1話 ルネと猫、必殺技は愛らしさ
短編『ルネの猫』の続きのお話です。
「おはよーございます!
カトリーヌ・アングラード嬢はご在宅でいらっしゃいますでしょうかっ」
「おや、また来たね。あれは何だい?」と書斎にいたアングラード侯爵は執事に尋ねた。
侯爵は領地内に広い道と運河を通すことになり1週間ほど現地へ視察に出ていたのだが、一通り視て昨日ようやく屋敷に戻って来たら客間に子供の友達が来ていると聞いた。後で女中に聞くとカトリーヌに会いに若い男が来ていたという。
今日もまただ。
その若い男とやらはすっかり通い詰めているではないか、そんな事は過去に一度もなかったのに。カトリーヌには一度も。
執事のジェイドは何を思い出したのか目を細めクスッと笑って主人の問いに答えた。
「あれはルネ・カザール様でいらっしゃいますよ。王太子殿下の取巻きのお一人で北東部に領地をお持ちのカザール伯爵家の次男でございます。
カザール領はわが国で最も小さな領地と言われてますが『おとぎ話の中に迷い込んだようだ』と評される美しい風景と白ワイン、そして『お菓子の天国』とも言わる美味しい郷土のお菓子が多数あり観光地としても有名ですね。
こちらにはカトリーヌお嬢様を訪ねてお見えなのですよ。
毎日午前と午後のお散歩タイムの前にいらしてココットのお散歩を一緒にしていらっしゃいます」
「は?毎日午前と午後?カトリーヌとか。・・・いったいそやつは何が狙いなのだ」
「ふふ・・・、何を狙っていらっしゃるのでしょうねー、まず犬好き、猫好きなのは間違いないでしょうね?」
猫好きって、・・・ウチに猫はおらん。なぜそこに猫が登場する?全く話が見えん、訳分からん。
とにかくカザール次男はよほど暇な奴なのだな!それは分かる。
「お茶をもう一杯くれ」
「はい、かしこまりました」
「・・・うむ」
声には出していなくても執事には読心術が使えるがごとく侯爵の考えていることが分かる。眉間にシワを寄せ、手にした本のページを気むずかしげにめくるその姿から読み取れる心は以下のごとくに違いない。
(未だかつてカトリーヌの元に男性が訪ねてきたことはなく、侯爵令嬢であるにも関わらず遠巻きにされ釣書の1つも届いたことがない。顔立ちだけは一級品だしなんと言っても侯爵家の令嬢なのにウチのはヨソ様に全く人気がないのだ。
近寄ってきたのはおおよそ入り婿狙いだろうが、ウチには跡取りは長男がいるからそのつもりなら見当違いだ。
ならカネ目当てか、貰い手のなさそうなカトリーヌを貰ってやるとか言って持参金をふっかけてくるつもりか?もうカトリーヌで他家と縁をどうこうなど思っておらん、あれは揉めこそすれ駒にならんからもう諦めた。あれは家に居ればいいのだ、あれの為に持参金を積む気はないぞ。
まあ十中八九、自分の家が継げないからと侯爵家に取り入ろうとしたのだろうが、そんなこんなでウチはお前に用はない、読みが甘かったな。
何せ評判が地を這っているカトリーヌでは相手してもデメリットのみ、メリットはおそらくないぞカザール次男よ)
と、いうところでしょうかね?
侯爵様はまだお分りになっていないのでございます。ルネ様の素晴らしさを。
ルネ様はそのお飼いになってらっしゃる愛らしいシャム猫ブリュレのごとく、人の懐にお入りになるのがとても得意なのでございますよ。
きっとそれはどちらもその心が純粋だからこそ、為せる技なのです。
ブリュレはテーブルの下、ヒンヤリとした大理石の床に寝そべった。もうすっかりこの部屋に慣れてどこが居心地が一番良いのかをよく知っている。
コロンと転がって、まだふわふわの毛を毛づくろいしている子猫、可愛すぎる。
カトリーヌがすぐ手元に置いてあるジェイドが買ってきた猫じゃらしに手を伸ばそうとしたところでルネが言った。
「ねえ、カトリーヌ・アングラード嬢、今日の午前のオヤツのマドレーヌもとっても美味しいね!バターの香りがふんわり口の中一杯に広がるよ。これはいい!」
楽しそうに二カッと笑うその顔を見ていると本当にこの男は同じ16歳なのかと思うほど無邪気だ。
「お礼に午後は僕がカヌレを持って来るから楽しみにしてて!
