第六百八十六話 二人きりの舞台
<視点 マルゴット女王>
「のう、異世界の旦那様よ。」
「悪いけど君とは結婚したわけじゃないよ。」
・・・ぬぅ、
こやつ要所要所で腰を折るというか、壁を作りよるのう。
どうしても妾を一定の距離以上近づけさせないつもりか。
「今宵はいつまでここにおれるのじゃ?」
「特に時間は決めてないよ。
でも君は明日も忙しい身だろう?
寝不足にならないうちに退散するさ。」
なのに余計なところに気を回すのじゃからな。
「妾と其方の間に計り知れない隔たりがあるのは理解した。
けれどもひと時の夢を見させてもらうくらい構わぬのでないか?」
む?
此奴少し考えよったぞ?
ほんの一瞬じゃが視線を逸らしたな?
「ふむ・・・構わないと言えば構わない。
私がかつての仲間から距離を置いたのは彼らを傷付けないためだ。
いくら君とは言えこの一晩で私に絆されることもないだろう。
・・・またあの男に嫌味を言われるだろうけど。」
そうか?
絆されない自信とやらは全くないのだが?
それとまた気になる話を出してきたのう。
「もう一人の天使とやらか?
なんでもどうしようもないヘタレとも聞いておるが?」
「間違いなくね!」
何故そこで語尾に力を込めるのじゃ。
そんなものが人間の創造主だとは・・・
「ならば良いコンビではないか。」
「やめてくれないか、
もう気の遠くなるような永い時間をあいつに付き合わされているのだから。
・・・この後、さらにどれほどの時間を過ごすのか・・・。」
それはある意味羨ましいと言って良いのか、
それとも難儀なことなのか。
奴めはゆっくりと立ち上がる。
ふふふ、妾は拒絶されているのではないようだ。
では妾のご褒美タイムというわけじゃの!
妾の目には奴の顔が薄く綻んでいるように見える。
これは期待して良いのよな?
「では一曲踊るということでどうだい?
異世界のマーガレット、いやマルゴット。
私はここで何も出来なかったしね、
君が私との距離を理解してくれたというなら、お詫び代わりに思い出だけでも残すとしようか。」
ふほっ!?
妾達の周りに突然・・・
何という洒落た演出を思いつくのか。
突然、この寝室の中に色とりどりの花々が咲き誇り始めた。
なるほど、
人の知覚を操れるのであれば、
その程度の幻を作るのも容易いであろう。
どこからか楽隊の奏でる音楽まで聴こえてきたぞ?
ただ、これ足の踏み場も・・・
「気にする必要はないよ。
椅子や机にぶつからないよう私がリードするからね。
あくまで本物じゃないから、花を踏みつける感覚もないし、薔薇のトゲに刺されることもない。」
至れり尽くせりじゃな。
何種類もの花の匂いまで再現できるのか。
何とも恐ろしい能力じゃて。
・・・いかん、
顔が緩む。
このような昂った気持ちになるのはいつぶりであろうな?
妾は差し出された手をゆっくりと掴む。
・・・間違いなく人の体温じゃ。
絡めた指先も心地よい。
思わず蕩けそうになるのう。
指先や爪の形すら人と変わることはない。
背中に回した手のひらからは、
此奴の骨格や筋肉の形とて確かめられる。
これも全て幻ということなのか?
いいや、そんな事を気にするところではないのう。
何しろ、このように胸がときめくのはいつぶりかの。
許せよマリン。
これは浮気ではないぞ。
妾は子作りすることも出来ぬ天使と踊るのであるからな?
・・・む?
