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婚約者候補の薬士見習い  作者: アカラ瑳
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 イソラを無事送り終えたシトラは、改めて手早く掃除をし、埃やら蜘蛛の巣でこれでもかとデコられた調度品を復活させた。この元幽霊屋敷は一見三階建てだが、中は天井が高い一階と狭めの屋根裏だけのとってもシンプルな建物だった。そのおかげで必要不可欠な部分の掃除に関しては比較的楽に済ませることができたのだ。

 けれど問題もあった。高い部分の掃除用に使っていたのであろう梯子がボロ過ぎて使えず、掃除の手が届かないのだ。

 自分で作れば良いのだが、生憎工具の類は持って来なかった。薬草を育てる為の道具はいくらでも準備してあるが。

 まあ無いものは仕方がない。買ってくれば良いのだ。


 というわけで、ユリア王国に到着して半日。

 もう日も暮れたし、お腹が空く時間。でもシトラにはお料理をしてくれるシェフも侍女もいないし、食材だってない。どうしよう! ……などということは勿論なく、シトラは普通に離宮へ行き、イソラの様子を見たいと呼んでもらった。ポカンとする空色の髪の侍女から、同じくポカンとしたイソラを連れて来てもらい、経過を確かめた後、塗り薬を塗り直し、痛み止めを渡し、流れるように食料を貰って元幽霊屋敷へと戻って行った。

 帰り際に


「明日の昼ごろもう一度様子を見に来ますが、もし痛み出したらすぐに呼んでください」


 と言い残されては「あ、はい」としか言えないではないか。

 これまで女性の医士や薬士がいなかったせいで、シトラが外国から派遣されて来た女医だと勘違いされるのに一晩はかからなかった。




 翌日。

 シトラは工具の他に買い揃えるものはないかと、のんびり所持品のチェックをしていた。

 そこに性急なノック音が鳴り響き、パチンとスイッチが切り替わる。すぐにドアを開けると、昨日イソラを呼んでくれた空色の髪の侍女が、その髪よりも真っ青な顔で立っていた。状況を大まかに察したシトラは、彼女を招き入れるとすぐに鞄を開き、中身を整理し始めた。


「離宮で何かあったのよね? 落ち着いて話して。すぐ準備するから」

「は、はい! トルキア国からいらしたクリシュラ姫様が、階段から落ちて……! 意識ははっきりしているのですが、足と頭が痛いと泣き叫んでいるんです!」

「何ですって……!? 王城の医士は!?」

「それが、医士長様はリオン殿下の二日酔いの治療が先だと……助手の方がいらしていますが、姫様は父や兄、リオン殿下以外の男性に触られたくないとおっしゃっていて……!」

「わかったわ。準備もできた。いきましょう!」


 励ますように侍女の肩を軽く叩き、力強い笑みを浮かべた後シトラは離宮へと走り出した。その頼もしさときたら! あとを追う侍女は、安堵の涙を浮かべてしまった。

 問題の姫の部屋からは、痛々しい叫び声が聞こえていた。自演の可能性を捨てきれずにいたシトラだったが、この声に嘘はないと判断した。

 息をのんで扉をノックすると、イソラの声が聞こえ、すぐに扉が開かれた。彼女もシトラの到着に安堵したようで、昨日の泥沼武装など彼方へ吹っ飛ばし、微笑んで瞳を潤ませている。

 その後ろに横たわる夕焼け色の髪と青い瞳の幼い少女が、クリシュラ姫なのだろう。


「失礼します、レリン国のシトラです。治療の手伝いに参りました」

「シトラ様! 来てくださったのですね……!」

「おはようございます、イソラさん。そちらは助手のお二方ですね。はじめまして、シトラです。早速ですが状況をお聞きしてもよろしいでしょうか」


 唐突なシトラの登場に、助手の男性二人はポカンとしていたが、シトラがサッと道具を並べ出した事で我にかえり、すぐさま様子を伝えはじめた。


「クリシュラ様はおよそ二メートルほどの高さから落下し、その際にぶつけたと思われる足が酷く腫れ上がっています。骨折で間違いないかと。ですが頭の方は髪で隠れてしまい、確認ができていません」

