第六百八十三話 出現
<視点 マルゴット女王>
何かが入ってきおった。
妾の寝所に。
妾以外誰もいないこの部屋に。
すぐに衛兵を呼ばねば。
だが近くにはおらぬ。
衛兵が控えておるのは廊下のさらに先の扉の外。
最もこの部屋に近いのは隣の控室におる筈のメイド、ヴィヴィじゃが・・・。
もちろん真っ先に呼ぶのは彼女でも構わぬ。
ヴィヴィが妾の盾となっている隙に、妾が大規模な術を放てば、その騒ぎで嫌でも衛兵がやって来る。
ヴィヴィが判断を違えて先に衛兵を呼びに行ったとしても、目的自体は達せよう。
その間に妾に取り返しのつかない事態が起きてしまう可能性の方が高いがの。
・・・だが、
今はそこまでの予想すら憚れよう。
何故ならすでに妾は大声を上げている。
なのにどうしてヴィヴィの反応がこれほどまでに全く感じられぬのだ?
衛兵とて気づいても良い大声な筈じゃ。
まさか既にヴィヴィは・・・
そして事によると衛兵すらも・・・
妾の不吉な予感は棚にあげておくしかない。
何故なら今は妾の目の前に起きている異常事態にどう対応するか、
明らかに優先すべきは目の前の説明不可能な現象。
何しろ寝所に侵入した何かの姿は、今もなお妾の魔眼に映すことが出来ぬ。
なのに
その妾の目の前で、
真紅の絨毯に
小さな足跡を残し続けているのだ。
一歩一歩、
ゆっくりと。
焦る様子もなく、
迷う様子もなく、
部屋の中には一台の仄暗いフロアランプ。
そのオレンジがかった灯りの中、
それは小さな歩幅で、
妾の側から一歩ずつ離れ去り、
あろうことか、
妾の愛用の椅子の側でそれ以上足跡を残すのをやめた。
そして
背筋が凍りつくほどの続く異常現象。
その椅子の座面が薄く沈んだのだ。
何も見えぬままというのに。
明らかに何かがそこに腰を下ろした。
妾の魔眼でも捉えられぬその姿。
何らかのユニークスキルか。
姿を消すスキル?
そんなものが果たしてあるのかどうか。
いつだったか、アガサ殿のエルドラの大神殿に、
盗賊バブル三世が深淵の黒珠を盗みに入った顛末を聞いたが、
あれは神官長に姿を擬態して侵入したと聞いておる。
されど、今、この空間で起きてる事象は明らかにそんな話ではない。
闇魔法や麻衣殿の虚術のように、闇に姿を紛れ込ませるのならまだわかる。
たとえそれで妾の魔眼からやり過ごそうとしても、
魔力を使用する術という特性上、必ず妾の感知からは逃れられる筈もない。
いや、
やはり妾の知る術やスキルの範疇のものではあり得ぬよな。
未だに一切の魔力を感じぬのだから。
それとこの部屋の中の精霊すらも、いまだに此奴の存在を認識出来ている様子はない。
それと、更に一つ腑に落ちぬことがある。
こやつは自分で気づいておらぬのか?
絨毯や椅子に自らの痕跡を残しておることに。
姿を消しておきながら、
そんなバレバレの痕跡があるならば、
いかに姿を消そうが片手落ちと言わざるを得ぬのではないか?
もしかして此奴は・・・
まさかこのまま妾に攻撃を仕掛けてくれと望んでおるとも思えぬが、
ここは一つ・・・
その瞬間この部屋の静寂が破られた。
「やめた方がいい。」
っ!
妾が反応出来ぬ間に其奴は次の言葉を放つ。
「せっかくの豪華な部屋が台無しになるだけだよ。」
声が!
まさに、
其奴が座り込んでいると思われるその椅子の辺りから。
そして妾が精霊術を使おうとしたのを察知したのか、先回りして妾の行動を封じおった。
「そうなると、泣くことになるのはさっきのメイドの子かな?
どこから片付けていいのって、がっくりと肩を落として途方に暮れる姿しか予想出来ないね。」
そんな詳細でご丁寧な予想などしてもらわんでも良いわ!
