16
「アリッシュ姫様!!」
ヒラリとドレスを揺らしながら駆け寄るシトラに、アリッシュ姫は半ばパニック状態で反応した。
「シトラ様! 私は大丈夫です、それよりもマーサが!」
そう、シトラが見たのはまさにそれだ。すぐに視線を移し、赤く染まった侍女のマーサが倒れているのを確認した。
「これはやむを得ません。ダイクさん、リオン殿下に」
「すぐに戻ります!」
ダイクを見送った後、シトラはマーサに駆け寄った。
侍女の制服はズタズタになり、じわじわと赤く染まっていっている。全身のあちこちから出血しているが、深いものはない。
しかしこんな風に一気に傷を受けるなんて普通じゃない。
原因は明らかに魔法による攻撃だ。
自分も怪我をした筈なのに、アリッシュ姫は涙を流しながら侍女のマーサを抱き起こした。
「マーサ、マーサ! しっかりして、お願いよマーサ!」
「っ、ひめ、さま……っ、ごぶじ、ですか……?」
「マーサ! 無事よ、貴女が……守ってくれた……! お願い、お願いよ、死なないで、お願い……」
ドレスが血に染まるのを意に介さず、アリッシュ姫はマーサを抱きしめる。
シトラは怒りや焦りで騒がしい脳内を必死に抑えながら、近くのテーブルのクロスを取って、マーサの身体を包もうとした。するとその意を汲みとったアリッシュ姫がシトラに手伝うと声をかけ、指示を受けながら必死にシーツで覆った。
何とかマーサを周囲の目から隠したところで、ダイクが全力で駆け戻ってくるのが見えた。なんと頼もしい。
「シトラ様! 衛兵がこちらに向かっております!」
「ダイクさん!」
衛兵が動いてくれたということは、やはり魔法が使われたのだろう。
平民から雇用された侍女の中には、こんなに効果的な魔法を行使できる者はいない。その才があれば男女問わずそちらの道に進むものだ。
だからと言って国内の令嬢がこのような事を命ずるとも考え難い。つまりは……王族を襲っていた者による犯行である可能性がある。
誰からこんな攻撃をされたのか。
それを聞こうにも、アリッシュ姫はパニック状態で話ができる様子ではない。被害者のマーサは意識が揺らいでいる。
治療最優先だと判断し、シトラは改めてダイクの名を呼んだ。
「ダイクさん、アリッシュ姫とマーサさんをホームに移動させます。衛兵の方に移動を……いや、先に医士長様に連絡を……ええと……魔法薬を……っ」
ああだめだ。自分も焦ってしまっている。
必死になって抑えようとするが、そうすればするほど思考が嫌な方へと飛び散って。思わず泣いてしまいそうになったシトラの肩に、トンと優しい手が置かれた。
覚えのある香りと気配に驚いて振り返る。
「落ち着いて、シトラ」
「ツァ、ラフ……!?」
蜂蜜のような甘くて優しい瞳が、シトラを見守っていた。
金の髪がトロリと風に揺られるのを見て思わず息を呑んだ。あまりにも美しく夢のような姫。
「この方を助けるのはシトラの役目。でも犯人を捕まえることと、必要なものを医務室に伝えるのは今の貴女の仕事ではないわ。ここには衛兵や医士の方がいらっしゃるのよ? その方に任せましょう、ね?」
「ツァラフ……うん、そうだわ」
数回に分けて何度も頷き、深呼吸をするシトラの様子を見て、ツァラフの表情がさらに甘い笑みになる。
「よかった、いつものシトラに戻れたみたいね」
小さな子供にそうするように頭を優しく撫でられて、シトラは幸福感を噛み締めるようにその手をしっかりと握った。
そしてパッと離すと同時に気持ちを切り替え、マーサとアリッシュ姫に琥珀の瞳を向ける。
「改めて、お二人をホームへお連れします。ダイクさん、衛兵の方二名にアリッシュ姫と私の護衛をお願いしたいです。移動は……」
しまった、考えていなかった。どうしたものかと言葉を詰まらせたそこに、ダイクの頼もしい声がかかる。
「シトラ様、殿下が近衛騎士と馬車を待機させております」
「えっ……!? い、いえ、ありがたいです。ならばダイクさんは医士長様の元へ向かって下さい。忙しくさせてしまってすみませんが」
「謝らないで下さい、シトラ様。ツァラフ姫様の言う通り、ここは俺……私達に任せて、まずは避難を。殿下からもそのように命を受けております。他の姫様たちのこともご心配なく。とにかく、身の安全を最優先に」
「ありがとうございます。でも侍女の皆さんは……」
「それは私に任せて。お願いの効果が活きる時が来たのよ」
ツァラフ姫の説得力があり過ぎる言葉がシトラの不安を甘く包んで溶かしてくれた。
その間にもリオン殿下が動いたという話を聞きつけた姫達が既に騒ぎ始めている。それを見て、シトラはすぐにマーサとアリッシュ姫に「行きましょう」と告げた。
マーサを抱きしめパニック状態のまま泣き続けるアリッシュ姫を励まし、絶対に助けると何度も伝えて説得する。そして彼女の代わりにマーサを背負って庭園の出入り口へと向かった。するとその途中でリオン殿下の護衛をしていた騎士がシトラ達を迎えに来てくれた。
意識が薄れているマーサを騎士に任せ、アリッシュ姫と支え合いながら馬車へ向かう。一刻も早くと焦る心を宥めてくれたのは、ツァラフ姫の微笑みと言葉だった。
◇
「メリウェルさん、すぐに温かいお湯を用意して下さい! テリアさんはアリッシュ姫様に着替えを。騎士様、ありがとうございました」
「シトラ様、我々はこのままホームの警備にあたります。何かございましたらご遠慮なくお声がけください」
