2
突然ルビー色の髪の美少女が飛び込んできた医務室は、真冬の夜のように沈黙した。その中で適当にお菓子を食べていた王城の医士長、バルトリスも唖然とクッキーを机に落とした。
それに気付いてか、夕陽のような琥珀色の瞳がこちらを向いたので、さらにギョッと身を竦ませていると、彼女はズカズカと歩み寄って来るや否や、両手でバン! とバルトリスの机を叩いた。
「貴方はこの城の医士長ですか」
「そ、そうです……」
「……クリシュラ姫様のお怪我の事は聞いていますか」
「は、はい……処置は完璧に終了したと……あっ」
理解せざるを得なかった。このルビー色の髪と琥珀色の瞳を持つ美少女こそが、報告にあった優秀な薬士見習いだったのだと。思わずダイクを見ると、黙って……いや、呆然とこちらを見ているのがわかった。
だがそれを認識すると同時に、彼女の凛と張った言葉がバルトリスを貫いた。
「何故確認しに来なかったのです! 私が資格を持っていないと知らなくても、貴方はクリシュラ様の様子を見に来るべきだったではないですか! ジークさんとダイクさんが、責任感ある優秀な方だとしても、あれは最終的に貴方がその目で判断をするべき怪我でした!」
「そ、それ……は……」
「……改めてお伝えしますが、私は正式な資格を持つ薬士ではありません。クリシュラ姫様に施した治療が適切であるか、見落としているお怪我がないか、貴方に確認をお願いしたいのです。……どうか、よろしくお願いします」
瞳を揺らし頭を下げる少女を、バルトリスは慌てて止めた。顔を上げた彼女が、険しい表情をしている理由もようやく分かった。自分に自信があっても、それを自分が認められない。見習い時代にいつも感じていたジレンマ。
……彼女はきっと、誰よりもことの重大さを理解している。
「申し訳ありませんでした、姫様」
「……シトラです。シトラ・リン・レリンスです」
「シトラ様。今すぐに確認に参りますので、どうかご安心下さい。……それから、戻りましたら、お話ししたいことがございます。お時間をいただけませんか?」
「はい。ありがとうございます、医士長様。他国の人間である私のでしゃばりを、どうかお許し願います」
なんて凛とした人だろう。
思わず口に出して褒めたくなるほど、彼女は真っ直ぐで誠実で、賢い。久しぶりに生き生きとし出した自分の心を抑えることなく、バルトリスはすぐさま離宮へと向かった。
……医務室の奥に、とある人物が休んでいるのを完全に忘れて。
+++
バルトリスを見送ったシトラは、ハッと我に返った。
そして自分が暴走したことを冷静に思い出し、爆発しそうなほど恥ずかしくなった。ここに来るまでの事も、若干記憶から抜け落ちている。衛兵の一人に怒鳴る勢いで頼み込んだのは確かなのだが……。
恐る恐る医務室を見回すと、ポカーンと口を開けたり書類を足元に落としたまま絶句している白衣の人達……薬士や医士の皆様がシトラに視線を集中させていた。
かあっと頬が熱くなる。恥ずかしさを隠すように、シトラは頭を下げた。
「あの……お邪魔してしまって……」
「待ってください、シトラ様!」
「ダイクさん?」
バタバタと少し慌ただしく、ダイクが駆け寄って来た。
まだ仕事中だっただろうに、今度こそ本当に申し訳ない気持ちになり、シトラはまた小さく頭を下げて謝ろうとしたが、それを止められた。パチクリと琥珀の瞳が丸くなる。
「シトラ様、頭を下げるのはこちらなんです! 医士長が確認に行くのを忘れていたなんて、大失態です。知らせて下さったシトラ様には、むしろ我々から御礼をさせていただきたいくらいです……」
「そ、そうだったのですか。いえでも、衛兵の方はお忙しいのだと仰ってましたし」
「えっ? あーその、忙しいのはそうなんですが……」
頭を掻いて複雑そうな顔をしたダイクの後ろから、ジークが疲れ切った顔で医務室へ戻って来たのが見えた。シトラは思わず凝視してしまう。彼のあちらこちらに葉っぱと花びらがくっついていたからだ。
「も、戻りました〜。避難は終わりましたが、植え替え先はどうにも……ってシトラ様!?」
「お疲れ様です、ジークさん。……あの、何かあったんですか?」
「そうなんですよ……お恥ずかしながら、薬草の植え間違いが見つかり、下段の方にあったものが危うく全滅しかけまして」
「え!? ここの薬草園は、滝流し式だったんですか?」
「はい。幸い排水して土を交換すればなんとかなりますが、その間どこに保管するか……量が多くて困ってまして」
