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なんやかんやバタバタしたせいで、工具を買いに行く時間がなかった。仕方がないから明日買いに行こうと思いつつシトラは元幽霊屋敷へと戻ってきた。
元、というのは、シトラの掃除で幽霊屋敷ではなくなったからだ。窓から光が差し込むようになったので、暖かく明るい家に劇的ビフォーアフターしたのである。
「せっかく掃除したんだし、新しい呼び方が欲しいなあ。離宮と言うには小さすぎるし、宿というのもしっくりこない……。何にしようかな、いっそ簡単にホームとか。うん、ホームにしよう」
というわけで、元幽霊屋敷ことホームに帰り着いたシトラは、ふと扉の下に置かれていた封筒に気づいた。
なんだろうとその場で開けてみる。差出人はクリシュラ姫様からだった。
『シトラ様、本日は本当にありがとうございました。傷の手当てをしていただけた後お薬を飲んで、かなり痛みが治りました。また様子を見に来てくださると仰っていましたが、早く感謝を伝えたくて、文を書いています。
あの時、シトラ様は何気ない様子で「貴女の味方は、私以外にもいる」とおっしゃってくださいました。私はその言葉にこれ以上ないほど救われました。
従者もおらず、本当に身一つでここに来てから、故郷が恋しくてずっと悲しんでいました。その結果、あの離宮の中で孤立する事となってしまったのです。
今回の事故も、きっと偶然ではありません。
でも貴女の言葉で、私は勇気を取り戻せました。
大切なことに気づかせていただき、本当にありがとうございました。明日の診察を、ミリーナと一緒に楽しみにしております』
やはり、少女が抱えていた闇は深かったようだ。
私の言葉が癒しになったのなら……と思いもするが、それでは原因が残ったままになる。根本的な解決を目指すなら、もっと違う手が必要に……。
「シトラ様」
「はい!」
急に声をかけられてビックリしたシトラは、背後に立っていた人物を見て再び固まった。
黒いマント、黒いマスク、黒い服……とにかく全身が真っ黒な人物。これを夕暮れ時に見て怖がらないご令嬢がいるだろうか。肝が座っているシトラですら怖いとまでは思わずともギョッとしている。
「あ、あの」
「……その服は?」
「?」
唐突なファッションチェックに戸惑いつつも自分を見下ろし、首を傾げつつ答える。
「動きやすくドレスをたくし上げています。薬草の世話をする際、この裾は邪魔ですから」
「……貴女は、王女……ですよね」
「はい。レリン王国の第一王女です」
「何故、貴女は薬士を目指しているのですか」
おお? その質問が来るとは思わなかった。
てっきりでしゃばりを咎めに来たのだと思っていたので、少し拍子抜けしつつはっきり答える。
「レリン王国は、王族であろうと成人すれば家を出ねばなりません。私の兄が次期国王と決まった時、1人で生きる為に薬士を目指そうと思いました。それに、昨日と今日過ごしてわかりました。ここには女性の薬士や医士が必要です。婚約者の選定が終わり、姫様が無事に帰るために」
「つまり、一人立ちとお節介のためだと?」
「的確な言葉ですね。今後はそう述べるようにします」
「……貴女は、この国の王妃になりたいとは思わないのですか?」
「思いません。王妃の地位に興味はありません。私は薬士になるべく生きてきましたから」
即答。キッパリと言い切ったシトラに、黒服の人物は若干面食らったように沈黙した。
「……そうですか。……聞きたいことは以上です」
言葉を止め、背を見せる黒服の人に、シトラは咄嗟に声をかけた。この機会しかないかもしれないからだ。
「あの、貴方はこのお城の方なのですよね? お聞きしたいことがあります」
「……なんでしょうか?」
「工具をお借りすることは可能でしょうか? できれば木材もいただきたいのですが」
「は?」
ポカンと口を開ける黒服の人に、シトラは事情を説明した。向こうは少々混乱しているようだったが、なんとか飲み込めたようで、用意すると約束してくれた。そして何やら考え込んだ様子でふらふらと去っていった。
シトラは工具が手に入るとわかり安堵した。これなら離宮を気にしつつホームの手入れができる。
というわけで、今夜は徹夜で薬草の保護作業をしよう。
+++