「把握しました、ありがとうございます。骨折用の固定具はありますか?」

「はい、ここに」

「では薬の塗布は私が。ガーゼの上から固定をするだけならば、肌に触れる必要はありませんので、このお二人にお任せしたいのですが……よろしいでしょうか、クリシュラ様」

「ひっく……そ、それならっ、いいわっ……!」

「ありがとうございます、クリシュラ様。もう大丈夫です、私がついています。頭と足以外に、痛いところはありますか?」

「っ、わ、わかんないっ……うあぁあん」


 クリシュラ姫は再び泣き出したが、先ほどよりは落ち着いている。シトラを完全に女医だと思っているのもあるが、頼もしい微笑みに安心したのだ。その様子に、シトラは内心でぎゅうと心臓を締め付けられた。

 まだ成人もしていないであろう少女になんて事を。事故ではないことくらい、彼女の様子を見ていればすぐにわかる。

 シトラはテキパキと処置を進め、一言断ってクリシュラ姫の髪を掻き分けた。そして嫌な予感が当たっていたことに気づき、グッとお腹に力を込めて息を飲む。

 血が出ていたのだ。表面は乾いているが、まだ血は溢れ出ている。確実に切ってしまっていた。


「……っ、助手の方。ご相談が」

「「はい!なんでしょう!!」」


 勉強中とはいえまだ資格を持っていないシトラが、見習いとはいえ資格を持っている助手を使うのはなんか間違っている気がするが、周りも当人達もそんなこと気にしていられない。


「頭部の皮膚を切ってしまっています。縫合が必要か、患部を見ていただいてもいいでしょうか。私にはまだ判断できなくて」


 そう言いつつ、シトラは血を拭き取りながら傷を見せる。助手の二人は眉を寄せつつ話し合い、シトラへ「必要だ」と結論を告げた。

 それを聞き、シトラは深呼吸をした。そして助手二人の処置が終わったタイミングで、クリシュラ姫に痛み止めを飲ませて、入眠用の薬草で眠るのを待ちつつ、話し合いをする為ベッドから離れた。


「改めまして、私はレリン国の第一王女、シトラです。先程は助けていただきありがとうございました」


「「えっ」」


「ご相談なのですが、私はまだ薬士の資格を持っていません。医士の資格もありません。なので、クリシュラ姫の傷の縫合を行えないのです」

「ま、まま待ってください。えっ、え!?」

「も、申し訳ございません、気づかずに……!」

「そんなのはどうでもいいんです! お二人のどちらかか、王城の医士にしか、縫合はできないのです! 早くしないと傷が悪くなってしまいます!」


 シトラの真っ直ぐな声に殴られた心地で、助手二人は現実に戻って来た。そして改めて青い顔をした。

 裂傷の縫合には二種類の方法がある。

 一つは針と糸で行う古式縫合。こちらは薬士か医士の資格を持つ者にしか許可されない処置だ。

 もう一つは魔法による回復。しかし訓練を積んだ魔法士でなければ発動は難しい。

 どちらでもないシトラは、ここに魔法士が来ていない時点で二つ目の方法は切り捨てた。そして託すならば、王子に構って一向に来る気配のない医士長より、責任感のある助手の二人にと思っていた。


