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婚約者候補の薬士見習い  作者: アカラ瑳
17/25

15



 戸惑うナタリー姫を流しながら、シトラはフワリと広がる彼女のドレスの袖を捲った。もちろん肌を見せぬようダイクは後ろを向いているし、シトラ自身が視線の盾になっている。

 そうして現れた白皙の肌には、引っ掻き傷の線が数本伸びていた。

「やっぱり、適切な処置がなされなかったのですね」

「い、いえ……」

 あの時はチラリとしか見えていなかったが、血が出ていた気がしていた。そうナタリー姫に告げながら、シトラはドレスの上着から美しい装飾の小瓶を取り出す。

 そして近くのテーブルでハンカチを濡らし、傷をサッと拭き、小瓶の中のトロリとした液体をそこに塗った。途端、ナタリー姫は小さく声を上げた。

「きゃあっ!? 一体何を……!?」

「ご安心ください、ヒールの魔法薬です。少し沁みるでしょうが一時的なものですのでご安心ください」

「ま、魔法薬なんて、なんで持って……」


「貴女にお会いできると思ったからです。あの時からずっと気になっておりました。この国と周辺諸国の令嬢は皆、身体に傷を残す事を深刻にお考えのようでしたので」


 ナタリー姫がシトラの言葉に絶句しているうちに、テキパキと肌をガーゼで覆って袖をなおす。

 ダイクを振り向かせたシトラは、改めてナタリー姫に真っ直ぐ向き合った後に堂々と微笑んだ。

「改めまして、ご用件を確認させていただきます。ナタリー姫様」

「あ……は、はい」

「貴女はアレ……アレなんとか……」

「アレイシア様です、シトラ様」

「アレイシア様に唆されて私を陥れようとした。そしてそれをこうして直接謝罪し、許しを得ようとしているのですね」

 ダイクからの助けで若干周りの空気が変な方向に行ってしまったが、シトラは姿勢を崩す事なくナタリー姫を見る。

 彼女はおずおずと頷いた後、再び頭を下げようとしたが、それをシトラが制した。

「先の多少強引な治療を以って、貴女様の私に対する罪を相殺させていただきます。貴女はどのような経緯があるにしろ、大切な肌に傷を受けました。つまりはナタリー姫様、貴女は加害者であり被害者でもあるのです。ですがそれはあくまで私個人から見た現状に過ぎません」

 半ば呆然とこちら見つめるナタリー姫に、シトラは毅然とした声のまま告げる。

「ナタリー姫様。貴女が真に謝罪すべきお相手は私ではありません。あの日、あの騒ぎで、忌むべき傷を負った全ての姫様にこそ、貴女の謝罪が必要でしょう。この国の姫として婚約者候補に名を挙げている以上、外国との関係を良好に保つのは貴女様の義務です」

