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2話 ブリュレお父様をおとす

「ジェイド、ジェイドは居らぬか」


 気が付けば廊下でアングラード侯爵の声がしていた。

 なかなかジェイドが来ないので痺れを切らしたのだろう、気難しい気な足音が近づいてくる。


 そういえばブリュレと遊ぶのに夢中で右から左だったが、さっきから廊下を「執事様〜、執事様〜」と女中達が行ったり来たりしながら呼んでいたような・・・。


 忠信を自負しているのに主人自らのお出ましを無視するわけにはいかないか。



「ほらほらジェイド、お父様が来るから早くお行きなさいな」


「はぁ、呼ばれてますので行ってまいります」


 あからさまにガッカリした調子でジェイドは立ち上がった。


 カトリーヌはジェイドに目をやる。

 いつも主人に忠実で仕事熱心だと思われていた執事ジェイドでもブリュレと主人を比べるとブリュレの方に軍配が上がるようだ。



「ジェイド、行ってらっしゃい」


 ルネが笑顔を向けてジェイドを送ると、ジェイドは「はい」と笑顔を返し居住まいを正して足早にドアに向かった。


「ご主人様、すぐにそちらへ参ります」




 ルネが手に持ったままの毛糸玉に視線を戻すとブリュレが爪を立てカミカミしていたので毛糸玉をブリュレから引っぺがしカトリーヌの方に向けて転がしてやった。


 ブリュレは飽きもせず毛糸玉を追いかける。


 ・・・こういうブリュレの遊び好きなところ、ホント可愛くて癒される。


 今日は特に解けかけた毛糸の糸の先がちょうどネズミの尻尾のようで余計にブリュレの狩猟本能をくすぐるようだ。



 パパパパパッ毛糸玉を追ってブリュレはカトリーヌの方へ突進し行き過ぎてコテンと転がった。


「ふふふふ可愛いわね、ほ〜らブリュレ今度はあっちよ」


 カトリーヌは先ほど屈んで覗き込んだテーブルの下で楽しそうな笑顔のルネと目があってしまいジェイドが去って2人だけで遊んでいることに気がついた。

 部屋には侍女はいるものの、この何となく感じる妙に親しげな空気に気恥ずかしさを感じてしまったのだ。

 それでこんなテーブルの下でチマチマとやらなくてもあっちの広い所ですれば良いわと思いつきルネがいるのとは別の方に投げることにした。


 ちなみに侍女はすっかりブリュレに目を奪われており、他のことは一切眼中に無い。


 カトリーヌが毛糸玉を上からポーンと投げてみたら慣れないせいであらぬ方向へ飛んでしまった。


「あっ出ちゃう!」



 御察しの通り、ドアを開けて出ようとしているジェイドの足元をすり抜けて毛糸玉は廊下に転がり出た。



「ん?何だ」



 アングラード侯爵は足元にコロコロと転がってきた赤い毛糸玉を何気なく取り上げた。


 ババババババッ


 すごい勢いで何かが足を上がって来た。



「ヌオーッ!イテテテテッ!痛い、痛い、ジェイド!ジェイドォー!!」



 ブリュレが侯爵が持ち上げた毛玉の糸の先を追って、木に上るように侯爵の足を駆け上がったせいで、小さな細い爪がチクチクとズボンの布越しに足を刺した。


 身体が軽いのが救いだが、子猫の爪は細いだけに食い込んで結構痛いものだ。ブリュレは尚も獲物を狙ってしがみついている。



「旦那様、ちょっとジッとしていて下さいよ。今、取りますから」


「なんだ、なんだ、なんだぁ?」



 ジェイドは騒ぐ侯爵をなだめつつ、ブリュレを安全に助けるために慎重に近づいたがブリュレは捕まるつもりは無いとばかりに飛び降りると部屋に逃げ込んだ。



「今のはいったい何だったのだ」


 それは一瞬の間の事で侯爵には何が起こったのかわからなかった。小猿か?それにしては痛かった。



 何かが転がるように入って行った客室から、今度は背はそこそこあるがそれに似合わぬカワイイ、と言うか、ちょっと童顔の青年が、やけに小さな猫を抱いて出て来た。



「アングラード侯爵、お初にお目にかかります。ルネ・カザールと申します。この度はわたくしの猫ブリュレが大変失礼をしました」


 それにしてもこの男、子猫が似合いすぎではないか。


「あの〜、お怪我は無かったでしょうか?」


 心配そうに首を傾げて聞くその姿、男なのにカトリーヌより愛らしさがあるのは何なんだ。



 ルネに返事を返さず、毛糸玉を手にまだ唖然としたままの主人にジェイドが間を取り持った。


「ルネ様、旦那様はこの通り大丈夫でございますよ。

 旦那様、その毛糸玉はブリュレのオモチャなのに旦那様が取り上げてしまったのですよ」


 こちらの心配もせず、まるで侯爵が悪いような言い草だ。さっきはチクチクしてすごーく痛かったんだぞ!


