年下のイケメン店員に癒されたい
夕方の帰宅ラッシュが終わると、オフィス街にはゆったりとした時間が流れる。そんな時間が好きだ。
私、宮野咲は残業を終えると、駅中のショッピングモールを改札口とは逆方向に進んでいた。
(……いた)
花屋の中には、背の高いお兄さんがいた。大学生なのか、茶色に染めた髪がさらさらとしている。
(「花屋の君」。今日も麗しいわ……)
こっそりと「花屋の君」と呼ぶことにしている。イケメンが花を愛でているなんて、なんと美しいことか。
見目麗しい彼なら、カフェでもショップ店員でも、他の選択肢があったのではないかと思う。背の高さを活かして雑誌のモデルにもなれたかもしれない。
花屋をアルバイト先に選んでくれてありがとう。花屋のイケメンを拝めるなんて最高。
見つめているだけでは不審者になってしまうと思い、いつもは自分用に一輪の花を買っている。
「いらっしゃいませ!」
男の子は私に気づくと、目を細めてふんわりと笑った。子犬を彷彿とさせる表情は、仕事の疲れが吹き飛びそうだ。
「今日はどのような花にしますか?」
「そうね……」
入社六年目。不動産会社の営業の仕事は、やりがいがある。仕事にのめり込んでいくと、一つのことにしか集中できないのか、恋愛はおざなりになっていた。
そんな中での同期の結婚。
同期の結婚祝いでサプライズの花束を用意することになったのだ。花屋に行くという大義名分ができたのだから、良しとするか。
「今日は自分用ではなくて、プレゼント用に作ってもらいたいの。同僚の結婚祝いで」
「プレゼント用ですね。かしこまりました」
どんな花束にしますか、と聞かれる前に、先手を打っておくことにする。
「……あの、店員さんのセンスで花束を作ってくれませんか」
「大丈夫ですよ。どんな雰囲気の人ですか?」
お任せで、と言われることに慣れているのかもしれない。快く引き受けてくれた。
私は同期の雰囲気を思い浮かべる。
「元気な子だと、思う。いつも話題の中心にいるような……」
「元気な人なんですね。わかりました」
情報量が明らかに少ないかもしれないが、お兄さんは作業に取り掛かる。
出来上がるまで、用意された椅子でお店の花々を眺めながら待った。お兄さんの花を包んでいく器用な手をこっそりと見ながら。
「お待たせしました」
声が掛かると、私は立ち上がる。お兄さんの手元には見事な花束があった。
カラーセンスがいい。
オレンジ色と黄色のガーベラ。かすみ草や黄色い小花が絶妙なバランスで配置されている。包装紙はオレンジ色だ。
「ビタミンカラーでまとめてみました。花のボリュームはいかがですか」
ビタミンカラーとは黄色系列の色か、と納得する。
「ちょうどいいです。これでお願いします」
「わかりました。もう少しお待ちください」
「……ビタミンカラーというだけあって、元気が出そうな色」
思ったことが、そのまま口に出ていたようだ。
「元気がないんですか?」
心配そうなお兄さんの目と合ってしまった。
「あ、ええと、これから飲み会だから、ちょっと憂鬱かな、なんて……」
私は咄嗟に顔を背ける。人から指摘されて同期の結婚が、思った以上にショックを受けていることに気がついた。他人と比べてどうする。自分は自分なのに。
「無理をしないでくださいね」
なに? この嬉しさ。
構ってもらえて、嬉しい。
その言葉は、枯れ果てた心の中に、じんわりと広がっていった。
◇◇◇
結婚祝いの会の終盤で、隠し持った花束を渡すと同期は喜んでいた。
「私、この色好き!」
「ビタミンカラーで作ってもらったの。気に入ってもらえてよかったわ」
「ビタミンカラー。へえー」
花束は、彼女の活発な雰囲気に合っていて、あのお兄さんに頼んで正解だった。
喜んでもらえたと一言、あのお兄さんに伝えたかったのに、その機会は一向に訪れなかった。
毎日のように通りかかり、彼の姿を見られないと寂しい気持ちになる。
体調不良?
二、三日で戻ってくると思いきや、一週間、一ヶ月が過ぎる。あの日を最後にイケメンは花屋からいなくなった。
お兄さんがいたことが嘘であるかのように、他の女性の店員が立っている。
でも、花は時々買うようにしている。
──お兄さんはどこに行ったの?