いま、何か引っかかったような気がする。
そうよ、先ほども此奴自身が言っておったではないか。
天使が人間と
「惠介は斐山優一の息子だ。
それ以外の何者でもない。」
妾が何に気付いたのかもわかってしまうか。
ならばそれ以上口は開くまい。
そうか・・・
そうよな。
マーガレットの他にも愛する娘がおったのだろう。
その者との子供が惠介・・・ケイジか。
確か、カラドックから聞いたところによれば、
その娘は此奴が人間として死んだ時、絶望の余り自らの命を断つことを考えておったそうじゃ。
それを食い止める為に此奴は天使の身にありながら姿を現し・・・
そこでケイジを
ということか。
まったく、
完全に人の心に染まっておるではないか。
ケイジよ、
この者はまさしく、そなたの父親じゃ。
恨んでもいい。
憎んでも良かろう。
けれども間違いなく。
この男は。
そんな男と妾は一時の逢瀬を楽しめるのじゃ。
これはなんとも最高のご褒美ではないか。
「相手が醜悪なゴブリンかもしれないのだけど?」
「構わんよ、
妾の目に映るものが現実よ。」
「では失礼、
女王陛下・・・。」
「マルゴットで良い・・・。」
「あくまで演技だからね、マルゴット。」
「そういうことにしておくぞ。」
緩やかな演奏にあわせステップを踏む。
ううむ、舞踏用のドレスでないのが残念じゃ。
恐らく、
妾の顔の前にあるこの姿。
身長は妾より低いのかもしれぬ。
部屋に姿を見せぬまま入ってきおった時の感覚では、もっと小さいのかもの。
それでも
妾の舞いに合わせるように感覚を操作してくれよるのか。
それだけで
そこまで気を使うてくれるだけで嬉しいものよ。
演技と言うたな。
では、この空間は観客のいない舞台よの。
二人きりの。
誰にも邪魔されない一時の世界。
まるで10代の頃の少女に戻った気分じゃ。
「くくっ。」
「何か吹き出すことでも、マルゴット?」
「いや、なに、ここでそなたが真の姿を見せたら、他の者はなんと思うであろうかとなあ。」
「どうだろうね?
ゴブリンと踊る女王?
スケルトンと踊る女王?
それとも人形と踊る女王かな?
言っておくけどそこまで醜悪な姿形ではないと思うよ。」
「そうなのか?
確かに天使と聞くと端正な顔立ちに思えるがの。」
「例えば犬の顔を見て、何となく人間の顔やら表情に近いなあと思うことはあるだろ?
犬も人間も、途中までは同じ進化だったんだから不思議な話じゃない。
けれど、天使と人間はまったく別の起点から生命として進化してきたわけだ。
・・・定向進化って、分かるかな?」
「定向進化とな?」
「そう、生物というものは全く関連性もない種でも、
似たような環境のうちに、翼だったりヒレだったり同じような器官を備えることがあるって話でね。
だから私に二本の腕があって、二つの目があったとしても、人間とは大元の仕組みが異なっていると考えてくれればいい。
実際、私の本当の姿は、
一見、人間と大して違いないように見えるかもしれない。
ただその姿を実際見てしまえば、君達には生物的な拒絶反応がでてくると思うんだ。」
「それは・・・蓋を開けんほうが良いのじゃろうなあ。」
「まあ、人の心の中もそんなものかもしれないけどね。」
ああ、
この男はずっと人の心を学ぼうとしておったのじゃったか。
「人の心は・・・解き明かせたのかの?」
「・・・さてね、
なかなか尻尾を掴ませてはくれないよ。」
人の心は複雑怪奇。
妾にも分からぬことも多いしのう。
「そう言えば。」
「なんだい、マルゴット。」
心地いい呟きじゃのう。
しかしこれから妾が問おうとしておることは色気も何もない話。
質問の選択を誤ったかも知れぬ。
「カラドックと麻衣殿が話してたと思うたが、そなたの使命とはなんじゃったのだ?
確か『地上の魔を監視する』のじゃったか?」
「・・・・・・。」
しもうた。
やはり場違いだったようじゃ。
しかしカラドックのことを想うと・・・
「いや、それほど隠すような話でもないんだよ。」
「ふむ?」
意外とあっさりした反応じゃな?
「意味は言葉のままでね。」
「言葉のまま・・・?」
「カラドックも賢王と呼ばれているせいなのか、私の言葉を深読みし過ぎていたんだろうと思う。」
「地上の魔とやらを?」
すると、
その言葉は何らかの比喩なのじゃろうか?
「カラドックは『魔』の正体が何なのか、ずっと考え続けていたようだ。
けれどそうじゃない。
注目すべきは『地上』の部分なんだよ。」
「魔、ではなく、地上?」
「そうとも、
それ以上答えてもいいけど、
せっかくのこの時間がご台無しになるだろう。
だからこの辺にしておいた方がいいと思う。」
地上、には。
この世界ならば、様々な種族があろう。
獣人、亜人、魔族、
肉体のない者達をも含めれば、
精霊、デーモン、神々まで・・・
じゃがカラドックたちの世界において、
地上に存在するものとは・・・
ああ、
それらを
それらを監視するために、
天界の天使とやらは地上に降りてきた。
麻衣殿は天使にとって、それは毒と言い切ったではないか。
それらを理解する為に、
天使は、
この男は・・・
一応正確に言うと
天使のいう「魔」とは生き物の種類のことではありません。