第三百二十三話 放たれた鬼人
<第三者視点>
さて、ここまでの話の流れで、
皆様の中には疑問に思われた方もいるかもしれない。
一人の・・・いや、一匹のゴブリンがスタンピードにおける破壊と虐殺の中で、
稀有な事例なれど鬼人にまで進化を果たした。
その過程において、人形メリーがこれまでに感じた事がないほどの恨みや恐怖を、果たして鬼人が蓄える事など在るのだろうかと。
答えは勿論、否である。
人間にとってスタンピードは天災のようなもの。
もちろん、殺され喰われることへの恐怖は当然のこと。
けれども人間にとってのそれは、恨み憎む相手すらも誰か個人を特定するようなものでもなく、
強いて憎む相手がいるとすれば、運命や神と言った漠然としたものか、
或いは、それを筋違いとするかどうかは意見が分かれるとしても、
街の防衛を怠った領主や冒険者ギルドということになるのだろうか。
従って、もし鬼人に進化したばかりのオグリとメリーが出会ったならば、
恐らく鬼人が戦闘に勝利したか、
或いはメリーの報復衝動そのものが発動しない可能性もあった。
仮の話ではあるけども。
知恵を得る。
人間と同等の知恵を得る。
それ自体は素晴らしい特典と言えよう。
知恵は自由な思考を産み出し、
自らが経験した事象を検証し、失敗を成功に変えることすら出来る。
それどころか、他人が所持する優れた技術やスキルまでも模倣、発展させることも可能。
オーガ種のまま、戦闘能力・生存能力のみを進化させることも一つの道であろうけども、
可能性の話で言えば、地上最強の存在へと至る道も夢ではないと言える。
もちろん、それは一つの可能性というだけの話。
自由な思考を保証する「知恵」とやらも、
運用の仕方を間違えれば、簡単に命を落とすことだって普通にあり得るのである。
さて、本題である鬼人の話だが、
彼はスタンピードで滅びた街の中で、たった一人魔物として生き延びた。
本来であれば、
スタンピードという異常発生により促成的に発生した魔物は、
ある時点で糸が切れたように死滅する。
だが、人間同様の知恵を獲得し特殊進化を果たしたことにより、
「促成魔物」のカテゴリーからはじき出された彼は、
この後、人間種にとって脅威のSクラスモンスターとして世に放たれてしまったのである。
まず彼が知恵を得たことでしたことは、食糧の保存。
今まで本能と欲望に任せて食い散らかしてきたものを、
「節約して食べないと、食べるものがなくなってしまう」と考える事が出来たのだ。
もちろん、彼も野生の魔物。
多少、死体の鮮度が傷んでも腹を壊さず食べる事が出来る。
とはいえ、いくら何でも限界がある。
蛆がたかり、ハエが飛び交い、異臭を放ち始めている肉までも食う気にはならない。
人間の食糧貯蔵庫を発見すると、
その貯蔵方法、保存方法をも何となく理解し始める。
それなりに試行錯誤しつつも、彼なりにどうすれば食糧の保存を行えばいいか、学び始めることもし始めた。
もっともそれすらも、他に生き物がいなくなってしまった街からすれば、
その冬を鬼人が過ごし通せるかどうかの話。
彼が「街を出る」という発想に思いが至らなければ、
特殊進化を果たした鬼人と言えども、この街で命の炎を消すこともあった筈である。
その町がスタンピードによって滅んだことは、近隣の街にとって当然知ることであった。
救援要請は勿論あったのだが、
時間的に応援が間に合うとはどうしても思えなかったし、
何よりも、その近隣の街自体にも、スタンピードに対処できる戦力・防衛力など在りはしなかった。
残酷な決断であることは誰もが理解している。
その上でのやむを得ない決断だった。
そして滅ぼされた街の人間・その親族以外は、誰もがその決定を仕方がない事と捉えていた。
嵐が通り過ぎるのを待つような・・・
スタンピードが長続きする現象でないのは多くの人間に知られていた。
はっきりどれだけの時間を要するのかは不明だったが、
近隣の街のものは、何度も偵察を放ち、滅ぼされた街に魔物がいなくなったかどうか、
慎重に見極めねばならなかった。
そうしてようやく、街に魔物が残っていないと判断した結果、
大掛かりな偵察隊を放ち、街の被害を確かめる。
「街の復興」とはおこがましい。
スタンピードは連続して起こらない。
ならば、残された街の施設、住居をもとに、新たな街を作る事が出来る。
その為には気の遠くなるような時間が必要だが、
誰かがやらなければならない。
しかし彼らはそこで出会ってしまう。
生き残っていた一匹の魔物。
鬼人に。
そこでまたもや繰り広げられる惨劇・・・
とはならなかった。
少なくともその時点では。
鬼人は考えたのである。
人間が来た。
食糧がやって来た。
・・・でもどこから?
