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「本当に、厄介な事になってしまったみたいね」
報告書に目を通したツァラフは、美しい顔をくしゃりと歪ませた。それを見ていたシトラもそっと俯く。
被害者の人数はこの際事故として誤魔化すことは可能だが、その根本にアレなんたら姫となんとか姫が絡んでいるというのが最低な状況らしい。
ラシュイル姫は無事に新しいベッドへ移り、なんとか意識が戻ったのだが、痛みのせいかショックのせいか若干自失してしまっていた。
彼女の世話をしていた侍女が心苦しそうに報告するのを、シトラはただ静かに聞いていた。そして出来る限りの労いをし、夜は私に任せてと一回の奥に用意したソファでの睡眠を促した。本当はシトラのベッドを使って欲しいと言ったのだが、真顔で断られては強くでられなかった。
もう夜も遅いのに、ツァラフは待っていてくれた。それにホッとしてしまったのを少し情けなく思いつつも、気を取り直すようにシトラは顔を上げた。
「ラシュイル姫様はどうだった?」
「一度目を覚ましたのだけど、すぐに寝てしまったわ。ずーっとボーっとしていて、心配だったのだけど……」
「それは薬の効果だから大丈夫。痛みを和らげる為に、眠気を増幅させているの。明日は流石に起きていただかなきゃいけないけれど、躊躇っていられないもの」
「シトラはそういうところで迷わないのがいいわよね」
「えっ、そ、そう?」
「少なくとも、私にはそう見えるわ。……ねえシトラ、離宮に行くの、危ないんじゃない? もし貴女にまた何かあったらと、そう考えてしまって」
「ツァラフ……」
蜂蜜のような姫が、憂い顔でトロリと髪をシーツにこぼす。シトラは思わずウットリと魅入ってしまったが、ハッとして慌てて大丈夫だからと大きく宣言した。
「同じ失敗はしないし、何より私は出来る限り離宮にいるべきだもの。また何か起こった時のために」
「……そう言われると思っていたわ。あの離宮で、また何かが起こるのは明白だものね」
「ツァラフもやっぱりそう思う?」
「ええ、間違いないわ。隣国の私、向かいの国のラシュイル姫様、そうくればもう一つの隣国から来た姫もターゲットになる可能性が高いもの」
「でも動機がわからない以上、先回りはできない。それが一番の問題よね」
「ええ、その通りです」
スッと姿を現したクロに、シトラとツァラフ姫は一瞬驚いたものの、すぐに話を戻した。
「やはり、でん……クロ様も、情報収集にご苦労なさっているのですね」
「ええ。捕らえた二人の姫、アレイシア・ウォリゴートとナタリー・カン=シュトラは、今回の事件への関与は一切否定しています。シトラ様を疑ったのはただの誤解で、衛兵が破落戸にすり替わっていた事も悪い偶然によるものだったと証言しているそうですよ」
「許せないわ……もう、本当にイライラしてきちゃう!」
報告書を置いているベッドテーブルに、ツァラフ姫が拳を叩きつけた。シトラが慌ててダメよとその手を握ると、蕩けてしまいそうな蜂蜜の瞳が、ゆらゆらと揺れているのが見える。
彼女はシトラのために怒っているのだ。それくらいわかる。だから止めるのはシトラの役目。
「ツァラフ、手を怪我しちゃうかもしれないから、ね?」
「もう、シトラったら」
剥れた顔をして、ツァラフ姫はそっと目元を拭う。
そしてクロへと視線を戻した。
「私を狙った姫も合わせて、これまで騒ぎを起こした者全員がこの国の姫だったのは確かなのですね」
「はい。それも揃って爵位の高い家のご令嬢ときたものです。……これ以上隠す事はできないようですね」
「スーザン・オルコット公爵令嬢のお話、お聞かせいただけるという事ですか」
ツァラフ姫の言葉に、クロはゆっくり頷いた。
それを見たシトラはそっとラシュイル姫の元に歩み寄り、そっと左の肩を叩いた。パチリとエメラルドの様な美しい瞳が姿をあらわし、シトラを見てそっと苦笑する。
「貴女には誤魔化しが効かないみたいだわ」
「お辛いでしょうが、どうかお話を。貴女にも深く関係する事態ですので」
「ええ、もちろんだわ」
快い返事と共に微笑むラシュイル姫は、赤みの強いストロベリーブロンドの髪も相まって、御伽噺の人魚の様に美しい。
負担がかからぬよう支え、クッションを重ねて上半身を持ち上げる。ツァラフ姫とクロは黙って待っていた。
準備が整ったラシュイル姫は、シトラをチラリと見上げてから、恥ずかしそうにしつつもはっきりと話し出す。
「お二人と、あの優しい侍女には悪いことをしてしまったのだわ。でもまた裏切られたらと思うと、中々言い出せなくなってしまったのだわ。申し訳ございませんでしたわ」
