第三百三十二話 悲劇の家庭
「・・・これだけ時間かかって、見つけたのはしいの実だけかぁ・・・。」
人間の家庭だけなら、なんとか一日の飢えを凌ぐのにギリギリと言ったところか、
それも飢え死にだけは免れる、という程度だろう。
だが、魔物であるオグリには何の腹の足しにもなりはしない。
「もうっ、これ以上はっ、陽が落ちるっ、
引き上げ時ではないかっ・・・。」
もちろんフユリにとっても、これだけで満足できないが、
夜の森や山の中がいかに危険かは、両親が口を酸っぱく教え込んでいた。
二人を心配させないためにも今日はここまでにすべきと判断したようだ。
「・・・うん、そうだね・・・。
仕方ないか・・・。」
そして同時に、
・・・それがオグリの行動を決めた。
もうこの家族に利用価値はない。
今夜であの家を出て行こう。
だから、思い残すことがないように・・・
「・・・オグリ、どうしたの?」
鬼人オグリは何も言わずにフユリを見下ろす。
たかだか7才の子供にだ・・・。
「きょ、きょうなんか変だよ、オグリっ、
い、家を出るときもそんな怖い顔でっ・・・。」
そしてオグリはゆっくりと足を踏み出す・・・。
その巨大な拳を開いてあまりにも小さなフユリの手首を握りしめる。
「いっ、いたいっ!?
オグリ放してっ! 何するのっ? ちょっとやめてっ!!」
・・・ここから先の話は・・・読み進めないほうがいいかもしれない。
「フユリ達はまだ帰っていないのか・・・?」
父親は川の方まで足を延ばして魚を取ろうとしていたようだ。
もっとも釣果はゼロの様である。
ちなみに釣り針を垂らしていたわけではない。
川の幾つかの場所にやなを設置し、魚がはまりこんでないか見に行っていたのである。
「去年は同じ方法で少しは捕まってたんだけどなぁ・・・。」
「ゴホッ、ゴホッ・・・あの子ったら遠くまで行っちゃったのかしら?」
その可能性は高そうである。
鬼人オグリがいる今、肉食の獣や魔物に襲われる事態は考えづらいし、
この山間で生まれ育ったフユリが道に迷うとも思えない。
例え何らかの事故でケガをしたとしても、それこそ鬼人がフユリを抱えて戻ってこれるだろう。
だが・・・。
「フユリ、大丈夫かな・・・?」
「あなた・・・フユリを探しに行って・・・」
その時である。
二人の耳に、外でつないである馬のいななきが聞こえてきた。
残されたアキリのようだ。
フユリが帰って来たのだろうか?
もう外は薄暗くなっている。
空には一つ目の月が明るく輝いていた・・・。
あと数時間もすれば二つ目の月も昇るだろう。
塀の向こうからでもその特徴的な足音はもはや間違えるものではない。
鬼人の足音だ。
「オグリさん! おかえりなさい!!
フユリは・・・。」
帰宅の声を待たずに父親は門を開く。
そこには予想通りオグリの巨体はあるが、
フユリの姿も、連れていった馬のハルリの姿も見えない。
鬼人はジロリと父親を見下ろした。
何があったのだろう?
「オ、オグリさん・・・っ、
フユリは・・・フユリはどうしたんですかっ!?」
「・・・はぐれたっ。」
父親は自分の耳を疑った。
はぐれた?
フユリとはぐれたと言ったのか!?
「そ・・・そんなっ!
あなたがついていながらっ!!
どこで・・・どこでフユリはいなくなったんですか!?」
「以前っ、レッドウルフの群れにっ、襲われた辺りかっ、
馬とっ、フユリはっ、一緒の筈だっ。
我より先にっ、ここへ戻ったと思ったがっ・・・。」
「じょ、冗談じゃないっ!