シトラはパチンと気持ちを切り替え、ふむと脳内にプランをいくつか浮かべてみる。薬草を管理する薬草園には数種類ほどの形式がある。滝流し式は管理がしやすい、古くからあるものなのだが、こうした事故が多いので最近ではあまり使われていない。おそらく古い施設を利用していたのだろう。
排水には数日かかる。その間にどうやって薬草を守るか……とシトラは熟考し、そして現実的かつ効果的な解決策をハッと思いついた。元幽霊屋敷には、プライベートな温室があったじゃないか。
「ジークさん、なんとかなるかもしれませんよ。避難させる薬草の名前を教えて貰ってもいいですか?」
「え!? あ、はい! リストがこちらに……」
そう言って渡されたリストに、シトラは目を通していく。ザッと三十種程だろうか。けれど管理が難しいのは一部だけだし、その心得はある。時間と人出があれば解決するだろう。そう伝えたシトラの詳しい話を聞きに、わらわらと他の医士や薬士達が集まっていく。
ダイクもそれに加わろうとして……グイッと後ろに引っ張られた。そして医士長の机の下からチラリと覗く人の姿に、ギョッと目を丸くする。
その人物は静かにしろとジェスチャーをしつつ、ダイクを連れて慎重に医士長の机の後ろの休憩室へ戻った。
「それで、誰なんだあいつは」
「え、ええと、シトラ様です」
「名前ではなく何者かを聞いている」
「確か、レリン王国の第一王女様ですよ。昨日到着なされた婚約者候補の最後の一人……じゃなかったですか?」
「詳しくは知らんのか」
「殿下、私はただの医士兼見習い薬士です。詳しい事はイソラさんの方が……」
「あいつは好かん。疑り深い上に思い込みが激しいからな。直接あの……あー、シトラか? を聞いたりした暁には、また面倒な事になりかねん」
美しい顔をしかめながら、青年……リオン王子はため息をついた。何故彼がここにいるのかと言うと、昨日婚約者候補が揃った祝いにと父の酒に付き合いとんでもない二日酔いになったからだ。下手に自室や城の中にいると、すぐに見覚えのない女性が群がってくる。中に入れるなと散々言ったのにも関わらずに、だ。
イソラに初日のドッキリを命じたのは、一重にここは完全なるアウェイであり、機嫌を損ねれば候補から即外すという強い意向を示すためでもあった。王子も王子なりにあの泥沼の宮をなんとかしようとしたのだ。
しかしこの王妃選定を計画したのは他でもない現国王陛下こと父なのもあり、ハッキリと拒絶を示せない。それをいいことに言い寄ってくるケバケバしい女性に、リオン王子はぶっちゃけうんざりしていた。新しい扉を開きに行こうかとまで思い詰めるほどに。
だから先程もここに誰かが来て、女性の声を発した時は本当にうんざりしていた。……が、どうも勘違いだった様だ。
「ダイク、シトラの情報を持ってこい。今日はあいつが帰るまでここにいる」
「……はい?」
「なんだその目は。俺だって興味や好奇心はある。それに奴が何か企んでいる可能性も高いだろう」
「それは……」
即座に否定しようとしたが、ダイクは思い直してそれを飲み込んだ。彼の言い分は正しい。
リオン王子とダイクは同じ歳なのもあって、見習いに来た数年前から仲良くしている。故に彼の婚約者騒動のこともよく知っていた。
それにリオン王子が女性に興味を示したのは数えるほどしか無い。片方の手で事足りるほどでもある。付き合いの長い臣下としては、気の済むまでやっていただきたい所存。
「……まあ、殿下の御命令とあらば」
ただしこれだけは言っておかねばならなかった。
「けれど、シトラ様は殿下が思うようなお方ではないと思いますよ」
「はっ、どうだか。会ったばかりの女ほど信用ならんものはない」
そうヒソヒソ話しているうちに、なにやら表は静かになっていた。嫌な予感がしてダイクが休憩室から飛び出すと、医務室は見事にもぬけの殻だった。
「ちょっ……置いていかれた!?」
慌てて入り口の方へ向かう。すると丁度入ろうとしていたらしいシトラが現れ、驚いて足を止めた。
……そしてその格好に絶句した。
丈の長めなエプロンドレスをこれでもかと持ち上げて、左右に結びつけた、前衛的過ぎるファッション。すらっと伸びる足に視線がゆきそうなのを必死に我慢しつつ、ダイクはパチパチと瞬きを繰り返した。
そしてそこに、実に晴れやかなシトラの声が降り注いだ。
