1 甦った記憶
読んでくださってありがとうございます。
高校の入学式で桜舞う校門の前に立った時、櫤山瑛子は、自分が前世でやった『晴れた空のしたで彼方と』という乙女育成ゲームの世界に転生していたことに気づいた。
瑛子は物心ついたときから、前世の記憶を持っていた。
だが、それはぼんやりとしたものだったので、それが自分の生活に影響する事はなかったし、その記憶も大人になるにつれて曖昧になってきていた。
なので、特に前世の記憶にこだわったことはなかった。
それが高校入学のこの日、全ての記憶が完全に呼び起こされたのだった。
瑛子が転生したゲーム『晴れた空のしたで彼方と』略して“晴れ彼”は、高校に入学したヒロインの丹家栞奈を育成し、イベントを起こしつつ攻略対象を落とすと言う内容のゲームだった。
「懐かしいな……」
瑛子は呟いた。
そして思う自分は主人公ではない。だからこそ、攻略対象を遠くから愛でるぶんには最高のポジションではないか。
ただのモブなのだし、今までのように普通に過ごして、無難にしていればなんの問題もないだろうし、ならゲームの世界観を楽しもう。そう思った。
校門をくぐり、校舎に入ると靴を履き替え、自分のクラスを確認し教室へ向かった。
廊下を歩いている途中、女子たちが黄色い声を上げているのに遭遇した。見ると攻略対象の神成緑がいた。
成績優秀、スポーツ万能と言う文武両道のイケメンだ。
そういえばそんなキャラいたっけ。
そんなことを思いながら緑を遠くから見ていると、女生徒に優しいその仕草は計算されたもののように見えた。
そつがなくて紳士、ゲーム内でもすぐにファンクラブができていた。そういうキャラクターなのだから当然かも知れないが、現実でもファンクラブができるのはそう遠くないだろう。
瑛子はそう思いながら目の前を通りすぎた。
その時、足元でカン! と音がした。どうやら床になにかを落としてしまったようだった。慌てて下を見ると自分のスマホが廊下の真ん中に落ちてる。
急いでそれを拾いあげようとしたが、たまたま通りかかった他の生徒に蹴られてしまい、スーッと廊下を滑って行く。
もう! なんなの?!
ややムッとしながらスマホを追いかけると、スマホは誰かの足元で止まった。すると、その人物がスマホを拾い上げる。
嫌な予感……
瑛子がその人物をそっと見上げると、スマホを手に持った緑が微笑んでいた。
「これ、君の? 落としちゃうなんて災難だったね。スマホ壊れてないかな? 大丈夫だといいけど」
彼はスマートに拾ったスマホを差し出し、優しく微笑んだ。
「でも、そのお陰で君と知り合うことができたんだから、災難とも言いきれないかな?」
笑顔が眩しい。
背後で数人の女の子たちが黄色い声をあげている。確かにこんなイケメンからこんなに優しく話しかけられたら、誰しもドキドキしてしまうのではないだろうか。
だが中身がアラフォーである瑛子には営業スマイルは通用しない。瑛子は両手でスマホを受けとると微笑み返すと、本物の営業スマイルを返した。
「拾ってくださって、ありがとうございます! お優しいんですね」
そしてスマホを胸に抱き上目遣いをした。
「彼方のような人と同じ学校なんて、嬉しいです。本当にありがとうございました」
そう言って丁寧なお辞儀をすると、相手の返事も待たずに足早に教室へ向かって小走りで駆け出した。
あれだけわざとらしくやれば、向こうも流石に瑛子が牽制してやったということに気づいただろう。
この時瑛子はゲーム内で抱いていた印象と違うことに驚き、やはりゲームと実際では違うものなのだとがっかりした。
「なんか少し幻滅かな」
瑛子は、そう独りごちた。
自分の教室へ入ると、教室の後ろの方の席に座っている人物が攻略対象であることに気づく。
彼は催馬楽学というキャラで無口、真面目、打ち解けると柔らかく笑う。そんなシーンがあったのを思い出す。
勉強のパラメーターを上げていると落とせるキャラクターで、瑛子は今生でも勉強はからきしダメだったので、とくに絡みはないだろう。
そして黒板に席順をが張り出されていることに気づくとそれを確認する。瑛子の席は窓際の一番後ろで、学と一つ席を挟んで隣だった。
その席に向かうと後ろから声をかけられる。
「ちょっと、君!」
振り向くと、緑が教室の入り口に立っていた。
えっ? なに? なんで?
さっき少しやり過ぎてしまったのだろうか? そう考えながら答える。
「はい? あぁ、先ほどの、どうされたんですか?」
すると、緑が手招きをするのでそれにしたがい緑の元へ駆け寄る。なにを言われるのかと思いながら構えていると、緑は少し恥ずかしそうに言った。
「まだ、名前を聞いていないよね」
追いかけてまで訊く?
