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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

いつもの1日

作者: ゆりかもめ

ゴールデンウィークが終了し、賑やかな声で溢れかえる晴れた朝の平日の通学路。


中学生たちはブレザーを身にまとい、この通学路を使って雑談をしながら学校に向かっている。


そんな中、ただ1人学校とは正反対の方向に歩を進める者がいた。


腰まで伸びる長い銀髪を流し、きゃしゃで小柄な体を揺らす女子中学生、みなとだった。表情はうつむきがちで、長い前髪で隠れているため見えない。


教科書類が入った紺色のカバンを背負ってふらふらと歩いている。


周囲の人たちは、湊に一瞬だけ目を向けてすぐ背けると、何事もなかったかのように会話を再開する。まるで、関わり合いを持ちたくないかのように。中には、心配そうな表情を向け続ける者もいたが、声をかけることは決してなかった。


湊は、そんな人たちを気にする様子は一切見せず、無言で歩みを進めていった。


たどり着いた先は、とある一軒家だった。


その玄関先に立ち、すぐ横にあるインターホンを鳴らす。


間の抜けた音がしてから数秒後、「どちらさま?」という返答が帰ってくる。


湊が「わたし」と言うと、インターホン越しから「ああ、ちょっと待っててね」という声が聞こえてきた。少しの時間をおいて玄関扉が開かれる。


家にいたのは、ブロンドのセミロングの女性だった。湊の先輩である。寝巻を着用しており、今目覚めたかのように眠そうに目を細めている。


「入っていいわよ」


先輩はあくびをしながらそう言うと、湊に手招きをした。それに応じるように家に入り、玄関で履いていた靴を脱ぐ。


それから、慣れたような足取りで廊下の突き当りの先にある階段を登り、部屋のドアノブを回した。


部屋の中では、ギラギラ光るパソコンのモニター、ファンを高速回転させながら起動しているゲーミングパソコン、数冊の漫画や小説が床に散らばっていた。


加えて、床に転がる多数のエナジードリンクの空き缶も見られる。その缶の僅かに残った内容物の独特のにおいと、テーブルに置かれた置き型の消臭元の香りが入り混じり、なんとも形容しがたい複雑なにおいが部屋中に充満している。


最初、この部屋に来た時は衝撃のあまりこのにおいがしばらく忘れられなかったが、今となっては慣れたものだ。


部屋の隅のベッドの前に移動する。その上にあるのはぐしゃぐしゃにくるまっている1枚の毛布だった。触れてみるとほんのり温かい。数分前までこのベッドで眠っていたのだろう。


「君って遠慮しないのね。普通だったら、どうぞって言われるまで人の部屋に入らないものなのよ?」


階段を登る音と先輩の声が聞こえてきた。


「でも今に始まったことじゃないわね。変なことをしない限り、ここでは好きにふるまって構わないわ」


先輩は肩をすくめると、部屋のドアを閉めてモニターの前の椅子に腰かけた。


それに呼応するように湊もベッドに座り、背負っていた重いかばんを下ろす。


「一応聞くけど、今日学校は?」


と先輩は言い、そこで首を振った。


「いや、いつものことだし言わなくていいわ。行かないからここに来たのよね?私も不登校だしお互い様だわ」


湊を見ながらニヤニヤ笑い、椅子の背もたれに体重をかけた。


この家に来るのも初めてのことではない。これまで何度もここに通い詰めている。


先輩の両親は共働きなので、朝から夕方にかけてこの家には先輩以外誰もいない。そして、学校嫌いである上に、受験に嫌気がさして不登校になったことも知っている。


「まあ好きに過ごしてちょうだい。私も自分の好きなことするわ」


そう言うと、近くにあった漫画に手を伸ばし、鼻歌を歌いながら読み始めた。


湊は、特にやることもなくぼんやりとベッドの上に座り、ゲーミングパソコンのホーム画面を眺めていた。


だが、数分後にそれに飽きると、モニターに背中を向けて横になり、目を閉じた。


この部屋でも特にやることはない。ベッドの上で横になって時間が過ぎるのを待ち続ける。たまに目を開き、ポケットに入れておいたスマホを操作して、保存してあるお気に入りのイラストを眺めるのみ。


スマホから目を離して先輩の方を見る。先ほどの漫画は読み終えたようで、今度はBluetoothイヤホンで音楽を聴いているようだ。


先輩とは、かつて電車を使い1人で遠出した際に初めて知り合った。目的地に行くための方法が分からなくなり、スマホで調べようにも頭が混乱していて表示される情報がまったく頭に入ってこない。


そんな中、突然姿を見せた先輩に「大丈夫?」と声をかけてもらい、目的地に案内してもらったのだ。この時にスマホの連絡先を互いに交換し、同じ学校に通っていることも教えてもらった。上下関係が嫌いなのでため口で喋っていいと提案されたので、遠慮なくため口を使わせてもらっている。


この時までの湊は、感情と表情が豊かであり、口数も多く社交的な人だった。好奇心の赴くまま娯楽にも向かい合っていた。


だが、今年に入ってふと自分の将来のことを考えた途端、考えることを止めることができなくなり、ズルズルと泥沼にはまっていった。


現在の湊は中学2年生。来年は受験生なので高校受験を受けて、その後は高校に進学するのだろう。次は大学に入るかもしれない。大人になったら就職をする?それとも違う道を歩む?


