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家の中=保護者、会社の中=白の魔導士/今この瞬間=バイクに載っている時だけは本当の自分になれる気がする。
信号が青になった。体で感じる加速度/リズミカルなサウンドを奏でる4気筒/今時珍しいガソリンエンジン=新車じゃほとんど売られていないそれを、大金を使って持ってきた。
常磐の第一監視基地がある旧大田区を出て、川崎市の郊外へ向かう。
かつての川崎市街=5年前の東京での潰瘍発生で避難民であふれかえった/潰瘍が見えるからと忌諱されてゴーストタウンに/最近は雨後の筍のように摩天楼が天に向かって伸びて人が戻ってきた。
マナの渦=龍脈のおかげで、常磐の魔導研究施設が立ち並ぶ/レストランも学校も今ではすっかり元通りに。
丘を登る/住宅地を抜ける/小さい林の横の古い喫茶店にバイクを停めて降りた。まだ旧市街の面影が残るエリア。
テラス席に目を向ける=目的の初老の男と見知らぬ少女/似つかわしくない組み合わせ=しつこい電話をしてきたのは、そのオジサンの方。
「お久しぶりですね、オジサン」
ニシはしかめっ面な中年男性に向かい合って座った/自己主張しすぎない金の時計&ループタイ。しかしシャツもスラックスも全て一流ブランド。
「まだガソリンの単車に乗っとるんかあ」
「ええ。音と振動も含めて、バイクなんです。確かに、魔導セルの電動バイクは安いですけど、面白くない。それにオジサン、常磐の魔導セルが嫌いじゃなかったですっけ」
この地主のおじいさん/いつもの愚痴=常磐の魔導セルが普及して、損害を被ったらしい。投資か何かで。それに加え、潰瘍の発生で持っていたアパートやらホテルやらが廃業し、それも含め常磐を恨んでいる。会うたびに、長々と愚痴を聞かされるので予防線を張っておく。
「そうじゃない。魔導士なら、魔導で動かせるだろ?」
「まあ、お金がないときはたまにしますが」それじゃあ、おもしろくない。「で、今日の要件は?」
オジサンのとなりの少女がたじろぐ。
「子どもたちは、元気かい?」
唐突に。
「ええ、元気ですよ。小学校のテストや宿題がなければ、もっと元気になりますけど。モモはよく下の子の面倒を見てくれますし。たまに会いに来たらどうですか」
「いや、いい。わしは金、お前は愛情を与えるのが仕事だ」
その金あの金=意図しての金だろうけれど生活が楽になるのでありがたく受け取っている。粗野なオジサン/大切なパトロン。
「魔導の方も少しずつ上達しています。天賦はまだあるかどうかわかりませんが、たぶん並程度の魔導士にはなれるはずです」
「うん、それでよし。いつか常磐と戦わなくてはならんからな」
「業績が1000兆を超えてるコングロマリットと?」
「ああ、そうだ。冷戦後のエネルギー革新とあの戦争の事後処理をしたとはいえ、潰瘍の責任はやつらにある」
「まだ、因果関係は分かってないですよ」
ネットでよく見る陰謀論/語っているのは経済も事情も魔導もわからない者たちばかり。
「やつらは、世界を支えた自負があるんだろうが、わしはこの街を守った自負がある!」
ウェイターがコーヒーとミルクを持ってきた。オジサンの語りが終わった/咳払い。
「で、お前に頼みがある」
今日の愚痴は短めだった。
頼みがなければわざわざ会わないだろう=悪い人物ではない。嘘も言わない/しかし常磐の陰謀論を頑なに信じる金持ちなオジサン。会えばいつも愚痴を聞かされるので、なるべく会いたくない。
「何なりと、オジサン」
ニシは、コーヒーカップを持ったが、飲まない/生まれながらにして猫舌=しかし犬派。魔導で冷ますことはせず、自然に任せた。
「この子を預かって欲しい」
再び、少女がたじろいだ。ニシは表情を変えずに、
「潰瘍の被害者ですか? もう5年も経っているのに。───いや、別に嫌というわけじゃないんだよ」
少女をフォロー。
「あ、あの、はじめまして。あたし、サナです。たぶん、14歳です」
「たぶん?」
「記憶がないんだ」
とオジサン。
ニシ=一瞬息を呑んで、
「じゃあ、うちじゃなくて病院に」
「全部したさ」オジサンが用意していた言葉を言った。「うちの田中がこの子を見つけた。2週間ほど前、夜、旧横浜の繁華街で」
「田中、ってあの秘書の?」
道路の反対側を見た=路駐している高級セダン/ドアの横に立つ背の高い女性/パンツスタイルの黒のスーツに地味なネクタイ=「わたしは背景です」という気概。