すぐに探しに行かないとっ!!」
奥の寝室では母親が寝ている。
だがこれだけの喧騒、すぐに彼女も何か異常な事態が起きたのかと気づいて体を起こす。
部屋の入り口まで歩いて扉を開けるくらいなら・・・
「あ、あなた、どうしたの・・・っ、ゴホッ。」
鬼人は家の中に入らず、外で父親の次の行動を待っている。
どうせ、すぐに外に飛び出すはずだ。
ならば、父親と一緒に外へ出かけることになるだろう。
そう、・・・鬼人は今、家の中に入らないほうがいいと考えていた。
「ケ、ケイティ・・・っ、フユリが戻ってこないんだ・・・
いや、すぐに探しに行く!
すまないが一人で待っててくれないかっ?
オレたちと行き違いでフユリが戻ってくることもあり得る・・・!」
「わ、わかったわ・・・!
気をつけてねっ・・・。」
鬼人は勿論、フユリが戻ってこない真の理由を知っている。
正直に全てを話しても良かった。
この貧弱な夫婦に知られたところで何も変わらない。
ただ・・・鬼人にも「順番」として考えていたことがある。
その予定の為には、この場では沈黙を守っていたのである。
「オグリさん! 案内してくださいっ、フユリを見失った場所へ!!」
「案内だとっ?」
鬼人は家の中に入らないほうがいいとは思っていたが、
外に出る理由も持っていなかった。
適当な理由をつけて、父親を外に出させるだけで良かったのだが、
どうにもうまい理由が思い付かない。
仕方がないので、途中で別行動をとるのが妥当と考えたようだ。
実際、雪の上には行きでついた自分や馬の足跡が残っている。
この足跡通りに進めば追跡は難しくはなさそうに見える。
けれども・・・
「ここの足跡は!?
ぐちゃぐちゃになっている!!」
「・・・ここでっ!
一休みをしたっ、
ここを拠点にっ、何度かっ別々の道をっ行ったり来たりしたっ、
それでっ、フユリがどっちにいったかっわからなくなったっ!」
「し、仕方ありませんっ、オグリさん、二手に分かれて探しましょう!!」
ようやくオグリの目論見通りとなった。
彼は何を思ったのか、
フユリの捜索をする振りをして、なんとそのまま彼らの家に戻ってしまったのである。
玄関の外に誰か戻って来た気配だ。
「ごほっ、ごほっ、
あなた? フユリは見つかったっ・・・?」
精一杯の声を張り上げる。
母親は玄関先まで家族を迎えに立つことも出来ず、
寝室の戸口の扉を開け、
夫と娘の帰りを待っていた。
だが、
そこには夫も娘も返事を返すことはない。
・・・体力のない今、家の外まで自分の声は聞こえないのだろう。
そう思って、扉が開くのを待つことにした。
ガチャリ・・・
鍵が開く音だ。
家の扉の鍵を隠している場所は家族は全員、それにオグリも知っている。
だから扉を開けたのが、鬼人オグリであること自体に母親は驚くことはない。
けれど疑問は生じる。
「オ、オグリさん、
娘は・・・フユリはいましたかっ?」
鬼人オグリは母親の姿を見つけた。
母親の弱々しい声も聞こえたが、その質問に答えを返す理由がない。
そしてオグリは、さきほどフユリに向けたような異様な視線を母親にも浴びせる。
「オ、オグリさん?」
のそり、のそりと鬼人オグリは家の中に入る。
邪魔は入らない。
ゆっくりと、鬼人オグリのその足は母親の元へと向かう。
「・・・あ、あのっ?」
母親の方も何か鬼人の様子がおかしいことはすぐに気が付いた。
そして気づいたのはそれだけではない。
家の中の暖炉の火に照らされて、
初めて彼女は、鬼人オグリの服の裾が、赤黒く染まっていることに気付いたのだ・・・。
一方・・・
山の中では、
ついに父親が・・・
変わり果てた自分の愛娘の姿を見つけてしまう・・・。
どうやら鬼人は隠すつもりもなかったらしい。
すぐに見つかるようなところに
彼女の遺体を晒していたようだ。
もっとも、顔でフユリを判別などできはしない。
ただ・・・家を出た時に来ていた服の残骸を被せられたナニカの塊・・・
辛うじて、それが人間の特徴を有している・・・
それだけ・・・いや、説明は不要だろう。
父親は「それ」がフユリだと認識した。
それで物語を進めるには十分だろう。