101話 ナポリタン
コノミが麻疹で学校を休んでいるのだが、お客さんがやってきている。
矢沢さんのお母さんだ。
矢沢さんより、ちょっと小さい方だが、いかにも肝っ玉母さんって感じ。
彼女の苦労話を聞いただけで、物語が一本作れそうなぐらい、人生が濃い。
せっかく東京にやって来たので、しばらく娘の所に滞在して、観光をするようだ。
矢沢さんも地方から出てきたばかりなので、あまり東京に詳しくない。
漫画家という商売でいつも手一杯、観光などをする時間がなかったのだろう。
そこで俺は、カモメバスを勧めた。
あれなら東京の有名所をバスガイドさんの解説つきで回ってくれるし、立派な昼飯もつく。
気軽に観光を楽しむには、ぴったりだと思う。
そんな俺の提案にもう1人食いついた。
大家さんだ。
彼女はもちろんちゃきちゃきの江戸っ子なので、カモメバスのことは知っていた。
ヒマと金に飽かせて日本中を観光したらしい大家さんだが、カモメバスに乗ったことはなかったらしい。
正直、俺も乗ってみたいのだが、コノミが病気なのにそんなことができるはずがない。
俺が行くなら、もしかしたら八重樫君も行くって言うかもしれん。
「また僕は仲間外れですか~?」なんて彼のボヤキが聞こえてきそうだ。
――そのまま夕方になった。
今日は俺が晩飯を作ることに。
なぜ俺が作っているのかといえば、今日はナポリタンが食いたいからだが、隣でヒカルコも手伝い、デカい黄色の鍋にお湯を沸かしている。
どうせ作るのだから、アパートの住民たちの分も作ってしまう。
まぁ、俺もお人好しだな。
なぜあのケチャップのパスタをナポリタンというのかは不明だが、ナポリタンなのだ。
この時代にもすでに洋食屋のメニューにあったりするが、一般の家庭ではどうだろうか?
そもそも、乾燥パスタが高いからなぁ。
ナポリタンに使うケチャップも高い。
洋食は気軽に食えるものではないのだが、魚などが安いわけでもない。
イワシやサンマも、1尾20円~30円するし、普通の家じゃご飯と味噌汁と漬物、魚などを焼いて出したらそれで料理の予算はギリギリ。
豚カツなんて1枚で100円ぐらいするし、家族4人いたら400円――平成令和だと、4000円相当だ。
エンゲル係数が跳ね上がってしまう。
一番安いのは、肉屋のコロッケが1個20円ぐらいで買えるから、こいつか。
俺は材料の値段を考えながら、たまねぎの皮を剥いた。
そいつをミキサーの中に入れて、みじん切りにする。
せっかく機械を買ったのだから、色々と使うべきだ。
そいつをフライパンに入れて、茶色になるまで炒める。
こうしないとネギ臭さがぬけないし、甘みも出ない。
俺の料理を見ているモモにも料理を手伝わせる。
「モモ、蓋を開けてくれ」
「うん」
彼女に渡したのは、ケチャップの瓶だ。
「うう~ん!」
彼女が必死な顔で、ケチャップの蓋を開けようとしている。
蓋が開いたら、炒めたたまねぎの中に投入。
焦げないようにじっくりと炒めて水分と酢を飛ばす――これをやらないと、酸っぱいナポリタンができ上がる。
そうなると、まったく美味くない。
ソースを作っている間に、ヒカルコにギョニソを切って炒めてもらう。
たっぷりとコショウを使って魚臭さを消す。
お湯が沸いたら塩を入れて、パスタを茹でるとソースに絡める。
これで完成だ。
大家さんから皿を借りて、盛り付けた。