焼きたては表面がカリッとしてそれはそれは美味しいらしい、でもそれは数時間しか保たないらしいんだ。だから3時きっかりに出来立てのカリッカリのカヌレを一緒に食べようね!」
「さようですか、カリッカリのカヌレを。それはありがたく存じます」
「うん!見た目は真っ黒だけど、きっと気にいると思う」そう言ってルネはマドレーヌに手を伸ばした。
どうやら今日も午後にまた出直して来るつもりらしい。
カヌレは最近大人気のお菓子で並ばないと買えないものだ。出来立てというからにはこの後ここに持ってくるために並びに行きますよということだ。わざわざそんな手間をかける必要もないのに。
この方、本当に変わっていらっしゃる。
夏季休暇に入った翌々日に急に思い立ったと子猫を飼い始め、その翌日には家から抜け出したブリュレが我がアングラード邸に迷い混んで来て・・・あれから日に2回ずつもう5日連続でいらっしゃってるのよね。
午前と午後、ちょうどブリュレの散歩の時間だからとココの散歩に「せっかくだからご一緒しましょう」と付いていらっしゃって、でもその間ずっとブリュレを腕に抱いて歩いてらっしゃるんですけど・・・。
それ、全然猫の散歩じゃなくなくない?
私の呼び方もアングラード嬢からいつの間にかまたフルネーム呼びに戻ってるし。
人当たりは良さそうなのに、何て言うか、物分かりが悪くて困ってしまう。
この方、私と親しいと周囲の人に思われたらご自分の立ち位置が危うくなって、どんなに嫌な思いをするのかをいくら説明しても「うん、うん、大丈夫!」とニコニコしておっしゃるばかりで大丈夫じゃないことをちっとも分かってくださらないのよね。
かくいう私も突き放せばいいものを、邪険にしきれなくてこうして毎日カザール様にお茶とお散歩をお付き合いしているのだけれど・・・。
今日はとうとう私の取巻き達からのせっかくのお茶会の誘いを、お客様がみえるからとカザール様と約束をしていたわけでもなかったのに断ってしまったわ。
だって、玄関まで来ているのに不在だからと帰らせるなんてちょっと気の毒だし。しょぼーんとした様子が、ね、なんか眼に浮かぶというか。
まあ、私の取巻きと言っても心から私と共にいる者なんていない、私の父の侯爵という爵位の傘の下に入っておきたい人達の娘で私が何であろうといい人たちだから、そんなに気にする必要もないけど。
何故かっていうと私は嫌われ者だから。
私は3大貴族令嬢の一人で最も家格が高く本来は高位貴族として君臨するはずなのに、5歳の時の初めての同い年の子息子女の集まりで何故か同じく3大貴族令嬢の2人と取っ組み合いになって王太子様を傷つけてしまった。
その失敗を引きずって3大喧嘩令嬢と呼ばれているのだけど、未だに私たちはお互いに仲が悪い。
顔を合わす度にいがみ合って学園では女生徒をほぼ3つに分断してしまった。
1番手は喧嘩っ早いパメラ。アレは皆に乱暴者と恐れられているけれど、実は自分の取巻きの面倒をよくみてやるから案外慕われている。アレの取巻きは本物の取巻き。
2番手は大柄でいつも威張っているイザベラ。でもあれはイザベラ自身の取巻きというより親が現役の宮殿勤めだから大抵は親に擦り寄るように言われてるのよ。
イザベラは自分の取巻きに対しても威張ってるから一旦イザベラの傘下に入ったもののイジメられて私の方に流れてきた者もいたくらいよ。
3番手の私はこの国唯一人の侯爵令嬢でありながら、喧嘩令嬢の代表みたいな扱いよ。パメラとイザベラに付けなかった半端者が擁護者が欲しくて残った私の所に集まったって感じかしら。
ひいお爺様が2代前の国王陛下の弟だったから、我が家は侯爵なのだけど、侯爵の爵位を継げるのは3代までで4代目からは跡取りがいても伯爵になることになっている。
もし王太子殿下に私が嫁入りしたらまた3代延長されるから我が家では玉の輿を期待されていたのだけど、王太子殿下は彗星の如く現れた婚約者候補にメロメロで、もう私の可能性は完全に無くなったみたい。
そうなるとお父様は3代目で今は爵位上は高位だけど宮殿にも上がってないから役職にも付いてなくて他の領主同様に領地経営をしているだけだから大した力はない。だから私の取巻きになっても何かあった時に口を聞いてやるツテはないの、彼女達には特段何もしてあげられないのに私につくなんて間違いよ。
あと4番手というか、・・・私たちとは全く関係なくのほほんと過ごしているのは宰相令嬢。彼女は他人に頼らなくても良いから誰の傘下にも入ってないわ。私たちも宰相令嬢に手を出すほどバカじゃないし。
強いて言えばその友人達は取巻きと言えるかもしれないけど、あそこは上下関係が希薄でのどか。平和そうでいいわよね。こっちは毎日内も外も腹の探り合いでほとほと疲れているっていうのに。
このカザール様だって王太子殿下のお取巻きの1人なのだから、水面下では色々ありそうなものだけど・・・毒気もないし、この方のオツムでは立ち回りの難しい計算なんてとても出来そうにないわね。
それにしてもマドレーヌを食べてる時のその笑顔、ほんと平和そうよね〜。
あらそれ、3つ目よ。
カトリーヌはそんな事を考えながら、ルネがのほほんとまたマドレーヌに手を伸ばすのを見てクスリと笑った。
「あっ!カトリーヌ・アングラード嬢、今、笑いましたね!その笑顔、ステキです。いつもそうやって笑ってらっしゃるといい」
「〜っ!!」
もうカザール様は、淑女になんて事を!恥ずかしい。
そんな笑顔が素敵とか・・・もう、知らないっ!!
