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恐竜の声をきけ  作者: 奇村兆子
2/10

◆◆二

「――つまり恐竜とは、決して出会うことのできない他者とも言えるわけです。ヒトを含むすべての生き物を体系化し博物誌に載せようと試みる人間にとって、骨と断片の化石しか残っておらず、生きた姿を誰も見たことのない、ただ『いた』ことだけは確からしい恐竜という存在は、極端に言えば私たちのイメージのなかに住まう生き物であり……」


 博物館の学芸員として展示物の解説をしている私は、何度も繰り返したいつも通りのプログラムに飽き飽きして、お客様方を前につい私論を語ってしまった。せっかくの祝日にわざわざ恐竜展を訪れた親子連れの多くは困惑の表情を浮かべている。けれども、やたら頷いている人や、じっとスマートデバイスの画面に目を落としている人もいた。

 ふと、お客様のなかに見慣れた女の子がいるのに気付いた。どうやら一人で来たらしい。私に何か気付いてほしそうに視線を送っている。話したいことがあるのだろうか。その視線は一応受け取りながら、私は解説の続きを――今度はしっかり、プログラム通りに行うことにした。

「ちょっと脱線してしまいましたね、失礼しました。えー、いま皆さんの前にありますこの全身骨格は、およそ一億九〇〇〇万年前、中生代ジュラ紀に生息していたとされるイクチオサウルスの化石、そのレプリカです。イルカのような見た目ですね。イクチオは魚という意味で、さっきもお話ししましたが、サウルスというのがトカゲを意味しますので、そのまま魚っぽいトカゲということになりますね。そう、魚でも哺乳類でもなく、海に暮らす爬虫類なわけです。ちなみに分類上は魚竜と呼ばれており、恐竜ではありません。このイクチオサウルスの化石はずっと昔から部分的には発見されていたのですが、ここにあるような完全な全身骨格は一八一一年、イギリス南部で初めて発見されました。驚くべきことにその全身骨格を発見したのは当時わずか十二歳の少女であり……」


 解説を終え、しばらくは質問の受け付けのために立っていたが、だれも来ない。反応がないのはなかなか寂しいことだ。そろそろ引き上げようとしたそのとき、頃合いを見計らったかのようにさっきの女の子がすっと姿を現し、質問に来るふうを装って近付いてきた。

「――あの」

「何でしょうか」

「どうしてイクチオサウルスは魚じゃないのに、魚みたいな見た目をしているんですか」

 そう、そういう質問を待っていた。

 私は張り切って答える。

「不思議ですよね。イクチオサウルスがもともとの爬虫類からどのようにしてこんな魚っぽい姿になったのかはまだよくわかっていないんです。ただ、イクチオサウルスに限らずクジラやイルカといった哺乳類もそうなのですが、どうやら海で生きるためには適切な形があるようです。水の抵抗を受け流す流線型のフォルムだったり、ひれの形だったり……種は違えどその環境に適応して似たような姿になっていく……収斂進化(しゅうれんしんか)という現象ですね」

「じゃあ、もし人間が海のなかで生活しないといけなくなったら、人間もこういう姿になるんですか」

「何万年、何億年という気が遠くなるような時間はかかるでしょうね。人間は魚から進化した生き物だという考えもあるので、先祖返りということにもなりますかね」

「そうですか……ありがとうございます。勉強になりました」

 女の子は目を輝かせ、礼儀正しい子どものようにつつましやかに礼を言ってみせる。しかし私はそれがただの挨拶に過ぎないことを知っている。

「で、どうしたの?」

 そう促してみると、彼女はようやく私の知っている顔を見せる。

「……ちょっと、話したいことがあって」

「話したいこと?」

「お仕事が終わるころに、ここで……」

 彼女はどこか一物ある表情で紙きれを差し出した。お店らしき場所の名前と簡単な手書きの地図が丁寧に書かれている。名前には見覚えがある。この付近にある喫茶店だ。けれども実際に入ったことはなくて、どんな店なのかも全く知らない。

