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午後の診察は一時間もかからなかった。バルトリスがツァラフ姫を見ていてくれたからもあるが、侍女達の腕が想像以上に良かったからだ。後半はシトラの指示を聞いたらすぐに薬が調合され、的確に処置されていくものだから、本当に素晴らしいと感動した。そして同時にスカウトしたいと血の涙が流れそうになった。くそう、何故ここはレリン王国じゃないんだ……! レリン王国でなら、たとえ城勤めの人物でも自由にスカウトができるのに!
久しぶりに気持ちの切り替えに苦労した。
絶対に、ツァラフの傷を治す。
堅い決意とともに、シトラは深呼吸をし、髪を縛り、作業台の前に立った。向かいには、バルトリスが立っている。
現在、クロがツァラフ姫に事情聴取をしている。調合するなら今がチャンスだ。
しかし魔法薬の調合を教わる大切な機会でもある。この一回で全てをものにする気で、シトラはバルトリスの教えに耳を傾けていた。
「確か、調合自体は経験があるようでしたね」
「はい。でもたった一回で、ヒールの魔法薬です」
「一切ないよりずっとマシですよ。ヒューリック薬はヒール薬の調合と感覚が似ているので、スピードは気にせず魔力の流れを一定に保つ事を意識しましょう。工程はちゃんと一つずつ確認するように。魔力を切り替える時は、発音をしっかりと。さあ、やってみましょう」
「はい。はじめます!」
目の前にあるのは、魔力を通しやすい素材の透明なボウル、魔法薬の瓶が5個。身体強化のリーン薬、再生効果のあるヒール薬。まずは薬品を全てボウルに注ぐ。綺麗に上下に分離するのを確認したら、いよいよ魔力を使う。
「phase1、融解」
ゆっくりと、一定に魔力をボウルの中に巡らせる。分離していた液体が段々と重なり混じる。魔法薬の反応で、魔力が発生するのを確認したら、次はその魔力へ手を翳す。
「phase2、圧縮」
吹き出す魔力を抑え、自分の魔力を壁のように見立てて押し込んでいく。限界まで圧縮された魔力が、魔法薬に溶けていく。そして、ボウル全体に液体が広がっていった。
「phase3、収束」
手を戻し、ボウルの中に魔力を注ぐ。
一定の厚さで、全方向から押して、中央にまとまるように。しかしどうしてもムラが出る。頬を汗が伝っていく。
「魔力が乱れています。焦らず、もっと意識を魔力に。ゆっくり深呼吸をしましょう。外側から中央に向けて、魔力で押すイメージです」
「……はい」
この工程が一番苦手だ。落ち着いて深呼吸をして、改めて集中する。
全方向から一定の圧がかかるように、イメージを変えて魔力を調節する。大丈夫だ、できる。バルトリスのアドバイスは的確だった。深呼吸のおかげで、より魔力を分散させられた。
「……完了、です」
どっと汗がふきだした。
どくどくと高鳴る心臓をギュッと抑えて、バルトリスへ完成品を渡す。彼の目が魔力を帯び、じっと薬を観察する。初めての魔法薬調合の時は、他の薬士の見様見真似だったから、ちゃんとした調合は今回が初めてと言っていいだろう。
シトラは緊張のあまり息が止まりそうになるのをなんとか堪える。しばらくして、バルトリスは満足そうに笑って頷いた。
「出来は及第点ですが、丁寧に魔力が行き渡っていますね。よく頑張りました、シトラ様」
「は、はい! ありがとうございます!」
「この感覚に慣れていけば、すぐにスピードも上がります。これから毎日、今回と同じ丁寧な仕上がりを意識して、ツァラフ姫のヒューリック薬を調合してみましょう」
「で、ですが、完成の度合いは私では……」
「心配要りませんよ。でん……クロさんが、チェックをしてくれますからね」
え、クロ? なんで?
ポカンとするシトラに気づかず、医士長はヒューリック薬を持って診察部屋に行ってしまった。慌てて追い掛けると、クロがそれをじっくり覗き込んでいた。その目に魔力が集まっているのを感じ、シトラは青い顔をした。
これ、クロにまた一本取られたのでは?
「バルトリス程とはいかないが、効果は確かですね。大丈夫だと保障します」
「なんでクロはその薬がわかるのですか!?」
「鑑定眼ですよ。見た物の保有する魔力によって、性質を見抜く技術です。一級魔法士資格を取るには必須の魔法ですので」
クロは魔法士だったのか……!