カトリーヌは褒められ慣れてないせいで居心地が悪くなってツンと横を向いて言った。
「カザール様、マドレーヌを3つも食べてはお腹が一杯になって、お昼が食べられませんことよ!?」
どう?仕返しにカザール様にも恥ずかしいことを言ってやったわ!
「そうですね。でしたら、少し早いですが腹ごなしを兼ねてそろそろお散歩にまいりましょうか。カトリーヌ・アングラード嬢、ココも外で待ちくたびれているようですから」
そう言ってルネはニコッと笑う。
「〜っ!!」
なんでしょう、あの余裕!この逆にしてやられた感は。
そんな風にニッコリしたりして可愛子ぶっても私には効きませんよっ!ダメですからねっ!
コツコツと窓に爪の当たる音がする。
ココは出窓の外からずっとカザール様を見て尻尾を振っていたが、腰を上げた様子を見て散歩に行けるとばかりに更に激しく尻尾を振りだした。顔を見ると「わーい(喜)」と書いてあるようだ。
主人にしか懐かないはずの番犬なのにすっかり余所様に懐いちゃって、ココったらダメじゃない・・・。
まだテーブルの下で寝ていた猫のブリュレも散歩が分かったのか、しかもそれが楽しみなのかカトリーヌを見上げて小さく「みぃー」と鳴いて足元に出てきた。
「よしよし、ブリュレ〜お散歩に行きまちょうかにゃ〜?」ブリュレには愛好を崩すカトリーヌ。多分無自覚。
「そう言えば今日はまだジェイドが来ませんね。どうしたんでしょう忙しそうでしたか」
「いえ、たぶん父に呼ばれているだけでしょう。今日は家に居ますから」
「なるほど。なら仕方がありませんね」
では散歩に出ようかとブリュレのリードを取り出したところへジェイドが来た。
「失礼致します」部屋に入るまではピシッといつも通りに丁寧だが、ドアを閉めればこっちのもの。
「ルネ様、遅くなりまして!今日はこんなものを用意してみましたがいかがです?」
早くも低姿勢に屈みながら手にしたものを見せる。
「ほほう、それはまた!いいですねー。ジェイドよくそれに気がついた!絶対好きに決まってる。ほら、ブリュレはここにいるよ」と言ってテーブルの下を指で示す。
「はい!ではちょっと失礼して」
四つん這いになり、テーブルの下を覗きながら毛糸玉を転がすジェイド。
「お、こっちに来た。今度はそっちに転がすぞ、ほーらブリュレ〜」
テーブルを挟んで床に座って屈みこみ、2人でキャッキャと毛糸玉を転がしてはブリュレが飛びついて遊ぶのを見て「可愛い!」「可愛いね!」と顔を見合わせて喜んでいる。
執事ジェイドはシャム猫ブリュレに会ってドキューンとなって以来ずっと骨抜きなのだけど、ついでにカザール様にも骨抜きになってるわね。
有り得ないことに主人である私を放っぽり出して執事が客と2人で遊ぶのだからいい年して無邪気すぎるわ、呆れちゃう。
カトリーヌは姿勢良く座り、紅茶を口にしながら澄まし顔で彼らを傍観者として眺める。
それにしてもこの夏の真っ盛りに毛糸玉って、どんなセンスなのよ・・・。
ブリュレが毛糸玉を追ってカトリーヌの足元に来たが遊びに夢中だ。
ちょい、ちょい、くるりんこ、ぽてっ
やーん、なにそれ〜。
毛糸玉が大きいのか一緒にクルンと転がってしまうブリュレが超〜可愛い〜!
「・・・ちょっと!
私も混ぜて!私もブリュレに毛糸玉転がしてやりたいの」
ついには我慢できなくなって今日も一緒に遊んでしまうカトリーヌだった。