昭和の家ってのは人が集まることが多かったので、布団やら食器をたくさん常備している家が多かったな。
年末年始には親戚がたくさん集まったりとか。
そういえば、大家さんの家は、地元の名士なのに年末年始に人が集まったりしない。
親戚と揉めたりしたという話も聞いたので、多分そのせいかと思われる。
「お~い、先生。できたぞ~、持っていけ~」
先生の所の戸を叩くと、すぐに出てきた。
「ありがとうございます! いいにおいすぎますよ~」
「おお~っ! 洋食だ!」
彼の所に来ていた五十嵐君も、一緒に食べるようだ。
「足りなかったら、大家さんが握り飯を作ってくれたからもっていけ」
「あざーす!」
続いて、矢沢さん母娘もやってきた。
「あの~、本当にいただいてもよろしいのですか?」
お母さんは遠慮がちだ。
「ええ、どうぞどうぞ」
「やったぁ!」
「これ!」
矢沢さんは、もう遠慮なしで皿を持っていく。
まぁ、彼女らしくていい。
「はは、いいんですよ」
八重樫君の所はアシと一緒。
矢沢さん母娘は彼女の部屋で、大家さんとモモは、俺の部屋で食う。
大家さんから大きなちゃぶ台を借りて、ナポリタンを並べた。
「あら~、美味しいわぁ、下手な洋食屋さんも裸足で逃げだすわねぇ」
大家さんが一口食べて、美味しいと言ってくれた。
彼女は旅行だけではなくて、あちこち食べ歩いているらしいので、舌が肥えている。
そんな大家さんを、俺のナポリタンは満足させられたようだ。
パスタなのだが、ウチにフォークはない。
皆が箸で食べている。
「コノミも食べるか?」
「うん」
赤い顔をしているが、布団から起き上がったので、ウチのちゃぶ台を布団の上に出してあげた。
「赤いポツポツが出てるわねぇ」
彼女の顔を見た、大家さんとモモも心配そうにしている。
「あと、2日か3日でなくなると思いますが……」
「なくなったら、学校に行ける?」
コノミは学校に行きたいようだが……友だちにも会ってないしな。
一応、野村さんが学校だよりやプリントを持ってきてくれてはいるが、部屋の中には入れていない。
再度感染する可能性があるからだ。
「その前に病院に行って、医者に聞いてこないと」
「……」
彼女はしょんぼりとしてナポリタンを食べはじめたのだが……突然泣き始めた。
「……グスグス」
「どうした?! 美味しくなかった?」
「美味しい……けど、喉が痛くて食べられない……」
「ああ、ゴメンな! 病気が治ったら同じの作ってあげるから! 美味しいジュース飲むか?」
「……コク」
彼女が黙ってうなずいたので、炊事場に向かうと、冷蔵庫に入れてあった栄養ドリンクを持ってきた。
「はい」
「……」
コノミが黙ってドリンクを飲み始めたので、チリ紙で涙を拭ってあげる。
「う~ん、スパゲッティをミキサーにかけるわけにはいかないしなぁ」
「可哀想ねぇ……」
大家さんの言う通りだが――。
「こればっかりは、治らないことにはどうしようもない……」
「そうねぇ」
でも、スパゲッティをミキサーして、おかゆに混ぜたらどうだろう。
コノミも同じ味ばかりで、飽きているかもしれない。
「コノミ、ちょっとまってな」
彼女が食べられなかったスパゲッティを持って、炊事場に向かう。
冷蔵庫に入っていた、おかゆを小さな鍋に入れて加熱した。
赤くて長いのをミキサーに入れてスイッチ・オン!
