3 逃げられない
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瑛子が前方を向くと、しばらくしてアナウンスが入り入学式が始まった。式中はとくに何事もなくつつがなく進行して行った。
そうして、緑の新入生代表の挨拶が始まった。
「本日私たちは、伝統ある星春高校の入学の日を迎えました……」
その時瑛子は、襲い来る睡魔と必死に戦っていた。だが、応援した手前ちゃんと見ておいてあげねばと、なんとか重い瞼を持ち上げ目を見開いて壇上の緑に目を向ける。
「この星春高校で過ごす3年間を精一杯に悔いのないよう過ごすことをここに誓います」
緑はそう力強く言い、瑛子を見据えた。
瑛子は自分に言われたような気がして一瞬ドキリとするが、そんな自意識過剰な考えに内心苦笑した。
緑はそうしてじっと瑛子の方向を見つめ少し間を置くと、前方に向きなおり挨拶を続ける。
瑛子は目が合ったこと自体が気のせいだったと思いながら、挨拶を終えた緑に拍手を送る。
そうして壇上から戻って来た緑に笑顔を向けると、緑も微笑み返してくれた。
入学式を終えて、教室へ向かっている途中緑が瑛子に話しかける。
「改めて自己紹介。さっきの挨拶で最後に名前言ったから、もう俺の名前知ってるかもしれないけど、俺は神成緑って言うんだ宜しく。君の名前は?」
瑛子は微笑み返すと、腹を決めて答える。
「櫤山瑛子です。こちらこそ宜しくお願いします。あっ、でも、クラスが違うからあんまり接点はないかもしれませんね」
「クラスなんて関係ないよ、昼休みとかなら会えるよね?」
そう言って微笑む。
確かにその通りかもしれないが、普通の学生はクラスメイトとつるむものではないのだろうか。
そんなことを考えながら答える。
「そうですね、昼休みにすれ違うことはあるかもしれませんね」
そしてこれ以上会話を弾ませてしまうと、栞奈に悪いと思い話を切り上げることにした。
「ごめんなさい、その、お手洗いに寄ってから戻るので……」
わざと恥ずかしそうに言った。
恥ずかしがっているとわかれば、よほど鈍感でなければ流石にさっして一人で教室まで戻って行くだろう。
だが、緑は違った。
「お手洗いの場所、わかる?」
予想外の質問に瑛子は戸惑いながら答える。
「たぶん、わかると思いますけど……」
「俺、新入生代表挨拶のことで、何回かここに来てるから場所わかるんだ。案内する」
なんで? どうして?
そこで思い出す。神成緑というキャラクターはとても女の子には優しい性格だったということを。
「ありがたいけど、それだと神成君に迷惑かかるし、歩いていればお手洗いあると思うから大丈夫です。その気持ちだけで十分。ありがとうございました」
「入学式が終わったばっかりで、そこら辺のお手洗いは混んでるんじゃないかな。空いてる場所知ってるし、何より俺は、そのぶん瑛子とも長く一緒にいられるから、嬉しいし」
口がうまいな。
そう思いながら戸惑っていると、緑が手を取った。
「こっちだよ」
そうして緑は瑛子を強引に案内し始め瑛子は慌てる。
「本当に大丈夫です。案内いりませんから」
「瑛子は遠慮しがちだね、もっと俺のこと頼ってよ」
う~ん、この。
なにも知らずに、さらにこのシュチエーションでなければ、この台詞に胸キュンものだろう。
だが、彼はいま女子にトイレの案内をしようとしている。
恥ずかしいってば!