ここで彼らを殺し、食糧が増えたと喜ぶのもいいだろう。
だが、その先は?
次にいつ人間が来るかはわからない。
それまでどれほど不安な夜を過ごさなければならないのだろうか?
それよりも、
あの人間がやってきた方向には、
この滅んだ町と同じような、人間がたくさんいる場所があるのだろうか?
そこで鬼人が至った思考は、
このスキル「人語理解」で情報を得ることができるかどうか、であった。
「・・・おい、今の物音が聞こえたか・・・?」
「ああ、聞こえた。
向こうに誰か、探索へは行かせてないよな?」
「野犬でも迷い込んでるんなら・・・可愛いもんだが・・・。」
「油断するな・・・人間が生き残っている可能性は少ないぞ。」
鬼人は彼らが何を喋っているか全て理解できた。
そこで彼は攻撃されるかもしれないと覚悟を決めつつも、
自分の言葉を確かめるように声をあげたのだ。
「あっ、あっ、そこにっ、いるのはっ、人間っ、か?」
一斉に人間たちが自分が隠れている方向に視線を集中させた。
「なっ、い、今のは?」
「だっ、誰だ!?
スタンピードの生き残りかっ!?」
「いや、これだけ時間が経っていて、生き残りがいるとは考えられない!
廃墟に忍び込んだ山賊か犯罪者の可能性が高いぞ!!」
どうだろうか?
自分の言葉は通じてないのだろうか?
まだはっきりとわからない。
「あっ、あっ、戦うっ、つもりはないっ、
話しあうっ、ことはできるだろうかっ?」
半分嘘である。
その気になれば、この場の脆弱そうな人間どもは皆殺しにできる。
それより情報を欲しいだけだ。
「だっ、だったら姿を現せ!
武器は手にするなよ?
ゆっくりだっ! ゆっくり出てこい!」
武器?
武器など持っていない。
仲間同士の殺し合いで武器を使用したこともあったが、
すぐに壊れてしまった。
どうせ素手でも人間など捻り殺せる。
それでも言われた通り、
その鬼人は小屋の陰からゆっくりと身を乗り出した。
ニメートルを越す身長・・・。
弱点である股間を隠すためにぼろ切れを巻いているだけの姿・・・。
額の両側にはおぞましい二本の角を生やし、
張り裂けんばかりの赤銅色の筋肉。
誰がどう見てもオーガ。
街中を偵察していた一団は、当然最低限の武装をしていたが、
たとえ一匹だとてオーガ種と争って勝てる見込みなど在りはしなかった。
これがホブゴブリン相手ならなんとか、というところだっただろう。
当然彼らはパニックを起こす。
「オッ! オーガだああああああああッ!!」
「にっ、逃げっ、いやっ、他の連中を呼び戻せっ!!
遠巻きから弓矢と魔法を使えばっ!?」
「バッ、バカ言うな! それまで何人犠牲になると思ってやがるっ!!」
鬼人は困る、
やはり自分の言葉は通じないのだろうか?
いや、でもさっきは意志の疎通ができた筈。
「あっ、あのっ、会話はっ、出来るだろうかっ?」
多分、第三者がこの場を見たら、間抜けな光景だと思ったろう。
両者の態度のギャップが激し過ぎる。
鬼人のほうは、いつでもこいつらを殺せると思っているので、
全く警戒心を持っていない。
そこでようやく偵察部隊の一人が、鬼人の言葉に正しい反応を取る事が出来たのである。
「・・・えっ?
いま・・・こいつ、喋った!?」
おかしいな、こんなに引っ張る筈じゃなかったんだけど・・・。