13話 目指せ小説家
新しいアパートに引っ越した。
今度の部屋は6畳で、押し入れもある。
相変わらず炊事場は共同だが、こいつはプロパンガスのせいだと思われる。
プロパンガスしかないから、各部屋にガスの配管もできないのだろう。
トイレも共同だが、今度の住民は俺と八重樫君のみ。
彼との間柄で、気兼ねすることはないだろう。
なにしろ裸の付き合いをした仲だし、はは。
金は競馬で手に入れたが、引っ越すのが確定だったので、ものを揃えることができなかった。
とりあえず、前家賃で2年分入れてしまったので、そのぐらいはここに住むだろう。
そろそろものを揃えてもいい頃だ。
ヒカルコという俺につきまとっている女を連れて買い物に行った。
最低限の家具や、料理をするための調理器具、食器、調味料などを買い揃えた。
これらが全部なくて、よく今まで生活できたもんだよ。
それもこれも、競馬で勝負するための資金を貯めるためだったんだけどな。
調味料の中では砂糖がかなり高めだ。
醤油はリッター100円で、元時代の価値に換算すると1000円。
そんなに変わらない感じだが、塩がキロ20円で買えるのに、砂糖はキロ130円もする。
あまりガバガバとは使えないだろう。
砂糖は高価なものだったので、甘味が沢山入っていれば豪華で美味い――そのような年寄連中の砂糖信仰も、ここらへんからきているものと思われる。
買い物が終わったあと――ヒカルコに聞いてみた。
「他になにか揃えたほうがいいものってあるか?」
「……お茶?」
この時代はとりあえずお茶の時代。
ジュースとかコーラとかは高いので、とりあえずお茶。
そういえば、カ○ピスはもう売っているな。
よく飲んだもんだ。
金持ちのカ○ピスは濃いなんてよく言われた。
よし、俺もその濃い目の白い飲み物を出してやろうじゃないか。
彼女に言われたものを探しに、再び買い物に出かけた。
なにもなかったから、買うものが沢山ある。
湯呑と急須は、だいたいセットになっているので、そいつを買えばいいだろう。
お茶はお茶屋に行く。
店先に緑の葉っぱが沢山あって、ここでも量り売りだ。
お茶っ葉と茶筒を買う。
「あとはなにかあるかな……」
「……電球がなかった……」
「電球?」
あ~っ! あの部屋から電球を外してくるのを忘れたわ!
取りに戻るか? いや、面倒くせえ――買うか。
結局、また電球を買った60円の損である。
「まぁいい。こんな損なんて競馬で、すぐにひっくり返せる」
ついでにカ◯ピスを見つけたので買った。
肉屋で肉などを眺める。
だいたい、元時代の2~3倍の価値って感じだな。
やっぱり肉はめったに食えない高級品だ。
あとは部位によって分かれておらず、ロースとかヒレとかそういうのはなし。
全部、「肉」だ。
その肉を100g買う。
一応、そういうのも特別にゲットしてくれるらしいが、とんでもなく高い。
金はゲットしたが、あまり贅沢はできん。
冷蔵庫がないから、毎日使う分を使うだけ買う。
ないならないで、なんとかなる。
「冷蔵庫の値段って、どのぐらいか解るか?」
「ん……5万円以上」
元時代換算で50万円以上か。
そりゃ、おいそれとは買えんわなぁ。
彼女の話では、白黒TVもそのぐらいの値段らしい。
TVも50万円かぁ。
高いとは思うが、他に買うものがなけりゃ、一点突破でTVに突っ込むやつがいてもおかしくねぇな。
買い物が終わったので、アパートに帰ってきた。
買ってきたものを整理して、部屋の真ん中にちゃぶ台を置く。
あとは――食器などを入れる食器棚は必要だな。
俺と八重樫君しかいないから、調味料やら調理器具は共同炊事場に置きっぱでもいいかもしれない。
さて、色々と手伝ってもらったので、晩飯を食わせてやろうとするとヒカルコがまた作るという。
飯ができあがったあと、一緒に夕食。
彼女のアパートに帰そうとしたのだが、結局帰らず、また一緒に寝ることに。
寝たはいいが、今日はやってない。
毎回、やるたびに小遣いをやるわけにもいかねぇ。
とりあえず、若い尻を揉み放題なのはいいのだが。
――新しいアパートに引っ越してきて、初めての朝。
朝起きるといいにおいがする。
ちゃぶ台の上には、朝飯ができあがっていた。
皿の上にはオニギリと、豆腐の味噌汁。
料理の材料はなにもなかったので、こうなったのだろう。
朝飯作ってくれたのに、「なぜ作った?」とは言えん。
「おはよう、飯作ってくれたのか。ありがとう」
「……」
彼女が黙ってニコニコしている。
「昨日買った中に味噌はなかったと思ったが?」
「朝起きて、自分の部屋から持ってきた……」
「それなら帰れよなぁ……豆腐は?」
そういえば、昨日と着ている服が違う。
着替えてきたのだろう。
「朝買った……」
豆腐屋は朝早くからやっているらしい。
1丁20円だと言う。
とりあえず食う。
オニギリの中身はおかかだ。
昨日買った鰹節を削って作ったのに違いないが――なんかスゲー美味いんだが。
もしかして削りたてのせいか?
