17
休むことなく処置を続けること数十分。
ホームの戸が叩かれ、返事を返すとダイクとバルトリスの声が聞こえてきた。
シトラは一旦手を止めて二人を迎える。
いつも明るいシトラの厳しい表情に、ダイクは真っ青から真っ白に顔色を変えた。
「お待ちしておりました、ダイクさん、医士長様」
「アリッシュ姫様とマーサお嬢さんの様子は如何ですか。ダイクから聞いたところ魔法による攻撃を受けたそうですが」
「深い傷の幾つかに、破片が奥まで刺さったまま残っていました。医士でなければ摘出できません」
バルトリスが小さく息を呑む。放たれた悪意の重さに気がついたのだろう。アリッシュ姫にもそれがまだ穿たれたままならば、それは致命的な傷となる。
彼女だけではなく、他でもないこのユリアスタード王国の傷に。
「そちらはダイクに任せましょう。私はアリッシュ姫様の怪我の確認を優先します。シトラ様も一緒にお願いします」
その判断の意をシトラはきちんと理解している。理解しているからこそ、こんなにも苦しく悔しい。
「ダイクさん」
「大丈夫ですよシトラ様、私もいますし、イソラ様が到着すればテリアにも手伝って貰えますから!」
メリウェルのハキハキとした言葉に迷いを晴らし、ルビー色の王女が頷いた。
そして未だに白目を剥きそうなダイクの頬にその手が伸びる。左右から。
「ダイクさん!」
「ひょほ!?」
べしっ! と思い切りよく頬を挟まれ、ようやく彼の紫色の瞳がシトラを見下ろした。
「しゅとりょしょほ」
「任せます、私の相棒。アンバードの名に相応しい働きを」
ハッとした様子でダイクはすぐに頷いた。ようやくシトラが小さく笑い、頬を挟んでいた手がダイクの手を握る。
細い指が震えているのに気がついたのか、その目が大きく見開かれた。
「お願いします。頼らせてください」
ダイクの大きな手がシトラの手に重ねられた。彼女が求めている言葉と共に。
「お任せください、シトラ様。もう大丈夫です!」
「……はい。ありがとうございます」
◇
アリッシュ姫は既に湯浴みを終え、二階のシトラが使っていたベッドにてテリアの処置を受けていた。
薬を飲んだので痛みは酷くないはずなのだけど、ショックが大き過ぎたのか虚な瞳が揺れている。
恐ろしいほど儚く見える姿に、シトラは息を詰まらせた。
「アリッシュ姫様」
「あ……シトラ様……マーサ、マーサは」
「大丈夫です。メリウェルさんと王城の医士が全力で治療をしております。そしてこちらは王城の医士長、バルトリス様です。アリッシュ姫様の怪我をできる限り診ていただきます」
アリッシュ姫の反応は鈍いままだ。しかし頷くことはしてくれたので、それに少しホッとした。
準備を始める間、テリアが数枚の書類をシトラに渡してきた。イソラに報告する為のメモ書きのようだが、驚く程に丁寧でわかりやすい。
「シトラ様、私はマーサさんの治療に参ります。お許しをいただけますでしょうか」
「これだけしっかりした書類なら、イソラさんへの報告は心配ありません。どうかマーサさんをよろしくお願いします」
「はい」
駆け降りていくテリアからアリッシュ姫へ視線を移す。
彼女は若芽色の髪をまとめ、ふんわりとしたシンプルな白いドレスに着替えていた。ところどころ血がついているものの傷の保護も綺麗に行われている。
その傍でシトラを待つバルトリスが頷くのが見え、そのまま駆け寄った。
「医士長様」
「外傷はシトラ様にお願いします。私はアリッシュ姫様の魔力、生命力を調べて、呪いの類がないかを調べます」
呪いという単語を聞くのは本当に久しぶりだった。
息を呑みつつも頷く。
「アリッシュ姫様、痛みますか?」
「いいえ、痛くないわ……」
ポロポロと泣いているのは心が痛いからだろうに。そもそも泣いていることに気づいていない様子だから仕方がないのだろうけど。
「アリッシュ姫様。マーサさんは立派に仕事を果たし、貴女様を守りました。だから私は、私達はそれに応えます。でもアリッシュ姫様が苦しんでいると、マーサさんは自分の働きが不十分だったと思うでしょう」
「そんな! マーサは……!」
「はい、だからアリッシュ姫様。どうかマーサさんを労って、その仕事を認めて、褒めてあげて下さい。他でもない貴女様にこそ、その役目が相応しいのです。そうでしょう?」
アリッシュ姫はシトラの言葉に最初呆然としていたが、段々と薄紫色の瞳に涙を滲ませ、しっかり頷いた。
「……少し、落ち着きます。あの時のことをちゃんと思い出したいわ。マーサが守ってくれたのだから、私もそれに応えます。シトラ様、そして医士長様、よろしくお願いします」
「承りました」
「はい、では傷を見ますね」
折角治った綺麗な肌の傷。浅いものばかりなのはマーサが身を挺して庇ったおかげだ。ならば、それに報いなければ。
シトラが処置を終える頃にはバルトリスの検査も終了していた。
「呪い等の心配はないでしょう。マーサお嬢さんの方はまだ調べなければなりませんが、少なくともアリッシュ姫様にはこれ以上の害はございません」