ドロドロになったら、おかゆの中に投入した。
炭水化物イン炭水化物! ――鍋の中が赤くなった。
ギョニソも入っているから、タンパク質も取れる。
「ちょっと味見――少々ダシとしてこんぶ茶を投入――お、いいんじゃないか?」
ちょっと甘酸っぱいおかゆになったが、これはこれで美味いと思う。
俺は布巾で鍋をつかむと、鍋敷きの上に載せて部屋で待っているコノミの所に戻った。
「ほい、コノミ~スパおかゆにしてみたぞ~食べてみそ」
「うん」
熱いので、食器棚の引き出しからレンゲを取り出すと、冷めやすいように小鉢に盛ってあげる。
「はい、フ~フ~」
「自分で食べる」
「わかった」
目を腫らした彼女が、レンゲで赤くなっているおかゆを掬った。
「んぐんぐ」
「どう?」
「おいしい」
「喉は痛くない?」
「痛いけど大丈夫」
「そっかー! 病気が治ったら、みんなで食べような」
コノミの頭をなでてやる。
「うん」
1人だけ同じものが食べられないので、仲間外れにされたような気持ちになったかもしれないな。
「はぁ~、ウチのお父さんも、篠原さんぐらい優しかったらねぇ……」
大家さんがそんなことを言う。
お父さんというのは、旦那さんのことだろう。
彼女の口から褒め言葉を聞いたことがないので、どんな人物かおおよそ察した。
「あ、そうそう、大家さん――お昼にスイトンを食べてどうでした?」
「変わったお味で美味しかったわよぉ。あれって、乳清で作ったんですって?」
「はい、乳清をご存知でしたか」
「中国にいたお父さんから手紙をもらったんだけど、それに書いてあったわぁ」
旦那さんは大陸にいたらしい。
戦死したという話だったので、そこで亡くなったのだろう。
満州にいたのなら、乳清を使う人たちと知り合ってもおかしくない。
「む~、それ私食べてない……」
話を聞いていたヒカルコがむくれている。
「なんだよ、今度はヒカルコかよ~。結局みんなに作らんと駄目なの?」
「もう、篠原さんの作る料理が美味しすぎなのよぉ。これじゃみんな食べたがるのも無理もないわぁ」
「ははは……」
仕方ねぇ。明日あたりヒカルコに作ってやるか。
「でもねぇ、篠原さんは病気のコノミちゃんのために作ってるのよ? ご迷惑がかからないようにしないと――って、私も食べちゃってるから説得力がないんだけど……」
大家さんが、ナポリタンを食べながらちょっと気まずそうな顔をしている。
「まぁ、たまにはいいですよ。毎度たかられたら怒りますけど、ははは」
「そうよねぇ……」
コノミの食事が終わったので、薬を飲ませる。
不味い薬にも慣れたようで、なんとか飲み込んでいるみたいだ。
「コノミちゃん、早くよくなればいいのにねぇ」
「そうですねぇ。でも、少なくとも1週間はかかる病気ですし……」
「そうなのよねぇ。結構危ない病気だし。昔は亡くなった子がたくさんいたのよぉ」
「……!」
大家さんの言葉に、コノミが反応している。
「ああ! ごめんなさいねぇ、コノミちゃん! 今は大丈夫なのよ!」
「大丈夫大丈夫」
俺も彼女の言葉をリフレインした。
「……うん」
特効薬はないし、ひたすら安静にして栄養を取るしかないのが、もどかしい。
薬を飲ませたコノミを寝かせていると、誰かが階段を上ってくる音がする。
大家さんとヒカルコ、モモは一緒に炊事場で後片付け中。
誰だろう、と考えていると、戸がノックされた。
「は~い、どうぞ」
「こんばんは~」
戸を開けてやって来たのは、相原さんだった。
「コノミちゃん大丈夫?!」
「……うん、大丈夫……」
「可哀想!」
寝ている彼女に、入ってきた相原さんが抱きついた。
「く、くるしい……」
「あ、ごめんなさい、本をたくさん持ってきたから、早く元気になって読んでね」
彼女が持ってきた大きな袋から10冊ほどの本を出した。
ざっと見ると児童書が多い。
「う、うん、ありがとうございます」
「うう、可哀想!」
相原さんが再びコノミに抱きついた。
「相原さん、もしかして感染るかもしれないから」
免疫ができていると症状がでないから、なん回か感染することによって、免疫が強化されるんじゃなかったか。
過去に感染した人でも、ずっと感染していなかった場合、症状がでる可能性がある。
1週間~10日も編集の仕事を休んだら、かなり困るんじゃなかろうか。
「あ、すみません……」
女史が持ってきてくれた本を、本棚に並べたのだが、あることに気がついた。
「あの~、小中学館じゃない本もたくさんあるんですけど……」
「神保町で買ってきました!」
「ええ?! そんな悪いですよ」
「いいんですよ! 私が好きでやっているんですから」
「ありがとうございます」
それはいいのだが、彼女がモジモジしている。
「それでですね……今日も泊まってもいいですか?」
「いや、いいですが、お仕事は大丈夫ですか?」
「もちろんです」
「コノミの所に通いつめて、会社をクビになったとか、そういうのは困りますよ」
「そんなことありませんよ。私もそこまでバカじゃありませんので」
相原さんが腰に手を当てて、胸を張っている。
「そうですかぁ?」
「大丈夫!」
本当かなぁ……。
