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婚約者候補の薬士見習い  作者: アカラ瑳
13/25

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 あの騒動から数日が過ぎた朝。


 目を覚ましたシトラは、大慌てで飛び起きた。赤い髪がぴょんぴょんと跳ねているのを手で触って確認し、ベッドを出る。太陽がもう見えてしまっていた。


「おはよう、シトラ」

「おはようツァラフ! 私、寝坊しちゃった!?」

「おはようなのだわシトラ。大丈夫、まだ朝の七時ごろだわ」

「おはようラシュイル、すぐ朝食を作るから!」


 シトラの影響ですっかり早起きが得意になった友人の姫達。二人に見送られながら一階に駆け下りると、シトラはもうすっかり見慣れたプロの侍女に捕まった。無心で洗われ、着替えをし、ありがとうございましたと去っていく彼女達に頭を下げる。

『衛生』という概念を意識するようになってから、シトラは大人しく世話を受け入れるようになった。

 髪を結い上げ、三人分の朝食を作りながら薬を確認していく。バルトリスから教わったカルテという情報整理により、シトラの負担は半減した。患者ごとに記録をまとめるというのはシトラにとって実に画期的な方法だった。今まで知らなかったのがちょっと恥ずかしかったけども。


 三人で談笑しつつ朝食を食べる間、シトラは二人の様子をよく確認する。

 ツァラフ姫はヒューリック薬の副作用で熱が続いているが、火傷の痛みはかなりおさまっている。食欲もしっかりあるし、ホームの中でなら無理をせず動けるようになってきた。ここ数日は何やら手紙や資料のやり取りで充実した時間を過ごせているようである。

 ラシュイル姫は絶対安静だ。食事もサンドイッチ等、食器がなくても食べやすいものにし、トイレなどには必ずシトラの助手が同行する。バルトリス医士長による手術については彼女自身がタンザライル王国に許可を願ったこともあり、先日よろしく頼むとの返事を得られた。明日にでも手術を行う予定だと伝えられた時、シトラは嬉しさと安堵で泣きそうになった。


 シトラの魔法薬作りには、新たに二つの課題が加わった。

 体の筋肉を意図的に刺激して、衰えるのを遅らせるリンホス薬。

 体内の調子を整えるシュリアテトラ薬。

 どちらもラシュイルのための魔法薬だ。

 シトラは案外本番に強いタイプのようで、今のところどれも失敗していない。

 ヒューリック薬に至っては効果が徐々に上がっているらしい。クロは鑑定結果にお世辞を混ぜるようなことはしないから、シトラも安心してそれが自分の腕の上達なのだと受け入れられた。

 朝食の席では三人でお互いの国のことを話すようになった。特にシトラの国は、二人の姫の好奇心を大いに刺激したらしい。シトラはこの婚約者選定が終わったら、兄に頼んで正式に招待したいと考えている。


 今日は離宮への往診の時間を考慮し、シトラは治療が終わっていない侍女の診察を午前中に済ませることにした。人数は多いがそこまで大した怪我ではないので、二、三時間で捌ける。クロには何かしら用事があるらしく、今朝早く置き手紙を残してホームを出たようだ。

 そしてその日の診察中、シトラは傷ついた働き者の手を大切に診ながら、侍女達が独自に動き出した事を聞いた。どうやら現在イソラには何者かによる監視の目が張り付いているらしく、思うように動けないでいるのだとか。彼女の代わりに何かしたいとこぼす侍女達は、何というか頼もしくて仕方ない。身体中から生命力や心の強さが発せられているのだ。