「ありがとうございます、医士長様。アリッシュ姫様、痛みはどうですか? 激しくはなくてもまだ痛む場所があれば教えてください」
「私は大丈夫ですわ。医士長様、マーサにもしも呪いが及んでいたら……」
「対処いたします、ご安心ください。シトラ様、ヒューリック薬をアリッシュ姫様に。落ち着きましたら新たに一つ魔法薬の作製をしますので、魔力を温存して下さい」
「はい」
頷き合い、バルトリスは階下へ向かった。
それを見送ったシトラは、アリッシュ姫とラシュイル姫の間に用意された新たなベッドの上に、思い切りよくまだ身に付けていたアクセサリーを放った。
突然の行動にアリッシュ姫は目を丸くし、ラシュイル姫は苦笑を零す。
「アリッシュ姫様、改めましてホームにようこそ! こんな状況だからこそ、私達は気を引き締めなければなりません」
テキパキと装飾品を外しながらのシトラの言葉に、アリッシュ姫がハッとした様子でラシュイル姫に視線を向けた。
「あ……ラシュイル様、先程はお声がけをいただき……」
「待つのだわ! 私のことはラシュイルでいいのだわ。貴女ともお友達になりたいのだわ」
「えっ、でも、い、いいのでしょうか……」
ダメな理由があるのかと、シトラは曇りのない疑問の眼差しをアリッシュ姫に向ける。彼女は二人の姫に注目されたことで慌てたのか、その理由らしきものを口にした。
「わ、私はストラタリス国の王女です。小国の者が、タンザライル王国の王女様と、その……お友達だなんて、烏滸がましいのではと……」
「全く気にしなくていいのだわ! だってここでは同じ婚約者候補なのだもの。だから力を抜いて話して欲しいのだわ、アリッシュ。何があったの?」
ラシュイル・サニア・タンザライル。
美しき人魚姫の問い掛けに、アリッシュ姫は一瞬だけ強張ったものの、すぐに真っ直ぐな視線と言葉を返した。
「お話しします、ラシュイル。そしてシトラ様」
◆
マーサの治療にあたっていたダイクは、バルトリスが姿を見せた瞬間に膝の力が抜けて座り込んでしまった。
突然のことにメリウェル、テリアが名を呼んだものの、バルトリスの目は厳しい。
「しっかりしなさい、ダイク・アンバード!」
「は、はいっ……、すみません医士長!」
「治療の報告を」
何かの破片は全部で六箇所も刺さったままで、これまでの時間に摘出できたのはまだ二つだけだ。
自分を情けないと責め立てたい気持ちに対し、ダイクは少し困惑していた。今までこんな風に激情を感じたことなど殆どなかったからだ。
いつもなら、自分では力不足だからと受け入れるだけだった筈なのに、どうしてこうも己を許せないのだろう。こんなにまで悔しいと思うのだろう。
他でもない自分の手で助けたいと思ってしまうのは、一体なぜなんだろう?
「メリウェルさん、テリアさん。お二人は処置を続けてください。魔法薬での治療の前にマーサお嬢さんの体内を調べます」
「それは呪いを懸念しているということですか?」
メリウェルが驚いた声を上げて、テリアに軽く突かれた。
それに頷き、バルトリスはダイクへ指示を出す。
「ダイクはそのまま摘出を続けるように。ミスを恐れるよりも先に手を動かしなさい」
「はい!」
その通りだと思った。
シトラと初めて出会った時のことを思い出す。
傷の縫合を彼女に委ねて逃げてしまった時のことを。
(俺はシトラ様の相棒だ、支えて貰ってばかりじゃなんの意味もない)
ああそうだ、そうだとも。
シトラは震えていても立っていた。励ましてくれた。
それに応えたい、それが今のダイクを突き動かす激情なのだ。
真っ白な顔のマーサを見る。彼女は身を挺して主人を守った。今のダイクとは比べ物にならない程、立派に役目を果たしている。まだ若い、少女とも呼べる子なのにだ。
これ以上無様を重ねるなと、震える指を叱咤した。
バルトリスの調べが終わる頃、ようやく五つ目の傷に取り掛かったダイクは、彼が不穏な雰囲気を纏うのを感じた。
しかし手を止めはしない。代わりにメリウェルが聞きたいことを聞いてくれたから。
「医士長様……まさか……」
「呪いというよりは魔力の残滓に近い程度ですが、悪意のこもった魔力が留まっています。払うには魔法士の力を借りなければなりません」
「……殿下にご報告をしなければ」
テリアの声に、しかしバルトリスは「いえ」と返した。
「報告はこちらにお任せください。ダイクの治療が終わり次第、私共はシトラ様と共に一度王城に戻ります。お二人は引き続きマーサお嬢さんとアリッシュ姫様、ラシュイル姫様の護衛をお願いします」
「あ、わ、わかりました!」
「かしこまりました。ではメリウェル、ここは任せます。私は二階の姫様を」
「はい!」
「ダイク、急がず焦らず続けるように」
「……はい……」
全く返事に気を回せずとも、ダイクは目の前の治療を優先した。それに満足そうに頷くバルトリスの姿を見たのは二人の侍女のみである。
お読みいただきありがとうございます。
とてもお世話になっている方から沢山のヒントを頂き、ようやくこの物語の全体を私なりに掴めてきました。
頑張って書いていきます! 楽しんでいただけたら嬉しいです!