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婚約者候補の薬士見習い  作者: アカラ瑳
11/25

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 午後の診察はてんてこまいだった。

 その理由は勿論、離宮で起きた大事件である。

 兵士とはいえ男性が突然ズカズカと乗り込んできたのだ。約束が違うと混乱が起きるのは当然だろう。そして結果、揉み合いの挙句あちこちに打撲を負ったり、転んで踏まれたり、婚約者候補の姫達が主な被害者となってしまった。

 王城でたった一人の女性薬士(資格なしだが)であるシトラは文字通り引っ張りだことなり、少しでも姫達の心労をなくさねばと、仕方なくクロに頼んで姫達の待機室を整えて貰った。


「一番痛いのはここですか?」

「ええ、その辺りです……」

「多分、靴のヒールが当たってしまったのでしょう。他に痛いところはありますか? 転んだ際に打った右肘と膝の怪我はそんなに酷くないので、これなら一週間で治りますよ」

「ほ、本当? わたくし、傷物になったりしない?」

「ええ勿論です。もう大丈夫ですよ、ご安心ください。背の傷が気になるので、あちらで処置を受けた後はお部屋でゆっくりしてお待ち下さい。ベッドで横になる際は、背を下にしないようお願いします。夜にお伺いして、その時に直接確認しますね。それまで痛みがお辛いでしょうから、痛み止めもちゃんと飲んでください。ちょっと苦いですが……」

「ええ、ええ、ちゃんと飲みますわ。苦いものは得意なの」

「そうですか……よかった。貴女がとても凛としていらっしゃるのは、苦いものに耐えているからなのですね。とても痛むでしょうに、こうして向き合って立ち向かっている。アリッシュ姫様は素晴らしいお方です」

「……貴女は本当に不思議な人ね。褒められて嬉しいなんて久しぶり」


 少し顔を俯けてはにかむアリッシュ姫に、シトラは可愛らしい姫だなあと思い微笑んで、助手の一人に処置を頼んだ。けれど去り際に必ずいらしてねと差し出された手は、小さく震えていた。今のシトラに出来ることは、その手を力強く握り返すことだけ。それが歯痒くて仕方ない。

 怪我をした姫は合計九人。ツァラフ姫、クリシュラ姫を合わせると十一名と、とてもじゃないが看過できない事態となってしまった。

 今回シトラが診た中で一番酷い怪我をしたのは、これまたユリア国のご近所さんであるタンザライル王国の第三王女、ラシュイル姫だ。混乱の中、数人とぶつかって階段の手すりに肩をぶつけた後、足の指を踏まれたのだ。右肩は脱臼、左足の薬指が骨折、その他にも数ヶ所に打撲があり、対応は急務となった。魔法薬を使っても全治半年。右肩は手術が必要だ。これはバルトリス医士長にしか治せない。

 現在、ラシュイル姫はシトラのベッドで眠っている。ツァラフ姫とイソラがそばにいてくれているが、彼女の痛みはどの薬を使っても誤魔化しにすらならない程のものだろう。なので早々にバルトリス医士長と相談し、彼女もシトラのホームで治療をすることが決まった。


 姫達の診察を終えて侍女達の診察が終わる頃には、既に空は夕焼けに染まってしまっていた。応援に来てくれていたバルトリス医士長は、物資調達のために一足先に王城の医務室へ戻った。本当に彼には頭が上がらない。

 クロにもラシュイル姫のことを伝え、すぐに対応してもらった。彼女には王城の侍女がついていた筈だったが、騒動の後忽然と姿を消してしまったらしい。きな臭いにも程がある。行方を追っているが時間がかかりそうだと、彼も厳しい顔をしていた。


「ベッドの用意はすぐに終わりますが、往診はかなりかかるでしょう」

「それは覚悟の上です。今夜だけは徹夜になっても怒らないでください、クロ」

「約束しましょう。それから、この服は昨日までのものとは違います。着ている人間の存在を希薄にし、隠蔽する魔法のローブです。私のことはいないものとして行動してください」