「お気になさらないで、ラシュイル王女殿下」
「まあ、そんな呼び方は嫌だわ。どうかラシュイルと呼んで欲しいのだわ。私もあなた方をシトラ、ツァラフ、クロと呼ばせて欲しいのだもの。敬語もなしじゃダメかしら?」
はにかむラシュイル姫に、シトラは思わずウッときめいてしまった。そしてもちろんと言うべく何度もコクコクと頷いた。
驚いた様だったツァラフ姫も柔らかな笑顔を見せた。クロは戸惑っていたが、すぐさま優雅にお辞儀をする。
「嬉しいお言葉ありがとう、ラシュイル」
「光栄でございます」
「私も嬉しいのだわ! そしてお願い、どうか私にもスーザン様のお話を聞かせて欲しいのだわ」
「勿論です、ラシュイル様」
大袈裟な動きで礼をし、クロは前に進み出た。
「スーザン・オルコット様はリオン王子が十二歳になられた時に正式な婚約者となられました。彼女が成人を迎えるのを待ち、リオン王子の王位継承と同時に婚姻をする予定だったのです。しかし彼女が成人し、デビュタントを終えたその晩、彼女の乗った馬車が土砂崩れに遭い、大破。スーザン様は全治十ヶ月の傷を負われ、現在は王城内にて療養中です」
「……土砂、崩れ? クロ、貴方は今土砂崩れと言ったの?」
「はい、シトラ様」
「そんなのおかしいじゃない!」
我慢できず立ち上がったシトラを、ラシュイル姫が眉尻を下げて見上げる。ツァラフ姫は俯いて目を逸らし、クロはそうですね、と静かに同意した。
「ユリアスタード王国の気候は温帯、気温と降水量はほぼ一定している。どうしてその日、その時、奇跡的な確率でしか起こり得ない大雨が降ったの? そしてなんでそんな日にデビュタントが行われたの!?」
「シトラ、落ち着くのだわ。それはこの場にいる全員がわかっている事だわ」
「それは……そう、だけど」
「ラシュイルの言う通りよ。事件の詳細を知ったのは今だけど、ベレッカ王国はスーザン様の婚約解消が仕組まれたものだとわかっていたわ」
「タンザライル王国も同じだわ。私はわかっていてここにきたのだわ」
「だって! だって、それじゃあ、ツァラフとラシュイルは、こんな思いをするために来たって事じゃない! そんなの酷すぎる!」
ツァラフ姫とラシュイル姫はシトラの叫びに目を見開いた。シトラは堪えきれずポロポロと涙を流し床に蹲る。動けないラシュイルは心配そうにシトラの名を呼び、ツァラフはふらつく体を気にせずベッドを下り、シトラの元へ駆け寄った。
よしよし、とあやすような声で抱きしめられ、シトラはツァラフ姫にしがみつく。悔しくてたまらないと、普段の彼女からかけ離れた弱々しい言葉が再び、今度はクロを交えた全員に衝撃を与えた。
「シトラ……」
「悔しいよ! 私、何も知らないままで、たくさんの人が傷つくのを止められなかった! ラシュイルなんて、私のせいでこんな目に遭ったんだよ!? こんなの、こんなの許せない、私、自分が許せない……」
「シトラ、泣かないで欲しいのだわ。私は貴女に助けられたのだわ」
「そうよシトラ、私も貴女がいたから、最悪なことにならずに済んだの。それに間違えちゃダメ。悪いのは全ての黒幕であって、貴女に非は全くないのよ」
ツァラフの白くしなやかな指が、ルビーの髪を撫でる。
震える体を丸くして、守られるように抱きしめられ、それでもシトラは幼子のように涙を流し続けた。
◇◆◇
それから一時間後。
イソラは泣き腫らしたシトラの顔を穏やかに見つめ、おやすみなさいませと呟きながら彼女に布団を被せた。シトラの寝顔は幼い子供のように見える。それが痛々しい様子に拍車をかけてしまっていた。
それを見守っていたツァラフ姫は「ようやく眠ってくれたのね」と安堵のため息をついた。すっかり毒の抜けたイソラが同意しつつ苦笑する。
「シトラはいつも一生懸命だから、こうなる事はわかってたのだけど……もうあんなに悲しい顔は見たくないわ」
「私もそう思います。シトラ様は明るく笑っていて欲しい方です」
「ふふっ、イソラはすっかり本職の姿に戻っちゃったわね。でも私はその方がかっこいいし、貴女に似合うと思うわ。……この際に聞こうと思っていたのだけど、離宮のあの有能な侍女達を選抜したのはイソラ、貴女なのでしょう?」
「はい、その通りです。元々この婚約者候補集めは、様々な方向から息がかかったものでした。侍女統括として離宮の管理を任された時、既に決まった侍女は爵位の高い家から差し向けられた者ばかり。王城の侍女だけでは抑えきれないと思い、平民から侍女を選抜しました」