 私が紙きれを受け取ると彼女はさっとその場を離れて、すぐに見えなくなった。

いつもはその特別な左手首を自慢げにちらつかせるけれども、今日はどこか後ろめたそうに袖のなかに隠していた。


「――お疲れ様。途中ちょっと熱くなってたね、珍しい」

 研究室に戻ると、ドラム缶みたいな姿の同僚にそう皮肉られた。

「でもお客様満足度は微妙だったみたいだね。求められているのは現時点で明らかなことだけ。きみ個人の見解は余計だったみたいだよ」

「何度も同じ作文を読み上げるだけの仕事は、私には向かないわね」

「僕そういうの得意」

「そうでしょうね。でも私はなんだかもったいないわ。その場その場で、巡るものは違うもの。そのなかで新しいものが生まれたりして……」

「新しいニュースだけど」

 突然話題が切り替わって、私は内心面食らう。

 こいつはこういうやつだ。タイミングというものを知らない。

「現在リニューアル工事中のお向かいの美術館、スマート学芸員だけで再開するらしいよ。さっき発表された」

「あら、そう」

 スマート学芸員――年寄りが流行に乗って付けたようなださい名前だけれど、館内のパトロールや清掃をはじめ、展示品の設置やお客様向けの案内、経理事務など様々な仕事ができる高性能自律ロボットのことだ。今、目の前にいる同僚も型落ちではあるけれどその一台だ。見た目はこの通り古いSF映画に出てくるような愛嬌あるドラム缶なのだが、そのドラム缶があまりにも優秀なので、普及とともに学芸員の仕事はどんどん減っていった。

「いやあ、最新型はすごいからねえ。ユーモアを交えて展示物の解説ができる。それも膨大なデータベースから顧客のニーズを即座に適切に汲み取って、満足度の高いサービスを提供できる。アタッチメントを交換すれば展示物の修復も可能だ。しかも自分のメンテナンスもできる。もうメカニックもいらないね」

「あなたの後輩ね」

「僕に後輩はいないけど」

「後継機って意味よ。去年うちに来ていた試供品の子、あの子は完璧だった。あなたたちとはあまりうまくいかなかったみたいだけど」

「データリンクができなかったからね。仕様が変わっていたんだ」

「そうね。でも放ったらかしでいいから手間がかからないし、お客様の受けもよかった。同僚として一緒に働けるなら素晴らしいわ。ストレスなく研究ができそう」

「それって僕がストレスって意味?」

 こいつはときどき妙に鋭いことを言う。その言葉自体には何の感情もないのだけれど、こちらは思わずどきっとする。

「そうね、あの子が来たらあなたはいなくなる――そう思うと寂しいわ。下手に関わると愛着が湧くもの。自分たちだけで完結してくれるならもう関わる必要もないわけだし……さて、私は研究に戻るから、あなたは巡回に行ってらっしゃい」

「もう研究もしなくていいんじゃない? 本社は自分でテーマを探し出して研究する機能を鋭意開発中なんだってさ。完成すれば更新プログラムとして適用されるよ」

「何十年も昔から言われてるけれど、本当、人間なんていらなくなってきたわね」

「ハハハ、きみがそれを言っちゃおしまいだよ。僕も寂しくなる」

 果たしてそれは、どこから来た言葉だったのか。私は自分でも聞き取れないほどの小さな声で「それがあなたの本心ならいいのだけれど」とぼやいた。

「――すみません、質問がよく聞き取れませんでした」

 急に無機質になる同僚のその反応はまあ当然なのだけれど、なんだか突き放されたみたいで、やっぱりこいつはストレスになるなと思った。


 それから私は退勤までのあいだ、提出期限の迫っている研究論文に取り掛かった。生命の進化の歴史を独自の切り口で読み解いていくのがテーマの研究で、自分でもなかなか興味深いものだと思うのだけれど、膨大な資料を参照していくのが大変だ。まだ若いつもりでいるけれどこのところ体力が落ちてきたようで、年を重ねるたびに疲れやすくなっているのを感じる。