「……乙女の肌を覗くことだけはしないでくださいね」

「勿論」


 まあクロはそんな興味はないだろう。シトラは道具を準備し、まずはラシュイル姫の元へ向かった。

 静かに眠るマリーゴールドのように鮮やかで華やかな髪の姫は、痛々しい傷を抱え血の気の引いた顔をしている。御伽噺のようにキスで全て無かったことになればいいのにと、シトラは己の未熟を悔い、無理やり呑み込んだ。

 イソラに手伝って貰いながら、慎重にドレスを脱がせ、ネグリジェを着させた。そして打撲から丁寧に治療していく。イソラは付き添いつつ怪我の詳細を書き留める役割も担っている。ツァラフはその見届け役を引き受けてくれた。


「右の太腿にも打撲……内出血が酷いですね。両膝にも内出血があります。現在確認できたのは以上です」

「イソラ、全部でどのくらいかしら?」

「脱臼、骨折を入れて、二十箇所ですね。なんてこと……」

「大丈夫、必ず治します。打撲の処置は終わりましたから、肩と足の指を固定すれば、ひとまずの処置は終わりです」

「報告書の保管場所については、リオン殿下に頼みましょう。ラシュイル姫には打撲の処置が出来る侍女をつけたいわね。イソラ、頼めるかしら?」

「はい、早急に手配いたします。ツァラフ姫様、こちらの書類を一旦お預けしますので、確認をお願いします。問題がなければ証人のサインをしてどうか殿下に」

「わかったわ、任せて。でもイソラ、貴女も気をつけるのよ。離宮のことを探るのはもう少し落ち着いてからでも遅くないのだから」


 ツァラフの案ずる言葉に、しかしイソラはさらにやる気になったようだ。シトラとはまた違う、不思議な魅力に惹きつけられたが故であろう。

 そして一時間弱かけて、シトラはラシュイル姫の処置を終わらせた。ベッドが到着し次第そちらに移すようにと、イソラが寄越してくれた侍女に伝える。いつの間にやら、ホームには頼もしい味方が揃っていた。



◇◆◇


 いよいよ離宮に乗り込んだシトラは、姫の部屋を確認しながら歩き回った。そしてその中、約束通り往診に来ただけで泣いて喜ぶ幼いマロン姫に、シトラのみならずクロも戸惑ってしまった。

 この部屋……いや、離宮全体の張り詰めた空気が何を意味するのか。気にはなるが、それを探るのはクロに任せ、シトラは自分ができることをする。誠実に傷と向き合って、大丈夫だと微笑んで伝える。たったそれだけのことでも、傷ついた姫様には重要なのだ。

 か弱くて細い腕と肩をしっかり診て、塗り薬を塗る。ぺたりと冷えたガーゼを当てて、外れぬよう包帯を巻いた。


「これでよし。マロン姫様、熱はどうですか? お辛くないですか?」

「ちょっと怠いけど、辛くはないわ。ありがとうシトラ様」

「お褒めいただき光栄です。何かあったらすぐに駆けつけます。だから安心してお休みください」

「……シトラ様ってなんだかかっこいい。お母様みたい」

「まあ、マロン姫様のお母様はかっこいい方なのですね。そのように言っていただけて嬉しいです」

「うん、あのね、お母様はとてもかっこよくて、強くて、優しいの……はやく、お城にかえりたい、な……」


 魔法薬が効き始めたのだろう、マロン姫は眠りについた。溢れた涙をそっと拭いて、シトラはベッドのそばに待機していた侍女二人を手招いた。二人とも胸をギュッと掴んで、涙を堪えているのがすぐにわかった。この幼い姫が心配で仕方がない。そういう目をしていた。