驚きながら断る口実を考えていると、運良くチャイムが鳴る。ナイスタイミング、思わず瑛子は微笑むと、教室のスピーカーにチラリと視線を送って指差した。
「鳴っちゃいましたね」
そう言って席へ向かったが、緑に腕を捕まれ引き止められる。
瑛子は振り返り笑顔で尋ねる。
「あの、どうされました?」
そう言いながら緑を見つめ、適当にこの場を納めるためにどう対応するべきか考えた。
そこへ学が突然割って入った。
「彼女、嫌がってるみたいだが」
瑛子は驚いたものの、まずは緑をかばう。
「違うんです、この人はスマホを拾ってくれて、大丈夫か心配してくれてるだけなんです。ね?」
そう緑に言ったあと、今度は学に深々と頭を下げた。
「でも、心配してくださって、ありがとうございます。その気持ちが嬉しいです」
そうして今度は緑に向きなおる。
「後で話しましょう」
その“後で”はとこないかもしれない。というか、できるなら立場上避けたほうがいいだろうと思いながらも緑にそう言って微笑んで返した。
「わかった、君がそう言うなら」
すると、緑は笑顔を見せて去っていった。
瑛子はそれを見送ると学に軽く頭を下げ席に着く。
初日から変に目立ってしまい、予定が変わってしまったことを心配しながら、前方を見つめていると横から視線を感じた。
どうしたのかとそちらを見ると、学と視線がぶつかる。
瑛子はあらためてもう一度お礼を言うことにした。
「先ほどは助けていただいて、本当にありがとうございます」
そう言うと、学は照れ臭そうに頷き前を向いた。なんだか可愛らしいと思いながら瑛子も前を向く。
しばらく待っていると担任となる教師が教室に入って来た。入口から入ってきたその人物を見て瑛子は驚く。
攻略対象の芦谷護だったからだ。
護は目元の涼しげなイケメンであり、瑛子はここが乙女ゲームの世界であることを再実感する。
このクラスの女子は出席率高そうだわ。
そう思っていると、後ろの扉が開いて慌てたようすの女生徒が息を切らせて入ってきた。
「遅れてすみません! 道に迷いました」
瑛子はその女生徒の顔を見て、栞奈の担任が芦谷先生だったことを思い出した。護が担任ということは必然的に栞奈とも同じクラスになるということだ。
栞奈は息を整えながら教室内の様子を見渡している。そうしていつまでも席に着こうとしない栞奈に向かって芦谷先生が注意する。
「ちゃんと前日に確認をしておくことは、大切なことだ。今度から確認を怠らないこと。そして今、みんなを待たせていることを忘れるな。とりあえず早く空いている席に座りなさい」
「すみません」
栞奈は、申し訳なさそうにそう言うと空いている席を探しだした。そして、瑛子と学のあいだに空いている席をみつけ、こちらに向かってきた、
それを見て瑛子はゲームの内容を思い出していた。
あぁ、これって催馬楽学との出会いのイベントなんだよね。
クラスメイトは攻略対象の中からランダムで決まる。瑛子は全員攻略していたので、対象が同じクラスになるまで、何度もオープニングをやり直したことを思い出していた。
イベントでは栞奈が座る前に『ここ良いかしら?』と声をかけると、学は冷たく『勝手にしろ』と返す。
そんな流れだった。最初の出会いは最悪だが、その後徐々に打ち解けていく過程が良いのだ。
そんなことを思いながら瑛子は前方の黒板を見つつ、横の会話に耳を傾ける。
「ここ座って良いかしら?」
栞奈が笑顔でそう学に訊きている。ゲーム通りだ。
ところが、この後学ぶが思いもよらないことを言った。
「そこはダメだ! 前にも空いている席があるし、僕の反対がわの隣も空いているのに、何故そこに座るんだ」
瑛子はそんなことをいった学に驚き、思わず学の方を見る。すると、また学と目が合う。学は恥ずかしそうにサッと目を逸らした。
その様子に気づいたヒロインがこちらを向くと、瑛子に気づいて睨んだ。睨まれても、瑛子自身にも何がなにやらといった感じだった。
瑛子は居たたまれなくなり、ヒロインに小声で話しかける。
「私が前の方に行くから、貴女はここに座る?」
イベントを正常に進めるためだった。栞奈がここを選んだということは、なにかしら意味があるのかもしれない。
それに、もし学と仲良くなるなら今後教科書を見せ合うとか、隣で寝顔を見るとかそんなイベントもあったはずだ。
栞奈は不機嫌そうに言い放つ。
「そうしてちょうだい」
瑛子はゲームと違って栞奈が横柄なことを残念に思いながら、荷物をまとめ始めた。
すると学が慌てて言った。
「なんだその君の態度は、櫤山さんは動かなくていい、僕が隣に移動するから、そんなに後ろに座りたいなら、君は僕の席に座れば良いだろう」
え? どういうこと?
困惑し戸惑い唖然としながら学を見つめたが、学はさっさと荷物をまとめ瑛子の隣に移った。
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