 お前はどちらの味方だと侯爵がムッとしそうになったところにカトリーヌがルネとやらの後ろからするっと出て来てルネの手からブリュレを、父の手から毛糸玉を奪って去って行った。



「ブリュレ〜続きをちましょうね〜」


「それでは私も失礼します」とルネはペコリと頭を下げてカトリーヌに続いて中に入って行った。



 彼らを一度は唖然として見送った侯爵だったが我に返った。


 そうだ、ちょっと待て。

 いったい彼らは何をしているのだ男と女が毎日部屋に二人っきりで!


 それを確認してやろうと侯爵も部屋に入って目を見張る。



「にゃんだ、それは〜!!」


 めっちゃ楽しそうなことしてるじゃーん!!



 二人は床のカーペットの上に座り込み、カトリーヌが猫じゃらしを左右に大きく振ってブリュレがそれを追って右に左に忙しそうだ。


 見てるだけでわくわくする。でも見てるだけじゃつまらない!



「ちょっとソレ、ワシにもやらせてくれ!」


「ではこちらへどうぞ」とルネがズレて侯爵が座るスペースを作る。



「こうか、ほれ、ほれ」


 目の前でチラチラさせるのに、何故かブリュレは反応が悪くなった。



「ご主人様、下手過ぎます。こうするんですよ」とジェイドも再び参入し猫じゃらしを主人の手から奪ってブリュレの目の前で繰り返し誘うように振っては跳ねるように引く。



 ブリュレは皆から少し離れ背を向けて転がると前足を舐めて猫じゃらしに目をくれなくなった。



「あれ〜?」


「お前も下手くそじゃないか、貸してみろ」


 侯爵が這って行って猫じゃらしを振ってブリュレに遊べと催促をする。




 どうやらブリュレは遊びに飽きたらしい。


「すいません、どうやらずっと遊んでいたので疲れてしまったようです。こうなると急に興味を無くしてしまうんですよね」


 そうルネが言うとカトリーヌも同意した。


「そうよ、ずっと毛糸玉を追いかけていたもの疲れて当然だわ。

 ブリュレ〜、もうオネムになったのよね〜?お昼寝しまちゅか〜、よしよし良い子でちゅね〜」


 カトリーヌも這って来てブリュレを膝に乗せ撫でてやった。ブリュレは目を閉じて気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしだした。


「うお〜っ、ゴロゴロ言ってるぞ!それも超カワイイじゃないか。ワシもそれしたい羨ましい〜」侯爵は声をひそめて羨ましがる。


「ホホホ、まるで子供みたいなことを言って。

 仕方がありませんね、膝に乗せてあげますから座ってくださいね、ほ〜ら」


 四つん這いでブリュレを覗き込んでいた父の膝にカトリーヌはブリュレを乗せてあげた。


「おおおお、かわいいのぅ」


 正座した膝にブリュレが丸まって乗っかっている。侯爵はそうっと落ちないように手で囲ってやり目を細めた。

 カトリーヌは覗き込むようにして父の膝の上にいるブリュレの頭を人差し指で撫でている。



 侯爵はブリュレの可愛いさに夢中になっていたが、ふとカトリーヌがすぐ近くにいる事に違和感を覚えた。


 普段、二人は同じ家に暮らし一緒に食事をするなど毎日のように顔を合わせはするものの、直接会話をする事はあまり無く侯爵はカトリーヌにこのように親しげに振る舞われたことなどいつぶりかもよく覚えていないくらいだった。



 カトリーヌがこんな風にリラックスして優しく微笑む姿など終ぞ見たことがない気がするが・・・なんでだ?