 シトラにできるのは、こうして治療して、話を聞いて、励ますだけ。けれど今のシトラには心強い味方がいる。その助けを得るために、出来る限りの情報を集めておきたい。


「では、離宮内の調査が進まないのは、件の姫が離宮の最上階を占領しているからなのですか?」

「はい。私共の手はいらない、高貴なるお方には高貴なる侍女が相応しいのだ、なーんて言われました」

「高貴っていうのは、随分と乱暴で礼儀知らずな人達の事なのかもしれないですね。あれ、じゃあ私って言葉の意味を間違えて覚えてしまったんですか?」

「あははっ! もう、笑わせないでくださいよ〜」

「ふふっ、元気で何よりです! よし、これで大丈夫。ヒール薬を塗ったので、明後日には綺麗に治ります。それまでの間は水仕事に気をつけてくださいね」

「わかりました、ありがとうございますシトラ様!」

「こちらこそ、離宮の話を聞かせていただきありがとうございました」

「また何かあったらすぐにお伝えしますね!」


 シトラは気をつけてね、と言葉を重ねて次の人を呼ぶ。

 彼女達の怪我は、些細だが陰湿な罠によるものばかりだった。戸棚の持ち手部分に刃が仕込まれていたり、足もとにピアノ線が張られていたり、食器が茹でられたように熱くされていたり、ガラスの破片を撒き散らされていたり。

 一つ一つの怪我は大したことがないままで済んだが、あまりにも怪我人が多い。侍女達が見えない敵と戦うために団結するのはあっという間だった。

 そして助手としてホームに来てくれた侍女は、おそらくシトラの護衛も兼ねている。これでもシトラは王女、それくらいは一目でわかった。

 この城で唯一姫達を遠慮なく治療できるシトラと、そのための施設であるホームの重要性も理解できる。

 本当に自分は無力だ。至れり尽くせりなこの安全地帯で怪我人を迎え入れるだけだなんて、歯痒いし悔しい。


 けれどそれも明日から変わるだろう。

 そう、いよいよ見習い期間が始まるのだ。


 シトラは自信こそないものの緊張はしていなかった。

 バルトリス医士長による簡単な講義や、用意された参考書を元に勉強をしてきたのだ。あとは応える為に全力を尽くすのみ。

 心配事があるとすれば、筆記試験中はシトラの手が塞がってしまうということ。処置はともかく、診察は王城の医務室に任せなければならない。いや世間一般から見ればそれが普通なのだが、生憎ここは普通じゃないのだ。

 現在シトラは、バルトリス医士長による特別な承認の下治療を行なっている。本来ならば、診察はバルトリスをはじめとする正式な資格を持つ者にしかできないのだ。シトラの診察はそういった不安定な状況が背景にある。

 それもまたシトラが悩む原因でもあった。助けになりたいと思っても、それを誰かに助けられなければならないなんて情けない。本当に悔しい。

 だから一刻も早く、正式な薬士の資格をとりたいのだ。バルトリス医士長からは医士の資格も一緒に取らないかと何度かお誘いをいただいているが、まずは薬士だとシトラは返事を保留にしている。医士資格も将来的には取る気だが、両方を一気にとなると時間がかかってしまうから仕方ない。

 最後の侍女を見送って、シトラはギュッとまとめていた髪を解いて結び直した。赤くて長い髪は、ツインテールが一番しっくりくる。診察の時は邪魔になるといけないので、適当にグルグル巻にまとめているが、休憩する時はこちらの方が気楽だ。

 ふう、と息をついたその目の前にコトリと優しい香りのハーブティーが置かれて、シトラはそちらを見上げた。

 亜麻色の髪の女性がシトラに微笑みかける。その後ろでメガネがよく似合う少女が薬を運んでいるのも見えた。


「お疲れ様でした、シトラ様。午前の患者様は無事に離宮に帰られましたよ」

「お見送りをしていただきありがとうございます、テリアさん。メリウェルさんもお疲れ様でした」

「お疲れ様ですシトラ様! すぐに昼食をご用意しますね」

「あっ、はい! よろしくお願いします、メリウェルさん」

「少し時間が空きましたし、掃除も私にお任せください」

「はい、ありがとうございます」


 イソラの指示で派遣されたシトラの助手であるメリウェルとテリアは侍女も兼任しているため、シトラと姫二人の生活をも支えてくれている。ありがたいと思うのだが、何でも自分でこなしてきたシトラは中々慣れないことだった。