 シトラはその二人も怪我をしているのに気付き、すぐに手当てをした。見覚えがあるなと思ったら、どちらもツァラフ姫の事件の時に助けてくれた侍女だった。


「ありがとうございます、シトラ様」

「お気になさらないでください。お二人には以前、お湯を作っていただいた恩があります。こんな形で返すことになるなんて、本当に……本当に、ごめんなさい」

「謝る必要なんてございません、シトラ様。私達は侍女として、シトラ様は薬士として責任を果たしただけだとちゃんと理解しております。それにシトラ様はあの時、ありがとうと笑いかけてくださいました。それだけで十分嬉しかったのです」

「……ありがとう、ございます。……えっとその、マロン姫様の今後についてお話しますね」


 ユリア国から少し遠い北の国から来たマロン姫は、王族でなくとも王弟の娘だ。怪我は打撲のみで済んだが、このことが知られたら最悪なことが起こりかねない。そして何より、まだ彼女は幼い。責任感からか気丈に振る舞っているようだが、それも今日で大きく揺らいだ可能性がある。

 それを侍女の二人に伝えると、真剣な表情で己の仕事の重さを受け止めた。やはり優秀だ。仕事に対する考え方や向き合い方が真剣で切実なのがすぐにわかる。

 二人には朝晩の処置と、ヒール魔法薬の管理、そして傷つき弱っているマロン姫のサポートを依頼した。明日の昼に往診を行う予定のシトラだが、何かあればすぐに呼ぶようにとも伝えておく。情報がない混乱だけは避けねばならぬのだ。


「出来る限り慎重に気を配ってください。リラックス出来る時は話し相手になったり、それがダメでも色々なタイミングで声をかけ、様子を確認してください。侍女という立場を存分に利用してマロン姫様を守れるのは、貴女達だけです」

「はい、シトラ様。私達の出来ることを全て尽くすと誓います」

「マロン姫様が元気にお母様と再会できるよう、全力でお仕えします!」


 頼もしい言葉に微笑んで、そっと部屋を出る。

 クロは付いてきているのだろう、なんとなく近くに気配を感じる。何か変わった様子があったか聞きたくて仕方がなかったものの、我慢した。


 その後もなんとか問題なく往診は続いた。

 しかし五人目の訪問の時、シトラはノックするよりも早く扉が開いたことに驚いて、その中を見て目を丸くした。

 そこにはなんと、姫自らが立っていたのだ。


「シトラ様! 来てくださったのですね!」

「遅くなり申し訳ございません、アリッシュ姫様」


 彼女は背中をヒールで蹴られた姫だ。侍女に支えられ、シトラを今か今かと待っていたらしい。

 すぐさま部屋に入り、待機していた侍女と姫を支えていた侍女に頼んで、ドレスをはだけて背中を見せて貰う。

 そして……息を飲んだ。

 これはただ蹴られただけの傷じゃない。ほぼ同じ箇所にいくつもの傷があり、血が滲んで固まっている。

 完全に狙って踏みつけられたものだ。

 アリッシュ姫が怯えている理由がよくわかった。三人の侍女を振り返ると、全員が顔面蒼白でそれを凝視している。この空気はいけないと、シトラは即座に指示をした。


「まずは傷を洗って消毒しましょう。湯浴みのお湯とタオルをお願いします。それから痛みを和らげる薬を用意いたしますので、お水の準備も。貴女はイソラさんを呼んできてください。

「わ、わかりました!」

「すぐにご用意します!」

「私も呼んできます!」


 よかった、仕事の顔に戻った。動揺はまだ続いているようだが、それを使命感で抑えているのだろう。シトラは薬鞄から痛み止めの粉薬を取り出し、王城の医務室からいただいたシュトラの葉を砕くと、乳鉢で素早く調合をした。

 用意された水でそれを飲んで貰い、呼ばれたイソラに報告書の作成をと依頼する。呼ばれた時点で察していたらしく、イソラはすぐさまそれを用意した。本来彼女は女官なのだと聞いたシトラは、その手際の良さに成る程と納得し感心する。

