円――つまり55万円である。

 給料2ヶ月半分って感じか。

 俺はTVにうんざりしている男なので、今更そんな大金を払って買う気にもならない。

 むしろ、時間があるなら他のことをしたいと思っている。


 たとえば、カメラを買って、今の時代を撮りまくるとかな。

 平成令和になって昭和の街並みを沢山撮っておけば――と俺は後悔していた。

 なんでもっと写真を撮らなかったのだろう。

 どこでもいいのだ、なんでもいいのだ。

 くだらないものでも、そこらへんの家並みでも、汚いドブでも――未来になれば、すべてに価値が出る。

 そんなことに気づかなかった。


 奥にサンプルでカラーTVが置いてあって、沢山の人が放送を見ていた。

 値段を聞いたら20万円ちょい――200万円相当だ。

 高級車が買えるじゃん――なんて思ったら甘い。

 この時代のヨトタのパプリカという大衆車が40万円もするのだ。

 なにせ大卒の給料が2万円いかない時代だからな。

 クラウンは100万円で金持ちしか買えん。

 かなり高価な買い物になるし、おまけにガソリンも高い。

 まぁ、カラーTVなんて今無理して買っても、カラー放送なんてほとんどやってないし。

 買うだけ無駄というものだ。


 かつてハイビジョンTVだって100万円以上したしな。

 なんでも出始めは高いもんだし、それに手を出すのはいかがなものかと思う。

 世の中にはもの好きも多いから、止めはしねぇけどな。


 買った扇風機は持って帰るので、店先でダンボールから出してもらった。

 裸で持って帰ったほうが軽いし。

 この店で買ったという証のために、包装紙で巻いてもらう。

 そういえば、店独自の包装紙ってのもなくなったなぁ。


 紙で巻かれた扇風機を持って、俺は通りを上野方面に向かって歩き始めた。


「あ、そうか。都電に乗りゃいいのか」

 都電はこのまま上野まで行っている。

 俺はやって来た路面電車に乗り込むと、15円払って上野を目指した。

 元の時代ではすっかり存在感がなくなった1円と5円だが、この時代では現役だ。


 そろそろ腹が減ったので、このまま上野に行って昼飯にするつもり。

 最初からそのつもりで、朝飯も食ってこなかったし。

 電車の中から街並みを見るとアンテナが多く、店員が言ったとおりTVがある家が多いみたいだ。

 さすが山手線の内側。

 俺が住んでいるところは貧乏アパートばっかりで、学生も多いしなぁ。


 数分で御徒町を過ぎて上野駅前に到着。

 御徒町にはアメ横もあるので、今度来たときには覗いてみたい。


「さて、飯はどこで食うかな……」

 上野の駅前にはデカい有名なレストランがある。

 和食、洋食、中華、寿司と、なんでもござれ、オールマイティーレストランの先駆けになった場所だったはず。

 実は、俺は今までここに入ったことがなかった。

 せっかくこの時代にやって来たんだし、昼飯はこのレストランにしてみるか。


 中に入ると階段を上って2階に。

 目の前には巨大なガラスのショーウィンドウ。

 本当にありとあらゆる料理がある。

 こりゃ、選ぶだけで大変だ。

 目移りしていると、隣の子ども連れの声が聞こえてきた。


「お母さん、お寿司にしようよ」

「だめだめ! 高いし!」

 まぁ、本当に高い。

 未来なら寿司マシーンがあったが、この時代は職人が握っているんだろうな。

 それに、結構な値段なのに、不味いのが出てくるとは思えんし。


 おし――俺は寿司にするか。

 ショーウィンドウで寿司を探す。

 握りのセットが、松竹梅――これも昭和っぽいな。


「よし、ここは松にしてみるか」

 店の中に入ると、多数並ぶ赤い柱と蝶ネクタイの店員が出迎えてくれた。

 店員は洋風なのに景色は神社仏閣のよう――アンバランス過ぎて笑う。

 和洋折衷――どっちかといえば和風になると思うが、真ん中に池まであって完全にテーマパークっぽい。

 食券を買って部屋の中を見渡すと、結構な人で賑わっている。

 かなりの人気店だ。

 まぁ、昔は上野や銀座で買い物すると、ここで飯を食うのが定番ルートだったらしいからな。

 座席は、椅子テーブルと座敷席があるらしい。

 俺は座敷のほうに行って窓際に座った。

 街並みがよく見える。


 ――それから30分あと、俺は満腹満足して店を出た。

 中々美味かったので、リピートしてもいいと思う。

 普通にちゃんとした寿司だった。

 銀座で食ったら倍は取られたな。


 満足した俺は、秋葉原で買った扇風機を持って、上野駅に向かって歩き出したのだが――。

 突然、足を誰かに掴まれた。


「お父さん!」

「え?!」

 驚いて下を見ると、12歳ぐらいの女の子。

 黒い髪をおかっぱにして、白いブラウスに赤いワンピースを着ている。


「ショウイチさん! 上野に来るならそう言ってくださいよ!」

 声がしたので、そちらを見ると薄い藍色の着物を着た女性。

 髪を後ろでまとめて、歳は40歳ぐらいだろうか。

 それにしても、どこかで見たような――っていうか、ウチのオカン?

