信用
「失敬。お待たせしましたな」
紅色の薔薇が描かれた上品なティーセットを乗せたトレイを持って、エヴァンは書斎に戻ってきた。その表情は硬い。黒のパンツの上には白いシャツを身につけていたはずなのに、濃紺のシャツに変わっている。
エヴァンはトレイをローテーブルに置き、薄く高価そうなティーカップに紅茶を注ぐ。慣れた手つきであったものの、ティーポットを傾ける手は、小刻みに震えていた。
黄金色の紅茶の入ったカップにソーサーをつけて、カチャカチャと音を鳴らしながらそれぞれの目の前に置く。エヴァンもソファに座ると、すぐさまカップを手に取った。その香りを深く吸い込み、ふぅと大きく息を吐く。それからゆっくりと紅茶を口に運んだ。
「レオン、話を聞かせてもらえるかね?」
幾分か落ち着いた声音でエヴァンはレオンを見すえて尋ねた。その顔は戸惑いを隠せていないものの、大分動揺から立ち直ったようだった。
「ええ。お話します」
レオンは紅茶を口に含み喉を潤すと、レオンが研究所から連れ去られた後のことを順に語った。
話を聞いたエヴァンは、暫く言葉を発しなかった。腕を組み、ローテーブルの中心付近に視線を向けて首を捻っている。やたらと瞬きの回数が多かった。時々思い出したようにカップを手に取り紅茶を口にするが、すぐに元の体勢に戻る。情報をどう処理すべきか、わからないようだった。
「レオン、君のことは信用しております。しかしだね……話だけを聞くと、あまりにも……」
「荒唐無稽な話だと思われても、仕方のないことだと思います」
「いや、まあ、そうですな。……信じたいとは思っているんだよ。魔力のない君が目の前にいる事実は変わりませんからな。しかし、すんなりと信じられるほど、私は純粋ではない。自分の中にできあがった常識が、邪魔になることもあるのですな」
困ったように眉を寄せ、うーんと唸る。レオンはエヴァンの思考を邪魔しないよう、静かにエヴァンを見守った。
その隣で、レナードは退屈そうに紅茶を飲んでいた。カップが空になり、ティーポットに視線を向ける。しかし、すぐにその中が空であることを思い出し、不満そうに顔を歪めた。
「そちらのレナードさんは精霊ということですが、どう見ても人間ですしねぇ。精霊ってもっとこう、神秘的な存在だと思っておりましたぞ」
エヴァンは空っぽのカップを眺めているレナードをちらりと見て呟くと、頭を抱えた。
「お前たちが精霊をどう思っていようと構わないが、信じてもらわなければ話が進まない」
ソーサーにカップを戻し、レナードはぶっきらぼうに告げる。そして面倒くさそうにため息をついた。
「おい、レオン。とりあえず森に連れて行こう。これじゃあ埒が明かん」
そう言って立ち上がり、レオンの返事も聞かずにすたすたと書斎から出ていこうとする。その声に、エヴァンも顔を上げた。レナードの後ろ姿を一瞥し、レオンは仕方ないなと肩を落とした。
「ルイス所長、すみませんが、お付き合いください」
「そ、そうですな」
レオンは軽く頭を下げてから、エヴァンをじっと見つめた。エヴァンはレナードとレオンを交互に見やり、困惑した面持ちのまま同意した。
長いローブを身に纏いフードを目深に被った3人が、闇に紛れて屋敷のすぐ裏手にある森に入っていく。暫く歩くと、先頭を歩くレナードがピタリと止まった。レオンには、森の中はどこも同じ景色に見えたが、行きと同じように丁度境目となるのだろう。
レナードが振り返り口を開いた時、あっとエヴァンが声を上げた。水を差されたレナードは、不機嫌そうに顔を顰める。
「どうされましたか?」
レオンも振り返り尋ねると、エヴァンはフードを脱ぎ、手に持ったランタンで辺りを見廻していた。
「間違いない。ここですぞ」
呆然とした様子で呟くエヴァンに、レオンは首を傾げた。
「ここが、どうかされましたか?」
「あぁ、ここだ。フレッドの魔力が消えた場所に間違いない。どうして、ここで立ち止まられたのですかな?」
エヴァンは初めて、レナードを真正面から見て問うた。その声には、先ほどまでの当惑は見られなかった。
「あ、ああ。ここから、俺たちの村に入る。人間は簡単に入ってこられない場所だ。正直、お前が村に入れるとは思っていないが、目の前で俺たちが消えたら、多少は信じるようになるだろう」
エヴァンの変わり様に、レナードはたじろいだ。それを気にする風でもなく、エヴァンはそうかそうか、と素直に頷く。
「ルイス所長、どうしてこの場所だとわかるのですか?」
「何度も来たからですよ。ここに何かあるのではないかと、ひょっこりとフレッドが現れるのではないかとね。それもあって、この近くに家を構えました」
エヴァンは口元に笑みを浮かべると、元来の穏やかな口調で続けた。
「レオン、君の話を信じましょう」