 しかしそれをツァラフ姫とラシュイル姫に相談したところ「勉強のために時間を作ってくれているのだろうから、その好意には甘えるべき」とのお言葉を頂いた。だからシトラは二人に仕事を任せて、離宮に行くための荷物を整えつつ薬室に入り参考書と向き合った。

 クロが備え付けてくれた薬棚は素晴らしく便利だ。瓶を探さなければならなかった手間が減り、調合が簡単に行えるようになった。これを考えて作った人は天才だと思う。

 だがこうした様々な助けの上にあぐらをかく気は更々ない。それを示すために、今はただ精一杯やれる事をやるのみである。



   ◇◆◇



 特別選抜試験は、最終的には面接の形で行われる合格が約束された資格取得試験だ。

 面接までの期間中は見習いとして働きながら、公式の筆記試験での評価、実技試験に代わる実績の評価を得なければならない。

 審査はバルトリス医士長に任せてもいいと言われたが、甘えてしまって評価が下がるのは避けたい。なのでシトラは薬士・医士の総本山である薬医管理財団の試験官に審査を任せることにした。

 薬士と医士の違いは基本あまりない。異なるのはそれぞれが保有するオプション的な権利のみ。

 薬士は薬品の研究・開発が認められており、その保管も全て自らの手で行うことが可能だ。

 そして医士は手術を認可されている。特に注射や魔法を使った処置をするには医士の資格が必須。

 バルトリス医士長はどちらも持っている。なんでも王城の医務室の人々は、最終的に両方の資格取得をしなければならないのだそう。その関係でジークとダイクも丁度薬士の資格を取ろうとしているらしく、仲間がいると頼もしく感じていた。やはり自信はないけれど。


 昼食を食べながら、シトラはそんな胸の内をホームの友人達に伝えた。


「なんだか心配になってきて……」

「あら、シトラっていつも大胆なのに、こういう試験には繊細になるのね」


 ツァラフ姫が小さく笑った。

 毎度毎度わかっていてもそれに見惚れてしまいそうになるので、最近のシトラはもう開き直ろうかと思っていたりする。

 けれどギリギリでそれを引き止めるように、ラシュイル姫が可憐に声を弾ませた。


「メリウェルを見習うのだわ。初日はお鍋が真っ黒になっていたのにめげずに挑戦し続けて、今ではこんなに美味しいサンドウィッチが作れているのだわ」

「ら、ラシュイル様、どうかアレはお忘れください〜!」

「とっても前衛的なお料理だったのだわ〜」

「本当にそうでしたねぇ。慌てて駆けつけたら、眼鏡が真っ黒で前が見えないなんて言うものだから可笑しくて……うふふっ」

「テリアも忘れて!」


 メリウェルはまだ十七歳とシトラより若いが、侍女よりも医士の方が向いていると皆に言われている。料理はマシになったが、未だに薬棚の掃除をテリアに禁止されている程に家事が不得手だ。しかし治療となるととんでもない器用さでなんでもするする呑みこみ実践できてしまう。シトラは落ち着いたら医士にならないかと彼女を誘うつもりだったりする。

 テリアは二十五歳の、離宮ではなく王城に勤める侍女だ。経験豊富なのもあってなんでも卒なくこなすが、掃除をするのが好きだといつも掃除係を請け負ってくれる。おかげで一階のみならず、三人の姫が集う二階の部屋までいつもピカピカだ。資料や文献の山を見ても文句を言うどころか目を輝かせて整えてしまうのだから、最早シトラの助手は天職と言えよう。

 ちなみに『衛生』という概念をシトラに与えたのは、他でもないテリアだったりする。


 けれどこうして一緒に食事ができるのは、しばらくの間夜だけになってしまう。シトラは見習いとして王城と離宮を往復することになるからだ。泊まり込む日など、ホームに帰って来られなくなる時もあるだろう。

