プロローグ
息抜きで書いていたものです。お楽しみいただければ幸いです。
「はあぁぁあ!? 私が海の向こうの国の王子の愛人になるですってええぇぇえ!?」
「的確な説明セリフをありがとうシトラ、でも愛人じゃなくて婚約者候補になるんだよ」
「あら、そうなの……じゃないわよ! なんっで! そんな! 話が! やってくるのよ!」
「やめるんだ、俺に瓶を投げるのをやめるんだ」
「だったらちゃんと説明してよお兄ちゃん!」
麗かな日差し、爽やかな風、草や木が奏でる自然の音楽。
その素晴らしい舞台で、とある王族の兄妹がわりと深刻な喧嘩をしていた。
ここは標高の低い山から広がる小さな国、レリン王国。
小さいので管理が難しくなく、貴族云々はない。優秀な人々が各地にて管理し、山の天辺にある城へ報告するシンプルな国だ。
上下関係が曖昧なのもあり、良い意味でアットホーム。少し歩けばポケットが食べ物でいっぱいになることで有名な癒しの国。勿論警備隊があるし悪い事をすればアットホームが数の暴力に変わって成敗しにくるので、治安はプラマイゼロ。
そんな平和でシンプルな国というのもあり、王族も実に自由な振る舞い方をしている。王様とお妃様、どちらかは王家の人間でなければならぬものの、結婚の相手は自由に選べる。周辺諸国からは「マジで?」と思われているが、マジである。恋愛結婚どんとこい。
ここにおられる兄妹は、そんなフリーダムな王族に生まれた、王子と姫である。と言っても後継は兄のリンクであるため、妹のシトラは物心ついた頃から一人立ちをする為に薬士を目指している。現在進行形である。ここまで言えば分かってもらえるだろう。
「万が一お妃様になんかなったら、薬士になれなくなるじゃない!」
というわけである。
猫のように実の兄を威嚇する妹をなんとか宥め、リンクはきちんとことの次第を話しはじめた。
「シトラはユリアスタード王国の事を知っているかな?」
「知ってるわ。気候は温帯、気温と降水量はほぼ一定していて、主に服用型の薬草が育ちやすい」
「うん、知らないってことがわかったよ」
「知ってるってば!」
「じゃあ件の王子の名前は?」
「………………」
透き通ったルビー色の髪先を弄りながら、シトラは見事に口笛を吹きつつ琥珀の瞳で明後日の方向を見る。リンクは呆れたものの怒る気はないので、ちゃんと聞いてねと付け加えつつ話を再開した。
「先月末に次期王が決定した国だよ。俺と父さんが出かけてただろ? それがユリアスタード、略してユリア国。後継者の名前はリオン王子。婚約者はスーザン様。ここまではいいかい?」
「覚えたわ」
「じゃあ本題。スーザン様が事故に遭われ、婚約解消が決まったんだ。だがその後釜は決まってない。それでユリア国の有力貴族から候補を集める事になった」
「何よ、そんなの私達には関係ないじゃない」
「ところがどっこい、有力貴族達があの手この手で泥沼の戦いを繰り広げた事で、まともな候補者が数人しかいなくなった。その候補者というのも曲者揃い」
「……な、何よ……」
「じゃあ他国の姫様も候補者に交え選びましょうという事に」
「いやそれはおかしい」
この国で生まれ育ったシトラには全てがカルチャーショックである。そんな面倒……複雑……厄介……マイナスな言葉しか浮かばない場所に、なんで夢を諦める覚悟で行かねばならんのだ。シトラは抗議した。
「何を言われようが私、そんなとこ絶対に」
「そうそう、言い忘れていた。向こうの条件として、選定に来てくれるなら、婚約者決定までの間、プライベート利用できる専用の温室を貸し与えてくれるそうだよ」
「行くに決まってるじゃないお兄ちゃん!」
「わあ俺の可愛い妹がこんなにちょろい!」
そういうわけでシトラはどんぶらこっこと波に揺られ、面倒王国もといユリア国へ行く事になった。文献資料も王妃候補の肩書で好きに閲覧できるともあったので、気分は完全に留学生だ。
血と涙が滴る、女性達の泥沼な戦場へ、見事な口笛と共にシトラ・リン・レリンス第一王女は乗り込んでいった。
◇◆◇
ユリア国の王城は、その国の領土面積を象徴するようにとても広かった。
到着早々シトラは「部屋が余っていないから、この離れに滞在させるよう王子に言われている」と冷たく静かな声で告げられた。理知的な灰色の瞳に、綺麗なブラウンの髪を結い上げた若い女性は言うや否やくるりと背を向け歩き出した。案内してくれるようだ。シトラは門から荷車を引っ張りつつそれに着いて行く。女性は一度振り返った時にそれを二度見していたが、特に何も言ってこなかった。
歩いているうちに説明されたことがある。リオン王子は婚約者の選定に乗り気ではないそうだ。そして潔癖なところがある。知らない人間を自らが住う城に入れたくないのだそう。
他の候補者達はその意を汲み、王城の敷地内にある離宮に滞在しているのだとか。国内に実家がある女性もそこに住むというのはちょっとよくわからなかったが、まあ別に関係ないかとシトラはあっさり切り捨てた。
そうして案内されたのは、言いようのないボロさが目立つ小さな建物だった。城門を潜って中庭を突っ切って、そこからずっと奥の奥へ歩いた先。大きくて広いし、小さい温室もあるが、雑草だらけツタだらけのせいで幽霊屋敷感が拭えない。ん? これが離宮ってやつ?