サングラスをしている視線が読めない/ジャケットのボタンは外したまま=まるで拳銃が懐にしまってあるような/いや本当に持ってそうだな。そしてたぶん、田中は偽名。
「よく、声をかけましたね。というか、普通、警察に保護してもらうんじゃ」
「この子には強力な魔導を感じたそうだ」
「そういえばあの田中さん、魔導士でしたね。橙クラスの」
「お前も感じ取らないのか」
「それは人の心を読む一歩手前の行為です。なるべく抑えています」
たしかにこの子のオーラは感じる/普通じゃない感じの。
「で、うちに連れて帰って魔導を計測した」
オジサンは老眼のそれらしく腕をいっぱいに伸ばしてスマホを操作して写真を見せてくれた。鉛の円盤が数個、棒に刺さっている。その全てが一番上まで“浮いていた”。
「この骨董品の計測器、江戸時代のですよね」
「だが今の機械と基本的には同じだ。で、この力」
「白」
少女の両の腕を見る。ニシやカナのような白環=無し。
ニシ=怪訝な顔に/もし最高位の魔導士が白環=GPS発信機をつけていなかったらそれ自体が犯罪行為だった/人類の敵にも味方にもなる諸刃の剣の白の魔導士。
「まあ、待て」口を開きかけた時オジサンが言った。「警察の捜索願いにもなかった。厚労省の潰瘍行方不明名簿にもなかった。だから、市役所に根回しして、住民登録と魔導の『橙』を登録した」
なんとなく見えてきた=オジサンは常磐や政府が把握していない白環の魔導士を手元においておきたいのか。
「で、政府のサーバーにハッキングしたんですか」
魔導士の人口管理は政府が一元管理していたはず。
「したのはわしじゃない。潰瘍の発生やあの戦争のゴタゴタで住基ネットはバックドアがつけてある。政府と常磐はやたら国内の魔導士の管理を強化したがる」
相変わらずの陰謀論者/もはや犯罪者=バレなきゃいいという反骨精神。
「でも、抜き打ちの検査があったらどうするんです。常磐にバレますよ」
「お前と暮せば、大丈夫だろ。魔導士はお互い共振で、魔導の計測値がブレる。木を隠すなら森の中、というやつだ」
計算高いオジサン/計略こそ人生の生きがいという感じ=前世は赤壁あたりで戦ってそうだな。
「もうひとつ、この子の希望は? 里親はともかく養護施設は受け入れてくれるでしょう? 5年も経っていて魔導士への差別なんてもう聞きません」
「私は、別に、どこでも……」
サナは目を合わせない。記憶喪失ということは、名前ももしかしてオジサンが考えたのか。
「よし、決まりだ」オジサンは手を叩いた。「田中と一緒に必要なものを買ってくるんだ。ニシの家まで来るまで送ろう」
サナは小さくうなずいて席を立つ/田中の運転する高級セダンを2人で見送った。
「で、オジサンは?」
「わしはタクシーで帰る」
オジサンはスマホでタクシーを探している/たぶん、常磐の魔導セルを使わない昔ながらのタクシー会社を選り好みしている=そんな会社なんてもう残っていないのに。
「記憶喪失の方は? 原因は何ですか?」
「知り合いの医者に診せた。だが、外傷や心理的なものではないらしい」
「じゃあ、どうして」
「魔導士特有の、あれだ。魔導の使いすぎによる体の変化」
オジサンは、特定の分野に対しては理解が深い。
「吐き気、めまい、頭痛。あとは失神、意識の混濁。そして、記憶の喪失……」
「それだ。きっと彼女はどこかで魔導を使いすぎたんだろう。で、記憶がなくなった。おかげで魔導の使い方も一切忘れてしまったがね」
「一切ってじゃあ基本的な魔導のみならず自身の天賦まで忘れている、と」
「うむ」
「時間がかかりますよ、魔導を習得するの。もう14歳だし」
「なに、思い出させればいいんだ。別にトラウマが原因というわけでもないだろう」
「そこまでして、常磐に対する伏兵がほしいんですか?」
「ノブレス・オブリージュ」
「たしか義務、とかなんとか」
「わしは金持ちだ。先祖5代皆金持ちだ。金持ちだが、篤志家という自負もある。人助けもしてきた。戦争のときも、地震のときも、潰瘍も、全部」
嘘ではない。だが、その行動の先には常磐への対抗意識がある。
「俺は、子どもたちを助けてくれるんなら、それでいいです。あ、田中さんに家に5時に来てほしいと、伝えてください」
「これからどこか行くのか?」
「ええ、スーパーに。臨時収入があったので」