相原さんと話していると、ヒカルコが戻ってきた。
「あ……また来てる」
「私は、コノミちゃんに会いに来ているのでぇ~」
「「ぐぬぬ……」」
「それより、大家さんに断ったほうが……」
「あ、そうですね!」
相原さんが、バタバタと外に出ていった。
「もしかして、また泊まるの?」
「コノミのことを心配して来てくれているんだから、断る理由がないだろ」
「ぶ~」
ヒカルコが、むくれている。
そんなことを言われてもなぁ……。
彼女も善意で来てくれているわけだし。
ヒカルコがむくれていると、相原さんが戻ってきたようだ。
「すみません~」
戸を開けると、手には布団が抱えられている。
「布団を借りてきました!」
――とはいえ、前と同じパターンだと、それに俺が寝ることになるのだが。
「あ、そういえば――相原さん、夕飯食べました?」
布団を畳んでいる彼女に聞くと、動きを止めた。
「ま、まだ食べてないです……」
「それじゃ、残り物でもよいなら、食べますか?」
「は、はい!」
彼女においでおいでをして、炊事場に連れていくと、冷蔵庫から余ったナポリタンを出した。
もうのびのびになってしまったが、これはこれで俺は好きだ。
サ店のナポリタンも、少し時間を置いて柔らかくする所もあるらしい。
皿にパスタを盛ってあげると、相原さんが箸で食べ始めた。
「おいひい!」
「よかった」
「本当に美味しいですね! そこら辺にある洋食屋なんてお呼びじゃないというか……」
彼女がナポリタンを頬張りながら、目をキラキラさせている。
「コノミに少し食べさせたら、喉が痛くて食べられないと泣いてしまって……」
「あ、それでここに……」
相原さんが、スパゲッティを啜っている。
「そうなんですよ」
話していると、廊下の戸が開いた。
「あ! 残っていたから、私の夜食で食べようと思ってたのにぃ!」
声を上げたのは、矢沢さんだ。
「これ! 意地汚い!」
後ろからお母さんも顔を出した。
「矢沢さんのお母さん、こんばんは~。スパゲッティはどうでした?」
「洋食は食べ慣れてなかったのですが、とても美味しかったです」
お母さんの口にもあったらしい。
「それはよかった」
「篠原さん、これはおいひいれすよ」
相原さんが、口に入れたままもごもごしている。
「なんですか、お嬢様がはしたない」
「ひょんなこと――ゲホッゲホッ」
喋りながら食べていたので、変な所にスパが入ったようだ。
「あ~あ、はい麦茶」
「はりがとうござひます」
鼻からパスタを出している、お嬢様萌え~。
いや、そうじゃない。
「相原さん、鼻から出てますよ」
「ひゃい!」
彼女が後ろを向いて、シンクでバタバタしている。
「篠原さんにご飯を作ってもらえば、毎日おいしいものが食べられるってことですよねぇ」
いつの間にか矢沢さんがにじり寄ってきていた。
「俺の作るものは材料費が高いぞ? 普段食べるものとしては、不適切じゃないかなぁ」
「でも、篠原さんなら安くて美味しいものも作れるでしょ?」
「ははは、まぁずっと1人ぐらしで自炊してたから、食えればOKってものならいくらでも作れるが」
「それじゃ、篠原さんにぃ、毎日ご飯を作ってもらいたいなぁ……」
それってプロポーズかよ。
「ははは、ヒカルコもコノミもいるから、無理だな」
「んもう! いいじゃないですかぁ!」
矢沢さんが俺に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと、先生!」
「こ、これ! はしたない!」
矢沢さんの行動に、相原さんとお母さんもびっくりしたようだ。
「矢沢さんのお母さん曰く、『男なんて信用ならない』じゃなかった?」
「そうですけどぉ、篠原さんなら大丈夫だと思うんです」
「いやいや、俺はかなりのロクデナシだから、ははは。矢沢さんも、男を見る目がねぇな」
「そんなことないですぅ」
~すぅじゃねぇ。
「はいはい、ダメダメ」
「ぶ~」
引き離されて矢沢さんがむくれているのだが、お母さんが頭を下げた。
「申し訳ございません」
「矢沢さんはお父さんっぽい人に、ちょっと甘えたいだけなんだよな?」
「そんなことないですぅ」
実際、普通の家庭を持ちたいのなら、主婦力レベルマックスの矢沢さんが最適解なんだろうが、俺もそんなつもりはねぇしなぁ。
ヒカルコに婚姻届を見せて、いまさらそれを引っ込めるつもりもねぇし。
「ふ~」
相原さんがほっとしたような顔をしている。
間違っても、矢沢さんの誘いに乗るつもりはない。
だいたいだな、そのときになると、お母さんの顔がチラついて勃たねぇ――ははは。
そのあとは、相原さんと仕事の打ち合わせをしてから、皆で寝た。
彼女が泊まりにきてくれて、コノミも嬉しそうである。
――皆でナポリタンを食べた次の日。
矢沢さん母娘と大家さんは、朝から東京観光に出かけた。
目指すは、東京駅から出発するカモメバスである。
それにしても、さすがは大家さん。
彼女が電話で呼んだタクシーに、皆が一緒に乗って東京駅に向かった。
電車に乗るために駅まで行くとなると、結構歩くからなぁ。
大家さんはそこを嫌ったか?