 いや、この時代にオカンがいるはずがない。

 この女性は、確かショウイチって……。


「それになんですか、その扇風機は!? そんなものを買うなんて一言も言ってなかったでしょ?」

 俺は直感した、この人は――爺さんに押しかけ女房したという若き日の婆さんだ。

 ショウイチというのは、当然のごとく俺の爺さん。

 今の俺は正一と名乗っているが、その設定の元になった人だ。

 爺さんは引き上げの途中で亡くなってしまったという設定にしてしまったが、当の本人は当然生きている。

 ――ということは、下にいる女の子が多分オカンだ。

 いや間違いない。

 そっくりだし。

 血は水よりも濃し――すげぇな、肉親ってのは直感で解るんだ。

 ブツブツと小言を言っている婆さんに俺は言葉を返した。


「あ、あの――人違いです」

「……は?! なにをバカな冗談を! 怒りますよ!」

 彼女が本気で怒っている。


「いえ、本当に人違いですけど……」

「……」

 彼女が訝しげな顔で、俺をじっと見つめている。

 婆さんが間違えるぐらいに、当時の爺さんは俺に似ていたのだろうか?

 これなら実家に押しかけて、「今まで会ったことがなかったですが、親戚です」とかで通じたであろうか?


 いや、そんなことより、ここで歴史が変わったらどうする?!

 爺さん婆さんは、昔は葛飾に住んでいたという話だったから、確かに上野で出会ってもおかしくはなかった。

 すっかりと失念していた。

 迂闊すぎるだろう、俺。


「あ、あの~」

 俺がなにか言おうとしたら、ズボンを引っ張られた。

 下で小さいオカンが俺を見上げている。


「なんだい? お嬢ちゃん」

 俺がしゃがむと、オカンが首に抱きついてきた。


「ん~!」

「どうしたんだ?」

 彼女がパッと俺から離れた。


「お母さん! この人、お父さんじゃないよ!」

「え?!」

 オカンの話を聞いて婆さんが驚いた。


「だって、くさくないし!」

 ええ? くさいって?


「お嬢ちゃんのお父さんは、どういうにおいがしたんだい?」

「すごくタバコくさいの! 私は止めてほしいといつも言っているんだけど……」

 そういえば、爺さんはすごいヘビースモーカーだったな。

 いつも一日で、ハイハイライトを2箱吸っていた。


「あ、あの……本当に、ウチの主人ではないのですか?」

「はい、別人ですよ。奥さんや子どもが間違うぐらいですから、相当似ているんだと思いますけど」

「……そ、そういえば……」

 彼女が俺の顔をまじまじと見ている。


「どうしました?」

「あの、失礼ですが、首の所を見せていただけますか?」

「首?」

 俺は、シャツをちょっと開いて、首の付け根を見せた。


「し、失礼をいたしました! 本当にウチの主人かと……」

「まぁ世の中には似ている人が3人はいると言いますからねぇ」

「申し訳ございません……」

「ははは――でも、さすがは奥さん。ご主人の身体を隅々までよく知ってなさる」

 そんな冗談を言ったら、いきなり肩の辺りを叩かれた。

 婆さんは顔を隠して、耳まで真っ赤である。


 この婆さん、押しかけ女房だったのだが、爺さんとはラブラブだったらしいからな。

 オカンの兄弟姉妹は4人いるので、色々と頑張ったのだろう。

 今日、連れているのはオカンだけみたいだが。


「それじゃ、人違いだということが解ったようなので、これにて失礼」

「申し訳ございませんでした」

 婆さんは、まだ顔が真っ赤である。


「いえいえ、私にそっくりなご主人にもよろしく」

 俺は小さなオカンに手を振ってその場をあとにした。


「ふ~」

 めっちゃ緊張したわ。

 なにか起きたら、どうしようかと思った。

 俺の存在じたいが消えるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、俺が直感したってことは、向こうも直感したんだろうな……申し訳ねぇ。

 あ~ということは、この東京には篠原ショウイチっていう男が、2人いることになるのか……。

 戦後のどさくさだからできることだな。


 俺は、自分の迂闊さに背中が透けるぐらいにどっぷりと汗をかきながら、山手線に乗り込んだ。

 上野~秋葉原、銀座に行くときには注意しないと……。


 ――家に帰った俺は、早速扇風機を使ってみた。

 今の所、家電はこいつだけなので、コンセント1個でこと足りる。

 微妙な風量の調整とかできないので、距離で調節するしかない。


「あ~~~我々は宇宙人だ」

 とりあえず、扇風機に向かって声を出す、アレをやる。


 ひととおり扇風機で遊んだ。

 あと、やることといったら――網戸でも作ってみるか。


 

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