5話 ドキドキ、そわそわ
翌日、カトリーヌは朝からそわそわと落ち着かなかった。
動くたびにサラサラと背中を流れる髪にまだ慣れない。
長く連れ添った、ビヨンビヨンとバネの様に伸びたり縮んだりする縦巻きカールが無いうえに、痛んでいたところをかなり切ったから頭が妙に軽くてバランスが悪い。
それに、ほぼスッピンにちょっとだけ色をのせた程度の薄化粧は防御力ゼロに等しく、脱皮したばかりの蝉のようにヒヨヒヨで心許ない。メロディはこのくらいの方が良いと言うのだけれど、自分では全然物足りないし、裸でいるようで恥ずかしい。
それでさっき隠れて自分でメイクを足そうとしたら、ちょうど部屋に入ってきたメロディに見つかって、「コラッ!」と怒られてしまった。
ビックリして飛び上がった恥ずかしさもあって「主人を怒り飛ばすなんて」と文句を言ったけど、「お嬢様が触ろうとするからですよ、それでは変身になりません」と逆に諌められて結局はメロディの言う事を聞いて大人しくしている。
「ふぅ」と息をつき、カトリーヌはやりかけの刺繍を手に窓辺のソファに座った。
これは淑女教育の一環として義母にやらされていた・・・いや、教わっていたもので、もう仕上げておかないといけないのに、まだ全然進んでいないのだ。義母は怒りはしないが、見たらまたガッカリさせてしまうだろう。
その義母は、1ヶ月ほど前から実家に帰っている。
義理の弟妹達が家にいると私の勉強の邪魔になるからと毎回学園の試験の時期に合わせて里帰りをするのが恒例になっている。私の為と言いながらただの里帰りの口実にされているのかもしれないが、二人を連れて行ってくれるのは実にありがたい。
特に義妹は母親に姉と仲良くするようにと余程言われているのか何かと私を構いに来るのだけど、これがなかなか面倒だ。
人形遊びと間違えているのかどちらが姉か分からないくらい口うるさく私の世話を焼きたがる。特に私の着る服を見るたびに趣味が悪いと言って、あれを着たらこれを着たらと指図してくるのにはほとほと困る。だって8歳も歳が離れていると趣味も合わないし話も合うわけがない。それを無理やり押し付けられるのだからねえ、分かるでしょう?
その彼らも午後には戻って来るらしい、執事のジェイドが今朝そう言っていた。
(あ〜、帰ってくるまでに仕上げられるかしら)
(刺繍は嫌い。あんまり上手じゃないから・・・。でもこの図柄も悪いと思うのよ、こんな花じゃ刺しても面白くないもの。これがブリュレだったら上手く刺せるのに)
この花の図柄は基本のステッチを覚えるための簡単なものなのに、それも刺せなくてふわふわの子猫、それもシャム猫の柄など難しくて刺せるわけもないのだが、カトリーヌはブリュレなら出来ると自信満々だ。
身の程知らずもいいところだが、まあそう思うのは個人の勝手なので放っておこう。
カトリーヌはまだ一針も刺してないのにもう飽きて刺繍枠の掛かったハンカチを膝の上に下ろした。
(そろそろカザール様が来る頃ね。カザール様は今日の私を見て、なんて言うかしら?)
窓の外を見ながら、無意識にハンカチの角っこをクルクルと捻って紙縒のようにしていると、ちょうど部屋に戻ってきたメロディがその姿を見て満面の笑みを浮かべた。
「お嬢様、そろそろお待ちかねのカザール様がいらっしゃる頃ですね」と。
ドキーン!!!
カトリーヌはボンッと真っ赤になった。
「お、お待ちかねじゃないわ!」
「へえ〜、それにしてはさっきからソワソワとお外ばかり見ていらっしゃるようですけど?」
「へ、変身したから、びっくりさせようと思ってるだけだし!それに私が待っているのはブリュレだし!」
「はいはい、そうでございますね」
そういうメロディの顔を見たらニヤニヤと実に人の悪い笑顔を浮かべていて、絶対にそう思ってなさそうだった。
なんだか心の中を見透かされているようで、とても居心地が悪い。
「だからっ!違うのっ!」
「はいはい、分かっておりますよ!」
絶対嘘だ。絶対にメロディは私がカザール様を待ち侘びてると誤解している。
「あ〜あ、ブリュレまだかなー!早く来ないかなー!会いたいなー!!」
カトリーヌは恥ずかし紛れにそう言って、持っていたハンカチに針をブッ刺した。
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本編もこの番外編「ルネがいるから」も読んで下さいましてありがとうございます。
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