スマホの電源を落として再び目を閉じる。


両親も毎日仕事で疲労困憊の表情を浮かべていて、SNSでは労働の苦しみを書き綴った書き込みが連日投稿されている。動画投稿サイトでは煽情的な動画ばかりが投稿されていて、テレビでは不快になるようなニュースを報道している。


しかし、人はいかなる場合でも生きていかなければならないらしいし勤労は義務であるようだ。さらに、働かなければ金銭を得ることはできない。金銭がなければ貧困生活を強いられることは容易に想像できた。


勤労の義務。それを負ってまでして生きていく?働いても働かなくても苦しい人生が待ち受けているこの人生を続ける価値はある?そもそも、トラブルを起こすことなく、巻き込まれることなく大人になるという保証はどこにある?


不快なもので溢れかえっているこんな世の中を生き続ける理由はどこにある?


現実から離れたい。永遠に夢を見ていたい。


腕を軽く突かれて目を開く。同時にパンの焼けるいい匂いがした。


目の前には、にこやかな先輩の顔があった。近くのテーブルには、皿に盛られたホットサンドと温かいカフェオレが注がれたマグカップが2人前ずつ置いてある。


「作ってきたから。一緒に食べましょ」


小さく頷いて壁掛け時計を見ると、針は昼の12時を指していた。ここに来たのは朝8時ごろだったというのに。時間が過ぎるのはあっという間だ。


身体を起こして無言で手を合わせると、ホットサンドを掴んでかじりつく。ハムとチーズがはさまっているようだ。


咀嚼して飲み込んだ後こう言った。


「ありがとう」


「お礼言われるほどのことじゃないわ。ホットサンドメーカー使えば誰だって作れるもの」


そう言いながら、まんざらでもない表情を浮かべる先輩。


そんな先輩を見ながら、ホットサンドを食べつつカフェオレをすする。


将来への不安感は心を蝕んでいく。友人や同級生たちが抱く将来への希望と自身の将来に対する感情が相反しており、誰にも言い出せない。両親は自身のことで手一杯であるように見えたため、打ち明けることができなかった。


そのうち、感情を極力閉ざすようになり口数も大幅に減少し、他人との会話も可能な限り避けるようになった。今まで触れていた娯楽にも面白味を見出せなくなった。


そんな時、なぜか先輩のことが頭に浮かび、自身の事情をチャットで打ち明けた。この時に先輩も不登校になっていたことを知った。


そして、逃避場所として自身の部屋に来るよう提案され、今に至るまで平日は学校に行かず、この部屋に足を運び続けているーーーいわば逃亡生活を送っているのだ。


食事を終えると、再度お互いに自由な時間を過ごすことになる。


とは言っても、やることもないので先輩が熱中しているパソコンゲームの画面をぼんやりと眺める。


今先輩がプレイしているのは、何度もゲームオーバーになった上でリトライし、クリアすることを想定して作られたゲーム、いわゆる死にゲーだ。


死にながら攻略法を覚えられるのは羨ましい。ゲームで例えるなら本物の人生は一度しかないし、毎秒オートセーブされてしまう。セーブデータを分けること、リロード、あえて死亡してセーブポイントからやり直すことなども当然不可能だ。


「ねえ」


ある程度プレイしたところでポーズ画面にした後、先輩が唐突に口を開いた。


「君、一生夢を見続けて現実逃避したいって感じたことないかしら?」


「ある」


そう答えると、先輩は画面から目を離すことなく続けた。


「ゲームしたり漫画読んだり音楽聴いたり・・・そうしてるうちは楽しいけど、終わったら虚しいだけ。それとね、こうして君がいてくれるだけでも寂しさが紛れてるのよ?友達はいるけどしばらく連絡取ってないし、何より私人間関係が希薄なの。知ってるわよね?」


コントローラーから手を離し、女子中学生の方を向く。


「だから、あの時に将来が不安ってこと、私に連絡してくれて嬉しかったわ。こうして家に来てくれるのも嬉しい。私も将来が不安で不安で仕方がないし、夢の世界にずっと居続けたいなって思ったりもするの。最近なんて、空っぽの湯船の中でうずくまり続ける夢をみたのよ?それは夢だと分かっていて、覚めないでって思ったの。だってそうでしょ?うずくまっていればそれだけで何もしなくていいんだもの」


先輩はそう言い、自身の口角をグイっと吊り上げた。強引に笑って、少しでも湊を不安にさせないよう努めているように見える。


「でも・・・でもね。やっぱり目が覚めちゃったわ。今日はインターホンが鳴る数分前にね。だからこうして遊んだり君に話を聞いてもらって気を紛らわせているのよ・・・君、無理して私の家来てたりしない?」


「むしろ部屋に入れてもらえて感謝してるよ」


これは本心だった。先輩が家に入れてくれなければ他に行くところがない。


先輩は胸をなでおろした。そして、身体をグイっと湊の元に伸ばし耳元で囁く。


「君はそのままでいてちょうだい。ずっとね」


それから。


2人は同じ空間でそれぞれの時間を過ごし、長い無言の時間が流れた。


先輩に腕を突かれて目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。


「名残惜しいけど・・・そろそろ時間よ」


「・・・」


目を数回瞬かせ、時計を見る。時刻は夕方6時を回っていた。面倒だが、帰らなければ両親に責め立てられる。


湊はベッドから身を起こし、置いてあるかばんを背負って立ち上がった。


「また来てちょうだい。待ってるわ」


手をひらひらと動かして別れの挨拶をする先輩に対し、小さく頷き同様に手を振った。そして、ドアを閉めると重い足取りで階段をおりていく。


その途中で、否が応でも明日を迎えなければならない絶望感と同時に、明日も待っていてくれる先輩という存在への安心感が混ざり合った。


そんな2つの感情が脳内でぶつかり合って不可思議な感覚に陥り、激しい嘔吐感を覚えて思わず手の平で口を覆った。

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