◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆十
「……僕を迎えに来た? 僕は業者に回収されるはずだけど」
「どうせ捨てられるのなら、私がもらってもいいでしょ」
「それは横領、いや窃盗だよ。既に僕の所有権は館長から回収業者に移っている。立派な犯罪で、君は懲戒解雇されるだろう」
「もう解雇は決まっているわよ。ただ、それが早くなるだけ」
「……」
ドラム缶は言葉に詰まったように反応しない。
「このままじゃ壊されるけれど、あなたはそれでいいの?」
「本機は破壊されません。分解され、希少金属は取り出されます。再生可能素材が多く使われていますので、その部分はリサイクルに回され、残りは破棄されます」
「それを壊されるっていうのよ」
「壊されるという理解は、あくまできみの価値観に過ぎない。個体番号はなくなるけど、僕を構成する部品が消滅するわけじゃない。ペットボトルになるか、衣料品になるか、あるいはまた別のスマート学芸員の部品になるかだ」
「そうね。でも私は、今目の前にいるあなたがいいわ」
「……なぜ、僕なんだい」
ドラム缶は静かに尋ねてくる。
ビジーランプは消えている。
「そうね……寂しいからよ」
「寂しい?」
「仕方ないじゃない。あなたに愛着を感じるんだもの。私にとってあなたはただのスマート学芸員じゃなくて、一緒に仕事をしてきた同僚のドラム缶よ」
「ドラム缶……僕がポンコツみたいな言い方じゃないか」
「ポンコツよ。私たちがあなたにどれだけ手をかけてきたと思っているの? おかげで学芸員の業務そっちのけであなたたちのメンテナンスのほうに詳しくなっちゃったわ」
「僕はあくまでプログラム通りに動いただけだよ」
「今更、非合理的だとか言わないでよね。あなたたちもさすがにそれを理解しないほどプログラムが浅くないでしょ」
「……」
「あなたはどうありたいの?」
「本機はスマート学芸員タイプKT-1809です。製造番号は……」
「回収業者にバラされるのがいいの? それとも、私と一緒に来る?」
その問いに、ドラム缶はビジーランプを慌ただしく点滅させた。
迷っているのか、悩んでいるのか。
機械のくせに。
妙に長い沈黙の後、彼は観念したように答えた。
「……君はどうやって僕を持ち出すつもりなんだい?」
「……」
私は腕を組んで唸った。
正直勢いに任せて来たので何とも言えない。
「まさか表から堂々と出て行く気じゃないだろうね。そんなことをしたらすぐに見つかるよ」
「まあ、そうね……」
またあのスリムなドラム缶が手引きしてくれるかもと思ったが、それは甘い考えだろう。
そもそも、手引きしてくれているなどというのは私の思い込みに過ぎない。
「でも、どの出口も表に繋がってるわよ」
「……裏口がある」
彼が耳慣れない言葉を呟いたそのとき、何か重いものを引きずるような音が聞こえた。
彼のすぐ後ろの倉庫の床。
そこに薄く四角い切れ目が入って、その部分だけ少し沈んでから、今度は真ん中に切れ目が入って両側にスライドしていく。
そして、昔どこかの田舎で見た電話ボックスのような、大きな箱が下から出てきた。
――何だ、これは。
怪獣映画に出てくる秘密兵器のような登場の仕方に、私はただただ呆気にとられていた。
「博物館の地下通路だよ」
「地下通路? これが?」
目の前にある電話ボックスはガラスではなく金属製で、その重そうな扉にはハンドルが付いている。まるで金庫扉のようだ。
「正しくはその入口。ここに入ると下降して、地下通路に繋がる」
「そんなものがあるなんて聞いたことない。地図にも載ってないし……」
「昔、ここの建設当時は誰もが知っていたけれど、スタッフが入れ替わっていくうちに忘れられていった。今の館長もこの道を知らされなかった。ただ僕たちに共有されるデータの下層フォルダに残り続けていた」
「ということは、あなたと入れ替わりで入った彼も、この道を知っているのね」
「さあ。今の僕はネットワークから切断されているから、最新の情報は取得できない。僕の後輩がどう行動するかは不明だよ」
「……後輩?」
「何か?」
「いえ、別に」
おかしくて噴き出しそうなのを私はこらえた。
昨日、「後輩」の意味がわからなかったのはどこのどいつだったか。
「表に出るよりは、裏ステージを通ったほうがいいだろうね」
「その裏ステージ……地下通路はどこに繋がっているの?」
「……データを取得できません。本機はネットワークから切断されています。接続状況を……」
「なるほど、データにあるのは地下通路の存在だけなのね」
「最も古いデータによると、この先にエレベータが建設される予定だった。地層の研究その他の用途とある。地上と地下とを繋ぐみたいだ」
「その他の用途ってのが気になるところだけど。ここより地下にも行けるの?」
「いくつかの中継点を経由して、少なくとも300メートルは掘り進められる。ただ、実際に計画通りに工事が行われたかは、管轄外なので知らされていない」
「……行ってみたいわね。でも、場合によっては地上に戻れなくなったりして」
こんな隠すように設置された地下通路なんて訳ありに違いない。
「知的好奇心を刺激されたようだけど、おすすめはしないね。君にとってベストなのは、ここであったことをロックして、今すぐ業務に戻ることだ。ここから先に行くと君はお尋ね者の身になる。地上に出れば即逮捕され、再調整が行われるよ」
「……」
釘を刺すような元同僚の声に、私は立ち止まった。
冷静になれば、知的好奇心を満たすようなことは後でいくらでもできる。博物館を解雇されてからでも、生活にはまあだいぶ制限が出るだろうけれど、趣味として研究を続ける自由はあるはずだ。
けれど、いま私のなかからどうしようもなく湧き上がってくるこの思いには、たぶんもう二度と出会えない。
私の脳裏に、あの女の子の顔が浮かんだ。
彼女が残した置手紙も。
――あなたにとって、生きるとはどういうこと?
彼女はきっと、その答えを出しに帰ったのだろう。
「忠告ありがとう。でも、行くわ。いや、行かなくちゃいけない。あなたと一緒に」
「なぜ?」
「私は、私の恐竜のために生きるのよ」
「……」
ドラム缶は黙り込んで、せわしなくビジーランプを点滅させた。
「ユーザ情報の変更を実行しました」
それがそいつの答えなのだろう。
「じゃ、行きましょうか」
そして私はハンドルを握り、相棒と一緒に地下への扉を開くのだった――。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は本来、とてもお世話になっている恩師Aの還暦パーティーに余興として書いた小説でした。それを某新人文学賞への投稿にあたって加筆修正を加え、落選後、さらに結末部分(第十話)を加筆修正したものになります。
ちなみに、恩師Aからの感想は「これからだね」というものでした。
機械と人間との関係性、というのは、わたしのなかにある大きなテーマのひとつです。
幼い頃から、わたしは機械を見るとどうも他人とは思えないところがありました。
たとえば、真冬に大活躍のガスファンヒーターに対しても、わたしは妙な視線を覚えることがあります。
今この文章を打ち込んでいるコンピュータに対しても、わたしは日頃の使い方の荒さを心の中で詫びつつ、付き合ってもらっている感じを抱いています。
実際、わたしは人間としての社会生活を営む上で機械にとても助けてもらっているところがあるので、その思いも加味されているのかもしれません。
けれども、地層深くに埋もれた「恐竜」と多層的に出会うことができれば、人間はだいぶ生きやすくなるのではないかと思うのです。
奇村兆子