 それを皆わかっているからか、その日はいつもより話が弾んで楽しい昼食となった。


「そろそろ往診に行く時間だわ。メリウェルさん、ラシュイルの事をよろしくお願いします。あ、ツァラフも無理に動くのは禁止だからね!」

「もう、シトラったら心配しすぎよ」

「いいえツァラフ、私もシトラに賛成だわ。今日はちょっと疲れてるみたいで心配だわ」

「言われてみれば顔色が良くありませんね、ご気分はいかがでしょうか?」


 メリウェルが眼鏡をクイっと持ち上げながらツァラフ姫の顔を覗く。つられてテリアも視線を向けて、心配そうに声を掛けた。


「ツァラフ様、お加減が悪いのでは……」

 観念したように、ツァラフ姫が苦笑した。

「……貴女達には隠し事が出来ないわね。ごめんなさい、本当は少し根を詰めていたの」

「では本日はお休みの日にしましょう、ツァラフ様。私がお手伝い致します」

「お願いします、テリアさん。何かあったらすぐに呼んでください。じゃあ、行ってきます!」

「いってらっしゃいなのだわ〜」

「いってらっしゃいシトラ」

「いってらっしゃいませ!」

「いってらっしゃいませ、シトラ様」


 実に華やかな声に見送られ、シトラは威勢よくホームを出た。丁度やって来た牛車に鞄を乗せて座ると、スッと黒い影が現れてシトラの隣に腰を下ろす。これももう慣れたものだ。

 シトラが提案……もとい、想像した牛車での送迎は、クロによって改良された。驚くことに現在この荷車を引いている牛はクロの使い魔だ。秘密ごとを話してもいいように、また事故等が起こらないように、それなりの対策を考えた結果こうなったのだそう。

 魔法士の事をあまり知らないシトラではあるが、こんなに便利な魔法を見せられては、クロが如何に優秀かを認めざるを得ない。


「こんにちは、クロ。用事はもう終わりましたか?」

「ええ、片付きました。先にお伝えしておきますが、近々王家主催の茶会が開催されます。その際に王子自らが婚約者候補の姫と直接挨拶をするのだとか。具体的な段取りは後ほど発表される予定です」

「……こんな時に、なんですね。あれから確かに姫様の多くが回復し、日常生活に支障がないようになりました。でも、少なくとも三人の候補者が欠席しなくてはならない事に変わりはありません。それは不公平なのでは?」

「しかしこのまま事態が動くのを待つよりはマシです。サッサと王妃を決めてしまう方が、離宮の姫達の為だとは思いませんか?」

「それは……そう、ですね」


 言葉に詰まってしまったのは、シトラの胸に言いようのない寂しさが生まれたからだった。

 ここで起こった事は今でも許せないし悔しい。けれどここで出会った人達は、シトラにとってかけがえのない存在になりつつある。ツァラフ姫、ラシュイル姫、イソラ、バルトリス医士長、侍女の皆、それにクロも。

 過ごした時間は短くても、シトラには大切な思い出ばかり。選定が終わればもう気軽に会うことは出来なくなる。それが寂しかった。

 でもこんなのはただの幼い我儘でしかない。離宮の姫達を守るためには、早く選定を終わらせることが何より重要だ。

 いろんな思いを飲み込んで、シトラは改めてクロに頷いた。


「薬士見習いとしても、婚約者候補シトラとしても、精一杯サポートさせていただきます」

「そう言っていただけると心強い」

 楽しげに口端を上げるクロに、シトラは同じく笑みを返した。


 お久しぶりです、皆様お元気でしょうか?

 お読みいただきありがとうございます。

 段々と忙しさが激しくなり、色々している間にどんどん時間が過ぎていってしまいます。こちらも書き進めてはいるのですが、投稿するタイミングがいつも掴めず……今回は背中を押していただけたのでありがたい限りです!

 次にお会いするのはいつか分かりませんが、それまで元気にお過ごしできるようお祈りしております。

 それでは失礼致します!ノシ


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