まぁ、彼女のおごりなら、矢沢さんたちは黙って奢られたほうが得だろう。
コノミは発疹が出たままで熱は高く、まだ寝込んでいる。
今日は日曜なので、店も休みで買い物もできない。
大人しく、家で仕事をするしかないだろう。
朝食を摂ると、相原さんは会社に戻るという。
「今日は、日曜ですよ」
「昨日残した仕事がありますので、午前中で片付けて、午後は休みます」
「コノミの所に来てくださって、ありがとうございます」
「いいんですよ! 私が好きで来ているので」
戦闘服のスーツに着替えると、彼女は職場に帰っていった。
まったく申し訳ないなぁ。
それはそれとして、ヒカルコに聞くことがあったのを思い出した。
「ヒカルコ」
「なぁに?」
「本が出ると言ってただろ?」
「うん」
「振込先を俺の会社にしないと駄目だぞ?」
「大丈夫、もうやってる」
「え?! 本当か?」
「コクコク」
なんと、余計な心配だったようだ。
彼女の印税は会社の口座に振り込まれて、役員報酬としてヒカルコに支払われる。
こうやって節税をするわけだ。
デカい買い物は、会社の経費で買う。
経理が面倒になるが、そんなのは全部税理士などに投げる。
身近だと、大家さんもそんな感じになっている。
アパートの家賃は、大家さんが役員になっている会社に振り込まれているわけだ。
金とヒマを持て余して、日本中を旅していると言っていたが、そういうお金も――。
営業の旅費や視察のための旅費、社員旅行の旅費として捻出されているのかもしれない。
車も経費で買えるしな。
もちろん、営業車としての経費だから、オープンカーやらスポーツカーは無理だが。
そうなると、ヨトタの2000GTやら、マツキのコスモススポーツとかは無理か。
欲しいんだがなぁ……。
収入を抑えたまま、10年ローンとかで買えばいいのか。
その前に免許を取らないとだめだが、はは。
そのまま昼がすぎ、夕方になるとアパートの前にタクシーが止まった。
中から、大家さんと矢沢さん母娘が降りて、そのまま階段を上ってくる。
俺は戸を開けて出迎えた。
「おお、お帰り~、カモメバスはどうでした?」
「すごくよかったです! 知らない所がたくさんありました!」
矢沢さんがはしゃいでいる。
「いろいろな所を回れたので、よかったです。あれを歩いて回ったら大変なことになりました」
「はは、よかったですね~」
「ありがとうございます」
お母さんがペコリとお辞儀をした。
「いえいえ――矢沢さんお昼はなにを食べたの?」
「大きな食堂で、重に入った和食でしたよ。さすが、美味しかったです!」
「まぁ、1000円弱の中に食事代も入っているからねぇ」
「はい」
「大家さんも楽しんでいる様子だったかい?」
「はい、東京にずっと住んでいたのに、初めて行った場所もあったみたいですよ」
「それは、よかった」
コノミが病気じゃなければ、俺も行きたかったところだが。
もちろん、病人の前でそんなことは言えない。
挨拶をすると、母娘は自分の部屋にもどっていった。
いい観光になってよかったし、地元に帰っても自慢ができるだろう。
さてさて、こちらもコノミの病気が早くよくなればいいのになぁ。