◆◆◆三
今回の企画展のテーマは「恐竜の進化の歴史」なのだが、テクノロジーが発展した現代においてもやはり恐竜は老若男女を問わぬ人気コンテンツだ。どうやら恐竜という存在にはその人のなかの原始を呼び覚ます力があるようで、親子連れで来たところ子どもそっちのけで親のほうが夢中になり、子どもが迷子になってしまうということも珍しくない。
あの女の子と出会ったのもそれがきっかけだった。
もう四年は前になるだろうか。まだ私が新米だったころの話で、企画展のテーマは「恐竜の卵」だった。祝日だったのでお客様が多かったのを覚えている。当時入れ替わったばかりの先代スマート学芸員を連れて館内を巡回していたところ、休憩スペースにて一人でぽつんと椅子に腰かけている小さな女の子を見かけた。
初めて彼女を目にしたそのとき、よくできたお人形のような子だなと思った。どうやら裕福な家庭の子どもで、しかも生まれつきの調整が施されていることは、その左手首のバーコードを見ればすぐにわかった。
ミュージアムショップで買ったばかりと思しき恐竜図鑑を広げてはいるけれども、ただ視線を落としているだけで、どうも読んでいるという感じではない。まるで生まれたときからそこにいたかのように空間に溶け込んで、おすまし顔で静止していた。そういう意味では人形というよりも展示品の一部のような印象だった。
一人でいることに慣れているような、落ち着いた様子だったから迷子なのかどうか判断に迷ったけれど、声をかけてみるとあっさり「迷子です」と答えた。
保護者と手を繋いで展示品を見ていたが、あまりの人込みで気が付いたら別の人の手を握っていたそうだ。 保護者をあちこち探し回るよりはどこかでじっとしているほうが迷惑にならなくていいだろうと考えて、ここで待つことにした――そう淡々と説明した彼女の子どもらしからぬ口調に私は内心舌を巻いたものだ。
まあ確かに迷子だからといって今どきは特に心配することはない。個人の位置情報やバイタルサインは体内から常に発信されているから、放っておいても保護者が迎えに来る。危機を感知すればすぐにアラートが発信され警察や救急に繋がる。それに館内の状況はスマート学芸員が網羅しているから、犯罪に巻き込まれることもまずない。むしろ親切心で声をかけるのは余計なトラブルのもとだ。
だから放っておいてもよかったのだけれど、どうしてか彼女を見ていると私は寂しい気持ちになるのだった。たぶん、当時の私がまだ新米で、スマート学芸員との仕事に慣れきっていなかった影響もあっただろう。
私はスマート学芸員を待機させ、女の子と一緒に保護者を待つことにした。私が隣に腰かけると、彼女は怪訝そうな顔で私を見たが、はっと思い出したように再び図鑑を読むお人形に戻った。私も私で、ただ隣にいるだけ。特に慰めや元気づけのようなことも、一緒に遊んで気を紛らわせるようなこともしなかった。彼女はそんな私が気になるようで、緊張しているのが伝わってきた。たまにちらちらと目線をよこしてくるけれど、まるで矜持のように表情は崩さなかった。その努力が窺えた。
休憩スペースの向こうにステゴサウルスの全身骨格が佇んでいたのを覚えている。その周囲を老若男女が群がっては去っていく。あの空洞の眼に、彼らはどう映っていたのだろうか。
「あの、学芸員さん」
どこかたまりかねたように女の子が私に声をかけてきた。
「何でしょうか」
「ステゴって、どういう意味ですか?」
一瞬、私はそのアクセントにどきっとした。
けれども、それに取り合うことはしなかった。
「……ステゴサウルスの?」
「はい。図鑑には載ってなくて」
そんなはずはない。販売にあたって私もその図鑑はチェックした。ちゃんとステゴサウルスのページに由来が書かれてある。それなのにわざわざ訊いてくるということは、何らかの含みがあるわけだ。
「ステゴというのは、ラテン語で屋根という意味です」
まずは事務的にそう答えた。
「どこが屋根なんですか?」
彼女はありきたりな質問で返した。
「ほら、あの背中に並んだ板ですよ。あの恐竜の骨が初めて発掘されたときは、あれがバラバラになっていて、生きていたときは甲羅みたいに背中を覆っていたんじゃないかと勘違いされたのです。それで背中に屋根を持つトカゲ――ステゴサウルスということになったそうです」
「でも違うんですよね? ほんとうは屋根じゃなかったのに、名前には屋根って付いてるなんて……」
いい目の付けどころだ、と私は少し嬉しくなった。
「そうですね。でもそこが恐竜の面白いところだと私は思いますよ」
「はあ……よくわかりませんけど」
「そう。恐竜ってね、人間にとってよくわからない生き物なんです」
「ふうん……ありがとうございます」