それとも、これが本物の鰹節の味なんだろうか。
「美味いな」
味噌汁も美味い。
今日はイリコじゃなくて鰹節を使ってる。
「……」
彼女もオニギリを食べて、ニコニコ。
あ~、こいつはどうしたもんだろうか。
別に嫌いなわけじゃないのだが、俺も切羽詰まっている状態だからな。
この世界じゃ天涯孤独だし。
正直、面倒を見きれねぇ。
こいつに、なにか仕事しろと言っても、こんな調子じゃ客商売は無理だろうし。
実際に、夜の店をクビになっているし。
学生運動で警察に捕まって前科1犯じゃ、どこに行っても色々と難しいだろうし。
そこで俺に1つ考えが浮かんだ。
「ヒカルコ――お前、大学中退だろうけど、なに学部だったんだ?」
「……文学部」
「お? 文学部か、それはよかった」
「……?」
「お前、小説書いてみねぇか?」
「小説?」
「ネタは俺が提供してやる」
まぁ、ネタならいくらでもあるしな。
売れなくても、飢えない程度にでも稼げればいい。
ネタが面白くてそこそこの文章があれば、よほどの悪文じゃなければいけるはず。
別に純文学書かせるわけじゃねぇし。
狙いは大衆小説だ。
ネタ出しに苦労しないなら、執筆スピードも上げられるだろう。
「……」
「なにもせずにブラブラしているよりはマシだろ?」
「……」
「このまま行ったらマジで詰むぞ? まぁ、あの工場でずっと働くって手もあるだろうが」
「……無理」
どうやら、彼女も働いたことがあるようだが、体力的にかなりきつかったらしい。
確かに男やら、ゴツい女ばっかりだったが……。
「文学部なら小説は読んだことはあるんだろ?」
「コクコク」
彼女がうなずく。
「まぁ、それならなんとかなるだろう」
「……」
「小説を書くなら、ここに来てもいい。それじゃなければ追い出す」
「コクコク」
彼女がうなずいた。
まぁ、覚悟を決めたようである。
自分でもあとがないと思っているのだろう。
金に困って身体を売るぐらいだ。
それにしてもなんで俺を選んだのか?
やけくそか?
そこらへんを聞いてみた。
「……タクシーで帰ってきたから……」
「やっぱり、あのタクシーが問題だったか……」
――とはいえ、競馬場で大穴当てたらタクシーってのはルーティンだしなぁ。
「なんで俺みたいなオッサンがいいんだ? 若いやつもいるだろう」
「……嫌」
こいつは逃げ遅れて警察に捕まったのだが、トラウマになっているな。
同世代に不信感を抱いてしまったのだろう。
「お前も苦労してんな、よしよし」
彼女の頭をなでてから、ちゃぶ台の上にノートを出して、ネタ出しをする。
キャラクター設定やら、起承転結。
この時代の小説家が、こういうことをしているのかは知らん。
文庫本1冊なら、12万文字ぐらいか?