目的地に着いた途端、案内人の女性……ここまでの間に聞いた話によると、離宮の侍女統括を任されているらしい……は、続けてシトラへ冷たい目のまま畳み掛けるように話しかけてきた。
「人員不足の為、シトラ様のお部屋と侍女はこちらでは用意できません。何かございましたらご自分で、わたくし共がおります離宮へ来ていただきたく存じます。部屋の用意が整うまではこちらに滞在してください」
コンボが決まったぜ! と若干ドヤ顔をしていた彼女は、幽霊屋敷を気難しい顔で見上げたまま反応を返さないシトラを見て、フィニッシュ攻撃の嘲笑をしようとした。が、ここでクルリと振り返ったシトラから思わぬ反撃が入った。
「確かにこんなに広いお城じゃ、管理も大変ですよね。それに他の国のお姫様も来てるんでしょう? それじゃあ仕方ないです。そんなことより先ほどから気になっていたのだけど、貴方は右肩が悪いのですか? どこかにぶつけたとか?」
「えっ? え、あのはい、昨日の掃除中に本が落ちて……」
「なによそれ、大変じゃない! ちゃんと手当てしてないんですか!?」
「い、いえ……忙しいので……」
「ダメです! ええとイソラさんだよね、覚えました。すぐ後で離宮に行くから、それまで休憩しててください。取り敢えず、痛み止めだけでも、あ、でも毒味もしたいですよね……うーん、我慢できないくらい痛くなったら飲んでください。誓って悪いものは入っていませんから。待てそうでしたら、処置と一緒に毒見しますから、ご安心を」
「い、いえ、そんなわけには……い、忙しいので……」
「いーえ絶対にダメです! どうしてもって言うならここで待ってください! すぐ中を片付けて来ます、具体的には十分くらいで。……ほら、ここ、今も痛いんでしょう?」
シトラの手が、そっとイソラの肩に触れる。まさにそこ。あまりにもピッタリ当てられたせいで、イソラは言葉を失った。そしてシトラの反撃(?)に敗北したのだと悟り、大人しく彼女を待つ事にした。
イソラのコレは、王子の命令により、これまで来た姫全員に仕掛けられていた。
ハッキリと苦情を言ったり、泣いてオロオロしたり。
そういう姫の反応を、イソラはうんざりするほど見て、記録して、報告してきたのだ。そんな反応を見ることで仕事の鬱憤を晴らしていた自覚もある。
シトラが「そんなことより」なんて言い出すものだからこうなっているだけで、いつもならイソラはその強がりがいつまでもつかしら、という嘲笑を投げるくらいしなければならなかった。
けれど、他でもない自分のために動いている人にそんな悪意をぶつけられる程、イソラは強くない。
イソラがそんなことを考えつつ、合間にせっせと掃除をするシトラを観察していてわかったのは、彼女は仕事ができる女性だという事だった。イソラは長い間城に女官として勤めて来たが、これほどまでに判断力があり、動きに無駄がない掃除の様子は久しぶりに見た。出来れば部下、いや補佐についてくれないかな、とまで思ってしまう。いや流石に王女に対して不敬過ぎるので慌てて掻き消したが。
そもそも、本来侍女や使用人ではなく女官である彼女には、世話役の統括者という仕事は何もかもが手探りだった。忙しいと言ったのは事実なのだ。離宮は今、国内の権力者達から送り込まれたご令嬢と、他国より招かれた姫や王女が一触即発の睨み合い状態にある。最後の候補者であるシトラがここにたどり着いた今、最早近いうちに何かが起こるのは確定しているようなもの。
そんな泥沼の戦場で、王城からの監視者として動かねばならないイソラはもうクタクタだった。だから、この優秀な人材をダース単位で雇いたいと思ってしまうのは自然なことなのだ。全身に纏っていた、強がりという名の泥沼用の装備が剥がれるほど、シトラの働きは見事だったのである。
約束通り十分でイソラが入れる環境を整えたシトラは、椅子にイソラを座らせて、港から王城まで自ら引いて来た荷車に駆け寄った。そしていくつか鞄を持ってくると、イソラの肩にテキパキと塗り薬を塗って、服が汚れないよう清潔なガーゼで覆い、あまり動かないように念のためと長い布でゆるく固定をした。
最後の仕上げに少し苦い薬を飲んで、痛みが落ち着き始めたのを見計らって、イソラはシトラに本物の離宮へ送ってもらったのだった。……いやこれどっちがどっちなんだ。
因みに、その本物の離宮の話を聞いても、シトラは特にそこに入りたい、住みたい、侍女がいないなんていや、等々を全く口にしなかった。
暫くして完全に痛みが引き、ようやく我に返ったイソラだったが、シトラはハズレ者として、あのまま幽霊屋敷にいてくれる方がいいのではないかと考えた。本気であれがシトラにあてがわれた離宮なのだと勘違いをしたままのようだし、温室を欲しがっていたのも知っているし、それに離宮の部屋ではあの量の薬を保管するスペースがない。泥沼が若干洗い流されたイソラの決断により、シトラは夢のマイホーム生活を思いがけぬ形で手に入れたのであった。
お読みいただきありがとうございます! 今回は女性同士の泥沼な戦いを書いてみたくて書いてみました。
怪我の治療等は全て魔法ありきであり、現実の処置とは全く違いますので、最初にそれだけは何卒ご了承願います。
それでは、今後ともよろしくお願いします!