「……助かります」
思わず目が熱くなり、ポロっと涙が一滴ずつ頬を伝う。騎士の二人がギョッとしたのが見えたがそれを隠すことはせず、シトラは髪飾りを解きながら二階へ向かった。
「ラシュイル!」
「シトラ! 無事でよかったわ……!」
フワリと腕を広げる人魚姫に迷わずシトラは駆け寄り……ギリギリで勢いを抑えて抱き着いた。
「ここは大丈夫だった? ツァラフがクロを?」
「ホームは大丈夫だわ、お祈りで護りも強くしたのだわ。クロは前々からツァラフとこういった事態に備えていたのだわ。その時シトラが治療に専念できるように」
ああ、と。胸中でシトラは言い表せぬ喜びを噛み締める。
出会いに恵まれた。シトラに出来ることを支えるように動いてくれる人々の存在に、これ以上なく勇気づけられた。
ならばそれに応えることこそが最大の謝儀であろう。
ぎゅうっと。最後にラシュイル姫を抱きしめて、シトラはパッと離れた。
「アリッシュ姫様をお願い。とてもショックを受けて混乱しているの。彼女も怪我をしているけれど、このままじゃきっとマーサの治療が終わるまで処置を受けてくれないわ」
「ええ、任されたわ。この部屋にお呼びして欲しいのだわ。事件の詳細についてはイソラの到着を待つわ」
「ありがとう、ラシュイル。お願いします」
心強い笑みに頷き、シトラはドレスを脱ぎ髪を括った。
予想通り、アリッシュ姫はまだパニックが治まりきっておらず、マーサから離れるのを嫌がった。
テリアが穏やかに彼女を宥め、マーサの傷を洗う為に湯浴みを行うからからと伝え、それとなく二階へ連れて行ってくれるのを見守る。
その姿が視界から消えると同時にパッと左右の髪を揺らし振り返る。マーサの服を丁寧に脱がせるメリウェルの元へ駆け寄った。
「メリウェルさん、出血の様子は」
「上半身に少なくとも十以上の切傷があり、そのうちの深い数箇所から確認できます。痛みで意識を失っておりますが、今のところは命に関わる量ではありません」
「この傷……てっきり風の魔法そのものの怪我だと思っていましたが、それにしては荒いですね。ガラスか何かの破片による傷に見えます」
テキパキと薬を選び、メリウェルと二人でマーサの体を温かいタオルで丁寧に拭いていく。あっという間に赤く染まったそれを籠に入れ、新しいタオルに替える。
ある程度傷の位置を確認できたところで傷口を保護する魔法薬、プロクトを塗り、浴室へ移動させようとした時。
ドアが叩かれ返事をすると、お世話になっている王城の使用人が静かに優雅に入ってきた。
「あっ、え……?」
「シトラ様。王妃殿下並びに王太子殿下の命により参じました。マーサお嬢様のお湯浴みは私達にお任せ下さい」
流石にギョッとして一瞬思考が止まった。
王妃殿下の名前が出るとは一切予想していなかった。
しかしありがたい援護に違いはないのだからと、すぐに深く礼をする。
「王妃殿下、リオン殿下のお心遣いに心からの感謝を申し上げます。どうかお力をお貸しください」
「「「かしこまりました」」」
言い終えるや否やマーサを数人でシーツに乗せ、担架のように運んで行くのを見送る。本当に何でも出来るのだなと少し呆然とした。
けれどすぐに思考を切り替え、メリウェルと共に薬や道具の用意をする。念の為に縫合の用意もと消毒作業をしているうちに、湯浴みを終えたマーサが処置室へと運ばれてきた。
「シトラ様、私達はこれから王城より提供されたベッドの設置を行います。この処置室に二つ、二階にもう一つ。一つ目のベッドがご用意できましたら、マーサお嬢様をそちらに移しても構いませんか?」
「は、はい! お願いします!」
ありがたすぎるサポートに大声が出そうになったが何とか抑え、シトラはメリウェルと共に魔法薬の上から傷を確かめる作業に移った。
傷の確認を終えたシトラは軽い傷の処置はメリウェルに任せ、自身は深い傷を引き受けた。何度も慎重に確認しながら、丁寧に処置をしていく。
上半身に集中している切傷だが、マーサの背が高かったおかげか顔には傷が見当たらない。首筋からの出血は一見派手だったが傷そのものは深刻ではないようで、それに少しだけ安堵した。
アリッシュ姫の時とはまた違う薬を塗り、ガーゼで覆う。
「体を庇うのが間に合わなかったようですね」
「何かが破れる音がして、その直後の事だったから私は目撃できませんでした。文字通り身を挺してアリッシュ姫を守ったのでしょう」
「シトラ様! 右脇の傷が」
すぐに確認すると、出血が少ないのが信じられない深い傷がある。まだ刺さった何かが残っているのだろう。
これはやばい。シトラは歯を食いしばってその傷を見つめた。
「……摘出には医士の資格が必要です。傷の保護をし、そのままの状態を保ってください。他の箇所も同じように」
「はい」
メリウェルの顔色が悪いのも当然だろう。想像を絶する痛みとなり意識を刈り取った傷だ。
シトラにはどうすることもできない。
それが悔しくて仕方がない。
涙が溢れそうなのを必死に堪えて、丁寧に処置をすることが、シトラのやるべき事だった。
あけましておめでとうございます。
2022年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
本編が不穏になってきましたが、ここからが本番だと思えばゼロに、は無理でした。
姫達も動き始めますので、華やかさは増すかもしれません。頑張ります!