400文字の原稿用紙で、え~と300枚か……。
まぁ、昔はマジでこんな感じだったからなぁ。
ワープロもPCもないとそうなるのか。
ワープロのときは、最終的には原稿用紙に打ち出していたわけだが……。
やはり画面上で編集できるのが大きい。
原稿用紙なら、それを紙面上で全部やらなければならない。
とりあえず数行書かせて、一字下げやら、リーダーやら、ダッシュの作法を教える。
こういうのは、この時代から変わってないはずだけどなぁ。
実際に、俺が買ったこの時代の小説などもそうなっているし。
ストーリーは、軽めのSFにしよう。
別に文学をやるつもりじゃねぇし。
この時代にまだラノベというジャンルはないが、児童小説などで需要があるかもしれん。
別に傑作やら芸術じゃなくても、そこそこのクオリティと筆の速さがあれば仕事はある。
小説がダメでも、コラム記事の執筆とかな。
最初にキャラクターの設定をしっかりとやっていれば、会話や展開に躓くこともねぇ。
人間ってのは、性格や育った環境、心理学で研究されているような行動ベースから大幅に外れることがなく、その上をトレースするように動く。
まぁ、もちろん例外はあるがな。
それはいいが、原稿用紙で300枚か……。
昔はこれでやってたんだよなぁ。
はるか遠くに思えるぜ……。
しばらく指導しながら原稿用紙10枚ほど書かせた。
原稿用紙は1枚400文字だから、4000文字だ。
結構書けるなぁ――という俺の感想だ。
原稿用紙で300枚が目標だから、1日10枚ならちょうど1ヶ月、20枚なら15日だ。
このペースなら、書き慣れれば20枚ぐらいはいきそうな感じ。
ネタは俺が提供しているから、詰まることもねぇしな。
――そもそもだ。
「書いててどうだ? 大変か?」
「……楽しい」
これが重要だ。
漫画家にしろ小説家にしろ、なにかを作り出して嬉しい、楽しいという感情がベースにないと続かん。
八重樫君だってプロの漫画家になりたいという目標があるのだが、自分の考えたものを作りたいという意思に溢れている。
実際、俺に会う前にも彼は原稿をなん本か完成させていたしな。
クリエイターという商売なら、この資質はとても大事だと思う。
有名になりたい、金持ちになりたいという目標から、クリエイターをやっている人もいるかもしれんがな。
業界にいたとはいえ、全ての小説家や漫画家に聞き込みをしたわけじゃねぇし。
個人的な感想を言わせてもらえば、なにかを作って楽しい、嬉しいという気持ちがなければ、こりゃタダの苦行にしかならねぇと思う。
ずっとヒカルコの面倒を見ていたが、昼になった。
「腹が減ったな」
「……なにか作る?」
「いや――食器棚を探したいから、ジェイ――じゃねぇ国鉄の駅の方へ行ってみるか。そこでなにか昼飯を食うか……」
それに原稿用紙の追加が必要だ。
100枚ぐらい買ってくるか。
「コクコク」
彼女も賛成のようだ。
そういえばなぁ、E電とかあったが、ありゃどうなったんだ?
結局JRのままで誰も覚えてねぇよなぁ。
なんでああいう無駄金を使うのかね。
凡人の俺には解らねぇが――あれでも、誰か儲かってるやつがいるんだろうな。
部屋に鍵をかけて下に降りると、大家さんがいた。
「おはよう――いやもう、こんにちは、ですか」
「はい、こんにちは」
彼女が、俺の後ろにいるヒカルコを見て、ニヤニヤしている。
やっぱり――と思っているのだろう。
「大家さん、こいつは他のアパートに自分の部屋を持ってますからね。今、ちょっと仕事の手伝いをしてもらっているので……」
「あら、そうなの」
そんなことを言いつつ、彼女の目は信用していない。
どうみても、親子みたいな歳の離れぐあいなんだけどなぁ。
まぁ、俺としても年増よりは、若い女のほうがいいが……。
結婚や子育てなんて興味がねぇし。
逆にいえば、それがないから今まで好きなことをやって暮らしてきたわけだ。
この歳になって、そういうものに憧れが出てきたのか? ――といわれれば、ぶっちゃけありえない。
三つ子の魂百までも、人間はそう簡単には変わらないのだ。
そんなことより、夫婦で部屋に住むなんて聞いてない――契約違反だとか言われなくてよかったぜ。
夫婦で住むと、すぐにガキが生まれてうるさくなるし、子どもが部屋を汚すから――とかいう理由で嫌がる大家もいるのだ。
ここの大家さんが、そういう人じゃなくてよかった。
いや、実際に夫婦じゃねぇし、一緒に住むつもりもねぇんだけどな。
とりあえず、ヒカルコに手に職をつけさせて社会復帰させにゃ。
このままじゃ、こいつはあのアパートで野垂れ死ぬぞ。
――とはいうものの、なんで俺がこんな世話を焼かにゃならん。
彼女と一緒に細い路地を歩き、国鉄の駅方面を目指す。
俺が最初に行った区役所などがある所だ。
道順があやふやだが、彼女が知っているらしい。
路地に小さな店とか、小料理屋みたいなのがあるのだが、こんな所で商売になるのか。
共同の炊事場で料理をするのも大変だから、独身の男たちはこういう所で飯を食うのか?