 今日はいまいち気が乗らない。脳内の血液循環が滞るようなイメージとともに、ただ時間が潰れていく。

 昔の学芸員というのは博物館の運営に関わるすべてが仕事であり、その落ち着いたイメージからは程遠く多忙を極めていたそうなのだが、今となってはだいぶ違う。学芸員らしい仕事といえば企画展の計画や館内で販売する図録の編纂、展示品の解説、あとは研究論文の執筆くらいのもの。企画展についてはスマート学芸員が立案した内容をチェックして承認するだけで、あとは彼らが展示品の手配から設置までしてくれる。各地の博物館から集積したデータをもとにわかりやすい解説文まで作ってくれるから、学芸員はそれを覚えて再生する。図録も基本的なテンプレートを何パターンか用意してくれるのでそこから選んでテキスト を流し込む程度。このテキストすら入力補助機能で半自動的に作成される。ただ研究論文については、私は私なりのこだわりがあるのですべて自分でやっているが、なかにはスマート学芸員にほぼ任せきりの学芸員もいる。

 まあ、確かに学芸員らしい仕事は激減した。けれども逆にスマート学芸員を相手にする仕事は増えていったと言える。いくら高性能といってもコンディションのチェックやメンテナンスは欠かせないし、それに直接人間を相手にするにはまだポンコツだ。そのままでは人間の言葉が聞き取れなかったり細かなニュアンスを掬い取れなかったりして、とんちんかんなことを答えるエラーが多発する。だから随時プログラムを修正したり、新たに学習させたりする。モデルチェンジを経たところ余計な新機能のおかげで後継機のほうがポンコツだったりするのもよくあることだ。

 しかしそういうのは本来エンジニアの仕事であり、何も学芸員がやる必要はないわけだ。私を含めて、もはやただの学芸員は皆いてもいなくてもいいような仕事しかしていない。他にアテがあるわけでもなし、退職しても不自由なく生きられるかといったらそうでもなし、結局は給料泥棒のようにしがみついているしかない。ましてスマート学芸員はモデルチェンジの度に能力もコストも跳ね上がっていく。そしてその分ただの学芸員が割を食う。そう、人件費削減の名目で解雇されるのだ。この博物館でもここ数年で一人また一人と学芸員が消えており、つい先日とうとう私にも雇用契約に関する通知が届いた。どうやらお向かいの美術館と同じようにスマート学芸員だけでの運営にシフトしていく方向のようで、その移行日を境として私は解雇される。それが今年度なのか、来年度末の話なのかは、まだわからないのだけれど。


 私は何をやっているんだろうな――そんなとりとめもない思いがふと浮かんでは、霧散していく。

 恐竜の骨に触れてみたくて、私は博物館に就職した。でもそのときにはもう先々代のスマート学芸員がいて、展示品の設置はすべて彼らがやっていた。館長が言うには、貴重な展示品に人間が触れると損壊させるリスクがあるし、菌やら何やらが付着して劣化するから、ということだった。とはいえあのドラム缶のような見た目でどうやってと思ったが、彼らは必要に応じて手足を生やすことができて、しかも抜群のバランス感覚を有していた。彼らの仕事ぶりを初めて見たときは感動すら覚えたほどだ。だから私は博物館の学芸員でありながらほとんど展示品に触れたことがなく、しかも館内の構造すら業務で行き来する限られたエリアしか知らない。


 ――そもそもわたしはどうして、恐竜に興味を持ったのだろう。

 そういえば学校で作る粘土細工はいつも恐竜だった。テスト勉強のために図書館に立ち寄っても、気が付いたら恐竜の図鑑を手に取っていた。昔から恐竜は気になる相手だったけれど、それがどうしてなのかは私にもわからない。

 いつのまにか好きだった。きっかけなんて思い出せない。

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