イソラにとって最も避けねばならぬ事は、離宮に味方がいない状況だった。女官として城勤めをする様になるまでにあらゆる努力をしてきた彼女は、貴族社会における勢力図というものをよくよく理解していたのだ。
声が大きくても、それを響かせるには味方が必要不可欠。しかし実績はあれど爵位が劣るイソラに着こうとしてくれる者はそう多くなかった。特に離宮に関しては、王城の侍女の多くが何処かしらの家に取り込まれていた為、別の方向から味方を作るしかなかった。
そこで咄嗟に思いついたのが、離宮の侍女を平民から採用するという策だった。
「よく考えたわね。貴族の争いの知識がない、覚えの良い優秀な侍女。地位に対する執着が薄いがゆえに、取り込まれる危険性は下がる。それも平民からの採用となれば士気も高いでしょうし、貴女の下につくのを優先するでしょう。そして実際、拙い子ばかりだと思っていたのが遠い昔のように思うくらい、彼女達は次々と知識と技術を身につけていった。今はもう王城勤めの使用人と同レベルと言ってもいいんじゃない?」
「はい。私も出身は平民と殆ど変わらない男爵家でしたから、彼女らの仕事に対する姿勢に確かな信頼を持っていました。いつか見つける事になるであろう未来の王妃の守りを増やすために、未知からの刺客は敵への良い牽制になると判断したのです」
「そうだったのね。ええ、それは見事な一手だったに違いないわ。さて、それで……残りの敵は、どのくらいかしら」
ズバリな質問に、しかしイソラは臆することなくはっきりと答えた。
「まだまだ多いのは確実です。アレイシア姫様、ナタリー姫様についていた侍女はそれぞれ十数人。シトラ様に手を出したことで拘束されたのは、中年の侍女五名のみ。その他は知らぬ存ぜぬで離宮に張り付いています」
「コソコソと何を企んでいるのかしらね……何にしろ、このホームとシトラだけは守らなきゃいけないわ。あちらは既にシトラを標的にしているもの」
「それに関してですが、今回の騒動におけるシトラ様への批難が数通届いたそうです。全て王城の文官が確認し、保管されておりますが」
その報告にツァラフ姫は目を丸くして、すぐに呆れた様子で苦笑する。
恐らくは自らの娘、もしくは侍女を離宮に差し向けて機を伺っていた者の悪手だろう。騒動に紛れ込もうとするのはわかるが、もう少し頭を回して欲しいものだ。
「あらまあ……証拠を用意してくれてありがとう、と言うべきかしらね。この事件はまだ公にされておらず、シトラの正体も離宮の姫にしか知れ渡っていないのに……。リオン王子が動いてくれるかはわからないけれど、少なくとも外部からの干渉は減るでしょう。ただ、そういうボロを出さなかった家は厄介だわ」
「はい。それを踏まえた殿下の御命令により、このホームには騎士の警固がつきます。離宮での動きは私と、もう一人の協力者が対応することとなりました」
「それは心強いわ。でもイソラ、本当に気をつけてね。貴女の働きは王城に広まりつつあるそうじゃない」
「はい。本来なら光栄なことだと胸を張れたのですが……」
「敵の策に違いないわね」
「でもご安心ください。これでも自力でのし上がってきた女官です、しぶとさには自信があります」
そう言って得意げに笑うイソラに、ツァラフ姫も微笑みを浮かべた。
初めて会った時は何も信じないと言いたげな顔で、人を見下すような態度の仮面をかぶり続けている、少し怖がりな人だったのに。
シトラが来てからイソラは変わった。いや、イソラのみではない。他の姫や侍女、王城の医士、そしてリオン王子までもが変わったのだ。
ツァラフ姫にとってシトラは大切な友人であり、眩しいほど煌く宝石のような女性だ。見る者を魅了し、輝きを失うことなくそこにあり続ける。ずっと離したくない大切な存在。
そして行き先を示す、道しるべ。
「──ところでツァラフ様。この国を治めてみる、という道にご興味はございませんか?」
イソラが静かな眼差しと共にサラリと爆弾発言をした。
ツァラフ姫は流石に一瞬目を丸くしたものの、すぐにトロリと蜂蜜のように微笑んで、一言。
「大切な人を守るためなら、その道を選ぶかもしれないわね」
その言葉に微笑みを漏らしたのはイソラだけではなかった。狸寝入りをしていたラシュイル姫も、望む未来へ光が差し込み始めたのを感じそっと笑っていたのだ。
お久しぶりです、皆様いかがお過ごしでしょうか。
段々と舞台が整いつつあるのですが、大きく動くにはまだまだかかりそうです。
作業の合間にちまちま進めております故、頻繁に投稿を出来ず申し訳ありません。
お待ちいただけた分、楽しんで貰えるように精進して参ります。今後ともよろしくお願いします。