 ブリュレに顔を近づけて撫でている娘の顔を上からまじまじと見る。


 その顔は性格の不一致で別れた、仲の悪かった前妻にそっくりで、年齢が上がるとともにますます似てきていた。

 美しいことこそ最上で私ほど価値のある女はいないのだと豪語し我儘で贅沢ばかり言っていたあの高慢な女に。



 確かに似ている。

 だが、あいつはこんな顔で笑ったりしなかった。

 そもそも動物は汚いし、爪でも立てられたら肌が傷ついてしまうとすごく嫌っていた。



 その時、侯爵の心に何かストンと落ちるものがあった。



 今までカトリーヌ自身の事を見てやったことがあっただろうか。



 今までカトリーヌを通して、もうここにはいない前妻の姿を見ていたのだ。

 そして内心疎ましく思っていた。


 そうだ、カトリーヌ自身のことを見てなかった。



 妻に言われていた。

 カトリーヌはあなたの子です、私たちの子供なんですよ。もっと優しい言葉を掛けてあげて下さいな。


 ジェイドやルイーズに何度も言われていた。カトリーヌお嬢様を、お姉様をもっとよく見てあげてと。

 私だけエコ贔屓しないで。


 そんな事はないぞと言いながら改めることはなかった。


 私は無意識に別れた妻ジャンヌに対する腹いせを顔が似ている娘に未だにしていたのだ。

 それは妻のベアトリスに対する愛を、前妻や前妻の子よりお前たちの方が大事だよと態度で表すことによって証明したいという気持ちも多分あったからだろう。


 どちらにしても自分の都合だ。

 カトリーヌには何の罪も無かったのに自分の都合で冷たく接していたのだ。



 侯爵は悪気はないのだが少々気難しい性格だ。

 誰よりプライドが高く、人に言われて態度を正すのは大嫌いだ。だが、自分で気がついた事ならばスッと受け入れ直ぐに態度を改めることが出来た。彼は良きにつけ悪しきにつけ自分の心に忠実な男だ。



 こんなに長い間気付かずに過ごしていたとは・・・ワシもバカな事をしたものだ。


 そんな侯爵の心の動きなど誰も分かるはずはない。


 ちょうどそんな時、ルネが言った。


「さすが親子ですね。

 侯爵とカトリーヌ・アングラード嬢はそっくりです」



「え?そんなことはありませんわよ」


 カトリーヌはブリュレに夢中になるあまり、いつも張り巡らせている警戒心や緊張感のバリアが崩壊し無防備になっていた。


 顔を上げて気がついた。


 間違えた、うっかり距離を間違えて父のすぐ傍に座っていた。ルネに似てると言われた事で父が不快になることを恐れて急いでルネの言葉を否定したのだ。



 しかし、侯爵は違った。



「そうか、そっくりか」



「ええ、お二人とも動物好きですよね?しかもブリュレに対する態度がそっくりです」


「・・・親子だからな、・・・カトリーヌは血の繋がった、私の娘だから」


 そう、ジャンヌの産んだ子だが、ワシの子でもあるのだ。



「お父様?」


 カトリーヌは父の様子が普段と違っていると感じ、眉間にシワを寄せ訝しげに父を見た。何を仰りたいのかしら?



 父は穏やかな顔をしていた。


 父とこうして視線を合わしたのはいつぶりだろう?

 いつもカトリーヌは父と目を合わさないように目を伏せたり余所を見るようにしていたし、父もこちらを見ようとはしなかったのに・・・。



「お前には長い間寂しい思いをさせたな」


「え?どういうことですか・・・」


 思いも寄らない事を言われて意味を理解するのに時間が掛かった。何を咎めようとしているの?



「今まで気付かなかったがワシは勝手にお前にジャンヌの影を見ていたようだ。お前はお前だったのに。

 これからは伸び伸び暮らせばいい」



 カトリーヌはそこに座ったまま皆に背を向けて屈み込むとしばらく肩を震わせていた。


 ジャンヌなら、化粧が落ちるからと人前で泣かないし、髪型が崩れると言ってあんな格好はしやしない。

 娘の肩を抱いてやりたいが、父はまだそうしてやることが出来なかった。カトリーヌは今まで涙が出るほど寂しかったに違いない、泣くほど辛かったに違いない。そう思うと簡単に手を差し伸べられなかった。


 その代わり思った。

 これからはちゃんと向き合ってやろうと。



 やがて落ち着いたカトリーヌは言った。


「ありがとうございます、お父様」



 コツコツ、コツコツ


 しばらく静かにしていたココットが、また窓を引っ掻いてクゥーンクゥーンと鳴き出した。カトリーヌがが泣いていたので心配してくれているのかもしれない。


「ココを散歩に連れて行ってやれ、この子はワシが見とくから」


 ルネとカトリーヌはブリュレを侯爵に預け、ココットの散歩に行くことにした。


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