ゆらゆらと揺れるランプを持ちつつ、リオンは真っ暗な廊下を歩いていた。今日色々とあり過ぎたせいで、なかなか寝付けない。それで外の風にでも当たろうと部屋を出てきたのだ。
頭に浮かぶのは、ルビーのような赤髪と、日が沈む時に雲を染める、オレンジがかった琥珀の瞳。あの少女はこれまで接してきた令嬢と違っていた。媚びる為に近づいたり、顔を覗き込んできたりしない。でも、そういった女性よりもずっと、彼女はリオンを真正面から見ていた。
お粗末な変装に驚いてはいたが、ちゃんと会話をしてくれた。
まあ掃除の為に工具が欲しいと言われた時はこちらが言葉を失ったが。
「ん?」
廊下の窓の外に光を見つけ、リオンは足を止めた。
あれはシトラがいるボロ小屋じゃないか? もう日も跨いでいるのに、一体何をしているのやら。
気になってしまった以上、確かめないわけにはいかない。
リオンは部屋に戻るとお粗末な変装セットを身に纏い、窓から外へと飛び出した。
小屋が近づくにつれ、明かりが灯っているのは小さな温室だと分かった。こんな遅くまで何の作業をしているのだろう。やはり何か企んでいるのか。
警戒しつつそっと近づいて、入り口の隙間から中を覗く。
そこには、髪を雑にまとめ、謎の服を着たシトラがいた。
何かを確認しているらしく、頻繁に手元の本を開き、薬草と見比べている。興味を惹かれたリオンは、暫く観察することにした。
「シュトラは栄養剤ダメだったから向こうの段、ラピリスは乾燥厳禁……あ、アグルもか。じゃあここと……」
呪文みたいな独り言を唱えながら、シトラはテキパキと動いている。その手は止まる様子がない。まさかと思い長い間見ていたが、疑いは確信に変わった。
こいつ、薬草の手入れを一人でやる気だ。
「よし、朝までには終わりそう」
(徹夜!?)
「あ、でも痛み止めのストック増やしたいし……よし、眠れないなら一気にやっちゃおう」
(いや後にしろよ! というかはよ寝ろ!)
も〜う見てられない!
リオンは気づかれないようにそこを離れ、ズカズカと城に戻る。そして医務室の休憩室のドアを激しくノックした。
中からどっしゃんガラガラと音がした後、返事が返ってくる。ダイクの声だ。
「リオンだ。開けろ」
「えっ? はっ!? 殿下!?」
「寝てるところをすまんが、起こせそうな薬士をシトラの元へ今すぐ行かせてくれ」
「え? 今? もう1時くらいなんですが?」
「夜勤手当はだす。とにかくシトラを手伝わせろ。あいつ今夜は徹夜だと張り切っているぞ」
「ええぇぇええ!?」
「うるさい!」
「ぶへ!」
リオンに叩き起こされたダイクは、慌てて他の薬士を起こし、謎の格好をした王子を含む四人でシトラのボロ小屋へと駆けつけた。そして丁度花壇一つを仕上げたシトラと遭遇した。
「どうなさいました? こんな夜遅くに……」
「「「それはこちらのセリフです」」」
「私は薬草の保護作業をしています。もしかして急患ですか?」
「いいえ違います、シトラ様……あの……」
「貴女はもう少し、ご自分の立場をご理解なさって下さい」
ずいと進み出たリオン王子……黒服の人に、ダイクたちはギョッとしたが、シトラは特に驚きもせず、戸惑っている。
言葉の意味が汲み取れていないようだ。
「いいですか。貴女はレリン王国の第一王女なのです。事情がありお招きした以上、貴女の意思に関係なく、ユリア国は貴女を守らねばなりません。命のみならず、健康もです」
「で、でも……命の危険があるわけでもないですし、たった一日徹夜をしたくらいでそんな」
「ですから、一人で全部を片付けようという考えを改めていただきたいのです! 手伝いを連れてきました。私も手伝いますのでさっさと終わらせますよ。薬の調合もちゃんと寝て起きてからにしてください」
「ええっ!? な、何で知って……」
驚くシトラをそのままに、リオンはズカズカと温室の中に入っていく。つられて手伝いに来た薬士、医士も。
シトラは呆然とし、止めることもできずに彼らを迎え入れるしかなかった。
──二時間後。
無事に保護作業と植え替え作業を終了した五人はすぐに解散した。シトラは手伝ってくれた事に感謝を込めて深々と礼をした後、睡魔に負けてぐっすり眠ったのだった。とても古臭く壊れかけているベッドでもあんなに幸せそうに寝るなんて、一体どうすればそうなるんだろう。
帰ったフリをして窓からそれを見守った後、ようやくリオンも小屋を離れる。なんというか、シトラは王女として見られない。勤勉で真面目な女学生とでもいうべきか?