やはりまだ隠し駒があるのだとわかり、最早諦める方が楽なのではとシトラは悩みつつ頬を膨らませた。
その後すぐにツァラフ姫の元へ行き、彼女の様子を伺う。ぱっと見まだ顔が真っ青だが、落ち着きは取り戻しているようだった。処置を手伝ってくれていた侍女達が数名残って、軽く報告をしてくれた。お礼にと疲労回復のお茶を渡すと、華やかに笑い仕事に戻って行った。その笑みが、シトラは嬉しかった。しかしやはり惜しい、こんなに優秀な人材を前に、スカウトができないなんて、生殺しだ。
クロと話をしていたツァラフ姫が、悶々としていたシトラへ微笑みかける。プラチナブロンドに金の瞳が光る様を見て、蜂蜜みたいだと見惚れてしまった。
「おかえりなさいシトラ。調合はどうだった?」
「なんとか出来たわ! ツァラフ、痛みはどう? 保護薬が取れたりしてない?」
「少し痛みはあるけど、他は大丈夫よ。これもかなり軽減されてるって教えて貰ったから、薬が切れたらって思うと怖いけれど……」
「ヒューリック薬を使うから、心配しないで。この魔法薬は、自然治癒力を上げる効果と、全身の力を強化する作用があるの。副作用でしばらく熱が出ちゃうけど、痛みはさらに軽減するわ。大丈夫、心配しないで。私がついているから」
「……ありがとう、シトラ。あははっ、貴女は本当に面白いお姫様よね。これまで会ったどんな医士よりも頼もしいのだもの。あ、お気を悪くなさらないで、医士長さん」
「いえいえ、私も同意見なのですよ。シトラさんは不思議な魅力を持っていらっしゃる。我々にはない特別な何かが、周りの人を元気付けるのかもしれません」
「ええ、本当にそうだわ。シトラがいてくれて、本当によかった」
そう言って可憐に笑うツァラフ姫に、シトラも照れ臭く思いながら微笑みを返す。
彼女には早速ヒューリック薬を飲んで貰い、患部の処置をした後調合室へと移動してもらった。ゆっくり休めるように、そしてすぐ声が届くようにだ。不思議な匂いの部屋ね、とツァラフ姫は目を丸くしていた。鞄の中にゴロゴロと入っているガラスの瓶を興味深そうに眺めていたが、やがて熱が出たので、安静に寝ていただいた。寝顔すら美しくて、シトラが思わず見惚れてしまったのは秘密だ。
そして残った時間を使い、医士長、クロ、シトラの三人で話し合いをする。話題は勿論、離宮で起きたツァラフ姫の事件。
「ツァラフ姫様にお聞きした次第を改めて説明します。彼女は午前11時頃、別の姫の部屋へと呼ばれました。侍女を伴い伺ったところ、相手は最初穏やかに対話をしていましたが、次第にないことないことの陰口を叩き始めたそうです。それに気分を害したツァラフ姫は侍女と共に退室するべく冷たい言葉を投げかけ立ち上がった。それにヒステリーを起こした相手の姫が暖炉の中の薪を火バサミで掴み、ツァラフ姫の侍女へと投げつけ……庇ったツァラフ姫の腕が焼けた。以上です。侍女への詳細な聞き込みはこれから行います」
「加害者の情報は秘匿されますし、私は事件そのものの関係者にはなれません。ですがクロ、私はあの離宮にツァラフを返したくないです。何がなんでもこちらで治療をします。侍女の方も保護をすべきかと。相手が誰であれ、これはとてもデリケートな問題です」
「私もシトラ様に賛成です。ツァラフ姫様のお怪我は……残念ながら、しばらく痕が残ります。痛みも半月程続きます。ヒューリック薬を使用する以上、本来ならば王城内の医務室で治療するべきでしょうが、ツァラフ姫様は精神的に深い傷を負いました。その治療はシトラ様に託すべきです。この王城に勤める医士長として推薦いたします」
バルトリスの話を聞き終えたクロは、数分間ほど考え込んだ。今後どうするかを頭の中で組み立てているようで、小さく呟く声が聞こえている。
それを邪魔せず静かに待っていると、やがてクロが顔を上げて話を再開した。
「……まず、ツァラフ姫の侍女は既に保護し、場所も内密にしております。次にツァラフ姫の治療ですが、バルトリスの推薦もありますし、断る理由はありません。ですがシトラ様。その条件として私の監視を今後も受けいれてもらいます」
「わかりました。それでツァラフを守れるのならば」
シトラは散々抵抗した昨日が嘘のように……いや若干渋々ではあるが、承諾した。バルトリスは医務室の薬草と薬を補充すると約束してくれた。姫のベッドも用意してくれるらしい。ここまでして貰うのなら、監視くらいで文句を言ってられないとシトラも考えたのだ。
それにクロは謎が多いが、部下が多いのも確かだ。万が一の時に側にいてくれれば大いに助かるだろう。
会議はそこで終了し、シトラは往診の為離宮へ、バルトリスは医務室へ、クロはツァラフ姫の護衛の手配をするということで一時解散となったのであった。