「ダイクさん! よかった、戻ってらしたんですね。すみませんが薬草を運び終えるまで、ここをお任せしたいんです。三十分程で終わりますので」
「は、はい。お待ちしております」
「医士長様が先に戻られましたら、お待たせしてすみませんとお伝えください。では、作業に戻りますので」
くるりと身を翻したシトラは、すぐに薬草園の方へと消えていった。ダイクは脳に焼き付いてしまったシトラの格好に未だ絶句したまま、医務室の机に突っ伏した。
+++
予定通り運搬を終え、植え替え作業は明日に、と決まったところでシトラはようやく医務室に帰り着いた。
医士長が戻る前にと急いでいたら、丁度帰ってきたところに鉢合わせすることとなった。ギリギリセーフである。
そして改めて二人は医務室の作業台に向かい合って座り、話し始めた。
「まずは改めて自己紹介から。私は王城医務室医士長、バルトリス・テネレと申します。テネレ伯爵家の当主でもありますが、その名はあまり使いませんので、どうか医士長として接していただきたく思います」
「覚えました、バルトリス医士長様。よろしくお願いします。それと、先程は本当に失礼をしてしまい……」
「いえ、謝罪の必要はありませんよ。シトラ様が来ていただけなかったら、我々はクリシュラ姫様へ大変な無礼をしてしまうところでした。貴女様の真面目さが、我々を救ったのです」
「医士長様までそう言われるのであれば……わかりました。それで、クリシュラ様の容態はいかがでしたか」
「ええ、処置も文句なしに完璧でした。特に縫合は素晴らしい腕前です。姫様を気遣い、髪を極力切らない様にしておきながら、しっかりと縫われていました」
「脳は大丈夫でしょうか、強く打ったようでしたし……」
「それも心配ありません。受け答えもしっかりしていましたし、脳が起こす反応はすべて正常でした。……貴女の診察、処置は完璧でした。けれど難を申したいところもあります。それが、これからお話しする事です」
「はい、しっかりお聞きいたします」
「シトラ様に欠けているものは、ご自分でお分かりになっていますか?」
急な問いに、シトラは少し考え込んだ。
「……技術と経験、知識……でしょうか」
「確かに、資格を持つ前の人々にとって、それらは共通の課題ですが……シトラ様のレベルは資格を持つには十分すぎる程高いものです。そして誠実に患者と向き合い、真摯に自己研鑽と治療に取り組んでいます。では、最後に足りていないのは?」
「資格、ですね」
「その通りです。そこでですが、私は貴女を三ヶ月後にこの国で行われる特別選抜試験に推薦したいと考えております」
「と、特別選抜試験……!?」
特別選抜試験。
取得を希望する資格が求める基準を上回っていると判断された者のみが受けることが出来る、合格が約束された試験。
勿論そのかわり、一ヶ月の見習い期間と、筆記と実技の実績が必要だ。けれど今のシトラにとって、これ以上ないチャンス。
レリン王国はこの様な制度がないのだ。逃すわけにはいかない。そう考えるシトラには、ある目的が生まれていた。
この王城の、女性の薬士になりたい。
ここに滞在する期間はそう長くないと思っていたが、離宮の様子を見て考えを変えた。
「バルトリス医士長様。そのお話、お受けさせていただきたく思います。しっかり勉強し、己の技術も磨きます。見習いとして扱き使われるのは寧ろありがたいです」
「……やはり貴女は、昔の私によく似ておられる。自分自身の技術に確かな自信がある。それを他でもない自分が認められない。私が医士資格をとる前にぶつかった壁です。見習いとなれば、その壁は常に貴女の行手を阻むでしょう」
「覚悟の上です。ここまで見抜かれているのならば、この決意が揺らがないと言うことも、医士長様は知っておられる筈ですから」
確かにそうだと笑い合って、シトラは次の月から正式にこの薬室の見習いになると決まった。
薬室の空気が盛り上がったのは言うまでもない。こんな可愛らしい少女が一緒に働いてくれるなんて。今からもうやる気がMAXになっている。
……再び忘れ去られた王子は一言。
「どうしてそうなった」
と言わざるを得なかった。
お読みいただきありがとうございます!
改行をあまり使っていないので、もしも読みにくかったら申し訳ないです。
シトラの「覚えた」というのは、完全に記憶した、という意味ではなかったりします。どちらかというと興味がなかったり不必要だと思うものを、そうじゃないと理解した感じです。