「とにかく、妙な張り切りをしないよう見張っておかねば」
せめて次の月までに、あの性格が少しでもおさまるといいのだが。悶々と考えるリオンは、己がシトラへ強い関心を抱き始めたことに気付きつつあった。……いや、まさかこういう形の関心を抱くとは思っても見なかったのだが。
+++
素晴らしくスッキリした目覚めだ。
シトラはベッドから飛び起きると、薬を作りつつ朝食のパンを食べる。顔を洗って髪を結い、準備を整えて離宮へ向かった。
「おはようございます。シトラです。クリシュラ姫様の経過を確認しに参りました」
「シトラさん! おはようございます。クリシュラ姫様ももうお目覚めですよ。さあこちらへ」
見た事のない侍女さんが、部屋へ案内してくれる。
けれど階段を上って、さらに上ろうとしている彼女に、シトラは声をかけた。
「クリシュラ姫様のお部屋はそちらではないですよ」
「……昨日、移動がありました」
「階段から落ち怪我をなさったクリシュラ姫様をさらに上の階に移すなど、そんな無礼を働くような人がおられると?」
「……ちっ」
「ご用があるのならば、お話しいただけますか? 私はまだ用事があるのです」
侍女は憤りの表情を残したまま階段を上りきり、シトラを見下ろすようにして仁王立ちをした。
「貴女、目障りなのですよ。自分がここに相応しくないとご理解してます? 誇り高いユリア国の姫様方の品位を落とすような真似は看過できません。さっさと解雇要請をして王城から消えてください」
「…………はい? すみません、言ってる意味がわかりませんでした。最初からもう一度お聞かせ願います」
「な……! その様に私を貶すなんて、なんと無礼な! これはきっちり殿下にお伝えさせていただきますからね! 覚悟しておきなさい!」
「????????」
憎いです、恨めしや〜、という視線を浴びせる侍女だが、シトラは本当に訳が分からない。人違いじゃないのか? と思ったが、こんなに目立っている自覚はあるし、その可能性は低く感じる。
まあ、言われて困るようなことは特にない。王子妃の座には興味がないのだから。むしろ婚約者候補から外れた方が楽なのではとも思い始めている。
そういうわけでシトラはくるりと背を向け、クリシュラ姫の部屋へと歩き出した。後ろから待ちなさい私を誰だと思ってそんな態度を云々と喚く声が聞こえたが、正直関わりたくないから聞こえないことにした。
部屋に到着すると、ノックをする。応じたのは間違いなくクリシュラ姫だった。許可を得て入室する。
痛々しい足の固定具と頭に巻かれた包帯に、少し心が重くなった。が、それはいま抱くべき感傷ではない。
「おはようございます、クリシュラ様。昨晩は眠れましたか?」
「おはようございます、シトラ様。ミリーナと、いただいたお薬のおかげで、とてもよく眠れました」
クリシュラ姫の視線につられドアの横に控えていたミリーナを見ると、深々と礼をされた。シトラも微笑みを返す。優秀な侍女がついてくれてよかった。
「食欲はありますか?」
「……実はあまり、なくて。でも少しは食べられています」
「そうですか……ではまず、経過を確認しますね」
頭の包帯はまだ取れない。固定具もそうだ。だがクリシュラ姫は背中と肩にも打撲の痕があった。
ガーゼを取り、清潔なタオルで拭う。どちらも内出血が色濃く残ってしまっているが、そんなに目立つものではない。これなら半年ほどでほぼ目立たなくなるだろう。
「今朝の処置はこれで終わりです」
「ありがとうございます」
「ただ、少し注意していただきたいことがあります。人は事故などで怪我をした時、脳が一時的に興奮状態になります。そのせいで、後から痛みがやってくるところがあったりもするのです。クリシュラ姫様、痛みが出てきたら、すぐに私をお呼びください。ミリーナさん、クリシュラ姫様のこと、お願いします」
「はい! お任せください!」
晴れた空のような髪を揺らし、背筋を伸ばす彼女は本当に頼もしい侍女だ。ミリーナに全て任せても大丈夫になるかもしれない。シトラは他にも簡単な処置の仕方等を説明して、出来る限りクリシュラ姫のそばにいて欲しいと伝えた。
「なるべく食事と水分補給を忘れないでくださいね」
「はい!」
「はい、ありがとうございます、シトラ様」
二人で並んで、笑顔で見送られながら部屋を出た。なんというか、ミリーナもクリシュラ姫も、初めて会った時よりずっと輝いて見える。その方が好きだなあと、シトラはこっそり胸の中で呟いて微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
何とか泥沼っぽく……いえ、きな臭く? なって参りました。いやなんか、書いてる方から見ても微妙なのですが、泥沼のつもりです。