「ぎ、む……」

「それを成し得るから、貴女はここにいるのではないのですか? ナタリー姫様」

 声の先端まで固い意思を張り巡らしたシトラの言葉は、想像以上に効果的だった。

 ナタリー姫はその場に座り込み、悔やむように処置を受けた腕を押さえ、小さく声を振るわせて。


「シトラ様、どうか、私の傷も癒してください……」


 それは懇願だった。

 周囲で何かを囁く役目だったらしい姫は、唯々顔を見合わせながらオロオロとしている。

 それを視界の外に追いやり、シトラは迷わずナタリー姫に手を差し出した。

「はい。もう大丈夫ですよ、ナタリー姫様」

 優しい微笑みと言葉に、ついにナタリー姫は目論みをどこかへ投げ捨てた。今後、彼女はシトラにとって被害者の患者として扱われる事となる。

 ふと気がつくと、彼女についていた侍女が姿を消していた。


 ◇


 お茶会は一応、全員分のテーブルと席が用意されているが、立食形式なのもあって殆どの姫は立ち話に興じている。

 その中で未だわいわいと騒がしくしているのは、勿論リオン殿下と彼を射止めんと欲す姫達だ。


「ダイクさん、何か動きはありましたか?」

「今のところは特に何も……ただ、数人程帰られた侍女がいるようです。でもそれよりシトラ様、大丈夫なんですか? ナタリー様をあちらのテーブルに行かせて……」

「私と同じテーブルにいる方がきっと良くありません。あの事件で怪我をなさった姫様方がナタリー姫様を受け入れるには、まだ色々と足りていないでしょうから」


 それでも。

 シトラの手を取ったナタリー姫は、一人でポツンと座っていても穏やかに見える。胡桃色の柔らかな髪を細やかに揺らし、赤と桃色のレースをクリーム色のドレスの上で踊らせて、綺麗な姿勢でカップを傾ける姿は……いやはや、姫と呼ばれるに相応しい。

 そしてそんな彼女の元に、若い侍女が恐る恐る近づき……何か言葉を交わした後、ポットからおかわりを注ぐのが見えた。

 それを見てようやく、ダイクはシトラがなぜ敢えてナタリー姫を孤立させたのか理解した。思わずシトラを見ると、そこには柔らかな微笑みを浮かべる宝石のような姫がいて。

「……行きましょう。流石に挨拶もなしに帰るような無礼はできません。ダイクさんも気を引き締めて下さい」

「うっ……わ、わかりました……頑張れ俺……」

 情けない鼓舞に、今度は弾けるような笑いがキラキラと飛び散ってきた。なんともまあ、輝かしい姫である。


 ダイクを背後に控えさせ、ズンズンとリオン殿下の下へと歩くうちに、シトラにも姫達の華やいだ会話が聞こえてきた。

「殿下と微笑みを交わした瞬間、私は運命を感じましたの」

「あの時のお言葉を覚えていらっしゃいますか?」

「わたくし、ずっと殿下をお慕いして……」

 告白パーティー、いやもしくは口説き言葉選手権だろうか。

 なんとも言えない表情でシトラは夢心地の花畑を若干強引に進み、なんとかリオン殿下の前へと辿り着いた。ちょっと息が切れた。体力はある方だと自負していたシトラだが、少々それを見直すべきなようだ。

 しかしコレでも、シトラは王女である。

「ご機嫌よう、リオン殿下。こうしてお会いできて光栄です」

 スイッチが切り替わったかの如く見事な礼を見せるシトラに、否が応でも周りの視線が突き刺さった。背後ではダイクが白目を剥きかけている。

「公式に会うのはこれが初めてだな、シトラ王女。私も貴女と挨拶ができて嬉しく思う。今後ともよろしく頼む」

「ええ、こちらこそよろしくお願い申し上げます。では私はこれにて。またお会いできる機会を楽しみに……」


「殿下! このような失礼な方に、なぜ何も申し上げないのですか!?」


 キーンと、空気を引き裂くような荒々しい高音。好奇の目を向け見守っていた姫達が、揃って口元を隠しつつ眉を顰めた。

 その音の方へと振り向いたシトラは、見覚えのない顔にキョトンと幼い顔をした。

「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「わたくしの事を知らないと!? なんて無礼な! そのような無知が許されるとでも思っていらっしゃいますの!?」

 無知ときたか。リオン殿下からクロの目線を感じ、シトラはさり気なく目を逸らした。

 その間にも姫はヒートアップして、たっぷりの金髪を揺らしながら面積の少ないドレスから……こう、どれとは言い難いものを大胆に見せつけている。寒くないのだろうか。いや、この国はいつも丁度いい温かさなのだけど、こう、外でその格好は……寒くないのだろうか?