……だが、責任感があるあまり、判断力が低下している。


 二人でボソボソと話し合いをしていたが、だんだんとお前が、いやお前が、と言うのが聞こえて来たのだ。

 流石に喝を入れねばとシトラが思うのと同時に、二人が話をやめ、くるりとこちらを向いた。やっと決まったのかと安心したところに、予想外の一撃がシトラを揺さぶった。


「シトラ様、古式縫合の経験は」


「……動物で十数回程度です。馬と牛が主で、他はウサギと犬が一回ずつ」

「ならば、この中では貴方が一番経験があります。私達二人が医士として、貴女の縫合を保証します。どうかお願いします」

「クリシュラ様は、貴女様のおかげで落ち着かれました。周りの侍女さん達もです。シトラ様、責任は私達がとります。お願いします!」


 目を丸くしたシトラだったが、彼らの目を見れば本気だとわかる。覚悟を決めるしかない。けれどその前に、確かめなければならないこともあった。

 シトラはパッと振り返り、イソラともう一人の侍女と真っ直ぐに向き合った。


「イソラさん、それと……」

「ミリーナです」

「覚えました。ミリーナさん。……お二人は、それでも良いですか? 責任が発生しない第三者として、ご意見を」


 シトラの言葉に、イソラとミリーナは顔を見合わせ、やがてふっと笑ってシトラへ向き直った。


「シトラ様以外に、適任者はおりません」

「侍女の統括者としても、シトラ様に治療をお願いしたく思います」


「……ありがとうございます。助手の二方、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


「じ、ジークです」

「私はダイクと申します」

「覚えました。ジークさん、ダイクさん、イソラさん、ミリーナさん。もう少しだけ、サポートをお願いします。必ずクリシュラ様を助けるために、皆さんの力が必要です」


「「「「はい!」」」」



 覚悟が決まった。それからのシトラは早かった。


 ルビー色の髪をきっちり纏めて縛る。

 清潔な布と、古式縫合の道具一式をイソラとミリーナに用意してもらい、ジークとダイクが殺菌処理をする。

 シトラは髪を出来る限り切らなくて済むように傷口を丁寧に観察し、溢れる血を拭ってその周りの髪を切る。


 縫合は慎重に行われた。

 ジークとダイクに細かく指示や意見を聞きながら、シトラは瞬きを忘れるほど集中して作業を進めた。

 時間にしてはたったの十分。だが圧縮された緊張感が、それを何時間にも感じさせた。

 やがて、傷口を守る薬を塗り終えたシトラが軽く息を吐き、ジークとダイクを振り返る。

 二人が頷き、それを見てようやくシトラは笑顔を浮かべ「終わりました」と告げた。



 途端に、全員の力が抜けた。

 ミリーナは腰が抜けて立てなくなり、イソラも近くの椅子に腰を下ろし、深々と安堵のため息を漏らす。

 ジークとダイクは半泣きでシトラに礼を言い、慰められていた。そして周囲の空気の変化に釣られてクリシュラ姫が目を覚ます。


「あ、あれ……? 痛く、ない?」

「クリシュラ様! ああ、よかった!」

「ミリーナ……? 私……寝ていたの?」

「はい、そうです。処置は無事に終了しました、クリシュラ様。もう大丈夫ですよ」


 シトラが視界に入るや否や、クリシュラ姫は再び目を潤ませた。そして小さな手を伸ばし、シトラの手を握る。


「助けてくれて、ありがとう。トルキア国の第二王女として、お礼を言います。貴女のお名前は?」

「シトラ……シトラ・リン・レリンスです。レリン国の第一王女です」

「わあ……こんなに頼もしい王女にお会いしたのは、初めてだわ」

「光栄です、クリシュラ様。ですが、クリシュラ様を助ける為に頑張った人は私だけじゃありません。イソラさん、ミリーナさん、そしてジークさん、ダイクさん。全員が貴女のために全力を尽くしました。……貴女の味方は、私以外にもいますよ」


「っ……そう、そうなのね……ありがとう、シトラ様……!」


 安心しきったせいか、ポロリと涙を溢したクリシュラ姫。彼女と会話をしつつ、シトラは他の怪我がないかを注意深く観察した。そして助手二人が王城へ報告に戻った後、背中や肩の治療も済ませた。勿論イソラの肩もだ。こちらは十分に回復していた。

 痛み止めをクリシュラ姫の侍女であるミリーナに渡し、離宮から出たのは、すっかりお昼を過ぎた時間だった。

 今からでも買い物に行けるが、この元幽霊屋敷から離れるのは気が進まない。容体が急変したら、処置がうまくいってなかったら……心配が消えないのだ。


「……資格がない、それが一番の原因よね」


 もう、こうなったら最後まで足掻こう。

 自分がなんでユリア国(ここ)に来たのかすっかり忘れたシトラは、迷いを振り切り走りだした。……王城の医務室へ。



 お読みいただきありがとうございます!

 薬士と医士の違いはなんぞや? と思われた方がいらっしゃいましたら、簡単に違いを書いておきますので、ご確認をお願いします。


※薬士と医士の違いは、基本的には殆どありません。違うのはそれぞれが保有するオプション的な権利のみです。

 薬士→薬品の研究・開発が認められており、その保管も全て自らの手で行うことが可能です。

 医士→手術を認可されています。特に注射や魔法を使った処置をするには医士の資格が必須です。

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