平成令和なら、コンビニなどでどうにでもなったんだが、そういうものがないからな。
懐かしいコンビニのことを考えていると、突然目の前に、「おことの教室」という看板があって驚く。
「……なんだ、お琴の教室かよ」
「うん、私も最初、びっくりした」
お琴といいつつ、中から聞こえてくるのは大正琴なんだが――まぁ、あれも琴に間違いないだろうが。
しばらく彼女と歩いていくと商店街が見えてきた。
いつも行っている駅前の商店街より大きくて、店も沢山ある。
「ああ、コッチのほうがものが揃っているなぁ。ちょっと遠いのが難点だが……」
「うん」
商店街を抜けると、大きな通りに出る。
さすがに通行量が多く、ごった返している。
そのちょうど角に家具屋があった。
中を覗くと、具合のよさそうな小さな食器棚が置いてある。
上がガラスの引き戸になっていて、その下は引き出し、一番下が引き戸のもの入れ。
「これで十分だな」
この時代は家具の量販店などはないので、値段はどこもそんなに変わらない。
海外生産もされておらず、国内の工場で作られたものばかりだ。
「いらっしゃい~」
中から作業着のようなものを着たオッサンが出てきた。
「家具を買ったら、配達はしてくれるのかい?」
「配達料はいただきますが」
「それじゃ、この食器棚を頼む」
「毎度~」
配達で200円も取られるらしいが、こんなのは運べねぇし、ガソリン代も高いんじゃしゃーない。
お目当ての棚を買った俺は、外に出た。
あとは、原稿用紙か――。
商店街に文房具屋があったから、帰りに買えばいいだろう。
せっかくここまで来たんだ。
駅前の商店街も見てみるか。
飯屋もあると思うし。
「あ!」
俺はあることを思い出した。
駅前の商店街に、俺がなん回か行ったことがある喫茶店があるのを思い出した。
あの茶店は、戦後すぐに営業を始めたと聞いたから、この時代にもあるに違いない。
あそこのコーヒーの味を思い出したら、それが無性に飲みたくなった。
飯を食い終わったら、行ってみるか……。
駅前にある商店街にやって来た。
いや~、人が多くて賑やかだ。
ここの商店街はさらに大きく、夜になると脇道には沢山の酒場がオープンする。
平成には大きなアーケードが架かり、巨大なショッピングモールが作られた。
そのショッピングモールの中を貫通して、大通りまでつながっていたのだが、ここにはそれがない。
上を見ると、すでに簡素だがアーケードが架かっていて、まぶしい日差しを遮っている。
「へぇ、この時代から屋根があったのか……」
途中に黒い学生服とセーラー服を売る店がある。
「やっぱりこの時代は詰め襟とセーラー服か……」
いかにも昭和って感じがするな。
その隣には時計屋がある。
そうだ、ヒカルコがいるとスマホが使えなくて時間が解らん。
時計を1つ買うか……。
どのみち、スマホが壊れたら必要になるしな。
店に入ると、沢山の時計が壁にかかっている。
全部機械式の時計で、カッチコッチカッチコッチと盛大な音を鳴らしていた。
時間になると一斉にボーンボーンと鳴るのだろうか?
黒いズボンに黒いベストを着た爺さんが、片目にルーペをつけて時計を直していた。
この時代にまだクォーツなんてない。
みんな機械式で、カチコチ鳴るやつだ。
ガキの頃の記憶だと、夜に寝ているとこのカチコチ音が意外とうるさいのだ。
目覚まし時計みたいなタイプを手に取ってみると、やっぱりうるさい。
手当たり次第に耳に当てて聞いてみる。
そして俺が選んだのは、折りたたみ式の小さな時計。
要は普通の腕時計のムーブメントを、折りたたみのケースに入れたものだ。
小さくて視認性は悪いが、これなら音がうるさくない。
別に目覚まし機能がなくてもヒカルコが真っ先に起きるし。
値段は4500円。
結構高いが、時計も一生ものだと考えると、しょうがないのか。
クォーツなら100均とかで売っているのにな。
爺さんに聞くと、トラベルクロックとかいう種類らしい。
平成令和じゃなくなった種類だなぁ。
箱は要らないので、俺は時計だけもらうとポケットに入れた。
時計屋から出ると、次に目に入ったのはカレーの看板。
そういえば、この時代にやって来てからカレーを食ってない。
チョコみたいなカレーの素もまだ見かけないし、当然パウチのインスタントカレーもない。
カレー自体は明治ごろにはあったはずだし、海軍でも食われていたので存在しているのは確か。
そうだ、パウチの特許も取れんかな?