それにしても此奴の声、
男の声であるのは間違いないが、
少年のような澄んだ声よの。
それでありながら、世間話でもするような落ち着き払った口調。
いろいろな理由で妾が何も行動出来ずにおると、
やがて其奴は更なるセリフを口にした。
「姿を消していたのは、他の人間に見られないようにする為だけでね、
マーガレット、いや、この世界ではマルゴットか、
君に姿を見せることには何の問題もない。
今から少しずつ姿を見せるから慌てる必要はないと言っておくよ。」
いま、此奴、
マーガレットと申したな。
そして「この世界」とも。
それはカラドックから聞かされた、もう一つの世界での妾の名。
つまり此奴は・・・
まだこの世界に転移者が残っておったというのか。
それもあちらの妾の関係者・・・
「ならばさっさと姿を見せるが良い。
なに、この部屋の家具や侍女の心配などは不要よ。
部屋に損傷も与えず、そなたを封じることなどわけもないのだぞ?」
部屋の中にはそれほど多くの精霊に満ちているわけではないが・・・
人間一人凍らす程度、
妾は少しずつ氷の精霊を・・・
「ああ、氷の精霊術か、
でも酷いことを言うね。
この私を呼び出したのは他でもない、君自身だろう?」
そこで妾の術は止められた。
ヤツの言葉に。
何を?
妾が此奴を呼び出したと?
如何なる話か?
此奴まさか、精霊?
いや、ここまではっきりと存在感を持ち、言葉を流暢に話す精霊など・・・
では上位精霊か?
更にその上にはこの世界で神と言われる存在もあるという。
いや、しかしそんなものをかつて妾が呼んだ覚えなどないぞ?
ではいったい?
一方、妾の疑問を他所に、
奴は自らの言葉通り、徐々に・・・
そこにいる筈の場所に。
何かがうっすらと、
人の形を取り始める・・・
それは少しずつ、
輪郭もくっきり露わにし、
やがてその形に色も付き始めおる。
やはり最初に感じた通りじゃ、
それは小柄な・・・
そう、姿はまるで少年。
純白の法衣に身を包んだ・・・
ダークグレー、いや、
むしろ黒銀色とも言える光沢を帯びた肩までかかる毛髪。
そして深い暗灰色の瞳・・・
まるで絵画の中から抜け出てきたのではないかと思える完璧なる美しさ・・・
いや、一つだけ少年とは思えぬこともあるの。
その、圧倒的な神秘性・・・
魔力的なオーラは一切感じぬというのに、
この妾が思わず崩れ落ちてしまいそうな程の神々しさ・・・
なんと
これは・・・まあ
「はじめまして、だね、マルゴット。
子供たちが世話になった。
私が天使、天使シリス。
人であった時の名は斐山優一、
人間達に月の天使と呼ばれる者だよ。」
ああ、
分かってしもうた。
これは惚れる。
無理。
愛しあった恋人がいようと、
永遠を誓った夫がいようと、
無理であろう。
そんなものがいたとしても、
そやつの頭にハンマー打ち付けてから、
ベッドに寝かしつけて丁重にシーツ被せた後、
家を鍵もかけずに飛び出していくであろうな、
妾が突然こんな少年と出会ったならば。
む?
異世界の妾もそんなことまではしていない?
いや、昨夜カラドックからは、
初めてマーガレットが斐山優一と出会った時、それまで関係のあった男どもを全て捨て去ったと聞いたとか言っておった気がするぞ?
マリン大公(故人)「酷いっ!!」
マルゴット「許せよマリン。」
ちなみにライラックさんはどうしたんですか?
捨てられたんですか?
ライラック「いや、捨てられるも何も最初からマーゴお嬢様とそんな関係になってないっ!!」
ランスロット「え、そうだったっけ?」
ちなみに
天使シリス編では、
ランスロットとライラックはちょい役で出すつもりでした。
優一とマーゴが出会った時点では二人とも生きてます。
エリナちゃんも。
エリナ
「あんの女狐ええええええっ!!
優一さんに手を出そうなんて3000年早いと思い知らせてやるですううううううっ!!」