「いいえ」
その答えでよかったのだろうか、どこか承服しかねる感じではあったけれども彼女はそれ以上追求しなかった。
それにしても保護者とはぐれた孤独に泣くでもなく、胸を焼かれるような焦燥にきょろきょろするでもなく、すんとしたおすまし顔の彼女はまったく迷子らしくない迷子だった。
けれども私は、この子はもうずっと昔から迷子になっているんだろうな、となんとなく思うのだった。迷子であることに慣れきっている、というか。
ふと、彼女がどこかせわしなくもぞもぞ動いているのに気付いた。
どうしたのだろうと横目で窺うと、彼女は自分でも何が起こっているのかよくわからないような表情をしていた。
「もしかして、お手洗い?」
そう訊いてみると、彼女は少しためらった後、小さく頷いた。
「……私が隣にいたから、我慢してたの?」
「違います。我慢とかしてない。 なんか、急に行きたくなって……でもどう言ったらいいか、わからなくて……」
「どう言ったら?」
「だって……」
彼女は何か小さくもにょもにょと言ったけれど、私には聞き取れなかった。
どういうことかはともかく、とりあえず私は彼女の手を取ってすぐにお手洗いに案内した。ちょうど空いているタイミングでするりと入ることができたのは幸運だった。
お手洗いから出てきて、入り口で待っていた私と目が合うと、彼女はどこか意外そうな表情をした。それで私は、ああこの子は誰かに待ってもらうということがないんだなと思った。
「落ち着いた?」
「……うん」
「じゃあ、戻りましょうか」
女の子と手を繋いで休憩スペースに戻る途中、彼女は何を思ったのか「ちょっと汚しちゃった」 と聞こえよがしに呟いた。
ただの子どもなら、そう珍しくないのかもしれないけれど。
「あらまあ」
「怒られるかな」
「ほんとうは、どうしてほしいの?」
「……」
なぜか彼女は私を見上げて、悪戯っぽい微笑みを見せた。
そのとき私は、初めて彼女に出会った気がした。
さて、女の子の保護者はなかなか現れなかった。
仕方なくスマート学芸員を使って保護者を呼び出したのだが、その保護者――ご両親というのは、はてどういう人物だったか。彼女の存在感に比べてあまりに印象が薄かったのでよく覚えていない。
すぐに迎えに来なかったのは娘からアラートが発信されておらず無事だと判断したからで、位置情報も把握していたのでしばらく夫婦で見て回ってそのうち迎えに行くつもりだった、と丁寧な口調で説明された。わざわざお手を煩わせて申し訳ありません、ですがこの子は見ての通りしっかりした子なので……と謝罪なのか自慢なのかよくわからない物言いだった。
一方の彼女は「どうもありがとうございました」と何食わぬ顔でぺこりと私に頭を下げ、両親と手を繋いで去っていった。
よくわからない子だなあ、というのが正直な感想だった。
それ以来、企画展が新しいものに移るとたまに彼女を見かけるようになった。
ご両親と一緒のときもあれば、一人で来ているときもあった。彼女は私を見つけると何か視線を送ってきたり、私の解説について質問に来たりする。けれどもそれ以上のこと、たとえばお互いのプライベートについて話すことはあまりなかった。別にそう決めたわけではなく、自然とそうだったのだ。
あくまで顔を知っているだけの関係。
最初、彼女は私を「学芸員さん」と呼び、私も彼女を「お客様」と呼んでいた。何度か会ううちに、彼女は喉を硬くしたような声で「アナタ」と私を呼ぶようになった。それで私も彼女のことを「あなた」と呼ぶことにした。
ただそれだけの関係。
四年くらい会っておきながら、私たちは未だお互いの名前すらよく知らない。
けれどもこの関係が私にとってなにか特別で、彼女もそう感じているらしいことは、暗黙のうちに共有されていたと思う。
そんな私を、彼女は初めて博物館の外に呼び出した。いったい何が話されるのだろう。
こんなふうによくわからないことが起こるときは、いろんな連想がつながっていく。
仕事のこと、彼女のこと、私自身のこれからのこと――いつのまにか、昨日見た夢のことまで思い出している。
今思い返しても、何だか変てこな夢だった。不正を暴くべく鍵を作っていたあの青年はどうしてあんなに熱くなっていたのか。何をゆるせなかったのか。夢を見ているそのときは青年の気持ちがすごくわかったのだけれど、目覚めると冷めてしまう。
そして彼に協力するあの同居人は、どういうつもりであんな金庫のでたらめを口にしたのか。何より解せないのは今朝届いていたあの謎の鍵。差出人も不明だし、鍵自体にもまったく身に覚えがない。まさか夢から飛び出してきたなどという馬鹿げた話もあるまい。
なぜ私のもとに届いたのか、何に使う鍵なのか……。