インスタントカレーが出たのは昭和40年代のハズだから、まだ間に合うかもしれん。
全部認められなくても、一部でも特許が引っかかるかも。
インスタントカレーのことを考えながら、俺は店の扉を開けた。
中に入ると漂ってくるカレーのにおい。
これだよ、今の住宅街には、どこからか漂ってくるカレーのにおいが足りない。
今の時代のガキンチョは、カレーを食うことも少ないのか。
可哀想に。
中はカウンター席だけで、背もたれなしの四角い椅子が5つほど。
客はいない。
白熱電球が2つほどぶら下がっており、薄暗い。
俺はヒカルコと一緒に席に座った。
カウンターの中に、白い服とコック帽を被った店主がいる。
「カレー2つ、それでいいだろ?」
一応、ヒカルコにも確認したが、問題ないだろう。
「コクコク」
「かしこまりました」
水が出てきた。
皿に飯を盛ってカレーをかけるだけだから、すぐに出てくるだろう。
――と思いつつ、店を見渡すと壁に白い缶が置いてある。
立ってそれを見ると、カレー粉だった。
赤い缶を探していたが、この時代は白かったのか。
なんてこったい。
もしかして、いつもの店にも売っていたかもしれん。
「このカレー粉って売り物なのかい?」
「はい、1つ50円です」
「あとで、2つほどもらうわ」
「かしこまりました~」
店主がそういうと、皿に白米と金属製の器に盛られたカレーが出てきた。
これだよ、こういうのでいいんだよ。
ご飯にカレーをかけて、一口食う。
家庭のあのカレーの味ではないが、懐かしいカレーの味――のような気がする。
「ンマーイ!」
「コクコク」
隣で、ヒカルコもパクパクと食べている。
カレーが好きなのか?
俺は、カレーを平らげると白いカレー缶を買った。
これで俺もカレーが作れる。
この時代でカレーを作るとなると、高くつくだろう。
カレーもレストランで食べるような高級料理ってことになるのか。
満腹になった俺は、ここに来た目的の1つである、喫茶店を目指した。
景色を堪能しながら、茶店を探すと商店街からちょっと脇に入った所にそれはあった。
平成の時代に訪れたときと同じ場所だ。
その時には古色蒼然としていたのだが、今もそんなに変わっていないように思える。
元々こういう感じの店だったのだろう。
いつかまた訪れようと思っていたのだが、店主の爺さんが歳で引退してしまったのだ。
復活するみたいな話もあったのだが、そのあとどうなったのか解らない。
「……ここ?」
「茶店だよ」
中に入ると真っ暗。
こういう店なのだ。
入り口すぐ近くのカウンターで食券を買うが、コーヒーと粉のオレンジジュースしかない。
コーヒーが70円で、ジュースが30円と書いてある。
2人でコーヒーを頼んで奥に進む。
中は真っ暗なのだが大きなスピーカーからクラシック音楽が聞こえてきた。
店にステレオがあって、レコードをかけているのだ。
聞いたことがある曲もあるのだが、タイトルや作曲家が解らん。
本当に暗いので、しばらくして目がなれないと、どこになにがあるのか怖い。
店の中が迷路のようになっているのだ。
階段を上がった踊り場のような場所に、俺とヒカルコで座ると、彼女は楽しそうである。
「ここは初めてか?」
「コクコク」
彼女が嬉しそうにうなずく。
待っているとコーヒーがやってきた。
とりあえず、一口飲む――あの味だ。
もう2度と味わえないと思ったのに、また飲めるとは……。
俺はクラシック音楽に耳を傾け、薄暗い部屋で懐かしさに浸りながらコーヒーをすすっていた。
今度、コーヒーの道具でも買ってみるかぁ。
――懐かしいコーヒーの味を堪能した俺は、区役所に行くと新しい住所に住民票も移した。
帰る途中の文房具屋で原稿用紙を買う。
それを持ってアパートに帰ってくると、アイディアとストーリーを記したノートと、原稿用紙を100枚持たせて、ヒカルコを自分のアパートに帰らせた。
ゴネるかと思ったのだが――小説を書いてみたらすごく面白かったらしい。
先行きがない状態で、なにもしてない自分にすごく不安を感じていたようだ。
それで俺にすがってきたのか。
小説を書いている間は楽しくて、その不安も消えたらしい。
「……だから、頑張ってみる」
「おう、頑張れ! 聞きたいことがあれば、いつでも来ていいからな」
「うん」
頭をなでてやると、彼女は原稿用紙を抱えて自分のアパートに帰っていった。
なんとかなればいいけどな。