混沌
レナードは一瞬にして絶望の底に落とされた。先程までの笑みが消え、呆然と目の前に現れた人物に顔を向けている。口は半開きで、目の焦点は合っているのかわからない。
レオンに回された腕からは重みがのし掛かってきた。レオンが支えていなければ、すぐにでも膝から崩れ落ちそうなほどだ。
何故そこまで衝撃を受けているのだろうかと、レオンはレナードの大袈裟な様子に呆れ返った。嫌な顔をするだけならまだしも、茫然自失となるほどのことではないはずだ。連れて行くと言ったのは貴方だろうと思ったが、もはや呆れて言葉もでない。
一方でエヴァンはランタンで照らしながら森を見渡し、「なんと」「面白い」「不思議だ」と単語を並べ立てて1人騒いでいる。興奮しているようで、レオンとレナードの存在が目に入っていなかった。くるりと後ろを振り返ると、繋ぎ目を探すように空いた腕を振り回している。
前を見ても横を見ても頭が痛い状況に、レオンは盛大にため息を溢した。それを2人とも気づかないことに、余計に憂鬱さが増す。
「ルイス所長」
今冷静なのは自分だけだと諦めて、エヴァンに声を掛ける。しかし、レオンの声は届かなかったようだ。エヴァンは変わらず感嘆の言葉を吐き続け、目を輝かせている。その場から動こうとしないことだけが幸いだった。
「ルイス所長!」
今度は声を張り上げ、半ば叫ぶように告げる。その声に、隣でレナードがビクリと肩を震わせた。しかし、無事にエヴァンの動きもピタリと止まり、漸くレオンの方を向いた。
「お時間がかかっていらっしゃいましたが、何か問題でもありましたか」
「いえいえ、何も。レナードさんがあと1歩と仰っておりましたがね、何故わかるのかと、周囲との違いを探しておりました。いやぁ、全くわかりませんな。暫く見ていても解決しなかったので、取り敢えず意を決して歩いたら、なんと! 目の前に2人がいるではないか! しかも何とも不可思議な森ではないか! と、興奮してしまいましてな」
「そ、そうですか」
失敬失敬、とエヴァンは子供のような屈託のない笑顔で話す。レオンは頬を引きつらせながら、頷いておいた。
「レナードさん、もう移動しませんか」
隣で固まっているレナードに声を掛けると、漸くぎこちない様子で首を動かし、レオンを見た。
「あ、ああ。そうだな。……なぁ、あいつのランタンを取り上げろ。ずっとあんな調子じゃ俺は耐えられない。俺が先頭を行くから、レオン、お前は1番後ろを歩け。あいつが止まるようなら後ろから押せ」
切迫した面持ちで懇願するレナードに、レオンは了承する。確かに、道中ずっとランタンを振り回されるのは、迷惑極まりない。あの調子では中々村へはたどり着かないだろう。
「では、ルイス所長、行きましょうか」
そう言ってエヴァンに近づき、ランタンを取り上げる。そして後ろから背中を押して、レナードの方に歩かせた。「おやおや」と言いながらも、エヴァンはレオンにされるがままだった。
「あと少し歩く。ここで迷われると迷惑だから、俺の後ろを黙って、絶対に黙って歩くように。でなければすぐに家まで連れ戻す。もうこちらには来られないかもしれないぞ」
「それはご遠慮願いますな。わかりましたぞ。黙りましょう」
レナードは低く唸るような声音で脅しをかける。やはりエヴァンには効果がないようで、エヴァンは胸をドンと叩いて、任せなさいとばかりに宣言した。
それからは、比較的穏やかな時間が続いた……とは言えなかった。
レオンは2回目ということと、エヴァンとレナードが気になって意識を集中していた為に、行きのような朧げな状態にはならなかったが、初めてのエヴァンは段々とぼんやりするようになり、ぼそりぼそりと呟き始めた。その度にレナードは振り返り、エヴァンを睨みつける。その視線にエヴァンははっと意識を取り戻し、押し黙る。延々とそれを繰り返した。
何故エヴァンがぼんやりとしているのか、唐突に声を上げるのか、行きの自身を覚えていないレオンは不思議でならなかった。しかし、苛立っているレナードに聞くわけにもいかず、ただひたすらに前を向いて歩いた。
思っていたよりも村は近かった。エヴァンの家に向かっていた時は森の中を大分歩いたような気がしていた為、レオンは驚いた。呆気なく、村に足を踏み入れる。田畑の向こうに見える家々の窓からは明かりが漏れており、楽しそうな笑い声も風に乗って聞こえてくる。
村に入ると、何故だかエヴァンがぶつぶつと話し始めることもなくなった。瞳を輝かせてきょろきょろとはしていたものの、レナードに念を押された通りに黙っている。
外には誰もおらず、家の中から響く笑い声の溢れる通りを、3人は静かに歩いた。エヴァンは楽しそうではあったが、誰にも会わないことが残念そうだった。
漸くヴィンスの家の前にたどり着いた。多くの窓は真っ暗であったが、居住区の方からは暖かな光が漏れていた。その灯りの中でオードリーが待っていると思うと、レオンの心は穏やかになれた。オードリーの顔を見られるというだけで、ほっとする。それほどに、この2人と行動を共にするのはひどく疲れることだった。
レナードは断りを入れるでもなく、家の中へ入っていく。そのままリビングまで歩くと、バンッと勢いよく扉を開いた。
室内で食事をとっていた3人が、それぞれ手を止め驚いたように入口を見つめている。レナードはそのままずかずかとリビングへ足を踏み入れた。レオンとエヴァンもレナードに従って家に入ってきてはいたが、流石に堂々とリビングに入ることは躊躇われた。2人は扉の入口で立ち止まる。
「連れてきたぞ」
ふんっと鼻を鳴らしてレナードが告げる。真っ先に平静を取り戻したのはヴィンスだった。机に立てかけていた杖を手に取ると、思い切りレナードに投げる。それはやはり、スコンとレナードの額に命中した。
「ノックくらいせんか馬鹿者」
後ろに倒れたレナードを満足げに見やり、今度は扉の方に視線を向けた。
「失礼しましたの。さあ2人とも、どうぞ、お入んなさい。杖があんなところにあるもので、座ったままで申し訳ないがの。空いている席にどうぞ。アンガス、案内して差し上げるのじゃ」
人の好い笑みを浮かべると、レオンとエヴァンに入室を促した。