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その日のうちに、ホームの二階にツァラフ姫のためのベッドが用意された。シトラはツァラフ姫を連れて行く時に初めて自室(?)に入ったのだが、案外シンプルでホッとした。天蓋付きのベッドがあったら逃げ出すところだった。
ツァラフ姫はヒューリック薬の副作用で熱が出ている。早く寝かせて、定期的に様子を見ているうちに、すっかり夜になってしまった。
温室の薬草を手早く手入れして、晩ご飯を作る。クロがなんだか楽しそうに待っているのを見ると、どうやら彼の分も作るべきのようだ。
簡単にシチューを作り、ツァラフ姫のぶんを取り分ける。魔力を巡らせ、具材を細かく刻み、念の為クロに鑑定もして貰った。栄養たっぷりのシチューですと言われたので、ある程度自信を持ってトレイに乗せる。
「クロ、ここでしばらく待っていてください。ツァラフの分を渡して来ます」
「いえ、私もご一緒しますよ」
「それなら一緒にいきましょう」
少し前に呼び掛けておいたからか、ツァラフ姫は起き上がって待っていた。顔色は、悪い。でも薬のおかげか痛みはないようで安心した。患部も今のところ魔法薬が効いている。
シトラはベッドテーブルを引っ張って、慎重にトレイを置いた。ふわりと漂う香りに、ツァラフ姫の表情が和らぐ。
「お待たせ、晩ご飯だよ。ただ、先に謝っておく。ごめんなさいツァラフ、私はあまり料理が得意じゃないから……美味しくないかも」
「気にしなくていいわよ。実は私、お友達の手作り料理を食べるのは初めてでワクワクしてるの」
「ほんと!? わ、私も、人に料理を振る舞うのは久しぶりで……ちょっと緊張しちゃった! でも食べてね、栄養はしっかりあるから!」
「勿論よ。これってホワイトシチュー? なんだか具材が小さくて、可愛いわ」
「私も不思議に思っていました。魔力を用いてまで細かく刻んだのは何故ですか?」
覗き込んできたクロとツァラフ姫に、シトラは理由を話す。
弱ってる人は、消化をする力も弱まってしまう。なので出来る限り胃の負担を減らすために、最初から細かくしたりすり潰した食事をとるのだ。興味深そうに頷く二人に、シトラは似たもの同士だなと少し笑ってしまった。
ツァラフ姫は食欲がなさそうに見えたが、意外にも全て平らげたので驚いた。やはりこの姫はたくましさが段違いだ。
でも病人であることに変わりはない。体力を温存するための薬を飲ませて、ちゃんと寝るようにと注意して、ようやくシトラとクロは晩御飯にありついた。
ツァラフのものとは違い、普通の大きさの野菜と肉が入ったシチュー。遠慮なくおかわりし、鍋を空にしたクロに若干ではあるがシトラは警戒心を削がれた。監視という言葉を重く受け止め過ぎたなと少し反省する。
「クロはどこで寝ますか?」
「屋根裏のベッドをお借りします」
「えっ……あのベッドですか?」
「はい。何か問題でも?」
「いえ、問題というほどではないのですが……マットレスとシーツを交換しないと」
「一晩くらい構いませんよ。明日に新しいものを用意しますから」
……本当にクロは何者なのか。
立ち振る舞いは完璧に貴族のものだが、どうにも許容範囲が広い。古いベッドで寝るなんて、普通なら嫌がるだろうに。まあシトラも全く気にせず寝ていたので人のことは言えないが。
流石にシーツだけは換えさせてもらい、クロにおやすみと挨拶をして自室に戻る。ツァラフ姫は穏やかに眠りについていた。絵本のお姫様のような彼女のすぐ近くで眠るのはちょっと緊張したが、疲れもあってすぐにウトウトしだす。ぼんやりと考えていたのは、クロのことだった。
彼の正体は、確かに気になる。けれど彼のおかげで、薬草の手入れも調合室の整頓もサッサと終わった。貰っているものが恩ばかりならば、彼を疑ったり探ったりする事はシトラの性格上不可能だ。よってシトラは何も聞かないと決めた。そして結論が出た途端、そのまま眠りに落ちていった。
お読みいただきありがとうございます。
ついに出ました、魔法薬です! この世界では魔力は標準装備ですが、その量はまちまちです。ちなみにシトラは平均よりやや多目くらいです。
※ヒール、リーンの薬効も簡単に書いておきます。
ヒール薬→内外どちらの傷にも効果がある、治癒の薬です。主に外傷にかけて使います。
リーン薬→生命力を活性化させ、使用者の身体能力を一時的に増加させます。主に力仕事の人々が使います。
※付け足しです↓
今回シトラが行ったのは、魔法薬同士の調合です。
本当に一から作る時は、薬草や土、水等々、必要な材料を準備し、大鍋で煮込みながら材料の魔力を抽出しつつ融合させます。その際は工程が「抽出→融解→融合→収束」の四工程になります。