 お湯を用意してくれた侍女と、イソラを呼んできた侍女の二人で傷まわりを拭う。その間アリッシュ姫の様子を見ていた侍女が眠りましたと合図した。

 薬鞄から塗り薬とガーゼを取り出す。これはあくまで応急処置だ。魔法薬でなければ、痕まで綺麗に治すことはできない。

 慎重に傷の具合を確認し、イソラに伝えながら手を動かす。酷く痛むのだろう、眠りの中でアリッシュ姫がうなされている。なるべく急いで薬を塗り終え、ガーゼを貼ると、シトラはその上から保護の魔法薬であるプロクトを塗った。これで傷は守られる。


「終わりです。イソラさん、ありがとうございます。報告書はツァラフに渡しておきますね」

「はい、よろしくお願いします。……ですがこうなると、他にもこのようなことがあるかもしれませんね」

「残念ながら、その可能性は高いでしょう。イソラさん、お忙しい中申し訳ないのですが、残りの姫様方の往診にもお付き合い願えませんか」

「勿論です。そのつもりで準備してきました」

「流石イソラ様……」

「かっこいいわ……」


 呟かれた声に、シトラは振り向いて思わず微笑んだ。無意識だったのだろう、声の主の女性達は頬を赤くして慌てている。イソラが若干照れたようにコホンと咳をして見せるのもなんだか可愛らしい。イソラは侍女達にとても慕われているようだ。


「皆さんも、ご協力ありがとうございました。今後についてですが、お願いしたいことが三つあります」

「はい、なんでしょう」

「なんなりと!」

「まず、痛み止めの薬の管理をお願いします。明日の朝まで薬が効いて眠っていると思いますが、もしそれより早く目覚めてしまったらすぐに飲ませてください。問題なければ、起床後と昼に一つずつで大丈夫です」

「わかりました、それなら私が引き受けます」

「お願いします。次に、アリッシュ様の打撲の処置を。やり方は貴女がよくわかっていらっしゃいますね。先日ホームで見せていただきましたから」

「はい! 精一杯努めますね!」

「ありがとうございます。最後に、アリッシュ様のお世話なのですが、傷に触らぬようにあらゆる場面でアリッシュ様を支えたり、抱えたりしていただきたいのです。それは貴女が適任ですね」

「はい、頑張ります!」

「姫様が不安になられたら、励ましてあげてくださいね。とにかく明るく、元気に過ごしてください。痛みが少しでも和らぐように……その辺りの気遣いは、プロである皆様にお任せするしかありません。どうかよろしくお願いします」


 深々と頭を下げるシトラに、三人の侍女は慌てて頭を下げ返した。それを見ていたイソラは、ふとツァラフ姫のことを思い出した。

 彼女の持つ空気と、シトラの空気は、全く違うのに同じくらい強く惹かれる。シトラは太陽のように明るく陽気で、ツァラフ姫は月のように闇の中でも道筋を示す。

 彼女達に頼りにされるのは、なんというか……ハッキリ言ってしまうととても誇らしい気持ちになる。優越感とは違う純粋な喜びに満たされるのだ。それのなんと心地よいことか。

 それはシトラのホームに行ったことのある侍女も同じらしい。目を輝かせて、与えられた役割を大切にする。求めていたのはこんな事だったのかもしれない。役に立って、仕事に誇りを抱く、たったそれだけのこと。


「行きましょう、イソラさん」

「はい、シトラ様」


 赤い太陽にイソラは微笑みを返し、意気込んで歩き出した。



 新年あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いします。そして今年の一年が、皆様にとって良いものとなります事をお祈りしております。


 更新が遅くなってしまい申し訳ありません! 中々時間がなくて、ついつい疎かに……。

 侍女のレベルの高さについては、すぐに明かされますのでご安心ください。ただ心の清さについては間違いなく彼女達本人の才能のようなものです。やさしいせかい!

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