「ちょっと、聞いていらっしゃいますの!?」

「あ、ええっと……それで結局、どちら様でしょうか?」

「なっ……」


「ブッフォ」

「ぶふっ」

「プッ」

「ゲッホゲホ」

 狙ってはいなかったのだが、状況を見ていた人々が一斉に吹き出した。シトラが別のことに気を取られていたが故の悲劇である。

 寒そうな姫はプルプルと震えながら顔を真っ赤にし、先程と同じ声音でシトラに怒鳴ってきた。

「わたくしはイアンナ・メルトラージですわ! この国の中枢を担う侯爵家に名を連ねるメルトラージ侯爵の長女ですのよ!」

「あー……覚えました。では、私も正式にご挨拶をさせていただきます。殿下、御前で失礼致します」

「お気になさらず、存分に」

 楽しげなリオン殿下の言葉に頷き、シトラは背筋を伸ばし凛とイアンナ姫を見据えた。


「初めまして、イアンナ姫様。私はレリン王国の第一王女にしてユリア国の薬士見習い、シトラ・リン・レリンスです。この国の主要たる御家の御令嬢とご挨拶できて光栄ですわ。以後、お見知り置きを」


 頭は下げず、軽く膝を曲げ姿勢を落とす。それだけの仕種にも関わらず……いや、それだけの動きだからこそ、シトラの纏う空気がどこまでも張り、煌めいているのかがわかった。

 イアンナ姫のみならず、この場に居合わせた者皆の注目を一気に引き受けながら、シトラは一歩前に出る。

「失礼な、との事でしたわね。具体的に何が失礼に当たるのか、お教え頂けますか? イアンナ姫様。私が連れている医士の方が問題ですか? それとも貴女様のお名前や容姿を予め調べなかったことですか? もしや……リオン殿下の名を、王族でない身でありながら口にした……そうお咎めをなさろうとしておられたのでしょうか?」

「ヒッ……」

 引き攣ったような声をあげ、身を引くイアンナ姫を、しかしシトラは追うことはしなかった。代わりによくできた愛想笑いを浮かべながら軽く口元を押さえて。

「そのご様子では、どうやら誤解だったようですわね。これも何かのご縁でしょうし、不調がございましたら医務室までお越しください」

「は、はい」

「では、これにて。皆様、お騒がせして申し訳ございませんでした。リオン殿下、失礼します」

「ええ。私も少し下がるとしましょう。交流の邪魔をするのは本意ではありませんので」

 流石のアシスト。周囲の姫達は皆リオン殿下を引き止める方へ意識が完全に移った。これで今はイアンナ姫に何かしらの非難が来ることはないだろう。

 シトラは気絶しそうな顔色のダイクと共に、軽やかに花畑から脱出した。


 ◇


「死ぬかと思いました」

「そうですね、殿下まで吹き出すとは思いもよりませんでしたから……私も少し肝が冷えました」

「いやそこじゃ……いえまあそれもですけど」

「アレなんたら様は動きませんでしたね」

「侯爵家同士の衝突を、流石に殿下の前で起こすわけにはいかなかったのでしょう」

 ダイクの言葉に同意を示しつつ、シトラはさり気なく会場の広々とした庭園をグルリと見回した。

 美しい薔薇と、ユリア国の象徴たる白銀の花が咲き誇る、王城の五つの庭園の一つ、東の庭(イストエデン)。参加している姫の人数は、欠席した姫三名を除いた六十二名。

 ユリア国の令嬢はそのうちの二十五人。とてもじゃないが、シトラには追いきれない。

「ダイクさん、ナタリー姫様についていた侍女はどこに行きましたか?」

「アレイシア様の方へ向かいました。数人の侍女と何やら話し合っていたようです」

「話し合い……?」

 確かにこの場では、女性が集まって話すのは不自然と思われない。だがあまりにも堂々とし過ぎなのではないだろうか。

 そう訝しく思い、さり気なくリオン殿下に視線を向けたその時だった。


 ガシャン!


「きゃああぁぁあ!!」


 何かが割れる音、そして直後に叫び声が聞こえてきた。

 ハッとそちらを見ると、テーブルに倒れ込む姫の姿があり……その背後を確認した瞬間、シトラは迷わずドレスをたくし上げて走り出した。



お茶会はまだまだ続きます。

仕事場面を書くより先に展開を早めてしまって、働くシトラを書けず……やってしまいました。

王城のお庭にある白銀の花は、カトレアをファンタジーな色にしたものをイメージしております。

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