これだけを聞きたいのに、あっと言う間に一輪挿し用の包装を完成させた店員に聞くことができなかった。
イケメン目当てだったと思われるのが嫌だった。変なプライドが邪魔をしている。
家に帰り、玄関のガラス瓶に花を生けると、寂しさが和らぐ気がした。
◇◇◇
「新入社員を紹介する。……本日付けで営業部に配属される瀬下浩人だ」
人事部長が紹介した男性は、一人一人に視線を合わせるように周囲を見回した。平均身長の人事部長と比べると、顔の一つ分くらい背が高い。
「よろしくお願いします。早く慣れるように頑張ります」
男性は、よく通る声で挨拶して、目尻を下げた。
(あれ、この表情……)
凝視していると、過去の記憶と一致した。
(花屋の君……! どうしてこの会社に!)
花屋の店員だったとは、誰も気付いていないようだ。会社の最寄り駅の花屋だったけれど、立ち寄る人なんて私ぐらいなのかもしれない。
それに雰囲気も変わっている。
髪の毛は新入社員仕様になって、黒い。茶髪好きだったのにな。ちょっと残念。
「……カッコいい子が入ったね」
同期の女の子が小さく耳打ちしてくる。
彼に見られているような気がして、私は曖昧に微笑んだ。
◇◇◇
残業を終えて、会社から出ると瀬下くんがいた。私を見ると、中庭のベンチから立ち上がる。
「まだ、会社にいたの」
先輩には後輩を早く帰宅させる義務がある。私が口を開こうとしたら、瀬下くんの表情が真剣だった。
「宮野さんと話がしたくて、待っていたんです」
「私と? ……というか私の名前、もう覚えたの?」
「前から知っていました。花屋のポイントカードで。ほら、僕は花屋でアルバイトをしていまして」
瀬下くんは苦笑している。
そういえば、ポイントカードを作って、せっせとポイントを貯めていたなぁ。
私の顔と名前、覚えていてくれていたんだ。
「こんなこと知られたら、上司に怒られるかもしれませんが、あなたを追いかけて入社を決めました。この人と一緒に働きたいと」
「一生を左右する就職を、私なんかで決めていいの?」
私なんか。自分を卑下する言葉がつい出てしまう。
「花を愛でる人に悪い人はいない、というのは僕の持論ですが……。実は、宮野さんに助けてもらったことがあるんです」
「私が……助けた?」
全く身に覚えがない。
「宮野さんは忘れているかもしれませんが、電車の吊り戸棚に忘れた荷物を、下車した僕を追いかけて届けてくれたんですよ。花屋でお客様さんとして来てくれたときに、あの時の恩人だとわかりました」
そんなこともあったような気がする。途中下車だったものだから、荷物を渡してすぐに電車に飛び乗った。お礼を言われたのは一瞬の出来事で、相手の顔は覚えていない。
「それは……当然のことをしただけです」
当たり前のことだ。真剣にお礼を言われると照れてしまう。
「花屋の常連になってくれて嬉しかったです。そんなあなたに近づきたかったんです。どんな手段を使っても」
同じ会社に就職することで、私に近づきたかったってことか。
なんだろう。この話の流れ。
「就職活動が忙しくなって、アルバイトは辞めました。急にいなくなってすみませんでした」
「謝らなくていいの。アルバイトなんだから、気軽なものだと思うし」
「でも、花束を注文した日が最後だったのですが、一言伝えておけばよかったです」
瀬下くんは熱っぽい視線で私を見つめてくる。
「一目惚れでした。宮野さんのことを、もっと知りたいです」
「もっと知りたいって……」
「お付き合いしてください!」
告白されるなんて、何年ぶりだろう。しかもこんな若い子に。
「急に言われても……」
困る、と言おうとしたら、畳み掛けるように瀬下くんが言う。
「花屋の常連になってくださっていたのは、僕のことが気になっていたからじゃないですか?」
瀬下くんは意地悪な質問をしてくる。彼のこと目当てだったけれど、癒し目的だった。彼のことが好きか、と聞かれたら好きだけど。
「そ、それは……」
「お返事、今度聞かせてくださいね」
瀬下くんは、いたずらな瞳をすると「また、明日!」と言って、背を向けて歩いていく。
ああもう。どうして、彼は私の心の中に入ってくるのだろう。
断る理由なんて、ないじゃないか。
「──瀬下くん」
私の声に、彼は振り返る。
「年上をからかわないでほしい。……でも、私も君のことが気になっている」
「それじゃあ……」
「よろしくお願いします」
瀬下くんの顔を見ると、溢れんばかりの笑顔だった。拳を握りしめると「やった!」と言って喜んでいる。
可愛い奴め。
瀬下くんにつられて笑顔になる自分がいた。