そう思いながらも瑛子は、強引な緑に負けてトイレの場所に案内してもらうことにした。
しばらく歩き、案内されたトイレは音楽室の前にあるトイレで教室から遠いトイレだった。
確かに授業のない今日のような日は誰も使用しないだろう。
トイレの前で立ち止まると、あらためて緑にお礼を言う。
「本当に、神成君が親切で助かりました。ありがとうございます。後は大丈夫なので、神成君は教室に戻っていて下さいね」
緑に一人で戻るように促したつもりだった。
「さっき言ったばかりだよ。もっと頼ってって。瑛子を置いて一人で戻るわけないだろう? もちろん待ってるよ」
瑛子の頭の中で緑の『待ってるよ』と言う一言がリフレインする。
ここで瑛子は、緑には何か目的があるのではないだろうかと疑いを持った。
確かにゲームの攻略対象は現実的に考えると、みんな強引で人の話聞かないところがあった。それはイケメンの特権だと思いながらゲームを攻略したのも確かである。
だが、これは現実である。しかも瑛子はただのモブ。
だとすればこんなに近づこうとするのはなにかしら目的があるとしか思えない。
便座に座ってそんなことを考え、用をすませると手を洗いトイレを出た。廊下では、緑が微笑んで待っている。
その顔を見ながら瑛子は、どうしてこうなったんだろう、あぁ、今日の夕飯なんだろう、ラーメンとかちょっとこってりしたもの食べたいかも。
そう現実逃避し始めた。
こってりした合わせ味噌食べたいなぁ。それにビールだよね、餃子と一緒に。でも飲みたいけど、未成年だしアルコール飲めないから、あと数年は我慢か……
「瑛子、瑛子? 大丈夫?」
気がつくと緑に肩を揺さぶられ、ハッとして瑛子は現実に引き戻された。
「ごめんなさい、入学式で疲れちゃったみたいです」
「そうだよね、俺も挨拶緊張した。でも瑛子が応援してくれてたから頑張れたよ」
瑛子はそれを受け流した。
「戻りましょうか」
教室に向かいながら無言になっている瑛子に緑は積極的に話しかけてきた。
「瑛子は、どこから通ってるの?」
瑛子は初めて合った人にあまり住んでるエリアを教えたくないと思いつつ、だからといって教えないのも感じが悪いかもしれないと思い答える。
「隣駅の北星春駅からです」
緑は嬉しそうに言った。
「そうか、俺も同じ方向」
瑛子は、それを聞いてもしかしてこの展開は下校イベントかもしれない。そう思っていると、案の定緑は言った。
「じゃあ、毎日一緒に通学できるね」
瑛子は、思わず神成緑の顔を凝視しハッキリ答える。
「はい。でもお互いに色々都合があるだろうし、それは良い考えじゃないと思います」
今朝会ったばっかりの男女が、毎日一緒に通学するなど本当に意味不明である。
瑛子の不安が表情にでてしまっていたのか、緑は慌てて言った。
「あ、そっか考えてみたら、俺らまだアド交換もしてないね。スマホ、教室にあるよね? 帰りに瑛子の教室に寄るね」
瑛子はさらに驚く。拒絶していることを緑が気づいていないわけがない。なにかおかしい。そう思いながら曖昧に苦笑して返した。
教室に戻ると学が廊下の壁に寄りかかって立っていた。
どうしたのだろう?
そう思いながら、そんな学を横目に緑に頭を下げる。
「ありがとうございました、もう大丈夫です」
「これぐらいは、普通のことだよ。じゃあ帰りにね」
そう言って自分の教室へ向かっていった。瑛子は帰りは絶対に逃げきらなければ思いながら、振り返ると面前に学が立っていた。
「櫤山さん、大丈夫だった? あいつに何か変なことされたんじゃ」
驚きながら答える。
「大丈夫ですよ? なにもないです」
「それにしては、戻ってくるのが遅かった気がするが。本当に大丈夫だったのか? とにかく、君を守ることができなくて申し訳なかった」
この時、瑛子は学がここまで自分に執着する理由は単なる庇護欲だと言うことに気がついた。
「催馬楽君、私、本当に一人で大丈夫ですよ? そんなにヤワじゃないんです。これでも結構たくましくて」
瑛子が微笑みながらそう言っている途中で、学はそれを遮った。
「君はわかってないようだね。ヤワじゃないとか、たくましいとか言う問題じゃない。現に今さっきだって神成緑に……」
確かに、緑は強引だとは瑛子も感じていた。
「わかりました、気を付けますね」
そう笑顔を返すと時計を指差す。
「もう、席に戻らないと、先生来ちゃいますよ」
そう言って教室に入ると、学が耳元で囁く。
「話は終わってない。後で話そう」
瑛子は驚く。なにを話すというのか、話は今さっきすんだはずである。
席に着きながら、今日はとにかく逃げ切らなければと頭をフル回転させる。それにしても、なにがどうしてこんなことになってしまったのか、まったく理解できずにいた。
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